チェ 39歳 別れの手紙(スペイン、フランス、アメリカ映画・2008年) |
<GAGA試写室>
2008年12月12日鑑賞
2008年12月13日記
カストロに「別れの手紙」を託し、ボリビアに潜入したチェの行く末は?その結末はわかっているが、なぜそんな悲惨な結果になったのか?その「ボリビアのサスペンス」をこの映画からしっかり学びたい。そして、坂本龍馬とチェ・ゲバラに共通する「人間力」について深く思索を!
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監督:スティーヴン・ソダーバーグ
プロデューサー:ローラ・ビックフォード、ベニチオ・デル・トロ
脚本:ピーター・バックマン
エルネスト・チェ・ゲバラ(医者、革命家)/ベニチオ・デル・トロ
モイセス・ゲバラ/カルロス・バルデム
フィデル・カストロ(革命の指導者、後の首相)/デミアン・ビチル
バリエントス大統領(ボリビアの独裁的権力者)/ヨアキム・デ・アルメイダ
セリア・サンチェス/エルビラ・ミンゲス
タニア(ボリビア解放闘争における女性諜報員)/フランカ・ポテンテ
アレイダ・マルチ(チェ・ゲバラの妻)/カタリーナ・サンディノ・モレノ
ラウル・カストロ(フィデル・カストロの弟)/ロドリゴ・サントロ
マリオ・モンヘ(ボリビア共産党書記長)/ルー・ダイアモンド・フィリップス
2008年・スペイン、フランス、アメリカ映画・133分
配給/ギャガ・コミュニケーションズ、日活
<サブタイトルを分析すれば>
『CHE』パート2は、『39歳 別れの手紙』というサブタイトルがついている。これを正確に分析すれば、キューバ人民とフィデル・カストロ宛の「別れの手紙」がカストロの肉声によってキューバ共産党中央委員会の席で読まれたのは、1965年10月3日。その手紙には、「今、世界の他の国々が、僕のささやかな助力を求めている。君はキューバの責任者だからできないが、僕にはできる。別れの時が来たのだー」と書かれていた。
他方、チェ・ゲバラがボリビア政府に処刑されて死亡したのは、1967年10月9日、彼が39歳の時。つまり、サブタイトルには、この2つの意味が含まれているわけだ。
<最高にカッコいい「別れの手紙」だが・・・>
かつて恋人だった男と女の間で交わされる「別れの手紙」は世の中にたくさんあるが、キューバ革命が成功し、キューバ共産党とキューバ共和国最高幹部の1人として重要な役割が期待されていたゲバラが、それらすべての職務を放棄して、アフリカのコンゴの革命軍を支援するためにキューバを出発したのが1965年4月1日。その時にカストロに渡したのが「別れの手紙」だ。そして、その最も有名な最後のフレーズは、「革命は、勝利か、さもなければ死しかない」というラスト。何と潔く、何とカッコいい文章だろう。
09年4月に公開される『レッドクリフ』第2部は、赤壁を真っ赤に焦がす大スペクタクルシーンが楽しみなエンターテイメント巨編だが、『CHE』第2部はそれとは逆に、ボリビアに潜入し、ゲリラ活動を続けるゲバラの部隊が次第に追いつめられ、遂に逮捕、処刑される悲しいストーリー。第1部では苦しい戦いの末に最高の勝利を導いたが、「最後の手紙」を残してボリビアに潜入したゲバラの生きザマと死にザマを描く第2部は・・・?
<「ボリビアのサスペンス」とは?>
ゲバラがボリビアへ潜入したのは1966年11月4日。他方、キューバにソ連の核ミサイル基地が発見されたとして、米ソの核戦争の危険をはらむケネディ大統領VSフルシチョフ首相のキューバ危機が発生したのが1962年10月。そして、ゲバラがニューヨークの国連総会で歴史に残るスピーチをしたのが1964年12月9日。さらに、ゲバラがカストロに「別れの手紙」を手渡したのが1965年4月1日。
このように時系列に沿って整理すれば、ゲバラのボリビア潜入=ボリビアでのゲリラ部隊の結成=武装蜂起=ボリビア政府の打倒は、決してゲバラ1人だけの判断ではなく、フィデル・カストロ=キューバ共和国政府の意思が働いていたことは明らかだ。そしてこれは、アメリカに言わせれば、キューバ革命の南米諸国への輸出に他ならないから、絶対に容認することができない行動であることも明らか。
1956年12月2日にカストロ率いるたった82名の兵士がキューバに上陸したところから始まったキューバ革命が成功したのに、ゲバラ率いるゲリラ部隊によるボリビア革命が失敗したのはなぜ?
それを追及していけば学術的にはエンドレスだが、それがこの映画が描く「ボリビアのサスペンス」。ゲバラは、キューバ革命におけるゲリラ活動と同じように人民の支持を得ながら拠点を確保し、それを次第に拡大していくという戦術をとっているのだが、ボリビアでそれが成功しなかったのは、第1にボリビア共産党の協力が得られなかったこと、第2にボリビア人民(貧しい村の農民たち)の支持=協力がなかったこと。
この映画を観ているとそれはよくわかるのだが、問題は、なぜそうなったのかということ。もちろん、この映画はその答えを出してくれるものではなく、それを考えるきっかけを与えてくれるだけ。さあ今日から、「ボリビアのサスペンス」の意味をしっかり勉強し、考えなければ・・・。
<第2部の華は?>
第1部の「華」は地下活動によって革命軍に協力する中で、ゲバラと出会い結婚することになった女性アレイダ・マルチ(カタリーナ・サンディノ・モレノ)だったが、第2部のそれはボリビア解放闘争の目となり耳となったタニア(フランカ・ポテンテ)。アレイダは結果的にゲバラと結婚し、2男2女をもうけるという幸せな運命になったが、さてボリビア闘争におけるタニアの運命は?
『CHE』第2部は、そのほとんどの舞台がボリビアの山岳地帯。ゲリラ部隊はそこを移動しながら拠点づくりを進めているわけだ。その兵士たちは、ゲバラと共にキューバからやってきたごく少数を除いては、ボリビア人の志願兵。しかし日本人の私には、容易にその顔と名前が一致しない。『CHE』第2部はこのゲリラ部隊が次第に追いつめられていく姿を描くものだから、キューバから共にやってきたゲバラの戦友たちが1人また1人と倒れていくシーンが続いていく。そして、タニアは本来諜報活動に従事しているだけだからゲリラ部隊に入るべきではないのだが、外部との連絡が遮断される中、彼女もやむをえずゲリラ部隊と行動を共にすることに。しかし、遮断されたゲバラの部隊との合流を目指して行動する中、村民の裏切りによって何とも痛ましい結果に。
ゲリラ部隊が全滅!そんな政府放送のラジオを聴き、ゲバラは「これはインチキだ。夢遊病者のように歩いていない限り全滅なんてありえない!」と叫んだが、実は・・・?
<ボリビア日記はなぜ1年弱で終了?>
スクリーンはゲバラの部隊がボリビアに潜入した後の節目、節目の状況を「何日目」という字幕入りで描き出す。当初は第1部の後半と同じように元気そうだったゲバラとその部隊は、後半に入るとかなりやつれた風貌になってくる。そして、ゲバラは再発した喘息の発作に苦しむ毎日だ。もちろん食料や医療品不足は恒常的で、信頼していた村人の裏切り等、人間を信じていたはずのゲバラにとっても苦しい日々が続いていく。
こんな風に映画が描けたのは、ゲバラがボリビア潜入後ずっと書き綴っていた「ボリビア日記」があったためだが、そこに描かれたのは約1年弱。つまり、1966年11月の潜入から翌67年10月9日の処刑まで、ゲバラ率いるボリビアでの武装ゲリラ闘争は1年も続かず崩壊してしまったわけだ。そして、その原因がボリビア共産党の協力を断たれたうえ、ボリビア政府の要請によって強力な軍事顧問団の派遣はもちろん爆撃機まで投入したアメリカ政府の大きな援助があったことが、この映画を観ているとよくわかる。そんな痛ましい状況を見るのはつらいが、残念ながらこれが現実・・・。
<もう1つの「最後の手紙」は?>
いくら百戦錬磨のゲリラ戦士チェ・ゲバラといえども、足を撃たれては動けなくなるのは当然。そこで、捕えられた後処刑されるまでの間に、少しだけ展開されるのがアメリカ人将校とゲバラとの議論や看守兵とゲバラとの心の交流だが、第1部でみたゲバラの国連演説のように、それが十分展開されないのが残念。だって「君は神を信じているのか?」との質問に対して、「僕は人間を信じている」というゲバラの答えは明瞭で、まさに彼の価値観や生き方そのものを示すものなのだから。したがって、そんな彼の哲学についてもっといろいろと語ってほしかったと思うのは私だけではないはずだ。
そしてもう1つ。プレスシートを読むと、ゲバラが子供たちに宛てて1965年に書いた「最後の手紙」もあることがわかる。そこには父親としての愛情の他、「世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、いたみを感じることができるようになりなさい。これが革命家において、最も美しい資質です。」と革命家ゲバラの思想の原点が明確に記されている。私としては、この映画で是非それも紹介してほしかったが・・・。
<坂本龍馬とチェ・ゲバラの共通点は・・・?>
日本人が最も愛する歴史上の人物の双肩は、きっと織田信長と坂本龍馬。共に時代が生んだ風雲児だが、冷徹無比に近代化への道を進めた天才織田信長に対し、坂本龍馬は柔軟な思考と類まれな先見性に加えて、人間的魅力がいっぱいなところが日本人が大好きな理由。
キューバ革命を成功に導き、50年近く政権トップに君臨したフィデル・カストロはどちらかというと織田信長タイプだが、チェ・ゲバラはまちがいなく坂本龍馬タイプ。この2人に共通するものはナニ?それは人間力。それはつまり、人間を信じ、人間と人間を結びつけることによって新たな局面と新たな時代を切り開いていくという考え方であり、またそんな思想を彼の周りに集まるすべての人間に納得させる力のことだ。
偉大なる人間力を発揮し、権力機構には目もくれず、最後まで1人のゲリラ戦士として人民解放のために戦い死んでいった、チェ・ゲバラの人間力に拍手!
2008(平成20)年12月13日記