マルセイユの決着〔おとしまえ〕(フランス映画・2007年) |
<東映試写室>
2009年3月18日鑑賞
2009年3月21日記
メルヴィル監督の名作『ギャング』(66年)が、今銀幕に!こりゃ高倉健の任侠映画をリメイクするようなものだが、なぜコルノー監督は今それを?メルヴィル監督が追い続けたテーマは、愛と友情と裏切り。脱獄した大物ギャングの「この国は変わっちまった。やってけねえ・・・」のセリフが印象的な本作の展開は?人物相関図は複雑だが、理解に困難はなく、次第にしっくり。ブロンド美女の役割に注目しながら、フランス流フィルム・ノワールの「男の美学」をタップリと!
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監督・脚本・台詞:アラン・コルノー
製作:ミッシェル・ペタン、ローラン・ペタン
原作:ジョゼ・ジョヴァンニ『おとしまえをつけろ』(早川書房刊)
ギュスターヴ・ミンダ(通称ギュ、脱獄した大物ギャング)/ダニエル・オートゥイユ
マヌーシュ(ギュの亡き相棒ポールの未亡人)/モニカ・ベルッチ
ブロ(パリ市警の警視)/ミシェル・ブラン
オルロフ(昔馴染みの一匹狼)/ジャック・デュトロン
アルバン(マヌーシュの用心棒)/エリック・カントナ
アントワーヌ(ヴァンチュールの手下、金塊強奪の警官殺し)/ニコラ・デュヴォシェル
ヴァンチュール・リッチ(金塊強奪の首謀者)/ダニエル・デュヴァル
ジョー・リッチ(ヴァンチュールの弟)/ジルベール・メルキ
パスカル(ヴァンチュールの手下、金塊強奪の運転手)/ジャック・ボナフェ
ファルディアーノ(パリ市警の警部)/フィリップ・ナオン
テオ(マヌーシュの従兄)/ジャン=ポール・ボネール
2007年・フランス映画・156分
配給/ヘキサゴン・ピクチャーズ
<やっぱり、このレベルのフランス映画は面白い!>
本作はフランスのフィルム・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィルの名作『ギャング』(66年)のリメイク。すなわち、メルヴィル監督を敬愛し、原作者のジョゼ・ジョヴァンニとの親交も深かったアラン・コルノー監督が40億円の製作費をかけて2時間36分の大作として完成させたものだが、やっぱりこのレベルのフランス映画は面白く、ハリウッド映画とは全然違う雰囲気がいっぱい。
その違いは何なのかを私なりに考えると、第1に波瀾に富んだストーリー展開ながら、それが決して奇をてらっていないこと、第2に俳優たちの雰囲気と演技力がそれぞれ一流であること、第3にセリフ劇としての深みと重厚さがあること、など。もっとも銃撃戦におけるスローモーションの多用や、銃弾が身体を突き抜けるシーンのリアルな撮影など、ハリウッド映画的テクニックの流用(?)も目立つが、それはそれでアクセントになっている。
もっとも、フランス映画が邦画やハリウッド映画と全然違うところは、当然ながらセリフが全編フランス語であること。別にフランス語コンプレックスを持っているわけではないが、なぜかフランス語のセリフがカッコよく思えるのは、ひょっとして私がアラン・ドロンやカトリーヌ・ドヌーブなどの影響を受けすぎているせい・・・?
<ダニエル・オートゥイユがいい味を!>
私は1950年フランス生まれの名優ダニエル・オートゥイユの作品を、①『あるいは裏切りという名の犬』(04年)(『シネマルーム14』49頁参照)、②『ぼくの大切なともだち』(06年)(『シネマルーム20』296頁参照)、③『画家と庭師とカンパーニュ』(07年)(『シネマルーム21』169頁参照)と3本観たが、4点、5点、4点と作品の評価が高いうえ、ダニエル・オートゥイユという俳優の演技力に感心させられてきた。
そんなダニエル・オートゥイユが本作では、『あるいは裏切りという名の犬』での正義感あふれる警視役とは正反対の大物ギャング、ギュを熱演する。私が思うに、中年男の心意気や生きザマは両者とも同じで、たまたま職業が警視かギャングかの違いがあるだけ?つまり、日本でいえば『傷だらけの人生』という古い歌で鶴田浩二が「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます」と歌った人間像や高倉健に代表される任侠ヤクザたちの生きザマと同じ・・・?
ちなみに、2008年の興行収入は邦高洋低(59.5%VS40.5%)となったが、邦画ベスト5までは、第1位の『崖の上のポニョ』は別としてテレビ局とタイアップした作品ばかり。日本でも1960年代後半は高倉健、高橋英樹、藤純子などの任侠映画が盛んだったから、本作はいわばあの時代の任侠映画を今完全リメイクしたようなもの。日本では今そんなニーズは全然ないが、フランスではそれがあるの?
<ギャングも身体を鍛えておかなければ・・・>
この映画は、冒頭から脱獄のスリリングなシークエンスが登場する。アップに映るギュは今、一緒に脱獄した若い囚人から「塀を飛び越えろ!」と手招きされているが、その高さは数十メートル。先にジャンプした男は向こうの塀に手が届かなかったため地上に落下して既にお陀仏。こりゃいくら大物ギャングのギュでも、躊躇するはずだ。しかし、脱獄するためには飛び越えるしかない。1度諦めかけたギュを見て若い囚人は1人で去ろうとしたが、それを制したギュは覚悟を決めて屋上をバック。さあ、助走をかけて一気にジャンプ!
ギャングも身体を鍛えておかなければ、と痛感させられるシーンだが、そんな風に思うシーンがこの映画では他に2つも3つも登場する。そんな視点からも、ギュの動きに注目!
<この国は変わっちまった。やってけねえ・・・>
脱獄したギュが向かったのはパリ。亡き相棒ポールの未亡人で今はバーを経営しているマヌーシュ(モニカ・ベルッチ)や、ギュの仲間で今はマヌーシュの用心棒をつとめているアルバン(エリック・カントナ)らに会うためだ。本作はギュがなぜ刑務所に入ったのかを詳しく解説しないが、日本の任侠映画でも、かつての大物が晴れて刑期を終えて刑務所から出てくると時代が一変しているという設定が多い。それと同じように、必死の思いで脱獄してきたギュが直面したのが、マヌーシュの店におけるトラブル、ではない銃撃戦。
パリの暗黒街は今、表の顔はバーの経営者ながら暗黒街のボスであるヴァンチュール・リッチ(ダニエル・デュヴァル)の弟、ジョー・リッチ(ジルベール・メルキ)が新たな顔役としてあこぎな支配を展開していた。タバコの利権に絡んで、そんなジョー・リッチのターゲットになったのがマヌーシュの店。フランスのヤクザたちはやることが直接的・・・?マシンガンを持った3人の男は、マヌーシュの店のドアを開けるや否やそれをぶっ放し始めたから大変。マヌーシュとアルバンは何とかカウンターの後に隠れたが、マヌーシュの情夫(いろ)のジャックは身体を何発もの銃弾が貫通してジ・エンド。アルバンの反撃によって何とかその場は収まったものの、一難去ってまた一難。そんなところにたまたまギュが現れたから良かったものの、もしギュの到着が遅ければ・・・?
暗黒街がそんなメチャクチャな状況に陥っていることを知ったギュは、「この国は変わった。やってけねえ」とカッコいいセリフを決めた後アルバンに別れを告げて、情夫を失ったマヌーシュと2人でフランスのマルセイユから国外逃亡を目指すことに。マルセイユの港でそれを助けるのは、マヌーシュの従兄のテオ(ジャン=ポール・ボネール)だが、指名手配中のギュがそんなにすんなりと国外逃亡できるの?
<一匹狼オルロフの存在感に注目!>
暗黒街で長年ギャング稼業を続けてきたギュは昔気質の男で、男同士の「約束」を何よりも重んじてきたから、同世代の仲間がたくさんいるのは当然。アルバンはその1人。そして今、多額の国外脱出資金を必要としているギュに対して、テオを介して1人1億の金塊強奪計画を持ちかけたのが、ギュのギャングとしての偉大さをよく知っているオルロフ(ジャック・デュトロン)。マヌーシュは、ギュがそんな危険な仕事(ヤマ)に参加することに大反対。つまり、今やすっかり恋人同士となったマヌーシュは「逃亡資金くらい自分が出すわ」というわけだが、女のカネを頼りに国外逃亡したのでは男が廃るというのが、古いタイプの男ギュの考え方。また、女の反対意見によって自分の考えを変えるようなギュではないのは当然だ。
オルロフが紹介した金塊強奪計画のトップはヴァンチュールだが、ヴァンチュールとギュは旧知の仲だからやりやすい。運転手をするのが手下のパスカル(ジャック・ボナフェ)で、警備の警察官を最初に射殺する役目がヴァンチュールの手下で若くて血気盛んな男アントワーヌ(ニコラ・デュヴォシェル)。ギュは第2の警察官射殺役として必要とされたわけだ。
オルロフは4人を引き合わせただけだが、オルロフはこの映画の中で以降一貫して大きな存在感を示していくから、彼の役割に注目!
<警視の個性も魅力的!>
ギュもアルバンもオルロフもヴァンチュールもワルはワルなりに魅力いっぱいの中年男だが、ギュの逮捕と金塊を強奪した4人組の逮捕に執念を燃やすブロ警視(ミシェル・ブラン)もかなり魅力的!もっとも、寡黙で必要な言葉しかしゃべらないギュに対して、ブロ警視は雄弁だから、その対比が面白い。
ちなみに、ブッシュ大統領からオバマ大統領に交代したアメリカでは、グアンタナモ収容所が廃止され、グアンタナモ収容所における取調べは拷問だと判定された。このグアンタナモ収容所のような、あるいは戦前の日本の特高警察のような拷問が、人権尊重の国フランスの1960年代の警察の中で行われていたとは到底考えられないが、逮捕されたヴァンチュールに対するファルディアーノ警部(フィリップ・ナオン)による拷問としか言いようのない取調べとは?ヴァンチュールが逮捕されたのは、ブロ警視の巧みなトリックにギュが引っかかり、ヴァンチュールの名前を出してしまったため。何よりも仁義を重んじるギュだから、死んでも共犯者の名前を吐くことはありえないが、新聞記事を読んだジョー・リッチやアントワーヌたちがギュが裏切ったと確信したのは当然だ。
さあ、話は次第にややこしくなってきた。他方、複雑だった人物模様、人物相関図は少しずつ明らかになってきた。あまりの屈辱に取調べ室で自殺を図ったギュは、今病院の中。さて、これからギュは何を目指し、どんな行動をとっていくのだろうか?
<紅一点のブロンド女は?>
モニカ・ベルッチは何といっても『マレーナ』(00年)における豊満な姿が衝撃的で、イタリア版マリリン・モンローというイメージだった。イタリア生まれのモニカ・ベルッチが、本作ではフランス語をしゃべり、男たちの間で翻弄される(?)ブロンド女マヌーシュを演じている。
映画の設定ではマヌーシュはギュの亡き相棒ポールの未亡人だが、ギュが収監されている間に情夫のジャックができていたらしい。またギュが脱獄してくると、すぐに一緒に国外逃亡の決意をしたようで、マルセイユの隠れ家における2人の愛欲生活(?)を見れば、男の切り替えは素早そう?また、彼女はギュに対して愛を持っているようだが、愛が大切かそれとも自分の生きザマが大切か?と聞かれると、ギュはいとも簡単に自分の生きザマが大切と答えそうだから、そんな男と愛を育んでいくのはマヌーシュにとっても大変。まして、国外逃亡が夢に終わり、ギュが死んでしまっては元も子もないのは当然だ。
マヌーシュはそんな風に価値観が大きく異なるギュとそれなりの距離感で愛を育んでいたが、彼女の心の隙間を埋めたのがオルロフ。いつもマヌーシュを放り出して単独行動をとるギュに対して、オルロフはマヌーシュを守ってくれたから、ひょっとしてこの2人の間に新たな愛が・・・?「君のホントの名前は?」と質問したオルロフが、マヌーシュと2人になった車の中の最後のシーンで、「マヌーシュにさよなら。そして・・・」と語りかけるシーンは実にカッコいい。
ベッドシーンはほんの一瞬しかないから、彼女の豊満なヌードシーンを拝めないのは残念だが、しっかり自分の意思を持った魅力的なブロンド女をモニカ・ベルッチが静かに熱演!
<「男の美学」は、クライマックスでタップリと>
ギュはいつも愛用のコルトを使っているが、同じ銃を使っていると銃弾から犯人を割り出されるから不利なのでは?もっとも、脱獄をくり返したギュにとっては、今度逮捕されたらどうせお終いだから、そんなことは些細な問題?
本作のクライマックスは、ちょっとした言葉のアヤ(?)でオルロフからアントワーヌ、ジョー・リッチ、パスカルと会う場所を聞き出したギュが、オルロフの頭を銃で殴りつけて失神させ、代わりに乗り込んでいく部屋の中で訪れる。オルロフは「話せばわかる」と思っていたようだが、ギュは絶対にそれはありえず、殺すか殺されるしかないと確信していたから、あえてそんな手段をとったわけだが、さてその判断は?それはアントワーヌも同じで、先に乗り込んだ部屋の中で、彼は銃をひざの上に置きサッと取り出す練習まで。しかし、そんな準備をしただけで、その後は3人でポーカーに興じていたから、ギュが銃を構えたまま登場してくるのは容易。アントワーヌのような若いギャングはカッコをつけるだけで、なぜあんなに頭が悪いの?
そんなクライマックスの1対3対決におけるギュのセリフと行動とは?また、銃撃戦の報告を受けて乗り込んできたブロ警視率いる警察とギュとの対決とは?そして、そんな中で見せるギュの男の美学とは?そんな、ちょっと悲しいけれどもカッコいい、フランス流フィルム・ノワールにおける男の美学は、あなた自身の目でしっかりと。
2009(平成21)年3月21日記