子供の情景(イラン、フランス合作映画・2007年) |
<東映試写室>
2009年4月7日鑑賞
2009年4月8日記
本作を18歳で撮影し、19歳で完成させた才女は、映画監督一家の娘ハナ・マフマルバフ。主人公となる6歳の女の子が望むのは、学校で学ぶこと。ところが、「女は勉強しちゃダメ!」との価値観を持ち、タリバンを気取る男の子たちの彼女への攻撃は?張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『あの子を探して』(99年)の注目はチョークだったが、本作では10ルピーでやっと買えたノートに注目!自由と平和と平等にドップリ浸り、安易なテレビドラマばかり観ている日本の若者たちも、たまにはこんな問題提起作で刺激を受けなければ。
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監督:ハナ・マフマルバフ
バクタイ(6歳の少女)/ニクバクト・ノルーズ
アッバス(隣の家の男の子)/アッバス・アリジョメ
2007年・イラン、フランス合作映画・81分
配給/ムヴィオラ、カフェグルーヴ
<マフマルバフファミリーとハナ・マフマルバフ監督に注目!>
政治家については世襲制度に対する批判が強いが、映画監督については息子や娘が監督業をやることについての批判は全くなく、フランシス・フォード・コッポラの娘ソフィア・コッポラや深作欣二の息子深作健太などは立派に父親の跡を継いで監督業をこなしている。そして、モフセン・マフマルバフ監督を父とするマフマルバフファミリーは、母マルズィエ・メシュキニ、兄メイサム、姉サミラがそれぞれ監督、脚本、プロデューサーなどを務める監督一家。そのうえ本作は、妹ハナが2006年の18歳の時に撮影を開始し、2007年の19歳の時に完成させたもの。そんな少女監督ハナ・マフマルバフは、何と8歳で撮影したはじめてのビデオ短編『おばさんが病気になった日』(97年)で9歳にしてロカルノ国際映画祭に参加したらしい。そしてハナ監督は本作によって、サンセバスチャン国際映画祭で審査員賞等多数の賞を受賞したというからすごい。まずは、そんなマフマルバフファミリーとハナ・マフマルバフ監督に注目!
<『あの子を探して』はチョーク、『子供の情景』はノートに注目!>
中国第5世代の旗手、張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『あの子を探して』(99年)は、辺鄙な農村にある在校生わずか28名という小学校の1カ月だけの代用教員に13歳の女の子である魏敏芝(ウェイ・ミンジ)がなるという物語だったが、そこでの注目点はチョークが貴重品だということ。つまり水泉小学校で代用教員になった魏ができることは、教科書の字を黒板に書き写し、生徒たちにそれを書き取らせることだけ。そこでポイントは、黒板に書くためのチョークは貴重品で、1日1本が使用限度だということ。つまり字が小さすぎると目が悪くなるからダメだが、逆に字が大きすぎてもチョークが無駄になるからダメ。何ともケチくさい指示だが、この時代の中国の田舎の小学校ではそんな実情だということがよくわかるエピソード(『シネマルーム5』188頁参照)。
それに対して、本作の注目点はノート。『スラムドッグ$ミリオネア』(08年)ではインドのムンバイに住むジャマール少年は15問目のファイナルアンサーの正解によって見事2000万ルピー(約4000万円)を獲得したが、本作の主人公である6歳の女の子バクタイ(ニクバクト・ノルーズ)が学校に行くために必要なのはノートと鉛筆を買うことができる20ルピー(ネットで調べたところ、アフガニスタンではルピーは廃止されたらしいが、そこらあたりの正確性はこの際別として)。そのためバクタイは産みたての卵4個を家から持ち出したが、途中で2個を割ってしまったため結局買えたのは10ルピーのノートのみ。鉛筆は母親の口紅で代用できるから大丈夫。そんな自信と共に、ノートと口紅を持ってバクタイは勇んで隣人の男の子アッバス(アッバス・アリジョメ)と一緒に学校へ向かったが・・・。
<男女差別の実態と男女平等の価値をあらためて>
日本では男女差別は既に過去のものになりつつある(?)が、アフガニスタンでは女の子の教育については、男女差別は相当にひどい。「女性に教育は必要なし」という考え方が根っこにあることが、この映画を観ているとよくわかる。
映画の冒頭、バクタイの隣の家の男の子アッバスが「ABC」の読み書きの勉強をしているシーンが登場するが、これは世界各国共通の風景。ところがアフガニスタンでは、女の子はこれができないわけだ。アッバスは学校で一緒に勉強している男の子たちからアメリカのスパイとみなされてひどい攻撃を受けるが、学校に行きたいと望むバクタイを学校に連れていってやったのは立派なもの。もっとも、アッバスだってそんな男女差別があることはわかっているはずだから、自分がバクタイを学校に連れていった場合、級友たちからどんな扱い(反発)を受けるかはある程度わかっていたはずでは?そこらあたりのアッバスの認識の程度がきちんと描かれていないのが少し難点だが、アッバスが最後までバクタイのことを心配している様子はよくわかる。何はともあれ、タリバンが支配するアフガニスタンではこんなひどい男女差別があることをきちんと認識しなければ・・・。
18歳で本作を撮影したハナ・マフマルバフ監督はやっと女子学校の授業に参加することができたバクタイが持参した鉛筆代わりの口紅でひと騒動起こす姿を興味深く描くが、それをみているとやっぱり女の子は女の子・・・?それはともかく、たまにはこんな問題提起作を観て、自由と平和と平等の中にドップリと浸っている日本国でも、あらためて男女平等の意義を確認する必要があるのでは?
<男の子は、どこでも戦争ごっこが大好き?>
日本は1945年8月15日の敗戦を契機として、一挙に平和主義、民主主義、アメリカ万歳主義に舵を切り替えたが、1930年代から続いた軍国主義国ニッポンでは男の子たちのほとんどは軍国少年になっていたはず。日本経済新聞の「私の履歴書」や読売新聞の「時代の証言者」においてそんな告白をする著名人は多い。また現在したり顔で政治批判や社会問題提起をするキャスターやコメンテイターたちも、もしあの時代に生きていたら、軍国主義という時代の流れに乗って発言していただけの人物が多いのでは?
本作の登場人物として私はバクタイとアッバスの2人しか記載していないが、ストーリーの展開上大きな役割を演ずるのは、自らをタリバンの戦士だとしたうえで学校に行こうとするバクタイを「女は勉強しちゃダメだ」「髪を見せている女は石投げの刑だ」と決めつけ、さらにアッバスをアメリカのスパイだとみなして攻撃を加えるたくさんの男の子たち。彼らは1人1人手作りの鉄砲を持ち、タリバンのため、アフガニスタンのため必死にアメリカと戦っているわけだが、彼らの「戦争ごっこ」をみていると、まさに戦前の日本国にそっくり?やっぱり男の子たちは戦争ごっこが大好きらしいが、その恐さをどのように認識すれば?
<冒頭とラストは、あの爆破風景>
本作の邦題は『子供の情景』だが、原題は『ブッダは恥辱のために崩れた』といういかにも意味シンなもの。ところで、アフガニスタンの首都カブールの北西、アフガニスタンのほぼ中央部に位置し、ヒンドゥークシュ山脈の西端の高山地帯(海抜1500~4500m)にあり、渓谷の美しい風景で知られるバーミヤンの遺跡を破壊したのは、2001年の9・11テロによってがぜん日本人にも有名になったタリバン。1996年に首都カブールを制圧し、アフガニスタンの実権を握ったタリバン政権は、偶像崇拝禁止を理由に2体の大仏をはじめ多くの文化財を破壊したわけだ。
本作では冒頭とラストにその爆破風景が描かれるが、彼らはなぜそんなバカげた行為を?私たち日本人にその理解が難しいのは当然だが、「戦争ごっこ」の大好きな少年たちが「捕虜」としたバクタイから奪ったノートの切れ端でつくった紙ヒコーキで石仏を襲撃するシーンから、私たちは多くのことを学ばなければ。
2009(平成21)年4月8日記