グラン・トリノ(アメリカ映画・2008年) |
<梅田ピカデリー>
2009年5月4日鑑賞
2009年5月8日記
クライスラーをはじめとする米自動車ビッグ3の破綻が注目を集める中、フォード社の1972年製「グラン・トリノ」に注目!いやいや、本当の注目点は、繁栄から衰退に向かうアメリカとその時代を78歳で1人生きる頑固な老人の生きザマ!映画史上はじめて登場するモン族の三世代が、なぜ老人の隣りの家に?そして、頑固一徹な米国人老人とモン族の若者との間に生まれる心の交流とは?そして、力の対決が生み出す悲劇とは?さて、あなたは本作から何を感じ、何を学ぶ?
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監督・製作:クリント・イーストウッド
製作:ロバート・ローレンツ、ビル・ガーバー
ウォルト・コワルスキー/クリント・イーストウッド
タオ・ロー(モン族の少年)/ビー・バン
スー・ロー(タオの姉)/アーニー・ハー
ヤノビッチ神父/クリストファー・カーリー
スパイダー(本名フォン、タオとスーの従兄弟)/ドゥーア・ムーア
スモーキー(スパイダーの仲間)/ソニー・ビュー
ミッチ(ウォルトの長男)/ブライアン・ヘイリー
カレン(ミッチの妻)/ジェラルディン・ヒューズ
スティーブ(ウォルトの次男)/ブライアン・ハウ
マーティン(床屋の主人)/ジョン・キャロル・リンチ
ウィリアム・ヒル(ウォルトの旧友、建設現場の監督)/ティム・ケネディ
2008年・アメリカ映画・117分
配給/ワーナー・ブラザース映画
<なぜ、今こんな頑固老人役に?>
今や俳優としてはもとより監督としての才能が絶賛されているクリント・イーストウッドは、1930年生まれだから既に80歳寸前。日本的に言えば、立派な後期高齢者としておとなしく「お迎え」を待っていてもおかしくない年。そんなクリント・イーストウッドが、実年齢と同じ78歳という設定の頑固老人役に挑んだのはなぜ?
映画冒頭、長年連れ添った妻の葬儀の場面が描かれるが、そのシークエンスを観るだけでこの老人と葬儀に集まった2人の息子夫婦や孫たちとの間がうまくいっていないことが明らかになる。その原因の1つは、ヘソ出しルックの服で教会に現れる孫娘や、家を相続したいために老人ホーム入りを勧める長男ミッチ(ブライアン・ヘイリー)とその妻カレン(ジェラルディン・ヒューズ)たちの存在だが、多分それ以上に悪いのは、あくまでも自分の価値観とライフスタイルを変えようとしないウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)の頑固さ、というより頑迷さ。彼は1950年代初頭の朝鮮戦争で相当いやな体験をしたらしいが、それはそれ。それから50年も経ち、時代は大きく変わったのだから、老人も少しは今の時代に合わせなくっちゃ。特に、妻に先立たれた今、頼りになるのは息子たちでは?
普通はそう思うはずだが、ウォルトは全然違う。葬儀で説教するヤノビッチ神父(クリストファー・カーリー)に対してすら、「頭でっかちの童貞」と毒づくこのしかめっ面老人の姿を見ていると、「お前さん、これから1人で生きていくのは大変だよ」と声をかけたくなったが、なぜ天下の名優クリント・イーストウッドが78歳にしてこんな頑固な老人役に?
<日本も変わったが、アメリカも>
戦後64年間、日本が戦争に参加せず自由と平和と民主主義を謳歌できたのは結構なことだが、この64年間で日本は大きく変わってしまった。財政赤字が膨らむ中、国のかたちそのものが次第に見えなくなっていく一方、少子高齢化が進み、国民の財布の中はもとより知力も体力も低下していく一方の日本は、これからどうなるの?
他方、第2次世界大戦に勝利し、その後の東西冷戦にも勝利したアメリカは世界の最強国としてすべてを仕切っていたが、今はそれは過去の夢。ベトナム戦争の失敗、アフガン・イラク戦争の失敗、そしてサブプライムローンに端を発した世界的金融危機の広がりと自動車のビッグ3の破綻等その劣化は進み、オバマ大統領の「CHANGE」にかろうじて立て直しの期待をかけているのが現在のアメリカの姿。
そんなアメリカの変化(=衰退)をアメリカ中西部の都市デトロイトに住んで実感し、日夜それを嘆いているのがウォルトだ。ウォルトはもともとフォードで働いていた自動車工。本作のタイトル『グラン・トリノ』とは、フォード社が誇る車の1つ。ウォルトは自慢の1972年製グラン・トリノをピカピカに磨きあげていたが、それって過去の栄光へのこだわりの最たるものでは?今やクライスラー、ゼネラルモーターズ、フォードモーターズというアメリカの自動車ビッグ3は破綻に瀕し、トヨタをはじめとする日本車に完全に敗北しているが、これは技術力をはじめとするモノづくりの能力の違いによる必然の結果。したがって、ウォルトの長男ミッチがトヨタ車のセールスマンをしていることを、フォードの自動車工だったウォルトが苦々しく思うのはそれ自体筋違い?
それはともかく、戦後64年間で日本も大きく変わったが、朝鮮戦争から戻り、アメリカの全盛期をフォードの自動車工としてひた走ってきたウォルトにとっても、アメリカが大きく変わったことはまちがいない。そこで問題は、なぜこんなヘンなアメリカになったのかがウォルトに理解できないこと。この鬱積した気持を一体どこにぶつければいいの?
<モン族とは?タオとスーに注目!>
中国映画に詳しくなり、中国の雲南省にも旅行した私は、中国の少数民族をテーマとした『雲南の少女 ルオマの初恋』(02年)(『シネマルーム17』392頁参照)や『雲南の花嫁』(05年)(『シネマルーム20』182頁参照)などを詳しく評論している。しかし、そんな私でもベトナム戦争中、ラオス高原のモン族がアメリカ軍の傭兵として戦っていたことなど全く知らなかった。ベトナム戦争で敗れたアメリカは本国に撤退すればそれで済んだが、ラオスに住んでいたモン族のその後は?
本作のパンフレットを読んではじめて知ったのは、それによって行き場を失った大量のモン族が難民としてアメリカに入ったということ。その結果、西部カリフォルニア州と中西部ミネソタ州にはモン族の2大コミュニティが生まれ、20数万人のモン族が暮しているとのことだ。もともとウォルトが住んでいたデトロイトの住宅地は一般的なアメリカ人の住宅地だったが、今ウォルトの隣りの家ではロー家という三世代のモン族が暮しているうえ、周りはアジア系、ヒスパニック系、黒人などマイノリティばかり。したがって、ウォルトはなぜ隣りにロー家が入ってきたのか不思議に思っているが、逆にいつも顔を合わせているロー家の最長老のおばあさんは、なぜいつまでもウォルトがここに居残っているのかを不思議に思っているようだ。
本作の主人公はもちろんクリント・イーストウッド演ずるウォルトだが、ストーリー展開の上で重要な役割を果たすのは、ロー家の三世代目にあたる、ちょっとオカマっぽい(?)少年タオ(ビー・バン)と、しっかり者のその姉スー(アーニー・ハー)の2人。さて、ウォルトの隣りに住むモン族三世代の生活とは?そして、なぜウォルトがそんなモン族のタオやスーと深い接触を持つことに?
<やっぱり若い女の子!そして、おいしい料理も!>
1961年の『ウエスト・サイド物語』は、ニューヨークのウエストサイドを舞台としたシャーク団とジェット団の対立を、『ロミオとジュリエット』の現代版として描いた名作だが、社会から疎外されたマイノリティの若者たちにまともな仕事がないのだから、彼らがグレていくのは仕方ない。本作でスーにちょっかいを出そうとする黒人の不良グループや、本来女の仕事である庭いじりをしているタオを、「男にしてやろう」といらざるお節介をするタオとスーの従兄弟であるスパイダーことフォン(ドゥーア・ムーア)やその仲間のスモーキー(ソニー・ビュー)たち不良グループを見ていると、つくづくそう思ってしまう。
ウォルトがタオと最初に出会ったのは、スパイダーからそそのかされて、ウォルトの宝物である72年製のグラン・トリノを盗むため、タオがその車庫に入っていた時。したがって、その出会いは最悪!本気でライフルをぶっ放そうとするすごい形相のウォルトを見て、タオがおびえたのは当然。しかしその後、タオの行為をロー家挙げて謝罪してきたことによって、頑固なアメリカ人と三世代一緒に生活するロー家との間に心の交流が生まれてきたうえ、ウォルトとタオの間には父子関係に似た師弟関係が、そしてウォルトとスーとの間にも父と娘の関係のようなものが生まれてきたから不思議なもの。やはり、ビールの友としてビーフジャーキーばかり食っていたウォルトにとって、意外においしいモン族の料理は魅力だったようだ。また、それ以上に魅力的だったのは、朗らかで気のきくスーとの会話。「男はバカだから刑務所に、しかし女は利口だから大学に」という言葉を地でいくような聡明なスーとの会話は、ウォルトにとって苦々しいばかりの息子夫婦や孫たちとの会話よりよほど心地よいものになっていったが、さてその先は?あまりに深入りすると、ヤバイことが起きるのでは?
<そこまで突っ張るか?>
銃社会のアメリカについては賛否両論があるが、朝鮮戦争体験者のウォルトはもちろん賛成論者。ガレージに侵入してきた賊に対して、直ちにライフルを構えて対処したほどだから。しかし、そんな風にウォルトが銃を持っているということは、タオの従兄弟のスパイダーらも銃を持っているということ。たまたま、スーにちょっかいを出してきた黒人3人組は銃を持ってなかったから、通りかかったウォルトがピストルを突きつけることによってその場を逃がれることができたが、いくらウォルトがスパイダーたちに対して「タオにちょっかいを出すな!」とすごんでも、あの年代の血気にはやった若者たちを抑えるのは到底ムリ。私だって電車の中やレストラン、喫茶店の中で騒いでいる若者たちを見て、毅然と文句の1つも言ってやりたいケースは山ほどあるが、なかなかそれが言えないのは反撃や報復が恐いから。したがって、いくらピストルやライフルを持っているからといって、スパイダーたちのグループに対して、ウォルトのように突っ張っていて大丈夫?
私にはそれが心配だが、本作で映画脚本家としてデビューしたニック・シェンクの脚本をクリント・イーストウッドが気に入ったのは、そこから始まる意外な展開。「年寄りの冷や水」とまでは言わないが、タオに仕事を教え、建設現場の仕事を世話してやったのはいいが、タオにちょっかいを出すスパイダーたちに対して、そこまで突っ張ったら、逆にヤバいのでは?
<テーマは単純だが、結末は意外?>
最近のハリウッド映画は『デュプリシティ スパイは、スパイに嘘をつく』(09年)などストーリー展開が読めないややこしい作品が多いが、本作はその点きわめて単純。ウォルトがタオとスーとの交流を深めていくことに反比例して増大していくスパイダーたちとの対立がいつ、いかなる形で沸点を迎えるかが焦点となる。建設現場で働き始めたタオが、帰り道スパイダーたちによって文字どおり顔に「焼きを入れられた」のはホンの序の口。これに対して、ウォルトがブッシュ大統領ばりの反撃を加えたのが多分大問題発生の原因だ!叩くことによって相手からの反撃がなくなればいいのだが、攻撃が次の反撃を生むことはベトナム戦争やアフガン戦争そしてイラク戦争でアメリカやウォルトは学んだのでは?『ウエスト・サイド物語』における若者たちの暴動はせいぜい仲間うちでのナイフの行使程度だったが、今やスパイダーたちの報復はピストルだけではなく、マシンガンまで使った大規模なもの。
スパイダーたちから暴行を受けレイプされたスーの姿をみたウォルトは、あれほど嫌がっていたヤノビッチ神父への懺悔を終え、今1人スパイダーたちの家に向かったが、その手に持つものは?クリント・イーストウッド主演のマカロニウエスタン3部作である『荒野の用心棒』(64年)、『夕陽のガンマン』(65年)、『続・夕陽のガンマン/地獄の決闘』(66年)は私の高校生時代に大ヒットしたメチャ面白い映画。それまでのジョン・ウェイン主演の西部劇とは全然異質のアウトローヒーローのカッコ良さにしびれ、その主題曲をよく口笛で吹いていたものだ。あのヒーローはさんざん痛めつけられながら、最後にはきっちり反撃して悪人たちを退治していたが、そんな役を演じたクリント・イーストウッドが約45年後の2009年に見せる意外な結末とは?そして、その結末が私たちに伝えようとするメッセージとは?
2009(平成21)年5月8日記