英国王 給仕人に乾杯!(チェコ、スロヴァキア合作チェコ映画・2007年) |
<角川映画試写室>
2008年12月19日鑑賞
2008年12月24日記
世界にはすごい監督、すごい原作、すごい映画があることを痛感!ナチスドイツの占領下のチェコを舞台として、軽妙なテンポと印象的な音楽の中で展開していく青年ヤンと老ヤンの人生は、ホントに幸運と不幸がドンデン返し。チャップリン映画を彷彿させるアイロニーもいっぱいだが、決して暗くならないところがグッド。こんな監督を知らずして映画評論家と称していたことを自己批判しながら、今年のベスト1としなければ・・・。
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監督・脚色:イジー・メンツェル
原作:ボフミル・フラバル
ヤン・ジーチェ/イヴァン・バルネフ
老ヤン・ジーチェ/オルドジフ・カイゼル
リーザ(ズデーテンのドイツ人女性)/ユリア・イェンチ
ヴァルデン氏(ユダヤ系の行商人)/マリアン・ラブダ
スクシーヴァネク(ホテル・パリの給仕長)/マルチン・フバ
山中の教授/ミラン・ラシツァ
マルツェラ(山中の少女)/ズザナ・フィアロヴァー
黄金のプラハ・ホテル支配人/イジー・ラブス
パラダイス館のヤルシュカ/ペトラ・フシェビーチコヴァー
チホタ氏(チホタ荘のオーナー)/ルドルフ・フルシ-ンスキーJr.
将軍/パヴェル・ノヴィー
ヴァンダ(チホタ荘の女給仕長)/エヴァ・カルツォフスカー
ブランデイス氏(ホテル・パリのオーナー)/ヨゼフ・アブルハム
カレル(ホテル・パリの主任給仕)/ヤロミール・ドゥラヴァ
ユーリンカ/シャールカ・ペトルジェロヴァー
百万長者/イシュトヴァン・サボー
エチオピア皇帝/トニア・グレーヴス
2007年・チェコ、スロヴァキア合作チェコ映画・120分
配給/フランス映画社
<すごい監督のすごい映画を!>
2002年6月に『SHOW-HEYシネマルーム1』を出版して以来、6年半の間に『シネマルーム20』まで出版し、約1400本の映画評論を書いてきた私は、自称「映画評論家」と名乗ることに少しずつ自信を持ってきていた。しかし、12月16日にはじめて観たベルギー生まれのジャン=ピエールとリュック・ダルデンヌ兄弟の『ロルナの祈り』(08年)や、今回のチェコスロヴァキアのプラハ生まれのイジー・メンツェル監督の『英国王 給仕人に乾杯!』をはじめて観て、自分が(特にヨーロッパ映画について)いかに映画評論家と名乗るのはおこがましいかを痛感させられることに。
もっとも、これまで日本で公開されたメンツェル監督の長編映画はわずか2本だけらしいから私が知らなかったのも当然だが、プレスシートを読めば読むほど彼はすごい監督。さらに試写室から帰ると『キネマ旬報』1月上旬新春号が届いていたが、そこにはタイミングよくこの映画の特集が4頁にわたって組まれていた。彼が28歳の若さで監督した『厳重に監視された列車』(66年)は、1967年アメリカのアカデミー賞外国語映画賞などを受賞して国際的なスポットライトを浴びたが、「人間の顔をした社会主義」を目指して進められていた「プラハの春」が、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構の戦車によって蹂躙、圧殺される中でイジー・メンツェルも表現の自由を奪われ、彼の作品は次々と上映禁止とされ、厳重な監視下におかれたらしい。そんな彼が再び映画をつくりはじめたのは1974年。そして、1990年のベルリン国際映画祭では、69年から20年間上映禁止とされていた『つながれたヒバリ』(69年)がコンペ作品に選ばれたうえ金熊賞を受賞するという栄誉に輝いた。ちなみに、日本で公開された長編映画は、この『厳重に監視された列車』と『つながれたヒバリ』の2本らしい。今回はじめて、そんなすごい監督の、すごい映画を。
<すごい原作者にも注目!>
そんなすごい映画監督であるメンツェルが、「ここ数十年のチェコ最高の作家です」と絶賛し、「地下出版」の形で発表されていた作品を含めて「すべて熟読しました」という作家が、1914年ブルノ生まれで1997年にプラハで亡くなった、20世紀後半のチェコ文学を代表する作家ボフミル・フラバル。プレスシートによると、彼の小説は「様々なエピソードを織り込みながら、ビアホールで話しているような軽快な語り口で物語が進行していくのが特徴」。また「その一方で思索的なモチーフが作品の根底に流れており、『エロス(性)』と『タナトス(死)』がつねに作品の重要なテーマとなっている」らしいが、まさにその特徴がこの映画でもくっきりと。
それほどまでにメンツェル監督がホレ込んだ原作者だから、ボフミル・フラバル原作、イジー・メンツェル監督のコンビ作品は、過去『海底の真珠』(65年)、『断髪式』(80年)、『雪割草の祭』(83年)とたくさんあるが、今回そのボフミル・フラバルの代表作『私は英国王に給仕した』(原題)が同じ原題で映画化されることになったわけだ。こんなすごい原作者にも注目!
<チャップリン映画との共通点 その1ー音楽>
この映画を観ていると、チャップリン映画との共通点が多い。その第1は音楽。チャップリン映画は当初無声映画が多かったこともあって、『ライムライト』や『街の灯』など名曲がたくさんあるが、この映画の冒頭に流れる軽やかでリズミカルなオープニング曲がまず耳に残る。これは、後にエチオピア皇帝(トニア・グレーヴス)との正餐会のシーンでも流れるから注目!
メンツェル監督に企画段階から声をかけられ、丸々2年をかけてスコアを完成させたというアレシュ・ブジェジナの音楽は、「サウンドトラックを買いたい!」と思うほど充実している。ちなみに、チャップリンの無声映画の雰囲気と共通するピアノ曲は彼自身が弾いているらしい。またプレスシートには、ブジェジナとメンツェル監督による既存音楽の使い方についても詳しく解説しているので、是非勉強したい。1つだけ印象に残る曲とそのシーンを挙げれば、精液検定試験に合格し、アーリア人の血統であることが証明されたため、やっとヤンが恋人のリーザ(ユリア・イェンチ)とベッドインするシーン。ヒトラー総統を尊敬しているリーザにとっては、「神聖な儀式」はヒトラーの肖像画を見つめながらのものであるところが面白いが、そこに流れるのは、ヒトラーが尊敬するワーグナーの『パージファル』のSPレコード。そんな厳格な時代考証を含めて、チャップリンの数々の名作と共通するすばらしい音楽に注目!
<チャップリン映画との共通点 その2ー強烈なアイロニーと前向きの姿勢>
この映画では、主人公ヤンをイヴァン・バルネフとオルドジフ・カイゼルの2人が演じている。といっても、イヴァン・バルネフは青年ヤンを、オルドジフ・カイゼルは老ヤンを演じているから、純粋な二人一役ではなく、やっぱり二人二役・・・?
映画の冒頭登場するのは、老ヤン。舞台は1963年、チェコスロヴァキアのプラハだ。15年の刑期を恩赦のおかげで14年9カ月に短縮されて、赤い星の共産主義体制の監獄から出獄してきた老ヤンが、「私の幸運はいつも不運とドンデン返しだった」と語るところから始まる、この強烈なアイロニーはまさにチャップリン映画!
場面はすぐに転換し、お次は1930年頃のボヘミア地方の田舎町。ここで示される青年ヤンの夢は「百万長者になってホテル王になること」。それだけ聞くと、昔で言う「銭ゲバ」、最近ではいかにも嫌味な「ITバブル成金」のようだが、彼はそうではない。もっとも、駅のホームでソーセージ売りをしているヤンが、発車間際に客に対して返すべき釣り銭をわざとゆっくり数えているため結局間に合わず、客から受け取ったお札を丸々いただくシーンは面白い。これは悪く考えれば釣り銭詐欺だが、ヤンの明るさがそれをカバー・・・?決して嫌味でも詐欺でもなく、前向きに生きる青年の知恵と思わせるところが面白い。
なお、この乗客であった行商人ヴァルデン氏(マリアン・ラブダ)は、その後のヤンの人生に大きな影響を与えることになるから要注意。そんな強烈なアイロニーと前向きの姿勢が、チャップリン映画との第2の共通点だ。
<チャップリン映画との共通点 その3ー小男ぶり>
チャップリンといえば山高帽とステッキがシンボルだが、チャップリンはかなり極端な小男。したがって、ケンカしても本来すぐにやられてしまうはずだが、小男を逆手にとった敏捷さと器用さが武器で、結構暴れ回るシーンも多い。
それと同じように、この映画における青年ヤンはかなりの小男。しかし、彼も小男ぶりを十分自覚したうえ、それを最大限活用しているため将軍(パヴェル・ノヴィー)から膨大なチップを受け取ったり、エチオピア皇帝から勲章をもらったり・・・。その小男ぶりを活用した軽妙な演技は、まさにチャップリンそのもの!
<張藝謀監督の名作『活きる』との共通点が>
映画の冒頭に示される「私の幸運はいつも不運とドンデン返しだった」という字幕を見て私がすぐに思い出したのが、中国映画の名作『活きる』(94年)。これは中国の1940年代、50年代、60年代という激動の時代の中、鞏俐(コン・リー)扮する家珍(チァチェン)と葛優(グォ・ヨウ)扮する福貴(フークイ)夫婦の「禍福は糾える縄の如し」を地でいく生きザマを、心温まる視点で描いた張藝謀(チャン・イーモウ)監督の名作(『シネマルーム5』111頁参照)。何が幸せで何が不幸かは隣り合わせでホントにわからないものだということが、この2つの映画を観ているとよくわかる。
<ヤンのドンデン返しの人生とは?>
①駅のホームでのソーセージ売りから始まったヤンの人生は、次に②「黄金のプラハ・ホテル」での見習い給仕となるが、ある事件によってヤンはクビに。しかし、不幸と幸運はドンデン返しで、ヤンはヴァルデン氏の紹介で今度は③チホタ荘のウェイターに。しかし、ある事情によって大金を手にしたヤンは「ホテル・パリ」を去り、④アール・ヌーヴォーの美しさが世界最高の「ホテル・パリ」の給仕となり、さらに⑤「ホテル・パリ」の主任ウェイターであるカレル(ヤロミール・ドゥラヴァ)が去ると、今度はヤンがその後釜に収まることに。
このように、不運と幸運のくり返しの中、ヤンは順調に出世していったが、状況が一変したのは1938年9月のナチスドイツによるチェコスロヴァキアのズデーテン地方の併合。これによって、チェコスロヴァキアの人々はそれぞれどのように生きるかを問われることになったが、紆余曲折を経て今ヤンは⑥ナチの優生学研究所となったあの「チホタ荘」において女性たちの給仕役を勤めることに。ところでここは何をするところ?そして、ナチスドイツが敗北していく中、優生学研究所とヤンにはどんな運命が・・・?
<ヤンの女性遍歴 その1、その2、その3>
前述のように、「フラバルの小説は、『エロス(性)』と『タナトス(死)』がつねに作品の重要なテーマとなっている」とのこと。すると当然この映画でも、ヤンの女性遍歴のあれこれがエロスの薫りいっぱいに描かれるはず。そんな期待に違わず、ヤンの女性遍歴のスタートは、「黄金のプラハ・ホテル」で給仕をしている時に出会った娼館「パラダイス」の新人ヤルシュカ(ペトラ・フシェビーチコヴァー)。「パラダイス」ではじめてめくるめく体験をしたヤンの人生観がそれによって一変したのは当然。こんなすばらしいことが世の中にはあったのか、とヤンは思ったはずだが・・・。
ヤンの次のお相手は、「チホタ荘」の女給仕ヴァンダ(エヴァ・カルツォフスカー)。将軍を主賓とする多くの名士たちが高級娼婦と共にくり広げる美食と性の狂乱を夜毎見せつけられたら、給仕同士がもよおしてくるのは当然・・・?
3番目の女は週に1度ホテル・パリを訪れる謎の特別客たちと共に、秘密部屋にあがっていく美しい少女ユーリンカ(シャールカ・ペトルジェロヴァー)。半裸のユーリンカがテーブルの上で老紳士たちに見せる肢体が魅力的なのは当然だが、ヤンがユーリンカの裸身に咲かせたお花畑とは・・・?
<ヤンの女性遍歴の本命は?>
ここまでは、いわば青年ヤンの女体への憧れがメイン。しかし、肉欲ではなくはじめて恋愛モードに入ったのが、ズデーテンに住む小さなドイツ人女性リーザ。そのきっかけは、ヒトラー・ユーゲントの白靴下姿のリーザを、チェコの愛国体育会組織の若者たちが襲っているのを見て、ヤンが助けに入ったこと。そんなヤンの勇気ある行動にリーザも一目惚れしたらしく、映画館の中で偶然再会した2人の恋は、ズデーテン地方をめぐるナチスドイツとチェコスロヴァキアの対立が激しくなる中、次第に燃えあがっていくことに。しかし、2人の恋には大問題が・・・。
それは、ヒトラー総統に心酔し、アーリア人の血統であることを何よりも重んじるリーザは、正しい血統を残すためにはチェコ人のヤンではダメで、アーリア人の血統であることを証明しなければならないこと。そこでいろいろリサーチしてみると、実はヤンの祖父の墓にはヤン・ジーチェというチェコ名ではなく、ヨハン・ディティーというドイツ名が刻まれていた。これにはリーザは大感激。数奇な出会いで始まった2人の恋は、いよいよ時代の動乱を超えて実を結んでいくことに・・・。
<老ヤンだって負けてはいない・・・>
女性遍歴は若者だけの特権?いやいや、そんなことはない。女性遍歴では、老ヤンも負けてはいない。監獄から出てきた老ヤンは遠くへ行くことを禁止されたため、国境沿いの山中ズデーテン地方の廃村で働くことに。彼が入ったあばら家は昔ビール店だったようだが、その荒れようは生半可ではない。しかし、生来何ゴトにも前向きな老ヤンはそこを拠点として日々厳しい労働に従事していたが、するとやっぱりいいことは起きるもの・・・。
ある日老ヤンが出会ったのが、音楽の樹を探しているという教授(ミラン・ラシツァ)と共にやってきた野性的な少女マルツェラ(ズザナ・フィアロヴァー)。15年以上も女に接していない老ヤンが彼女に興味を示し、性的(?)関心を持ったのは当然だが、以外にもマルツェラの方も積極的。年の差などものともせず、ひょっとしてこの2人の間に劇的なロマンスが・・・?
<ヤンの人生に影響を与えた男 その1ーヴァルデン氏>
ヤンの人生は、第1に夢に向かってひたむきに突き進んでいく自分自身の力、第2にタイミングよくめぐり会った女性たちの力によって、糾える縄のように禍福をくり返しながら進んでいったが、ヤンの人生に大きな影響を与えた2人の男のキャラが面白い。その1人はソーセージの釣り銭をヤンにふんだくられた行商人ヴァルデン氏。黄金のプラハ・ホテルの客としてやってきたこの丸い目の紳士は、ヤンに対して「金を返せ!」と迫るのではなく、逆に「お前は小さな男、小さな国の人間、それがお前の血だ。それを忘れなければ人生は美しくなる!」とスモール・イズ・ビューティフルの教訓を垂れることにより、青年ヤンに大きな影響を与えることに。
さらに、彼は風雲急を告げる政治・軍事情勢の中、ヤンに対して「戦争が始まる、切手を買うんだ。金も宝石もダメだ、切手は隠せる、切手を買え」と教えてくれた。この教えを実践したのはヤンではなく、ヤンと結婚した後ヒトラー総統のために女性兵士となって前線へ出征して行ったリーザ。各地を転々とした末やっとヤンの元に戻ってきたリーザは、ヴァルデン氏の教えを受けて、ワルシャワやロシア戦線で収容所送りになったユダヤ人から集めた膨大な量の切手を持ち帰ったが、さてその価値は?
<ヤンの人生に影響を与えた男 その2ースクシーヴァネク給仕長>
ヤンの人生に影響を与えたもう1人の男は、「私は英国王の給仕をした」という「ホテル・パリ」の給仕長スクシーヴァネク(マルチン・フバ)。主役でもないのにタイトルロールに使われているくらいだから、この映画における彼の存在感は際立っている。もっとも、政治的信念の薄いヤン(?)と違って、自分がチェコ人だという自尊心の強いスクシーヴァネクのこの時代の生き方は難しい。
ホテル・パリの給仕長を長年勤めているスクシーヴァネクがヤンに教えたのは、「給仕たるもの、お客の顔を見た瞬間に何を注文されるか察知しろ」というもの。もちろん、その言葉どおり、彼の観察は百発百中であるうえ、チェコ語、スロヴァキア語、ドイツ語、英語、仏語、伊語、ハンガリー語、中国語までお客に合わせて料理の注文を聞いている彼の姿にヤンはビックリ。こんな給仕長のすぐ間近で直接の薫陶を受けたのだから、ヤンの給仕としての腕前がメキメキとあがったのは当然だが、さてスクシーヴァネクの運命は?
ホテル・パリのレストランは新体制下でも「ドイツ語話しません」との看板を変えず、ドイツ人の客を頑に拒否していたが、さていつまで時代の流れに抵抗することができるの?『サウンド・オブ・ミュージック』(65年)におけるトラップ大佐一家は、アルプスを超えてナチスドイツの手から逃れていくことができたが、さてスクシーヴァネクの場合は・・・?
<ナチスの次は人民委員会だが・・・>
多くのチャップリン映画と同じようにメンツェル監督作品のこの映画も、軽妙な風刺とほどよいエロス(?)を入り混ぜながら心地よい音楽に乗ってテンポ良く進んでいく。したがって全然飽きがこないが、考えてみればその中にはものすごくいっぱいのストーリーが詰まっている。
そもそも何の脈絡もなく別々にスタートした老ヤンのストーリーと青年ヤンのストーリーがどんな形で交わるの?それが交わるのは、老ヤンが懲役15年の刑の言渡しを受けるところまで青年ヤンのストーリーが到達した時であることは明らかだが、ヤンに対してそんな刑の言渡しをしたのは一体ダレ・・・?それは当然裁判官だと私は思っていたが実はそうではなく、ナチスドイツ崩壊後の3年後の1948年に発足した共産党独裁政権下の人民委員会の面々。そもそも彼らがどこまでの権限を持っているのかよくわからないが、この映画における刑期の言渡しの様子を見ていると、そのデタラメぶりがよくわかる。彼らは当初ヤンに対してヤンが切手を売って得た膨大な金で建てた「ホテル・ジーチェ」とその中の一切の動産を没収し、ヤン本人はホテルの管理人に任命すると宣告していたのに、ヤン自身が「ホテルを没収されても、私はれっきとした百万長者だ」と宣言したのが、まずかったようだ。「預金って、いくら?」との問いに、「1500万!」とヤンが返すと、「だったら15年の刑期」だって・・・。
人民委員会ってこんないい加減なもの・・・?メンツェル監督の強烈なアイロニーに、私の口はあんぐり状態に。
<どんな大団円に?>
チャップリン映画はどんな悲しいストーリー展開でも、人間に対するやさしい視線を向けて映画をつくり主役を演じているから、最後は必ずハッピーエンド。私はそう理解しているから、きっとメンツェル監督作品も最後はきっとハッピーエンド・・・。
そう思っていたのに、懲役15年の刑の宣告を受けて監獄に収容されたヤンには、長く苦しい囚人生活が・・・?そう思っていると、監獄内では何とも意外な風景が展開されるから、それは是非あなた自身の目でじっくりと。
他方、老ヤンが住んでいたあのオンボロ小屋は、今こぎれいなビアホールに変身!そして、今「腹が減った」の声と共にそこを訪れてきた客とは・・・?メンツェル監督のおしゃれ心は、こんな味わい深いラストシーンでも鮮明に!この映画は、多分2008年に私が観た映画のベスト1・・・。
2008(平成20)年12月24日記