シリアの花嫁(イスラエル、フランス、ドイツ映画・2004年) |
<東映試写室>
2009年1月8日鑑賞
2009年1月13日記
ハマスが実効支配しているガザ地区に今全世界の目が注がれているが、北東のシリアと接するゴラン高原は誰のもの?イスラエルの実効支配と国境線の設定をどう考えれば・・・?対馬に対する韓国の実効支配にもノー天気な日本人にはわかりにくい、悲しい花嫁の実態がここに!軽薄短小な娯楽作品にうつつを抜かさず、たまにはこんな骨太の社会問題作でしっかり勉強しなければ・・・。
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監督・脚本:エラン・リクリス
アマル(モナの姉)/ヒアム・アッバス
ハメッド(モナの父)/マクラム・J・フーリ
モナ(花嫁)/クララ・フーリ
マルワン(モナの兄、次男)/アシュラフ・バルホウム
ハテム(モナの兄、長男)/エヤド・シェティ
イヴリーナ(ハテムの妻、ロシア人)/イヴリン・カプルン
ジャンヌ(国連事務所のスタッフ)/ジュリー=アンヌ・ロス
アミン(アマルの夫)/アドナン・トラブシ
モナの母/マルレーン・バジャリ
シモン/ウリ・ガブリエル
アリク(カメラマン)/アロン・ダハン
ジョセフ/ロバート・ホーニグ
タレル(花婿、シリアの人気俳優)/ディラール・スリマン
2004年・イスラエル、フランス、ドイツ映画・97分
配給/シグロ、ビターズ・エンド
<いいタイミングに日本で公開!>
2008年12月末に始まったイスラエルによるハマスが実効支配しているガザ地区への空爆と、2009年明けから始まった地上戦によって、イスラエルとハマスの対立は抜き差しならぬ局面となっている。この緊迫しかつ悲惨な情勢は全世界の注目を集めているが、多分先進国でこのニュースに1番疎い国が島国ニッポン?
また、08年末に『アラビアのロレンス 完全版 ニュープリントバージョン』が上映されたことを契機として、少しは第2次世界大戦中におけるイギリスのアラブとユダヤという2つの民族にそれぞれ戦後の独立・建国を認めるという「二枚舌外交」とともに、ダマスカスなどの地名も有名になった。しかし、それでも多くの日本人はイスラエル建国の歴史はもちろん、ガザ地区がどこにあるのかすら知らない人が多いのでは?
しかして、この映画のタイトルとなっている、『シリアの花嫁』ことモナ(クララ・フーリ)は、どこの誰に嫁いでいくの?また、結婚式の1日はどんな風に展開していくの?それが、2004年に公開され、モントリオール世界映画祭グランプリをはじめとするたくさんの賞を受賞したこの映画のテーマだが、ガザ地区での対立が深まっているちょうどいいタイミングで、そんな名作が日本で公開されるのはうれしい限り。
<ゴラン高原とは?タイトルの正確な意味は?>
モナはゴラン高原のマジュダルシャムス村に住む、父親ハメッド(マクラム・J・フーリ)と母親(マルレーン・バジャリ)の次女。モナが嫁いでいくのは、親戚にあたるシリアの人気俳優タレル(ディラール・スリマン)だが、この2人はお互い写真でしか見たことがないというから、今ドキかなりヘンなカップル・・・?
しかしそれ以上に問題なのは、1967年の第3次中東戦争によってゴラン高原はイスラエルに占領されたが、「軍事境界線」を接した東側にあるイスラエルの敵国シリア(正式にはシリア・アラブ共和国)は、ゴラン高原はシリア領であると考えているうえ、イスラエルというユダヤ人国家の存在を認めていないこと。さらに、イスラエルは1981年にゴラン高原を自国領土として併合したため、ゴラン高原の住民たちはイスラエル国籍を取得しなければ無国籍という取扱いにされていること。つまり、ゴラン高原の住民は自分たちはシリア国民だと考えているのにそれは認められず、イスラエル国籍を取得することが奨励されているわけだ。すると、ゴラン高原に住むモナも無国籍の女・・・?
モナはタレルと結婚してシリアに入ればシリア国籍を取得することができるが、イスラエルとシリアとの間には国交関係がないためイスラエルへの再入国は許可されないから、2度とシリアからゴラン高原に戻ってくることはできないことになる。したがって、『The Syrian Bride』という原題と同じ『シリアの花嫁』という邦題は不正確。正確には、「イスラエル占領下のゴラン高原に住む無国籍状態からシリア国籍の夫に嫁ぎ、シリア国籍を取ることによって、2度とゴラン高原に戻ってくることができないことを決意した花嫁」と表現しなければ、日本人はなかなか理解できないはず・・・。
<中国や日本と違いシリアは大家族だが・・・>
日本は核家族化と少子化が進み、中国は良くも悪くも一人っ子政策が定着しているが、シリアは大家族が多い?モナの兄弟姉妹は多いが、身近にいるのは姉のアマル(ヒアム・アッバス)だけ。しかし、モナの結婚式には何としても出席しなければならないと考え、遠くから駆けつけてきたのがモナの兄である長男のハテム(エヤド・シェティ)と次男のマルワン(アシュラフ・バルホウム)。島国ニッポンと異なり、彼らが活躍する舞台は遠い外国だ。
マルワンはイタリアで展開しているビジネスが好調らしいが、ちょっとお調子者・・・?彼の元恋人が現在ゴラン高原の国連事務所で働く女性ジャンヌ(ジュリー=アンヌ・ロス)だが、同僚の女性の歯による性格診断によると「歯に隙間のある男は浮気者」らしい。そう言われるとその診断があまりにもピッタリだったから、ジャンヌはそんな浮気男マルワンの写真をゴミ箱に捨ててしまったが・・・。
こんな笑い話(?)とは異なり、ロシア人の妻イヴリーナ(イヴリン・カプルン)と一人息子を連れて8年ぶりにロシアから故郷へ戻ってきたハテムの立場は深刻。だって、ハテムがロシア人女性と結婚することに父親のハメッドも村の長老たちも猛反対したのに、彼は勘当されても1人ロシアへ行ったのだから。そのためハメッドは今長老たちから、信仰に背いてそんなハテムを迎えれば縁を切ると宣言される始末。それに対し、ハメッドは今日を逃せばハテムは2度と妹と会えなくなるとアピールしたが全然ダメ。そんな中、戻ってきたハテムを母親もアマルも抱きしめながら再会を喜んだが、ハメッドだけは・・・?
またこの映画の事実上の主人公となる姉のアマルも、夫のアミン(アドナン・トラブシ)との仲はかなりヤバそう。2人の娘の親離れを契機としてアマルは再び大学に入って勉強を始めたいらしいが、保守的で現状維持派の夫はそれに猛反対。また長女の恋愛問題も絡んで、この夫婦は離婚寸前・・・?さらに私にはよくわからないが、末の弟のファーディはシリア側で暮している大学生。したがって、「軍事境界線」にある「叫びの丘」に立ってハメッドやマルワンたちと拡声器を使って連絡し合う仲。シリア側から軍事境界線にやってくる花婿タレルを軍事境界線で待ち受ける役も、当然このファーディだ。
1954年にエルサレムに生まれたイスラエル人であるエラン・リクリス監督は、花婿のいない新婦側だけの結婚式に集まってくるそんなモナの兄弟たちの姿を描く中で、ゴラン高原の置かれている微妙な立場とその中で生きる人たちの姿を見事に浮かびあがらせていく。
<誰が一番大変?>
経済不況が広がる中、格差の拡大と派遣切りの拡大によって日本国は今大変な状況に陥っているし、日本国民も大変。しかしこの映画を観れば、平和が60年以上続き、その中で自由と民主主義を享受できる喜びの方が大きいのでは?きっと誰もがそう思うはず。
この映画に登場するのは、軍事境界線を越えてシリアの花婿に嫁げば2度と家族に会えない不安に加え、1度も会ったことのない花婿への不安をアマルにだけ告白するモナをはじめ、大きな悩みを持った人々ばかり。長女のアマルはみんなの調整役で大変だし、妻子を連れて戻ってきた長男のハテムも居場所が見つからない。次男のマルワンもジャンヌとヨリを戻そうとしても、国連事務所の仕事が今日でラストになるジャンヌはもはやマルワンには見向きもしないようだ。
そんな中、やっぱりアンタが1番大変と私が思うのが、父親のハメッド。親シリア派の彼は投獄された経験もあり、警察から目をつけられている要注意人物。したがって、シリアの新大統領を支持するデモに彼が参加することや、「軍事」境界線に彼を行かせることは厳禁だから、そのお目付役の警察官も今日は忙しい。そんなハメッドは信念を曲げることなくデモに参加し、花嫁と共に境界線に赴いたが、さてそれはどんな展開に?
女性の立場からは、父親と兄弟姉妹そして夫と娘のすべての心配をしなければならない長女のアマルが1番大変と思うだろうが、近々還暦を迎える私の立場からは、やっぱり一家の支柱ハメッドが1番大変・・・。
<大活躍のジャンヌだが・・・>
南北朝鮮分断の悲劇を描く韓国映画には、『シュリ』(99年)、『シルミド』(03年)、『二重スパイ』(03年)などの名作がある。そんな1本である『JSA』(00年)は、「Joint Security Area」、つまり南北朝鮮を、1本の線(38度線)で別の国家として隔てている板門店地区で、互いに国境警備にあたっている共同警備区域を舞台として展開される、ある銃撃事件を描いたもの。ストーリー的には断然『シュリ』の方が面白いが、『JSA』を観れば「38度線」「板門店」「帰らざる橋」「軍事境界線」などのキーワードを理解することができるから、日本の若者がこれら言葉のもつ意味やその実態を実感するには格好の作品(『シネマルーム1』62頁参照)。
そんな視点で見ると、南北朝鮮問題以上に、イスラエル占領下のゴラン高原からシリアへの「通行」をめぐって国連事務所のジャンヌを主人公(?)として展開される映画後半は、格好の勉強の素材。通常の日本人はパスポートを持って外国に出国したり、入国したりすることに何の不安も持たないが、さてイスラエルとシリアの間においては、どんな手続が必要?この映画が描くトラブルとはどんなもの?それはどのように解決していくの?そんな手に汗握るシリアスな展開は、是非あなたの目で。
2009(平成21)年1月13日記