マンマ・ミーア!(日本ミュージカル・2005年) |
<大阪四季劇場>
2006年2月12日観劇
2006年2月13日記
これを観るのに理屈はいらない。1970年代を懐かしむ気持とABBAの曲を一緒に口ずさみ、ノリノリで身体を動かす体力と気力があればいい。それが団塊の世代を中心としたおじさん、おばさんたちが、ABBA楽曲のみ22曲で構成された楽しいミュージカル『マンマ・ミーア!』を観劇するための大切な視点。娘の父親が3人の男のうちの誰だかわからなくたって何が悪い!そんな「開き直り」の是非を問う議論すらも不要とする楽しさをみんなで共有したいものだ。そしてフィナーレはもちろん総立ちで・・・。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!ご注意ください!!
↓↓↓
企画・製作:浅利慶太
ドナ・シェリダン/保坂知寿
ソフィ・シェリダン/五十嵐可絵
ターニャ/前田美波里
ロージー/青山弥生
サム・カーマイケル/渡辺正
ハリー・ブライト/明戸信吾
ビル・オースティン/松浦勇治
スカイ/鈴木涼太
劇団四季、阪神電気鉄道主催・2005年・日本ミュージカル・2時間半
<今年の新年会はミュージカル観劇+食事会>
私は狭山・美原医師会の顧問弁護士を長い間つとめている。相談案件はそんなに多くないが、つい最近は美原町が堺市と合併したことに伴って、狭山・美原医師会会員のうち、堺市に編入された旧美原町内に病院・医院を持つ医師10数名の狭山・美原医師会から堺医師会への移籍をめぐるさまざまな処理問題が発生した。堺医師会との協議の中で問題点を1つ1つ整理し、無事解決できたのはほぼ1月はじめ。したがって、今年の新年会は気分もスッキリと・・・。
会員約60名+家族も参加して毎年1月に行われる新年会は、従来はホテルの会場を借り切っての食事会。そして、狭山・美原医師会の名物(?)は食事の途中から始まるカラオケ大会。舞台に上がっての熱唱を楽しみにしている会員も多く、実は私もその中の1人。ところが今年の新年会は趣向を大きく変え、午後1時~3時半のミュージカル『マンマ・ミーア!』観劇とその後5時~7時の食事会+ビンゴ大会となった。場所は最近梅田に新しくできたハービスENTだから、私には自転車で行くのに超便利。午前7時半からフィットネスクラブで毎週恒例となっている20km走をちゃんとこなしたうえ、大阪四季劇場へ。過去1度、弁護士会を通じてチケットを申し込んだのに取れなかった因縁のある『マンマ・ミーア!』をやっと観劇することに。今日は久しぶりに夫婦同伴でタップリと楽しまなければ・・・。
<今まで知らなかった『マンマ・ミーア!』とは?>
劇団四季の浅利慶太が企画・製作した日本版ミュージカル『マンマ・ミーア!』が「大阪四季劇場」でこけら落し公演を始めたのは、2005年1月9日。それ以降、ずっと観たいと願っていた希望が今日やっと叶ったわけだが、実は私は『マンマ・ミーア!』の意味を全く知らなかった。さて、あなたはそれをご存知だろうか・・・?意外にあなたも知らないのでは・・・?これはABBAの1975年のアルバムの冒頭曲で、1976年春にシングルカットされ、大ヒットした曲。そして、その意味は「なんとまあ!」「おやおや!」といった意味のイタリア語源の間投詞。
<コンセプトは、ABBAの楽曲のみ使用!>
ミュージカル『マンマ・ミーア!』がオリジナル・スタッフで、ロンドンで最初に上演されたのは1999年4月6日。私は去る2月7日に映画『プロデューサーズ』(05年)を観ただけに、この『マンマ・ミーア!』の女性プロデューサーであるジュディ・クレーマーが、どんな気持でこの初日を迎えたのかはよく想像できる・・・。そして結果は大成功。このミュージカルはロンドンからカナダへ、そして全米ツアーへとたちまち広がっていった。このミュージカルは、1974年から82年まで活動したスウェーデンの男女2人ずつのアーティストABBAのヒット曲22曲を使ったもの。というよりそのコンセプトは、ABBAの楽曲を物語の中で使うストーリーをいかに組み立てていくかというもの。そう考えると、少しこじつけをして、無理矢理ストーリーを組み立てなければ無理なのではと思ってしまうが、もしそうであればそんなミュージカルは大ヒットしなかったはず。さて、そんな発想のもとに練り上げられたストーリーは?
<舞台は?主人公は?そして登場人物たちは?>
『マンマ・ミーア!』の舞台は、ギリシャのエーゲ海に浮かぶ美しい島。そして主人公はこの島でホテル「サマー・ナイト・シティ・ダヴェルナ」を女手ひとつで切り盛りしてきたドナ・シェリダン(保坂知寿)とその一人娘ソフィ・シェリダン(五十嵐可絵)。スカイ(鈴木涼太)との結婚式を控えたソフィは母親の昔の日記を盗み読みした結果、それまでわからなかった自分の父親が、サム・カーマイケル(渡辺正)、ビル・オースティン(松浦勇治)、ハリー・ブライト(明戸信吾)の3人のうちの誰かだという確信をもったため、今日はドナに内緒で思い切ってこの3人に対して結婚式の招待状を発送することに。しかし、3人がホントに一斉にホテルにやってきたらどうなるの・・・?
案の定、三人三様の思いで島を訪れてきた3人を見て、事情のわからないドナは大いに心を乱されることに・・・。他方、娘の結婚式を祝うため島を訪れたのは、かつてドナとともに”ドナ&ザ・ダイナモス”というロックバンドを組んでいたターニャ(前田美波里)とロージー(青山弥生)の2人。久々の再会を喜び合うターニャとロージーは、昔の”ドナ&ザ・ダイナモス”のポスターを見つけるや、たちまち気分は20年前に。昔を思い出し、ノリノリで歌い始めた3人だったが・・・。
<父親の可能性ありが3人とは・・・?>
母親が娘の日記を盗み読みするのも悪いが、その逆も許されるべきでないことは明らか。しかし、娘のソフィはアッケラカンとして母親の日記にある文面「そして・・・」の「・・・」とはエッチのこと、したがって私には父親の可能性のある男がサム、ビル、ハリーの3人だと2人の友人に打ち明けた。
1970年代に青春時代を過ごした母親のドナも勇気ある生き方を実践しているが、娘のソフィも母親に内緒でこの3人の男たちに対して結婚式の招待状を発送するとは、その行動は何とも勇気があるもの。もっともこの行動の原点には、3人の男たちの顔を見れば父親が誰かがすぐにわかるという思い込みがあったことは明らか。しかし現実は、ソフィがいくら3人の顔を見ても、さらに話を聞いてもそのナゾは深まるばかりだった。しかし、バージンロードを3列にして、3人の男に手を引いてもらうわけにいかないことは明らか。こりゃ困ったことに・・・。
<1970年代はウーマンリブの時代>
1970年代に吹き荒れたウーマンリブの嵐は、ミニスカートを流行・定着させたばかりではなく、女の生き方そのものを大きく変革し、それまでは決して許されなかった「シングルマザー」などというカッコいい(?)生き方も認知された。「ひと夏の経験」として、7月・8月の間に順次3人の男とボートに乗って島へ出かけ、「そして・・・」となったドナが、その10カ月後に生んだ娘の父親はダレ・・・?もちろん血液検査やDNA鑑定をすれば100%明らかになることはドナも知っていたが、ドナがそれをしなかったのは、自らその確定を求めようとする意思がないため。そしてそれは、生まれてきた子供はあくまで自分の子供であり、その子育てや生活の援助を父親に頼るという発想が全くなかったためだ。娘が生まれた後、そんな生き方を20年間ずっと貫いてきたのに、今さら「僕が娘の父親だ」と名乗り出られても困る、というのもごもっとも・・・。
<『ダンシング・クイーン』を踊る3人は昔のまま・・・?>
ABBA最大のヒット曲は、『マンマ・ミーア』ではなく『ダンシング・クイーン』。この曲は、娘の結婚式のために島を訪れてきたターニャとロージーの2人が気分の落ち込んだドナとともに昔を思い出しながら歌い踊るというスタイルで登場するが、いかにもそれがピッタリの名曲。ターニャを演ずる前田美波里の若さとお肌の美しさにあらためてビックリしながらこの曲を聴いていると、こちらも青春時代に戻っていくが、それは歌っている3人もきっと同じはず。やっぱり歌はいいものだとつくづく感心。そしてこのABBAのヒットナンバー22曲をつないで物語をつくったというその構想力にもつくづく感心・・・。
<食事会でのごあいさつは?>
5時から始まった食事会でのごあいさつは、急用のため少し席を外したT会長に代わって I副会長が立ったが、これも例年とは大きく異なる内容に。すなわち、例年なら医師会をめぐる情勢を報告しながら、今年1年間結束を固めて頑張ろうという趣旨のあいさつになるのだが、今回は『マンマ・ミーア!』観劇直後であるため、まずはその感想から・・・。
70歳を少し超えたI副会長は、この『マンマ・ミーア!』観劇は、もともとあまり乗り気でなかったうえ、最初からガンガンと鳴りはじめた音楽の刺激が強すぎたらしい。しかし観ていると、物語はわかりやすく、興味を引くものであったため、どうせ居眠りするだろうとの予想に反し、結構楽しむことができたというごあいさつ。もっとも、医師会の副会長らしくそこで披露したのは次の2点。すなわち第1点は、父親らしき男性3人のうちから真の父親を捜しあてるのはDNA鑑定をすればすぐに可能だから、私の病院に来てもらえたらいいのにという、商売を兼ねたドクターらしい評論。そして第2は、主人公が次々と3人の男と「ナニ」してしまい、生まれてきた娘の父親が誰だかわからないという設定はどうかなと思う、という倫理上当然と考えられる指摘。ABBAの音楽が大ヒットした1970年代はウーマンリブが大合唱された時代で、女1人自立していくのがカッコいいと思われていた時代。しかし、やはり70歳を過ぎた熟練医師の目には、この主人公の生き方は納得できず、よろしくないらしい・・・?しかし結果的に物語はハッピーエンドとなるから、まあいいかという人生観に富んだごあいさつは医師の目によるにわか演劇評論にしては立派なモノ・・・。早速、活用させてもらわなければ・・・
2006(平成18)年2月13日記