パンドラの匣(日本映画・2009年) |
<テアトル梅田>
2009年10月31日鑑賞
2009年11月2日記
結核療養所(健康道場)が舞台だが、太宰治には珍しく、恋と友情を描いたユートピア的な明るい作品。それが『パンドラの匣』だが、セリフ回しには違和感あり!また、「やっとるか」-「やっとるぞ」、「がんばれよ」-「ようしきた」のセリフは、何度使えば気が済むの?芥川賞作家川上未映子の起用は大冒険だが、その成否は?パンフレットは自画自賛気味だが、単調でスローテンポな展開に私は思わずあくびが・・・。
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監督・脚本・編集:冨永昌敬
プロデューサー:西ケ谷寿一
原作:太宰治『パンドラの匣』(新潮文庫刊)
利助(ひばり、結核を患う少年)/染谷将太
竹さん(看護婦長)/川上未映子
マア坊(看護婦)/仲里依紗
つくし(ひばりの友人)/窪塚洋介
固パン(道場生、大学生)/ふかわりょう
越後獅子(最年長の道場生、有名な詩人)/小田豊
かっぽれ(道場生)/杉山彦々
大月キヨ子/KIKI
ひばりの母/洞口依子
道場長/ミッキー・カーチス
2009年・日本映画・94分
配給/東京テアトル
<原型は結核を病んだ青年の日誌>
太宰治生誕100年を記念して、今年は『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』『斜陽』『人間失格』そして『パンドラの匣』と4本も太宰作品が製作・公開される。『斜陽』と『人間失格』は中学時代に読んだが、私は『ヴィヨンの妻』もそして『パンドラの匣』も全然知らなかった。太宰治の『パンドラの匣』は終戦直後の昭和20年秋から21年はじめにかけて新聞に連載されたものだが、その原型は太平洋戦争が始まった昭和16年に結核を病みながら文学を志し、太宰治に心酔していた一人の青年木村庄助の全12冊の日誌。つまり、その日誌の第8冊および第9冊に記されていた、生駒山西麓の中河内郡孔舎衙村(現東大阪市日下町)にあった孔舎衙健康道場における療養の日々の様子が『パンドラの匣』の素材。太宰治はそれを戦後の時代にあらため、「新しい男」を目指す通称ひばり(染谷将太)を主人公に設定し、太宰作品には珍しくユートピア的世界を明るく描いたわけだ。
<セリフ回しに違和感あり!あのセリフも?>
言葉遣いが時代と共に変わるのは仕方ないが、昔の名作を映画化するについては、どんな言葉遣いにするかが難しい。いっそ時代劇ならそれははっきりしているが、本作ではそれが微妙だ。
パンフレットのイントロダクションには、「『パビリオン山椒魚』(06)で映画ファンの度肝を抜き、スマッシュ・ヒットを飛ばした若き天才監督!冨永昌敬」と絶賛されているが、私には冨永昌敬監督が描く本作のセリフ回しには違和感がある。本作では健康道場に入り「ひばり」とあだ名がつけられた利助が、健康道場を退場する詩人のつくし(窪塚洋介)に宛てた手紙が物語構成の軸となるため、それがナレーションで読みあげられるが、それがずっと続くとどうしても単調になってくる。また、道場特有のルールとして定着している看護婦と道場生のかけ声である、①「やっとるか」-「やっとるぞ」、②「がんばれよ」-「ようしきた」というセリフも、何度も何度も手を変え品を変え繰り返されるといい加減飽きてくる。パンフレットではそこらあたりも自画自賛しているが、私はどうも・・・?
<川上未映子の起用の成否は?>
私は本作の予告編を何度も観たが、そこで目立つのは『乳と卵』や『ヘヴン』で有名な大阪出身の作家川上未映子の竹さん役への起用。竹さんは、つくしの退場と入れかわりに新しい組長(看護婦長)として道場にやってきたちょっと古風な(?)女性。ユートピア的境遇にある健康道場の道場生たちは、従来からつくしに惚れている助手のマア坊(仲里依紗)以上に美人の竹さんの品定めに夢中になるわけだ。ひばりからの手紙で竹さんについて書かれたさまざまな情報を得たつくしがわざわざ竹さんの品定めにやってくるというから、つくしもかなりヒマ?
たしかに、川上未映子は小説家にしておくにはもったいないような(?)個性的な美貌。そしてパンフレットによれば、監督の冨永昌敬とプロデューサーの西ケ谷寿一は竹さん役を川上未映子がOKしてくれなければ本作は成立しないとまで思い詰めて出演交渉に臨んだらしい。しかして、演技に全く素人の川上未映子は本作でいかなる演技を?こんな場合、ボロが出ないようにセリフをできるだけ少なくするのは常識だが、さてその成否は?
2009(平成21)年11月2日記