フローズン・リバー(アメリカ映画・2008年) |
<東映試写室>
2009年12月24日鑑賞
2009年12月28日記
中朝国境にある豆満江では、川が凍りつく今頃「脱北」の人間ドラマが展開されているが、ニューヨーク州とカナダとの国境にある「フローズン・リバー」では、2人の母親が闇ビジネスをめぐってどんな人間ドラマを?アカデミー賞主演女優賞とオリジナル脚本賞へのノミネートは当然と納得できるすばらしい出来ばえに拍手!母と子の絆とは?共犯となる母親同士の絆とは?そして、本作にみる究極の選択とは?銃社会もあながち悪くないナと思わせる背景を含めて、才能豊かな女性監督の視点をタップリと堪能したい。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督・脚本:コートニー・ハント
レイ(2児の母)/メリッサ・レオ
ライラ(モホーク族の女)/ミスティ・アップハム
T.J.(レイの長男)/チャーリー・マクダーモット
ジャック・ブルーノ(闇ビジネスに従事する男)/マーク・ブーン・ジュニア
フィナーティ警官/マイケル・オキーフ
ガイ・ベルサイユ/ジェイ・クレイツ
ジョン・カヌー/バーニー・リトルウルフ
ジミー/ディラン・カルソナ
ビリー・スリー・リヴァーズ/マイケル・スカイ
2008年・アメリカ映画・97分
配給/アステア
<ここにはこんなビジネスが!すごい現実にビックリ!>
私は最近の若者向け邦画をあまり観る気がしなくなっているが、本作を観るとその理由が改めて明確になってくる。本作の主人公の女性レイ(メリッサ・レオ)が15歳の長男T.J.(チャーリー・マクダーモット)、5歳の次男リッキーと共に住んでいるのは、カナダとの国境に面し、モホーク族の保留地を抱えるニューヨーク州最北部の町。
映画の冒頭に映し出されるのは、そのアップのシーンだけでメリッサ・レオが2009年第81回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたのも当然と納得できるような、途方に暮れたレイの姿だ。深く刻まれたシワ、気忙しいタバコの吸い方など、それだけで彼女のイライラが絶頂に達していることが十分伝わってくる。彼女のイライラの原因は、1ドルショップで働きながら新しいトレーラーハウスを買うために貯めていた貯金を持ったまま、ギャンブル依存症の夫が姿をくらましてしまったためらしい。
新人監督コートニー・ハントの脚本が同じくアカデミー賞オリジナル脚本賞にノミネートされた本作は、そんなレイがひょんなきっかけでモホーク族の女ライラ(ミスティ・アップハム)と知り合い、ライラがやっているある「違法ビジネス」に手を染めていくストーリーを軸として展開される。なるほど、ここにはこんなビジネスが!アメリカには先住民たるインディアンがいたこと、そして彼らが「保留地」に住んでいることは西部劇の好きな日本人なら誰でも知っている(?)が、本作を観てこんなすごい現実があることを知ってビックリ!やはり映画は、こんな社会問題をしっかりと描かなければ。
<フローズン・リバーの活用法は?>
本作の邦題『フローズン・リバー』は、原題『FROZEN RIVER』をそのままカナ文字化したものだが、これが「凍った川」であることは中学生レベルの英語力があればすぐにわかる。そんなタイトルとなった川は、ニューヨーク州とカナダとの国境にあるセントローレンス川だが、さて「フローズン・リバー」の効用は?
北朝鮮と中国との国境線になっている豆満江が冬になると凍りつくことや、北朝鮮から中国への脱北者が凍りついた豆満江を命がけで渡ることはよく知られている。しかして実は、ニューヨーク州とカナダとの国境にあるセントローレンス川も、極寒の冬にはフローズン・リバーになるらしい。そんなフローズン・リバーを利用して、違法ビジネスを行っているのがモホーク族のライラだが、その違法ビジネスとは不法移民の密入国。本作を観ていると、中国から日本への密入国で稼いでいる蛇頭が、ニューヨーク州とカナダとの国境でも活躍していることがよくわかる。
<「保留地」とは?保留地の適用法は?>
プレスシートにある阿部珠理氏の「凍った川、融けるこころ」を読むと、モホーク族の「保留地」はセントローレンス川を挟んでアメリカとカナダにまたがっているらしい。したがって、モホーク族は凍ったセントローレンス川を渡って事実上国境を自由に行き来できるらしい。しかも、「保留地」は半自治組織であるため、連邦法の適用は受けるが州法の適用は受けないことが、これを読めばよくわかる。
すると、もしその違法ビジネスがアメリカの警察に見つかっても、ライラは保留地に逃げ込めばすべてオーケー?阿部珠理氏の上記解説によれば、「保留地で彼らは、彼ら自身の議会、法廷、そして警察を持っており、そこで起きた事件には殺人など合衆国が規定する『主要犯罪』以外、州警察は立ち入ることができない」らしい。そうだからこそ、国境越えをビビるレイに対して、ライラが「この国(モホークネーション)に国境なんて関係ない」と言い放つことができるわけだ。
本作の注目点は何よりもレイとライラ2人の女性のギリギリの生き方だが、それをホントに理解するためには、そんな保留地の意味と保留地への適用法の理解が不可欠だ。
<銃社会も、あながち悪くはない?>
銃社会アメリカの弊害は強く指摘、糾弾されているが、本作を観るとつい「銃社会も悪くはない」と思ってしまう。トレーラーハウスを購入するために貯めていたお金を夫が持ったまま失踪したため、このままでは手付金は没収され夢の実現は永久にアウト。そう考えれば普通は必死になって夫の行方を捜すはずだが、レイには一向にその気配がない。それは捜すべきアテが全くないためだが、夫がいつも通っていたビンゴ会場の駐車場で夫の車を見つけたから、レイはほっと胸をなで下ろすことに。ところが、予想もしない展開がその直後に。
それは、いつものようにビンゴ会場でバクチをしていると考えていた夫が会場内にいなかったばかりか、車をモホーク族の女が乗り逃げしようとしたこと。それからのレイの行動力がすごい。すぐに自分の車で追跡していったうえ、保留地内の小さなトレーラーハウスの前で車を停め、その中に入って行ったライラに対して、レイは語気鋭く「車を返せ!」と談判。しかも、ライラがトレーラーハウス内から出てこないとみるや、持参していた拳銃を抜き放ち、ホントにそれをトレーラーハウスに向けて発射したからすごい。このようにみていると、実力で夫の車を取り戻すことができたのは、ひとえに拳銃のおかげだ。
世の中には、いくら理詰めで談判しても話がまとまらないことがあるうえ、レイにとっては悠長な話し合いを続ける時間もない。もちろんレイの場合、銃の発射はあくまで威嚇であり、ライラを殺す為ではない。そう考えると、銃社会もあながち悪くはない?
<本作にみる共犯のきっかけと絆を考える>
ライラは以前から闇ビジネスに手を染めていたが、レイはそんな大それたことを考えたことは一度もなかったはず。そもそも、レイにとってありうる犯罪といえば、過失による交通事故以外考えられなかったはずだ。そんな2人が、なぜ、どんなきっかけで共犯に?司法試験を目指す諸君なら、本作にみるそんな「人間論」をしっかり観察する必要がある。動機はもちろんカネ。そう言ってしまえばそれきりだが、そこには人間ならではの、そして母親ならではのさまざまな深い意味があるはずだ。
カネのため、そんな共通項で結ばれた2人の共犯関係は、映画中盤パキスタンから来た夫婦を例によって車のトランクに入れて運ぶケースで大きく変化する。夫婦が持っていた大きなバッグには一体ナニが入っているの?ひょっとして、これはテロのための爆弾ではないの?中国人移民にはそんな疑いの目を向けないのに、パキスタン人というだけでそう勘繰られるのは、パキスタン人にとってえらい迷惑な話。それはともかく、そんな疑いをもったレイがそのバッグを途中で捨ててしまった行為が、夫婦を送り届けた後大変な反響を呼ぶことに。何と、バッグの中には赤ちゃんが入っていたというわけだ。捨てたのは極寒の地。バッグの中に入っているとはいえすでにかなりの時間が経っているから、恐らく赤ちゃんは凍死?そんな気持を抱きながらレイとライラは、バッグ=赤ちゃんを取り戻すため車を走らせたが・・・。
レイが2人の男の子の母親として懸命に努力をしていることは、映画前半において顕著。これに対して、1歳になる自分の子供を義理の母親に奪われ会うことすらできないライラは、小さい子供をみるとつい自分の子供を連想してしまうような境遇だ。そんな2人の「母親」が、自らの行為でパキスタン人の母親の赤ちゃんの生命を奪ってしまうとしたら・・・?レイとライラ2人の共犯関係はここで大きな変化を遂げ、新しい絆が生まれたのは当然だが、さてその結末は?女性監督ならでは視点の鋭さと温かさに注目!
<本作にみる究極の選択とは?>
アメリカ合衆国大統領にとっての究極の選択は、核のボタンを押すか押さないかだろうが、その選択は大変。他方、政権交代を成し遂げた民主党代表の鳩山由紀夫総理だって日々AかBかの選択をしなければならないことだらけ。ところが、普天間基地問題をみても、子ども手当の所得制限をみても、暫定税率の廃止問題をみても、その決断力の無さが際立っている。それに比べると、警察に追われる中やむをえずフローズン・リバーに車を乗り捨て、不法入国者2人を連れてライラと共に保留地内に逃げ込んだレイの究極の選択はすごい。
アメリカの警察は保留地内に入ることはできないが、モホーク族の部族議会は緊急の会議を開き、レイかライラのどちらか一人を警察へ引き渡すことで事態を収めようという結論になったから大変だ。まずは、ライラが自己犠牲の姿勢を示し、自分が出頭すると決断してくれたからレイはほっと一安心。その「合意」に従ってレイは一人で保留地から脱出しようとしたが、ホントにそれでいいの?走りながら、レイの頭の中は超高速で回転していたはずだ。その結果レイが下した究極の決断とは?
それ以上、ここでは書かないでおこう。もちろん、レイが代替案として考えたのはライラを残し、自分が出頭し処罰を受けることだが、さてその場合2人の子供は?コートニー・ハント監督が描くその後の展開と結末に、大いなる可能性と希望をみつけたのは私だけではないはず。勇気ある究極の選択がいかに大切か。それをじっくり噛みしめながら、私もあなたもそして鳩山由紀夫総理も、日々の究極の選択をしなければ・・・。
2009(平成21)年12月28日記