ジェイン・オースティン 秘められた恋(イギリス映画・2007年) |
<テアトル梅田>
2009年11月23日鑑賞
2009年11月27日記
女性心理を巧みに描いたジェイン・オースティンの恋愛小説は次々と映画化されているが、本人自身の恋愛は?ヴィクトリア女王は4男5女を設けたが、ジェイン・オースティンの結婚は?子供は?18世紀末のイギリスにおける婿選びの基準は愛ではなく、身分・カネと現実的。駆け落ちは今では日常茶飯事だが、そんな時代状況下での駆け落ちの利害得失は?家族を犠牲にする愛はもろい。そんな正攻法の恋愛論にあなたも納得?
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監督:ジュリアン・ジャロルド
ジェイン・オースティン(8人兄弟の7番目の娘)/アン・ハサウェイ
トム・ルフロイ(ロンドンで法律を学ぶアイルランド人)/ジェームズ・マカヴォイ
オースティン夫人(ジェインの母)/ジュリー・ウォルターズ
オースティン牧師(ジェインの父)/ジェームズ・クロムウェル
グレシャム夫人(地元の名士)/マギー・スミス
カッサンドラ・オースティン(ジェインの姉)/アンナ・マックスウェル・マーティン
ウィスリー(グレシャム夫人の甥)/ローレンス・フォックス
イライザ(ジェインの従姉)/ルーシー・コフ
ヘンリー(ジェインの兄)/ジョー・アンダーソン
ラングロイス判事(トムの大叔父)/イアン・リチャードソン
ラドクリフ夫人(女流作家)/ヘレン・マックロリー
2007年・イギリス映画・120分
配給/ヘキサゴン・ピクチャーズ
<結婚の基準、古今東西あれこれ>
一夫一婦制の結婚制度が確立したのはごく最近のこと。昔々の結婚は戦争に伴う略奪婚が当たり前だったし、一夫多妻制もあちこちにあった。また、夫が妻を選ぶ基準も妻が夫を選ぶ基準も古今東西あれこれあり、多種多様だ。日本だってつい戦前までは結婚は家と家のものだったから、自由な恋愛とそれにもとづく2人だけの結婚なんてものはごく一部の例外だった。
王室制度や貴族制度が続く封建時代のイギリスでもそれは同じで、ハンプシャーに住む貧乏牧師の娘ジェイン・オースティン(アン・ハサウェイ)が年頃となった今、父親(ジェームズ・クロムウェル)と母親(ジュリー・ウォルターズ)が結婚相手として望んだのはどんな男?
<そりゃトムの方が魅力的だが、ウィスリーには家柄とカネが>
本作はイギリスの女流作家ジェイン・オースティンの若き日の恋を描くものだが、その恋のお相手はワシントンで法律を学ぶ学生トム・ルフロイ(ジェームズ・マカヴォイ)。トムがハンプシャーの田舎にやってきたのは、あまりの放蕩ぶりに生活の面倒をみてやっていた大叔父の判事ラングロイス(イアン・リチャードソン)が堪忍袋の緒を切らしたためだが、そんなトムは結構ハンサムで知的。ラングロイス判事は堅物だが、法律を勉強している若者としてはあまりカチカチ頭にならず、トムのようにあちこち寄り道して遊び呆けることも必要だ。そんなトムに一方では反発しながらジェインがいろいろと刺激を受け、結局互いに惹かれていったのは当然だろう。
他方、ジェインの両親にとっての理想的なお相手は地元の名士で大きなお屋敷に住む財産家グレシャム夫人(マギー・スミス)の甥のウィスリー(ローレンス・フォックス)。たしかにウィスリーは誠実そうな紳士だが、ダンスも運動もダメ。おまけにトムに比べると頭も悪そうだから、小説を書くことに夢中で、愛のために結婚すると考えているジェインにとっては全然お呼びじゃないお相手。本作は8人兄弟の7番目の子供として1775年に生まれたジェインが、トムとウィスリーのどちらを選ぶのかという葛藤を描く映画。そんな視点で観ると、そりゃトムの方が魅力的だが、ウィスリーには家柄とカネが。さて、彼女のそして両親の選択は?
<小説家には体験が必要?トム・ジョーンズも必要?>
田舎娘ながらジェインの書く文章には周りのみんなが絶賛していたから、ジェインの朗読にケチをつけたトムはジェインにとっては許しがたい男。しかし冷静に考えてみれば、恋愛小説を書くにはその体験が必要だというトムの主張もごもっとも。現に小説家には、檀一雄のような無頼作家、吉行淳之介のような遊び人、芥川龍之介のような自殺願望者など、一言で言えば性格破綻者(?)がたくさんいるから、ジェインのように真面目で優秀なだけでは恋愛小説の名作を書くのはとても無理?そうかといって、ロンドンで好き放題遊び回っていたトムと違い、ハンプシャーのような田舎で、しかも女性のジェインが体験できることは限られている。
そこで、トムがジェインに対して勧めたのが『トム・ジョーンズ』。そう聞いて「ああなるほど」と思える人はかなりの文学通だ。『トム・ジョーンズ』とは1749年に発表されたイギリスの小説家ヘンリー・フィールディング作の『トム・ジョーンズ』のことで、私は大学時代に文庫本全4巻を一気に読んだことがあるメチャ面白い小説。またそれを映画化した『トム・ジョーンズの華麗な冒険』(63年)もメチャ面白い映画だった。何が面白いかというと、それは主人公トム・ジョーンズの女性遍歴の冒険の旅が面白いわけだから、それは基本的に男性目線。したがって女性のジェインが読んで面白いかどうかは話が別だが、あの当時としてはかなりエッチな恋愛小説『トム・ジョーンズ』にジェインも惹かれたようだから、さすがジェインの感受性は良好。これくらいの感受性があれば、恋愛やキスや男性遍歴の体験を重ねなくても、頭の中の理解だけで十分恋愛小説の名作が書けるはず。
<駆け落ちの決断とその利害得失は?>
「駆け落ち」という言葉がいつ頃生まれ、いつ頃市民権を得たのかは知らないが、18世紀末のイギリスで駆け落ちという言葉があったことにビックリ。私の友人にも「娘が駆け落ちした」という不幸な人(?)が何人かいるように、今では駆け落ちは日常茶飯事(?)だが、あの時代にトムとジェインが駆け落ちを決意し実行するのはかなりの決断が必要なはずだ。もっとも、本作ではその前段階としてトムがジェインをロンドンへ連れていき、大叔父のラングロイス判事に紹介して結婚を認めさせようとする策略が面白い。まだ若いのに知的なトムがいかにも思いつきそうな戦術だが、それがつぶされたのは、ある手紙がラングロイス判事に届いたため。こんなタレコミの手紙を書く奴は一体誰?そりゃきっと、トムに嫉妬心を燃やすウィスリー?ジェインはそう考えたが、実は・・・?
そんな思いがけない破綻が訪れると、やはり度胸が据わるのは女で、オロオロとだらしないのが男と相場が決まっている。つまりトムは「僕の全生活は大叔父に委ねられている。大叔父から見捨てられたら生きていけない」と発言して、何とジェインよりも大叔父の方を選択したわけだ。そうなりゃジェインだって「さよなら」と言わざるをえないから、これにて2人の恋はジ・エンド。誰でもそう思うし、ジェインは以降ハンプシャーに戻り、後はウィスリーとの結婚を待つばかり?そんな状況下で、再びトムがジェインの元を訪れ、急遽駆け落ちの実行となったわけだが、さてその利害得失は?
ジェインの決意を知った姉のカッサンドラ(アンナ・マックスウェル・マーティン)は、絶対そんなことはダメだと諭したが、今のジェインを止めることができるものなんてあろうはずがない。馬車に飛び乗った2人は一時の幸福な時間を過ごしたが・・・。
<家族を犠牲にする愛は弱い。これがジェイン・オースティン文学の真髄?>
『分別と多感』『高慢と偏見』『エマ』などジェイン・オースティンの恋愛小説は次々と映画化されているが、それはなぜ?それは、若い女性が自分の想像力だけで書いた恋愛小説とは思えないほど、これらの小説は女性の心理を巧みに描写しているからだ。それはキーラ・ナイトレイが主演した『プライドと偏見』(05年)の映画を観てもよくわかる。
他方、見逃せないのは、ジェイン・オースティンの恋愛文学は私に言わせれば正攻法で、『トム・ジョーンズ』のように堕落的でないこと。つまり私の独断と偏見によれば、良くも悪くもジェイン・オースティンは真面目で優秀なモノ書きなのだ。しかして本作にはそんな彼女の生き方や価値観が明確に表現されているから、それに注目!その言葉は「家族を犠牲にする愛はもろい」というもの。彼女の表現によると、そんな愛は「少しずつ罪悪感と後悔に蝕まれていく」らしいが、さてそんな言葉についてのあなたの考え方は?しかして、この言葉は映画のどのシーンで登場するの?それはきっとあのシーン・・・。
1775年に生まれたジェイン・オースティンは全6作の長編小説を残して1817年に41歳で没したが、生涯独身を貫いたからすごい。あの時代の女性の生き方には今とは全然違う大きな制約があったはずだが、そんな時代状況の中で、トムとの一度きりの恋を思い出として、生涯恋愛小説を書き続けたジェイン・オースティンに拍手!
2009(平成21)年11月27日記