ボーダー(アメリカ映画・2007年) |
<GAGA試写室>
2010年4月27日鑑賞
2010年4月28日記
ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノの二大俳優がはじめて本格共演!脚本は『インサイド・マン』(06年)に続いて、ラッセル・ジェウィルスが執筆!こりゃ面白いはず。そう、たしかに面白いが、なぜロバート・デ・ニーロとアル・パチーノをコンビの刑事役に?犯人VS刑事とした方が、より2人の個性が引き立つのでは?そう考えるあなたは未熟。そして、まんまと脚本家と監督の術中に・・・。逆に、途中でその狙いがわかれば、あなたは映画の達人?
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督・製作:ジョン・アヴネット
脚本:ラッセル・ジェウィルス
ターク(ニューヨーク市警のベテラン刑事)/ロバート・デ・ニーロ
ルースター(ニューヨーク市警のベテラン刑事、タークのパートナー)/アル・パチーノ
スパイダー(ドラッグ・ディーラー)/カーティス・ジャクソン
カレン・コレリ(女性科学捜査官)/カーラ・グギーノ
ペレズ(後輩の刑事)/ジョン・レグイザモ
ライリー(後輩の刑事)/ドニー・ウォールバーグ
ヒンギス(デカ長)/ブライアン・デネヒー
2007年・アメリカ映画・101分
配給/日活
<注目点その1 ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノの初共演!>
『ゴッドファーザー』(72年)、『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74年)、『ゴッドファーザーPARTⅢ』(90年)の3部作は映画史上に燦然と輝く金字塔。そして、『ゴッドファーザーPARTⅡ』でアカデミー賞助演男優賞を受賞したのがロバート・デ・ニーロ、『ゴッドファーザー』で助演男優賞に、『ゴッドファーザーPARTⅡ』で主演男優賞にノミネートされたのがアル・パチーノだ。以降30年以上にわたって2人は輝かしいキャリアを重ねてきたが、既に1940年生まれのアル・パチーノは70歳、1943年生まれのロバート・デ・ニーロは67歳だ。ところが、本来なら当然定年退職し悠々自適の生活を営んでいるはずの2人を、ニューヨーク市警の現職ベテラン刑事として共演させたのが本作だから恐れ入る。
私が今回はじめて知ったのは、2人が共演したのは『ゴッドファーザーPARTⅡ』と『ヒート』(95年)だが、前者は共演シーンが一つもなく、後者は同じシーンに登場するが、その時間はほんの数分だったということ。そのためハリウッドを代表するベテラン俳優2人の本格的共演は本作がはじめてだから、本作の注目点その1は、2人の共演だ。しかして、卓越した2人の個性をより際立たせるためには、犯人VS刑事という敵対関係にするのがベスト。誰でもそう考えるはずだが、なぜか本作ではロバート・デ・ニーロとアル・パチーノは固い絆で結ばれた20年以上続くコンビという設定だ。小泉純一郎元首相や橋下徹大阪府知事のように、抵抗勢力を浮かび上がらせて対立構造を鮮明にした方が互いの主張がより明確になっていいと思うのだが、ジョン・アヴネット監督はなぜ2人をこんな役柄に?
<注目点その2 ラッセル・ジェウィルスの脚本>
スパイク・リー監督の『インサイド・マン』(06年)は、ジャンプスーツ姿で銀行強盗に入った4人の男たちが、人質にとった50人の職員に同じ服を着せ、濃いサングラスとマスクで顔を覆うことによって、犯人と人質を完全に一体化させるというアイディアが卓越だった。いくら綿密に計画しても銀行強盗の成功は難しいものだが、そんなアイディアによってこの映画では見事に銀行強盗の完全犯罪が実現。
私はその脚本のすばらしさに感嘆し、星5つをつけた(『シネマルーム11』65頁参照)が、その脚本を書いたのが新人脚本家だったラッセル・ジェウィルスだ。そして彼の2作目の脚本に惚れ込んだのがロバート・デ・ニーロらしい。ロバート・デ・ニーロは脚本を読んで出演を即決するとともに、彼のパートナーとなる役に「これを演じられるのは、彼しかいない」と自らアル・パチーノを指名したらしい。ロバート・デ・ニーロがそれほどラッセル・ジェウィルスの脚本に惚れ込んだのはなぜ?また、アル・パチーノを共演者に指名したのはなぜ?そこらあたりが本作鑑賞のポイントだ。
他方、本作の私の採点は星4つだから、『インサイド・マン』ほどではないが、それはなぜ?それは、私にはある時点から犯人の特定ができてしまったからだが、さてあなたは・・・?
<このコンビの優秀さは?暴走ぶりは?>
邦画に登場する日本の刑事は概ね遵法精神に富み紳士的だ(?)が、ハリウッド映画に登場する刑事は時々暴走する奴がいる。さしずめ、クリント・イーストウッドの代表作のひとつ『ダーティハリー』(71年)などはその典型だ。本作冒頭にみる、ターク(ロバート・デ・ニーロ)とルースター(アル・パチーノ)のコンビによるドラッグ・ディーラーのスパイダー(カーティス・ジャクソン)に対する「おとり捜査」とその失敗から起きたド派手な銃撃戦をみると、その感が強い。
タークとルースターがおとりに使ったのは、たまたまトイレでひっかけた(?)美人の女性弁護士。その女性弁護士を半分脅迫しながらにわか仕立ての「潜入捜査員」として使うのだから、そのやり方はかなり汚い。20年以上のベテラン刑事にもなると、それくらいの厚かましさが身につくのは当然?もっとも、タークとルースターは過去数々の凶悪犯を検挙した優秀なコンビであるうえ、今でも射撃の腕は超一流。しかも毎日ジムで身体を鍛えていたから、後輩コンビのペレズ(ジョン・レグイザモ)とライリー(ドニー・ウォールバーグ)両刑事が先輩コンビの域まで追いつくのはかなり難しそう。
しかし、ことほど左様に行きすぎた捜査がたびたび問題を起こすから、デカ長のヒンギス(ブライアン・デネヒー)は暴走馬の管理が大変だ。そこで今回は、ニューヨーク市警内の精神分析医によるカウンセリングを受けさせることになったのだが、2人はおとなしくこれを受診?
<イマイチ意味不明の邦題だが、実は意味シン?>
タークとルースターがカウンセリングを受けさせられている最中に次々と連続殺人事件が起きたが、その共通点の第1はその被害者がいったんは逮捕されながら証拠不十分で釈放された男たちであること。第2は犯行現場に犯行の理由を詩の形にしたメモが残されていたこと。犯人はなぜそんなことを?
タークとルースターそしてペレズとライリー、さらに科学捜査官の美人刑事カレン・コレリ(カーラ・グギーノ)らが捜査を進めていくと、次々に起きる犯行の被害者は過去タークとルースターが逮捕しながら釈放されてしまった男たちであることが判明。その結果、容疑の目がそれらの男といつも激しく対立していたタークに向かったのは仕方のないところ。そのうえ、私たち観客の目にはタークが「14人の犯行はすべて自分だ」と自白しているビデオの映像が流されるから、観客が連続殺人事件の犯人がタークだと考えるのは当然だ。
ところで、『ボーダー』とは「境界」の意味だが、なぜそんな邦題が?それに対して本作の原題は『Righteous Kill(ライチャス・キル)』で、これは「道理のある(正義の)殺し」という意味。法律は「無罪の推定」が原則だから、法のシステムによって処罰されず無罪になるケースがあるのは当然だが、被害者や刑事にとってそれは容認できないことが多い。そこで時々、刑事が裁判官や神サマに代わって「犯人」に対して鉄槌を下すという考え方やそれを映画にしたものが登場するが、本件におけるタークはまさにそれ?たしかに本作にみる被害者たちは、殺人やレイプなどをくり返しながら法的処罰を免れていた「社会のクズ」だから、それをタークが次々と片づけていくのは大いに道理のある正義に沿った活動?そう言えないこともないが、そうするとそんな道理のある殺人とそうでない殺人との「ボーダー」はどこに?
イマイチ意味不明の邦題だが、そんな風に考えると、その意味がしっかり理解できるはずだ。
<タークへの疑惑が深まる中、ルースターだけは?怒濤の展開は?>
殺人事件の重要なポイントは動機。そして、動機を探る時に大切なことは、被害者と接点をもつ人間の絞り込みだ。十数名の死体が次々と発見される中、犯人は被害者の生活習慣や性癖まで熟知していることが明らかになったから、すべての被害者についてそんな情報を持っているのは警察官?「犯人は警官だ」と最初に声に出したのはルースター。そしてそれに同意したのは、タークと折り合いの悪い後輩コンビの一人ペレズだった。その後ペレズの疑惑は直線的にタークに向かっていったが、それは被害者のすべてがタークと対立していた男たちだったから。しかし、そりゃタークにとっては迷惑千万な話だ。
ところが次なる被害者として、大勢の少年たちを犯した性犯罪者の神父が発見されると、タークへの疑惑は決定的に。それは、子供の頃この神父から初聖体を授けられたのがタークだったからだ。激しくタークが動揺する中、ペレズからの「説得」を受けてデカ長やカレンまでタークに対して疑惑の目を向け始めたから大変。しかも、私たち観客の目には折りにふれてタークが自白しているビデオが流されているから、私たちはみんなタークが犯人だと思い込んでいくのは当然。ところが、そんな中ルースターだけは、「あの刑事の鑑のようなタークがそんなことをするはずがない」と頑にターク犯人説を否定。そりゃ20年以上もコンビを組んだ相棒として相方の無実を信じたいのは当然だが、さてラストに向けて展開される波乱のネタばらしとは?
それを言っちゃおしまいなので、二大ベテラン俳優が激突する怒濤の展開はあなた自身の目でしっかりと。
2010(平成22)年4月28日記