力道山(韓国・日本映画・2004年) |
<試写会・大阪府立体育会館 第2競技場>
2006年1月23日鑑賞
2006年1月25日記
これはスゴイ!『力道山』上映にふさわしく、「大阪府立体育館」で開催された試写会は緊張と熱気に包まれ、2時間29分がアッという間に過ぎていった。「物語」でしか知らなかった力道山が、今私の目の前に・・・。そのファイトもすばらしいが、何よりもその生きザマのすさまじさには、ただ圧倒されるのみ。1月23日の堀江貴文氏逮捕で、また1人のヒーロー(?)を失った日本では、今後も個性と覇気を失った「右へならえ」人間ばかりが増殖していくのだろうか・・・?そんな流れに対して、『力道山』が少しでも警鐘を鳴らしてほしいものだが・・・?
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監督・脚本:ソン・へソン
力道山/ソル・ギョング
綾/中谷美紀
菅野武雄/藤竜也
吉町譲/萩原聖人
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント配給・2004年・韓国、日本映画・149分
<昭和という時代を考える・・・>
日本では天皇の即位毎に年号が改められ、近代国家成立後は、明治・大正・昭和・平成と移ってきた。西暦とあわせて整理・記憶しなければならないから、これはある意味で二重手間。しかし他方、明治・大正・昭和・平成という言葉からそれぞれの時代状況をイメージすることができるという便利さもある。とりわけ昭和の時代は64年間と長かったから、人々の間ではさまざまな記憶があるはず。昨年11月公開された『ALWAYS 三丁目の夕日』が大ヒットしたのも、東京タワーがつくられた昭和30年代後半の昭和の時代が懐かしく思い出されるためであることは明らか・・・。そんな風に昭和という時代を考えてみた場合、昭和のヒーロー「力道山」がなぜ生まれ、そしてなぜ消えていったのかがいろいろと見えてくるはず。
<1945(昭和20)年の18年後は・・・?>
1949(昭和24)年生まれの私は、テレビ画面の中で力道山がシャープ兄弟たちに対して振りおろす空手チョップを見て興奮した記憶はないし、長嶋茂雄VS金田正一の対決も直接見たことがないが、その雰囲気だけは子供心に感じていたことをよく覚えている。39歳で死亡した力道山の大人になってからの人生は、10年単位で大きく2つある。その前半は、力士としての約10年間で、後半はプロレスラー兼日本プロレス協会の責任者としての約10年間。そして、彼が暴漢にナイフで刺されて死亡したのが1963年だから、それは1945年の敗戦から18年後。この敗戦後の18年間で彼が何を成し遂げたのか?そして彼が昭和のヒーローとなったのはなぜか?
昭和の時代が終わり、平成の時代に入ってから同じ18年目を迎えた平成18年の今、このような時代を対比する目をもってじっくりと考えてみたいものだ。
<平成のヒーローになりかけた「時代の寵児」堀江貴文氏の逮捕を考える?>
昨日1月23日の夜のテレビニュースは、ライブドアの堀江貴文社長逮捕のニュース一色となった。わずか600万円で起こした会社を10年間で日本一有名な会社に成長させたサクセスストーリーは日本では珍しいもので、一躍「時代の寵児」となったのは当然。
①近鉄球団買収へ名乗り(04年6月)
②ニッポン放送株争奪戦(05年2月)
③衆議院議員選挙で広島6区から出馬(05年9月)
と、常に日本国民の注目を集める話題を提供し続けたその手腕はすごいもので、多くの国民がそれに拍手喝采していたもの。そして、マスコミや評論家諸氏の多くもそうだったはず。しかるに、1月16日夕刻にライブドア本社に対して強制捜査の手が入るや、それまで彼の活躍をもてはやしていたマスコミや評論家たちは一転して、手の平を返したように「地に落ちた錬金術師」「市場への背任」と罵倒している。しかし、そんな姿こそ見苦しい限り・・・。
<代表質問のネタだが・・・?>
折しも『力道山』の試写会のあった1月23日に実施された衆議院本会議での、小泉総理施政方針演説に対する前原民主党代表の代表質問のポイントの1つは、自民党が堀江貴文氏を昨年の9・11衆議院議員選挙の候補者としたことへの責任追及。しかし私に言わせれば、それは堀江氏が自民党を希望したからで、彼が仮に民主党を希望していれば民主党は喜んでそれを受け入れていたはず・・・。したがって強制捜査・逮捕という結果をみて、後から「それみたことか」と追及する姿勢は、私にはナンセンスとしか思えないのだが・・・。
<大丈夫?日本人の悪しき習性は・・・?>
もちろん、検察特捜部のメスが入った以上、逮捕・起訴は当然であり、有罪判決が下される可能性が高いことも当然。しかし問題はそんな刑事事件としての捜査や刑事裁判の結果がどうなるかをこえて、事実上、ライブドアと堀江貴文氏の社会的・経済的生命ははっきりと断たれてしまったということ。私は昨年11月の民主党の西村眞悟代議士の逮捕もこの堀江貴文氏の逮捕も「国策捜査」だと確信している。もちろん、この「国策」にはさまざまな意味があり、深く検討しなければならない大問題だが、少なくとも昨日、今日のような「地に落ちた偶像」の大合唱は、まさにこれまで何回となくくり返してきた、自己判断力の欠如、マスコミ操作に躍らされる無知な日本人の習性をあらためて暴露しているのでは・・・?
<試写会の会場は?>
1月23日火曜日夕刻からの試写会の会場は、何と大阪府立体育館。ここはいつも大相撲大阪場所(春場所)の会場とされている施設だし、プロレス興行の会場としていつも使われていた立派な体育館。おそらく試写会場として使われたのは今回が始めてだろうが、今回に限ってこんな企画をしたのは、かつて力道山が闘っていた時の臨場感や息吹きを観客に感じてもらいたいため。スクリーン上に映し出されるあの「四角いジャングル」が、この会場内にあり、その中で力道山たちが汗と血を飛ばしながら闘っていたことを少しは実感!
<何を隠そう、私は大のプロレスファン>
今でこそKー1やPRIDEが大人気となり、大晦日でも紅白歌合戦の視聴率を一瞬上回ることがあるほど。しかし私が若手弁護士だった時代、すなわち1970~1980年代において、プロレスは冷遇されていたスポーツ・・・?この映画でもラスト近くになって少し紹介されるが、長い間プロレスがテレビにおけるスポーツの話題を独占していたものの、力道山死亡前後からは、長嶋・王を中心としたプロ野球人気が高まり、プロレスは落ち目の一途となった。したがって、夜8時からのゴールデンタイムで放映されていたプロレスは、やむなく深夜帯に移動させられることに。
現役レスラーが役者として登場する遠藤幸吉(秋山準)や大木金太郎(ノ・ジュノ)、豊登(モハメド・ヨネ)らは、力道山直接の弟子たちだが、さらにその後に入門してきたのがジャイアント馬場やアントニオ猪木。力道山の志を受け継いだこの2人は、共に力をあわせてプロレス人気向上のための努力を続けたが、「両雄並び立たず」のことわざどおり、2人は全日本プロレスと新日本プロレスに分裂してしまうことに。しかし何を隠そう、私はこの時代における大のプロレスファン。深夜に放送される手に汗を握る好試合を毎度興奮しながらみていたものだ。
<あの弁護士もプロレスファン・・・?>
弁護士仲間にも「俺はプロレスファン」と公言してはばからないヤツが1人だけいた。一緒にある大事件を闘ったこともある、私の少し後輩ですごく優秀だった弁護士。しかし、プロレスなど下劣なスポーツと考えており、ゴルフの話題ばかりが突出していた弁護士の世界にあって、彼はかなり異端児だったはず・・・?
彼とプロレス談議で意気投合した私は、彼の勧めではじめて大阪府立体育館へ行き、臨場感あふれるホンモノのプロレス観戦をすることができた。今考えると、ホントに懐かしい思い出だが、今や裁判官に転身してしまった彼は、なかなかプロレス観戦とはいかないのでは・・・?
<君はミミ萩原を知っているか?>
今、日本では浅田真央をはじめ、安藤美姫、村主章枝、荒川静香、恩田美栄らの活躍によって女子のフィギュアスケートが大いに注目されている。日本ではかつて伊藤みどりという大選手がいたが、あの時大フィーバーしなかったのは、言っちゃ悪いが、彼女の容姿のせい・・・?それに比べれば今や日本女子フィギュアスケートの世界は今昔の感がある。もちろん外国人選手の手足の長さに比べれば少しは劣るかもしれないが、今や日本人選手のスタイルや容貌は、決して外国人に劣るものではない。力道山と同じように彼女たちは、日本人に美しさの面でも誇りを取り戻してくれたのでは・・・?
プロレスファンであった私は、今さら隠しても仕方がないのでさらに告白すれば、女子プロレスのファンでもあった。女子プロレスが日本でフィーバーしたのは、第1世代が当時の人気番組『スター誕生!』で山口百恵に敗れ、プロレス界に入ったマッハ文朱。そして第2世代がビューティーペア、第3世代が長与千種とライオネス飛鳥(クラッシュギャルズ)だが、そんな中変わりモノの美女レスラーがいた。それが女優から華麗なる転身を果たしたミミ萩原だ。実力と同じように、見栄えを大切にする女子プロレスの世界(?)には、その後もキューティー鈴木や井上貴子などの美女レスラーが登場したが、ミミ萩原はその初代アイドル。
奈良県生駒郡斑鳩町に住んでいた時、地元の市場で女子プロレスの試合が開催されたことがあったが、そこでミミ萩原の白く美しい姿を見たとき私は思わず生ツバを飲みこんだもの・・・。
『力道山』という感動作を観て、こんなエロオヤジのような評論を書いていていいのカナと自問自答しつつ・・・・。
<ソル・ギョングの熱演に感動!>
この映画で力道山を演じたのは、『オアシス』(04年)、『SILMIDO(シルミド)』(04年)等で迫力ある演技をみせてくれたソル・ギョングだが、①この映画のために20kg以上、体重を増やし、②プロレスシーンをすべて自ら演じ、③日本語のセリフをすべてマスターしたというからその「入れ込み」はすごいもの。①朝鮮人差別に抗議し、②国技としての面子に固執する相撲界に反抗し、さらに、③人気が盛りあがってきたプロレス界にあっても、一人妥協を許さず、あくまでヒーローの座を追い求める、力道山の姿を、実に感動的に演じている。しかし逆に、これだけ一瞬一瞬を真剣に生き抜き、自らにウソをつかない道を追求するということは、あらゆる世界、あらゆる人間との軋轢を生むことになるのも必然・・・?昭和のヒーローとして、日本では天皇に次ぐ有名人となった力道山だったが、この映画はそんな人間としての力道山の「孤独」も見事に浮かびあがらせている。そんな力道山を渾身の力で演じているソル・ギョングの姿をじっくりと味わってもらいたいものだ。
<きっちりと見せた、日本人俳優の存在感!>
この映画では3人の日本人俳優の存在感も際立っている。詳しくは述べないが、第1はひょんなことから知り合った無名時代の力道山に惹かれ、結婚する綾(中谷美紀)。朝鮮人として差別されている姿を目の当たりにしながら一緒になるということは、よほどの覚悟が必要だったはず。やさしくしかし芯の強い理想的な日本人女性の姿を熱演し、『電車男』(05年)でのヒロイン、エルメスとは全く異なるしっとりとした魅力を見せている。力道山のマネージャーとなる若手の吉町譲(萩原聖人)も好演しているが、細身のクセにすごく重量感のある演技でこの映画を支えているのが菅野武雄会長(藤竜也)。彼は横綱、東浪関(実名は東富士)(橋本真也)の後援者=タニマチとしていいカッコをしているが、背中一面の彫り物を見るまでもなく、その仮面(?)の奥にはヤクザの姿が。しかし、力道山にとって最大のチャンスとなったのは、この菅野会長とのめぐり合い。菅野会長は力道山のしこ名の名付け親になるとともに、その後見人となったうえ、日本プロレス協会設立にあたって2人は全面協力の仲に。しかし、いい時がいつまでも続かないのが世の常。時代が変わり、状況が変われば人間関係も変わっていくもの。この2人の男の間の信頼と裏切り、そしてお互いの男としての生きザマを観るだけでも今どきの若者には大いに勉強になるはず。じっくりと腰を据えて、それを読みとってもらいたいものだ。
<プロレスは試合?それともショー?>
プロレスの試合は観ていると結構面白いのだが、ボクシングはもちろんのこと、Kー1やPRIDEの試合に比べると、第1に真剣味が不足しているように思われがち。それは、いろいろな技の1つ1つにしても、試合の流れにしても、どこまで本気でやっているのか、どこまでショーとしてやっているのかがわかりにくいため。そして第2に反則がどこまで許されるのかも含めてルールが不明瞭だと思われがち。それは、場外乱闘をやったり、パイプ椅子で殴りつけたりはもちろん、パンツの中に隠し持った凶器で攻撃したりというシーンがよく登場するから。また、大相撲も含めて、いつもウラでささやかれているのは八百長の有無。つまり出来レースが多いのでは?ということだ。プロレスを1つの興行として考えた場合、いくらいい試合をしても、お客さんが喜んでくれなければ次の興行成績につながらないのが当然。そのため、どうしても派手な演出をしたり、今日はAさんを主役にするためBさんを敵役に回したりと、手をかえ品をかえて観客に満足してもらう必要があるわけだ。多くのプロレスファンは、そういう要素を認めたうえで試合を楽しむもの。しかし、この力道山の場合は・・・?
かつてタッグを組んで共にアメリカ人レスラーと闘った柔道の鬼、井村昌彦(実名は木村政彦)(船木誠勝)との対立、菅野会長との対立、そして綾との対立は、すべて力道山のプロレスに対するこだわりから生まれたもの。そんな姿をみて、なお、あなたは「プロレスはショーにすぎない」などと言える・・・?
<緊張感の途切れない2時間29分>
プロローグとエピローグの場面は1963年、東京は赤坂にあるダンスホール「ニュー・ラテンクォーター」の中。派手な音楽が鳴り響き、多くの観客たちがダンスに興じている中、酔っぱらってトイレに入った力道山はある暴漢の手によって腹部をグサリと・・・。腹を押さえ、苦痛に耐えながら、それでもなお舞台に立ってあいさつをすませた力道山だったが、力道山から司会者の手に渡されたマイクには血がベッタリと・・・。
2時間29分という長編の映画だが、そのストーリーにはいくつかのポイントとなる節目がセットされているうえ、天下分け目の大試合の場面がうまく配分されているから、観客の目は終始緊張し集中してスクリーン上に注がれることになる。ソル・ギョングの熱演とともにソン・ヘソン監督にも大きな拍手を送りたい。この映画が第42回大鐘賞映画祭で監督賞と撮影賞をダブル受賞したのは当然というべきだろう。ただ残念なのは、3月4日からの公開がテアトル梅田他に限定されていること。こんな映画こそ、もっと多くの映画館でロングラン上映してもらいたいものだが・・・。
2006(平成18)年1月25日記