板尾創路の脱獄王(日本映画・2009年) |
<試写会・梅田ブルク7>
2009年11月19日鑑賞
2009年11月25日記
板尾創路って誰?私はそれすら知らなかったが、テレビの前のあなたならきっと知っているのでは?そんな板尾が「脱獄モノは面白い」の伝統を守るエンタメ作を初監督、初主演!脱獄は1度でも難しいのに、彼はなぜ何度も脱獄を?それ以上の疑問は、なぜ簡単に捕まるの?それはあなた自身が観て確認しなければ。実録モノではない、オリジナル脚本の完成度の高さと面白さに拍手!
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監督・脚本:板尾創路
プロデューサー:田島雄一、菊井徳明、小西啓介、鳥澤晋
脚本:増本庄一郎、山口雄大
鈴木雅之(脱獄の天才)/板尾創路
金村(鈴木に興味を持つ司法省の役人)/國村準
上羅(司法省のトップ)/石坂浩二
所長(北陸中央刑務所)/オール巨人
監獄島の所長/ぼんちおさむ
看守/木村祐一
看守/宮迫博之
看守/阿藤快
2009年・日本映画・94分
配給/角川映画
<板尾創路って誰?>
あなたは板尾創路って知ってる?彼はコントやバラエティーで活躍しているそうだから、多くの人が知ってるのかもしれないが、私は全然知らなかった男。しかし、『空気人形』(09年)に出演していた俳優と聞いて、「ああ、あの映画の最初に登場し、空気人形を相手に性欲処理をしていたあのわびしい中年男か」と気づいた。『空気人形』はもちろん主役の韓国人女優ペ・ドゥナの熱演が光っていたが、相手役としては恋人純一役のARATAよりもむしろ中年男秀雄役を演じた板尾創路の怪演の方が印象深かった。
そんな名優(?)板尾創路が、本作では自らの構想を練りに練った脚本を書き、自ら監督をつとめそして主演まで果たしたから、まさに快挙。以降板尾創路の名前をきっちりインプットしておかなければ。
<これは実話?イヤイヤすべて創りごと!>
暗い色調の中で始まる映画冒頭は迫力満点。嵐が吹き荒れる中、独房に一人入れられている髭ぼうぼうの男の目はギラついており、これから何かが起きそうなことを予感させる。靴音を鳴らしながらチームを組んだ2人の看守の夜間の巡回が始まったが、そこでこの男はどんな行動を?
そう思っていると、映画とは何とも便利な芸術で、時代は一気に12年前に遡り、信州第二刑務所に移送されてくる本作の主人公鈴木雅之(板尾創路)が登場する。彼は既に拘置所を2度も脱走したことのある曰く付きの囚人。そんな鈴木を注意深く観察しているのは看守長の金村(國村準)。他方、鈴木の身体検査をする看守は鈴木に対して「ここは拘置所とは違うぞ、刑務所だぞ、脱獄などできっこないぞ」と毒づいたが・・・。
この時代が昭和初期であることは、映画の後半登場する司法省のトップ上羅(石坂浩二)が「時勢厳しい中・・・」と強調していることからわかる。しかし、昭和初期の日本に子供たちのヒーローになったこんな脱獄王がホントにいたの?いやいやそれは真っ赤なウソ。本作は実話ではなく、板尾創路による完全なつくりものなのだ。
<なぜ脱獄するの?そしてなぜ捕まるの?>
脱獄と一言でいうが、実際にそれを実行するのは至難のワザ。もっとも、本作では鈴木のように類まれなる身体能力を持っていることを前提としてだが、実際に脱獄のテクニックをリアルに見せてくれるから、それは大いに参考(?)になる。しかし、この映画を最後まで観ていても結局明らかにならないのは、手錠の外し方。看守をあざ笑うかのように何度も何度も手錠を外す鈴木だが、一体それはどうやって?
彼は、殺人や強盗などの凶悪犯罪を犯したわけではないから、有罪となって投獄されてもしばらく我慢すれば天下晴れての出所となるはずだから、彼はなぜ脱獄するの?彼の罪がだんだん重くなっていくのは脱獄をくり返すことによってであることが明らかになると、そんなにまでして鈴木はなぜ脱獄しなければならないの?という疑問が大きくなってくる。そしてそれに続く第2の疑問は、あれほど知恵の限りを尽くして脱獄をするのに、なぜその後の逃走方法くらいきっちり考えていないの?ということ。彼は線路を逃走中にいつも取り押さえられてしまうのだが、そりゃ一体なぜ?脱獄をくり返すたびに鈴木には刑務所からの厳しい責めが待っているのだから、こんな痛い思いをしてまで看守や刑務所そして国家権力そのものを愚弄・挑発しなくてもいいのでは?本作を観ている観客は、みんなそう思うはずだ。一体彼は、なぜ脱獄するの?そして、なぜ捕まるの?
<「脱獄モノは面白い」の伝統をきっちりと!>
「脱獄モノ」と聞いてすぐに思い浮かぶのは、スティーブ・マックィーンやジェームズ・ガーナーらが共演した『大脱走』(63年)。ありゃ面白かった。その10年後、再びスティーブ・マックィーンが本格的な「脱獄モノ」に挑戦したのが『パピヨン』(73年)だが、これも感動的な名作だった。
「潜水艦モノが面白い」のは、ヴォルフガング・ペーターゼン監督の『U・ボート』(81年)以降今日までずっと続いている伝統。それは、第1に駆逐艦と戦う極限状況の戦闘シーンがシリアスになるため、第2に、狭い密室空間内であるため必然的に濃密な人間関係が形成され、人間描写がシリアスになるためだ。脱獄モノが面白いのもそれと同じで、第1に監獄の施設や看守らとの知恵比べ、第2に脱獄犯の知恵と工夫そして卓抜した身体能力が面白いわけだ。
他方、脱獄モノの主役である脱獄犯を演ずるのは、ある意味大変だが、ある意味易しいかもしれない。それは、脱獄犯にはセリフがほとんど必要ないためだ。本作でも板尾創路演ずる主人公鈴木雅之のセリフはほとんどゼロで、顔の表情だけの演技に終始している。そんな「静の演技」に対する「動の演技」も、看守たちから殴られ蹴られるだけだから、ある意味で楽?映画初主演の板尾創路がそんな鈴木雅之役をきっちりとこなし、かつ初監督作品で「脱獄モノは面白い」という伝統をきっちり守ったのは、立派なものだ。
<少しなら、オチがあってもオーケー?>
私は松本人志監督の『大日本人』(07年)を観て失望し(『シネマルーム15』410頁参照)、彼の第2作『しんぼる』(09年)は全然観る気にもならなかった。それは第1に、彼のやっていることがあまりにも独りよがりで突飛だと思えるから。そして第2に、暗にそれをやれることが才能だ、それが芸術だと主張しているように見受けられるからだ。それと同じように、私は北野武映画もあまり好きではない。
そんな私には、脱獄をくり返して懲罰を受け、一人吊るされている鈴木雅之が映画中盤にみせる「あるシーン」にビックリ。それまで普通に喋っていたのに、なぜ急に歌いだすの?それがミュージカル映画の嫌いな人の理屈だが、そう言われりゃ確かにそう。また、昔は部分的に総天然色になる映画があったし、成人映画では急にある部分がボカされたり黒点で隠されたりすることがあるが、これも映画の世界だけで通用する変なもの。そう考えると、本作中盤にみるあっと驚く「あるシーン」には当然賛否両論があるが、私にはその程度なら許容範囲内?
また、落語ではオチが生命線だが、映画だってオチが必要だと考える人には本作がラストに設定したオチは面白いかもしれない。本作には落語家の笑福亭松之助が特別出演しているが、彼はどこでどんな役で登場?鈴木はなぜ脱獄をくり返すの?そしてなぜ捕まるの?という疑問と併せて考えれば、これくらいのオチはあってもオーケーかも?
2009(平成21)年11月25日記