ファン・ジニ 映画版(韓国映画・2007年) |
<テアトル梅田>
2008年12月7日鑑賞
2008年12月11日記
TVドラマでお馴染みの妓生(キーセン)美女ファン・ジニが大スクリーンに!李朝時代の身分制度を勉強すれば、その「出生の秘密」にも興味が湧くはず・・・。「身体は売っても心は売らない」と凛とした美しさを保つファン・ジニに注目だが、H度を満足させてくれないのが大きな不満。これだけの美女を起用したのだから、李安(アン・リー)監督の『ラスト、コーション』(07年)ばりの、R-18指定とされるくらいの見せ場をつくってほしかったと思うのは、私だけ・・・。
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監督:チャン・ユニョン
原作:ホン・ソクチュン『ファン・ジニ』(朝日新聞出版刊)
脚本:キム・ヒョンジョン
チニ、ファン・ジニ、ミョンウォル(妓生)/ソン・ヘギョ
ノミ(ファン家の執事)/ユ・ジテ
フィヨル(松都の長官)/リュ・スンリョン
ファン家のばあや/ユン・ヨジョン
ケトン(ノミの弟分)/オ・テギョン
イグミ(チニの侍女)/チョン・ユミ
ピョク・ケス(長官の友人)/チョ・スンヨン
ソ・ファダム(渓谷に住む道学者)/キム・ウンス
2007年・韓国映画・141分
配給/コムストック・グループ
<カタカナだけではサッパリわからん!>
韓流ドラマにご執心の方は、「ファン・ジニ」と聞いただけで、すぐに「ああ、あの・・・」とわかるはず。韓国で2006年に大ヒットした全24話のテレビドラマ『ファン・ジニ』は日本では2008年にNHKのBS2で放映され、その後10月からは地上波でも放映中だから。
昔の中国映画は俳優名などに漢字があったが、最近は香港映画に続いて中国映画でもカタカナばかりのものが多くなった。韓国映画は前からその傾向が顕著だが、カタカナばかりではさっぱりわからないことが多い。
ちなみに、ファン・ジニは黄眞伊、つまり彼女は黄家という両班(ヤンバン)(貴族)の娘で、李朝の第11代中宗から第14代の宣祖の時代の人。そのファン・ジニが両班から妓生(キーセン)に身を落としたのは、父親が下女に生ませた子供だったという彼女の出生の秘密が明らかにされたためだ。妓生とは、言ってみれば日本の「芸者」に相当する「職業」(?)だが、私たちがかつて韓国旅行をする際に「キーセンツアー」という言葉があったように、現実にはもっと幅広い役割・・・?ちなみに少女時代に彼女が呼ばれているチニは、愛称。そして、彼女の妓生としての源氏名が明月(ミョンウォル)だ。日本では江戸時代には士農工商という厳しい身分制度があったが、李朝時代の朝鮮でもそれは同じで、ファン・ジニは両班階級から一気に賤民階級=奴婢(ヌヒ)に身を落としたわけだ。
他方、この映画では新しく赴任してきた長官フィヨル(リュ・スンリョン)が大きな役割を果たすが、この長官の任地がこの映画の舞台でありファン・ジニの生まれた故郷である松都(ソンド)。これは、近時南北関係が悪化する中でよく新聞にも出ている北朝鮮の都市開城(ケソン)で、漢陽(ハニャン)(現在のソウル)に移るまでは李王朝初期の首都だった都市。このように漢字と一緒にカタカナが使われるとよくわかるのだが、カタカナだけではサッパリわからん!
<ソン・ヘギョの凛とした美しさに注目!>
この映画でヒロインのファン・ジニ(ミョンウォル)を演じたのは『僕の、世界の中心は、君だ』(05年)で映画デビューしたソン・ヘギョ。デビュー作での彼女は、セーラー服姿ではないものの、白いブラウスとグレーのプリーツスカートという制服がバッチリと決まっていた。それもそのはず、彼女が芸能界にデビューしたのは学生服モデルだったのだから・・・。
そんなソン・ヘギョの今度の「制服」は、妓生としてみせる、数々のチョゴリ(上着)とカチェと呼ばれる伝統的な女性用のヘアスタイル。衣装にうるさい女性ファンならずともその美しさに注目だが、それ以上にそれまでの両班のお嬢様ファン・ジニとしての生き方と決別し、妓生・ミョンウォルとして生きる姿を演ずるソン・ヘギョの凛とした美しさに注目!
<大きな不満あり!>
ソン・ヘギョの凛とした美しさは認めるものの、この映画には大きな不満あり。それは、この映画ではスケベおやじが期待するH度が全然満足されないこと。たしかに、ファン・ジニは妓生・ミョンウォルに身を落としても、元両班の娘プラス詩を書く妓生という評判によって高級妓生になったようだ。しかし、そうはいっても所詮妓生は妓生のはず。したがって、精力自慢の男から「今日は5人行くぞ。最初はお前だ。」と指名を受ければ拒否などできるはずはない。ところが、この映画では・・・?
さらに、ミョンウォルの詩の才能を見込んだ長官が、ミョンウォルの「共寝はしません」との言葉を逆に喜んだものだから、ミョンウォルの妓生としての仕事は割と楽そう・・・?
しかして何が不満かというと、ソン・ヘギョのヌードシーンもベッドシーンもごくわずかで、全然期待に応えてくれていないこと。自ら貞操を捧げるかわりに「世話人」になってくれと頼んだノミ(ユ・ジテ)とのベッドシーンはもとより、ノミの弟分ケトン(オ・テギョン)の命乞いのために長官に身を投げ出したベッドシーンも、李安(アン・リー)監督の『ラスト、コーション(色、戒/LUST,CAUTION)』(07年)などに比べれば月とスッポン・・・?
いくら清純派のソン・ヘギョに遠慮したからといって、これでは私を含む多くの男性客は大いに不満なはず・・・。
<こんな色恋ゲームははた迷惑・・・>
ヨン様こと「ペ・ヨンジュン」がプレイボーイ役で主演した『スキャンダル』(04年)は、木村佳乃似(?)の美女チョン・ドヨンを落とせるか否かのゲームが見どころだったが、そんな色恋ゲームのターゲットとされた方はエライ迷惑(『シネマルーム4』192頁参照)。
この映画で、長官からのそんな色恋ゲームの提案(賭け?)に応じて実行するのがミョンウォル。その第1のターゲットは、長官の友人で聖人君子の誉れ高いピョク・ケス(チョ・スンヨン)。つまりミョンウォルがピョク・ケスを誘惑できるかどうかの賭けをしたわけだが、そこでミョンウォルがとった戦術とは?男はなぜか喪中の女に弱い動物・・・?そんな戦術で見事にミョンウォルは勝利し、「君子たる者、喪中の女を抱くより、むしろ妓生を抱くべきでは?」とやりこめたが、これではピョク・ケスは少しかわいそう・・・。
他方、私には信じられないが、こんな美女からの色仕掛けのモーションに応じないホンモノの聖人君子も存在するのだ。それが、渓谷に住む道学者のソ・ファダム(キム・ウンス)。そのうえ、「万物はひとつにつながっている」との彼の言葉は、人間や世の中の真実を見事に言いあてた言葉。そんなわけでミョンウォルは長官との賭けに負けたものの、ここでホンモノの師を見出すことができたのはラッキー・・・。
<前半のポイントは?後半のポイントは?>
子供の頃に出奔しながら、今はたくましい若者に成長したのがノミ。ファン・ジニのホントの母親と、それを隠して両班のお嬢サマとして育ててきた育ての母親しか知らないファン・ジニの出生の秘密が、なぜ今頃暴露されることに・・・?実はそれをバラしたのがノミ。ファン・ジニに好意をもっているはずのノミが、なぜそんなことを?それをよく考えてみることが、この映画前半のポイントだ。
これに対して映画後半のポイントは、ノミが弟分のケトンらと共に始めた窃盗団活動とそのてん末記。これは、さんざん金や食料品をため込んでいる両班の蔵を襲い、それを貧しい人々に配るという、いわば日本の石川五右衛門のような義賊としての活動。しかし、そんな窃盗団がのさばったのでは長官の面目丸つぶれだから、長官がその検挙のために全力を挙げたのは当然だ。さて、その攻防戦は?
<韓流ラブストーリーの展開は・・・?>
ファン・ジニが妓生となる時、ファン・ジニの貞操の代わりに「世話人」となったのがノミだが、「身体は売っても心は売らない」と決心し、毅然とした行動を取り続けるファン・ジニと異なり、酔った男たちに抱かれるファン・ジニの姿に耐えられなかったのがノミ。そんなこんなの両班や権力に対する不満がノミを窃盗団に走らせたわけだが、そうそういつまでも逃げおおせるわけではないことは明らかだ。弟分のケトンがノミの居場所を知っているに違いないと目をつけられ、拷問を受けていると聞いたミョンウォルとノミの行動は?それが、この映画後半の大きな見どころに。
もともとは両班のお嬢サマと下男、そして出生の秘密が明らかになった後は妓生とその世話係という、本来ラブストーリーの成立は難しい関係の2人だが、さて、クライマックスに向けての2人の韓流ラブストーリーの展開は・・・?
2008(平成20)年12月11日記