2009 日中交流公演 中国障害者芸術団「My 夢 Dream」(コンサート) |
<京都会館第1ホール>
2009年5月23日鑑賞
2009年5月29日記
2007年10月10日の北京電影学院での特別講義の後ずっと気になっていた、『千手観音』を含む感動の舞台を鑑賞!個人技のすばらしさはもちろんだが、それ以上の注目は集団技が与える感動。なぜこんな連携が?なぜこんな神ワザが?舞台から受ける感動以上に心に残る「努力」の大切さを、しっかりと心に刻みたい。
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演奏:中国障害者芸術団
曲目
プロローグ
舞踊『千手観音』
女性独唱『生命の神秘』
『時の流れに身をまかせ』
舞踊『春を見に行く』
男性独唱『楽園』
『天堂』
『スバル』
舞踊『化蝶』
女性独唱『アルゼンチンよ泣かないで』
楽器演奏『深い夜』
『サウンドオブミュージック』
『田舎の風情』
『幸せなら手をたたこう』
舞踊『田園の楽しい暮らし』
京劇『三坌口(サンチャコ)』
舞踊『ダンスメドレー』
舞踊『孔雀の舞』
舞踊『黄土高原』
楽器演奏『君といつまでも』
『バラ色のさくらんぼと白いりんごの木』
演唱『LA COPA DE LA VIDA』
合唱『ウィー アー ザ ワールド』
エピローグ『コンクエスト オブ パラダイス』
<北京電影学院の思い出が>
私は2007年10月10日北京電影学院で約50名の学院生に対して、「坂和的中国電影論」と題する特別講義を行ったが、劉旭光先生たちとその打合せをしている時に出た話が、中国障害者芸術団が行い世界的に反響を呼んでいる舞台。とは言っても、通訳を介した断片的な会話だったので話の全体像は理解できなかったが、その時私の頭の中で思い描いた映像が、十数人の障害者たちの舞踊による千手観音の姿。これをテレビのニュース番組で観て、「こんなすごいことができるのか!」と感動したことをしっかりと覚えていたわけだ。もう1つ私の印象に強く残っていたのは『孔雀の舞』。
北京電影学院でのそんな会話を思い出しながら、京都会館第1ホールで行われる中国障害者芸術団の公演のチケットが入手できたため、何をおいてもと京都まで駆けつけたが、予想どおりの感動に大満足。
<聴覚、視覚、肢体障害者の目指す表現とは?>
中国障害者芸術団は1987年に誕生したが、聴覚障害者、視覚障害者、肢体障害者たちが『私の夢』と題した公演で目指すものはそれぞれ次のとおりだ。すなわち、①聴覚障害者は、優美で色鮮やかな舞をもって、内なる思いを表現する、②視覚障害者は、抑揚のきいた楽曲と楽しい踊りで、自らの心象を描き出す、③肢体障害者は、美しい造形と高らかな旋律で、生きることのすばらしさを表現する。
冒頭の『千手観音』をはじめとする、バラエティー豊かに構成された1つ1つの演目はそれぞれすばらしい。視覚障害者の男性による独唱、肢体障害者の女性による独唱、視覚障害者の男性によるサックス演奏、両腕のない男性による『田園の楽しい暮らし』の踊り、そして美しい『孔雀の舞』などの個人技はそれぞれにすばらしい。これらは『Ray/レイ』(04年)で見た盲目の歌手レイ・チャールズに勝るとも劣らないほどすごいものだ。
しかし、中国障害者芸術団による『私の夢』の見モノは何といっても集団技。とくに聴覚障害者VS視覚障害者のかけ合いでやる京劇『三坌口(サンチャコ)』や舞踊『化蝶』などの集団演技は、冒頭の『千手観音』と同じような驚き。よくぞこんなことができるものだ、と圧倒されることまちがいなし!
<「格差、格差」の合唱へのアンチテーゼに!>
年収200万円以下の低所得者層が増大中!特に、若者層にその傾向が顕著!格差を拡大させた小泉改革はけしからん!弱者にやさしい社会を!今の日本はそんなキャッチフレーズが満ち溢れている。しかし、それってホントに正しい問題提起?また、小沢一郎に代わって民主党代表に就任した鳩山由紀夫新代表の唱える「友愛」とは一体ナニ?
私はそれに反対するつもりはないが、同時に私が問題提起したいのは、そんな風に「格差、格差」と叫ぶ奴に限って自らの努力を怠っているのではないかということ。私は本公演を是非、「格差、格差」の合唱へのアンチテーゼに位置づけたいと思っている。
<1に努力、2に努力、3・4がなくて、5に努力>
私はあるきっかけによって60歳になった今年、4月から中国語の勉強を始めたが、その努力(集中力)は約40年前の司法試験の勉強時と同じようなもの。そんじょそこらのロースクール志望の若者がやっている努力とは大違いだと自負している。しかし、私のそんな努力は、中国障害者芸術団に結集し、日夜努力を続けている彼ら彼女らに比べればきっと屁みたいなもの?
中国障害者芸術団を代表する女性たちの美しさはもちろん天性のものもあるが、それ以上にすばらしいのは、舞台の美しさの裏に隠れたすさまじい努力の姿が観客に伝わること。目の前にある表現の美しさが人間を感動させるのはもちろんだが、それ以上に感動させてくれるのは、中国障害者芸術団の団員たちの努力なのだ。「1に努力、2に努力、3・4がなくて、5に努力」ということを実感し、努力を怠っているのではないかと自覚する若者たちは、今後自分のため日本のために頑張ってもらいたいものだ。
2009(平成21)年5月29日記