ファイナル・カット(アメリカ映画・2004年) |
<ユウラク座>
2006年2月16日鑑賞
2006年2月17日記
人間の全生涯を記録するために脳に埋め込まれた装置、それが「ゾーイ・チップ」。ある近未来社会では、人が死ぬとこのチップが摘出され、カッター(編集者)の手によって追悼上映会を開催するのがセレブたちの流行。ホンマかいな・・・?他方、人間の「記憶」はかなり主観的なもので、客観的な「記録」とは異質なもの。とすれば、そんな神をも冒涜するような「ゾーイ・チップ」がいつまでも流行するはずはなく、何か大問題が起こるのでは・・・?
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監督・脚本:オマール・ナイーム
アラン・ハックマン/ロビン・ウィリアムズ
ディライラ/ミラ・ソルヴィノ
フレッチャー/ジム・カヴィーゼル
ギャガ・コミュニケーションズ配給・2004年・アメリカ映画・94分
<ゾーイ・チップと追悼上映会>
ゾーイ・チップとは、生まれたばかりの赤ん坊の脳の中に埋め込む装置のことで、埋め込まれた人間の全生涯がこのゾーイ・チップに記録されることになる。ゾーイ・チップを埋め込むかどうかは両親が決断するものだが、その目的は、その赤ん坊が生涯を終えた時、故人を懐かしんで開催される追悼上映会(リメモリー)の資料とするため。今から何十年後かは知らないが、ある近未来の社会では、いつの間にかそういう習慣が上流階級・セレブの特権として流行していた・・・。
<カッター(編集者)の必要性とその役割>
人間の全生涯の記録は膨大だから、これを故人を偲ぶための追悼上映会で上映して出席者に感動してもらうためには、カッター(編集者)の技量が大きくモノを言うことになる。そしてその技量の中には、記録に残っている故人の善人としての面だけではなく、悪人としての面もバランスよく編集する能力も含まれることになる。したがって、カッターには映像処理のテクニックだけではなく、あくまで冷静、客観的に故人の全記録を正視することができる能力が不可欠だが、そう考えるとこれは結構重たい仕事・・・。他人の人生のすべてを客観的に正視するという仕事を、何百人、何千人とやっていたら、自分の人生観までおかしくなりそう・・・。
しかし、この映画の主人公アラン・ハックマン(ロビン・ウィリアムズ)は、そのゾーイ・チップのカッターとして有名となり、今や数カ月先まで予約が満杯状態。彼がゾーイ・チップのカッターとして成功したのは、どんな人間の人生であってもそこに感情移入せずに直視できるという資質のため・・・。そんなアランのもとに、今新たに舞い込んだ注文は、ゾーイ・チップを扱う大企業アイテック社の弁護士チャールズ・バニスターの未亡人からのもの。このチャールズ弁護士にも、きっと他人には見せられないような不道徳な記録がいっぱい含まれていることだろう・・・。
<少年時代の忌まわしい記憶とは?>
アランがゾーイ・チップのカッターの仕事を選んだのは、10歳の時のある忌まわしい体験から。映画の冒頭に登場するのは、父母に連れられてある町を訪れていた少年アランが、町の少年ルイスと一緒に遊んでいるシーン。偶然知り合った2人は、人気のない廃棄工場の中に入り込んだ。そして、「ある遊び」によって先に勇気あるところを見せたアランは、ルイスにも同じ遊びを要請。しかし、それに応じたルイスは途中で足を踏みはずして転落し、大量の血を流しながら死亡することに・・・。
結果的にこの場から逃げ出したものの、倒れて動かなくなったルイス少年の姿や、自分の靴の底にベッタリと付着した彼の血の記憶が、アラン少年の頭の中に永久に残ることになったのは当然。そんなアランは、自分が死者の罪を引き受け、魂を清めて来世へ旅立たせるキリスト教の”罪食い人(シン・イーター)”であると信じ始めたが、これこそ彼がゾーイ・チップのカッターへの道を選んだ大きな動機だった。
<スリラー映画の出発は脚本から>
わかったようなわからないようなスリラー(ミステリー)映画をつくるのが大好きな監督が、『シックス・センス』(99年)、『アンブレイカブル』(00年)、『サイン』(02年)、そして『ヴィレッジ』(04年)と続いたM・ナイト・シャマラン監督(『シネマルーム6』310頁参照)だが、この手のスリラー映画は脚本がポイントで、その出来の良し悪しがすべての出発点となる。したがって、この手の映画は、脚本と監督を兼ねることが多いが、それはこの『ファイナル・カット』も同じ。
そこで驚いたのは、この映画の脚本を書いたオマール・ナイームは、レバノン生まれの26歳の若者だということ。大学で映像製作を学んだ彼は、近未来、人間の脳に埋め込まれたゾーイ・チップというアイデアを生かした脚本の執筆に没頭し、その完成品をプロデューサーのニック・ウェクスラーに送りつけた。それを読んだニック・ウェクスラーは即座にこれを気に入り、この26歳の無名の青年にすべてを委ねたというからすごい。私は知らなかったが、このニック・ウェクスラーは『セックスと嘘とビデオテープ』(89年)などを世に送りだした超大物プロデューサーだ。
このように脚本が全面採用となったばかりか、映画の監督・演出まですべて任されたオマール・ナイームのデビュー作の出来は・・・?
<アランの心の安らぎは?>
この映画は、ゾーイ・チップのカッターとしての仕事のために他人の人生ばかり見つめ続けてきたアランの私生活には全く興味を示さないが、少なくともアランに妻子はいないことはたしか。そんな、いつも1人でゾーイ・チップの編集作業ばかりやっているアランが、ただ1人心を許せる女性がディライラ(ミラ・ソルヴィノ)だった。しかし、数年前に恋人を失ったディライラは、チップ上の記録よりもいい思い出=記憶を大切にしたいと願っている普通の女性・・・?したがって映画を観ていると、こんな2人が心を許し合えるはずはないと思えてしまうのだが、案の定、この2人の仲は・・・?
<ゾーイ・チップの記録と人間の記憶の違いは?>
アランはゾーイ・チップを通して他人の人生の記録ばかり見ているが、それは所詮他人の人生のはず。しかしその数が何百人、何千人となってくると、ひょっとしてアランの記憶と関連する他人の記録を見る可能性も・・・。さてそうなった場合、そのゾーイ・チップの記録とアランの記憶との違いは?それがオマール・ナイームの書いた脚本のミソ・・・。
そう、ある時、アランが見たある人物のゾーイ・チップの中には、アランが少年時代に体験した忌まわしい記憶として今も引きずっているあのルイス少年の姿が・・・。これは一体なぜ?そこでアランが考えたことは、その記録を確認すれば、ひょっとして自分がずっと引きずってきているあの忌まわしい記憶のまちがいが発見できるのでは、ということ。さて、そこでアランがとった行動は・・・?
<紛争の発生は商売がたきから・・・>
アランは売れっ子のカッターだから経済的に困ることはないが、同じゾーイ・チップのカッターでも、注文の来ないカッターは惨めなもの。したがって、売れっ子のアランには当然商売がたきも・・・。そんな1人がフレッチャー(ジム・カヴィーゼル)。フレッチャーはチャールズ弁護士のチップを譲るようアランを脅迫してきたことから、ややこしい紛争が発生することに・・・。
フレッチャーが仲間と組んで、何がなんでもチャールズ弁護士のチップを手に入れたいと考えたのは、アイテック社の不正を摘発するためらしいが、果たしてそれは本心か・・・?もちろん、フレッチャーの要求を拒否したアランだったが、ゾーイ・チップを扱う大企業アイテック社の資料室には、ルイス少年のチップも保存されているはず。それを見ることができたら、アランが持ち続けてきた少年時代からの悩みが解決する可能性も・・・。もちろん、カッターとしてそんな行為は許されないことは当然だったが、やはり人間は誘惑に弱いもの。さて、カッター仲間の協力を得て、アランがアイテック社の資料室内で見つけたものは・・・?
26歳の脚本家オマール・ナイームの書いたストーリーは複雑に絡み合っているためややこしいのは当然・・・。あとはじっくりと映画を観てのお楽しみに・・・。
2006(平成18)年2月17日記