プレシャス(アメリカ映画・2009年) |
<東宝試写室>
2010年4月5日鑑賞
2010年4月7日記
映画は観客に夢を与える芸術だが、巨大な肉体を持つ16才の黒人の女の子とそれを虐待し続けるこれまた巨大ママが主人公では、ちょっと?しかも、舞台は掃き溜めのようなニューヨークのハーレム。文字も読めず、実の父親のレイプによって今回は2度目の妊娠。何ともひどい設定だ。そんな作品が大ヒットし、アカデミー賞助演女優賞と脚色賞を授賞したからすごい。さて、そのすごさとは?格差、格差と叫んでいる日本の甘さは本作を見れば明らか。また教育の大切さについても・・・。
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監督・製作:リー・ダニエルズ
原作:サファイア『プレシャス』(河出書房新社刊)
プレシャス(16歳の少女)/ガボレイ・シディベ
メアリー(プレシャスの母親)/モニーク
ミズ・レイン(フリースクールの女性教師)/ポーラ・パットン
ミセス・ワイス(ソーシャルワーカー)/マライア・キャリー
コーンロウズ/シェリー・シェパード
ナース・ジョン(看護士)/レニー・クラヴィッツ
2009年・アメリカ映画・109分
配給/ファントム・フィルム
<格差の本場は、ニューヨークのハーレム?>
数年前から、小泉構造改革の中で生まれてきたという「格差」がキーワードとなった。そして、日本では今や「格差是正」の名の下に、ワケのわからない政策が次々と実現されようとしている。郵政民営化に対する揺り戻しはその最たるものだ。そんな日本に、これは是非紹介しなければと私が強く思ったのが本作だ。
本作は1987年のニューヨーク・ハーレム地区を舞台として、16歳の黒人の女の子プレシャス(ガボレイ・シディベ)の生きザマを描くものだが、日本の格差とはケタ違いにひどいアメリカ貧困層の問題点がてんこ盛りだ。実の父親によるレイプと2度目の妊娠、失業中の母親メアリー(モニーク)による娘への身体的、精神的虐待などは日本では到底考えられないひどさだ。普通、映画の主人公は観客に夢を売る美形が多いが、本作の主人公プレシャスを演じる24歳の黒人女優ガボレイ・シディベはそれとは正反対のデブ。ハリウッド女優にはこんなタイプの女優は存在しないから、オーディションで彼女を探し出すのはさぞ大変だったことだろう。それに対して、本作で第82回アカデミー賞助演女優賞を受賞した母親メアリー役のモニークはガボレイ・シディベと同じような体形ながら、立派なハリウッド女優。さあ、こんなケタ違いの重量を誇る黒人の母娘が見せるニューヨーク・ハーレム内における格差社会とは?
<やっぱり教育が大切!>
近時の日本における教育の劣化は深刻だが、それでも読み書きができない16歳はいないはず。ところが、ニューヨークのハーレムに住む黒人の女の子プレシャスは現在16歳だが、読み書きもできないらしいから、問題は深刻。学校の成績云々よりも、今後の社会適応性が大問題だ。また、12歳の時に父親のレイプによって産まされた女の子をプレシャス自身が育てられるはずはないから、その子の将来も大問題。そして、母親メアリーから心身共に虐待を受け続けているプレシャスの不幸は、きっとそのままプレシャスの子供にも引き継がれるはずだ。
そんなプレシャスに訪れた大きな転機は、プレシャスが妊娠していることが学校にバレたため、学校がプレシャスをフリースクールに通わせるという決定を下したこと。私にはこのフリースクールとはどんなものか全然わからなかったが、本作にみる「代替学校」の“イーチ・ワン・ティーチ・ワン”は、プレシャスのように何らかの問題を抱えて通常の学校に通えなくなった子供たちのための学校らしい。代替学校という言葉に何となく否定的な意味合いがあるため、プレシャスは当初これに強く反発していたが、ここで出会った熱血女性教官が作文を教えるミズ・レイン(ポーラ・パットン)。私は書くことの意義を痛感しているし、書くことが大好きだが、このミズ・レインもそうらしく、作文を教育の根本と考えているらしい。本作をみていると、プレシャスやプレシャスと同じような境遇にある、まるで掃き溜めのような教室内におけるミズ・レインのそんな教育方針のすばらしさがよくわかる。橋下徹大阪府知事が強調するように、やっぱり教育が大切!そんな風に痛感するとともに、本作でたった一人だけでも美人女優が登場してくれたことに感謝。
<こんなソーシャルワーカーがいれば・・・>
日本では生活保護の申請が増えているが、大阪は特にそれが突出している事は周知のとおり。そんな中で問題になっているのは、貧困者を食いモノにする「貧困ビジネス」と称するインチキ商売の存在だ。本作で、代替学校「イーチ・ワン・ティーチ・ワン」の女の子たちからからかわれるナース・ジョンを演ずるのが、現代を代表するロックミュージシャンの一人レニー・クラヴィッツらしいが、残念ながら私は彼を知らない。他方私がびっくりしたのは、ソーシャルワーカーとして登場するミセス・ワイス役を演じているのが、世界の歌姫として有名なマライア・キャリーだということ。私はマライア・キャリーの舞台をテレビで見たわけではないから、彼女の顔をよく知っているとはいえないが、写真などで何回か見たことがある。したがって、これがマライア・キャリーだと言われればすぐにわかるはず。しかるに、本作でミセス・ワイス役を演じているのがマライア・キャリーだとわからなかったのは、彼女が本来舞台でみせる美しさに封印をして、ノーメイクのスッピン姿でこの役に挑んだためだ。
本職が歌手であるマライア・キャリー演ずるミセス・ワイスのソーシャルワーカーとしての熱意とポイントの押さえ方は、さすがプロ。口の重いプレシャスからうまく彼女が受けた数々の虐待の様子を引き出している。またプレシャスと母親メアリーを同席させて論点を整理するシーンでは、これまたうまくメアリーに本音をぶちまけさせながら、良くも悪くも一つの結論を導き出している。日本の市役所の福祉課にもこんな熱心なソーシャルワーカーがいれば、貧困ビジネスがこれほど闊歩することはないと思うのだが・・・
<現実逃避から現実克服へ!>
映画は便利な芸術だから、料理中にいきなり後頭部にモノを投げつけられるなど、プレシャスが母親のメアリーからトコトン虐待されていても、そんな現実とはかけ離れた夢の世界に逃避しているプレシャスの頭の中をカメラで映し出すことができる。つまり、体力的には十分反撃可能ながら、気の弱さと優しさが災いして(?)母親に反抗できないプレシャスは、いつも頭の中に現実離れしたファンタジーな世界を思い浮かべ、その中に現実逃避することによって何とか毎日を生きていたわけだ。そして、本作が描くのは、そんなゴミ溜めのようなハーレムの中で、頭の中だけで現実逃避して生きていたプレシャスに起きる大きな変化。その変化とは、現実逃避から現実直視と現実克服への変化だ。プレシャスの生き方に変化が見え始めたのは、ワイス先生の指導によって文字を覚え、モノを書き始めた時から。つまり、プレシャスは文字を覚え、物事を表現することの楽しさと意義を少しずつ自分のものと感じることができるようになってきたわけだ。そうでなければ、ミセス・ワイスの前での母娘対決においてもプレシャスはきっとメアリーに負けてしまい、イヤイヤながら母親とまた一緒に住むという消極的選択になっていた可能性が高い。ところが、自分で学び、少しではあっても自分の価値を見つけ始めたプレシャスは、決然と母親からの自立の道を選んだから立派なものだ。
<ラストシーンに注目!>
本作ではラストシーンに注目!ラストシーンにおいてスクリーンは、プレシャスが生まれたばかりの男の子を左胸に抱き、右手では12歳の時に生まれた娘の手を引きながら一人堂々とニューヨーク・ハーレムの中を歩く姿を映しだす。映画の冒頭に見たプレシャスは身体はデカくとも、いつもオドオドして何かに怯えている様子だったが、ラストに見るプレシャスの表情と歩き方は全然違う。素人俳優だから余計にここまでの変身ぶりが目立つのかもしれないが、その変化は現実逃避から現実克服へ舵を切り替えたことによってもたらされた女の子の強さだ。格差、格差と叫んで、弱者保護の政策をいくら上から打ち出してもダメ。やはり本作で見るような人間同士のぶつかり合いの中で本人が学び、生き方を変えていかなければ、前向きの人生なんて実現できるはずはないということだ。
アメリカでわずか18館の公開でスタートしながら大ヒットし、第82回アカデミー賞で助演女優賞と脚色賞の2冠を受賞した本作の力強いメッセージを、力強さに欠ける今の日本人はしっかり学びたいものだ。
2010(平成22)年4月7日記