鉄男 THE BULLET MAN(日本映画・2009年) |
<GAGA試写室>
2010年5月7日鑑賞
2010年5月11日記
面白いだけの(?)ハリウッド製『アイアンマン』(08年)や『ウルフマン』(10年)に比べ、『鉄男 THE BULLET MAN』は人間の本性へ切り込むから奥が深い。人間の身体が鉄になる?そんなバカな!そんなテーマに20年間も真面目に取り組んできた塚本晋也監督が、本作にぶつけた問題意識とは?鋼鉄に化す原動力は怒り。すると、その変化は自律的?それとも他律的?今のニッポン、あなたの怒りは?その怒りのはけ口とおさめ方は?それを真剣に考えることが「日本沈没」の防止策かも?
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監督・脚本・原作・撮影・美術・特殊造型・編集:塚本晋也
アンソニー(“鉄男”、東京で働くサラリーマン)/エリック・ボシック
ゆり子(アンソニーの妻)/桃生亜希子
美津枝(アンソニーの母)/中村優子
ライド(アンソニーの父)/ステファン・サラザン
“ヤツ”(謎の男)/塚本晋也
2009年・日本映画・71分
配給/アスミック・エース
<「変身」は自律的?それとも他律的?鉄男の場合は?>
『アイアンマン』(08年)は「最も強力な武器をつくることが平和への一番の近道」という理屈に沿って強力なパワードスーツをつくり、これを着用することによってアイアンマンに変身するから、その変身は自律的(『シネマルーム20』22頁参照)。これに対して5月2日に観た『ウルフマン』(10年)は、自分の身体の中に流れている血によって満月の夜になると否応なく人間から狼男に変身してしまうから、その変身は他律的。これをみれば、同じ「変身」でも自律的なものと他律的なものがあることがわかる。しかして『鉄男 THE BULLET MAN』の主人公アンソニー(エリック・ボシック)の“鉄男”への変身は?
それは、他律的であると同時に自律的。なぜなら、アンソニーが“鉄男”に変身しさらに強力な銃器まで備わるのは、アンソニーの怒りが最高潮に達した時という設定だから。したがって本作にみる“鉄男”への変身は『アイアンマン』や『ウルフマン』より設定が複雑だ。『アイアンマン』も『ウルフマン』もそれなりに面白かったが、第66回ベネチア国際映画祭コンペ部門に出品され「全世界を揺さぶる」影響を与えたのは、本作がそんな設定によってより深く人間の本性に切り込んでいくことができたためだ。
<映像と音楽に注目!>
私は塚本晋也監督の『鉄男 TETSUO』(89年)も『鉄男Ⅱ BODY HAMMER』(92年)も観たことがなく、はじめて塚本晋也作品で感心したのは『六月の蛇』(02年)。「エロス」をテーマとし、2002年の第59回ベネチア国際映画祭コントロコレンテ部門で審査員特別大賞を受賞したこの映画は、かなりマニアックな映画だったが黒沢あすかのインパクトが強かったこともあって私は大好きで、星5つをつけた(『シネマルーム3』359頁参照)。
他方、同じ塚本晋也作品で「夢」をテーマとした『悪夢探偵』(06年)は、私の大好きな歌手hitomiを抜擢したのは大正解だったが、夢と現実が入り混じるストーリーはあまりにわかりにくく内容的にはイマイチで、私の採点は星3つだった(『シネマルーム13』392頁参照)。もっとも、『悪夢探偵』というタイトルどおり、この映画は不安定に揺れ動くカメラワークが特徴で、この点はしっとりとしたカメラワークが印象的だった『六月の蛇』とは大違いだった。しかして『鉄男 THE BULLET MAN』のカメラワークは『ウルフマン』と同じように、人間が“鉄男”に変身していく様をいかにカメラに収めるかが最大のポイントだから、本作は明らかに『悪夢探偵』型だが、短いショットを積み重ねていく映像の美しさと激しさに注目!
他方『ウルフマン』の音楽では、もの哀しくも恐ろしい「死を悼む身の毛もよだつその雄叫び」がポイントだったが、本作では怒りが高まり変身していく中で激しくなっていく鉄の擦り合う音をいかに表現するかがポイント。撮影・美術・特殊造型などの映像を担当するのは塚本監督自身だが、音楽は長年塚本作品を担当してきた石川忠だから、2人の呼吸はピッタリ。塚本作品はどれもそうだが、本作は特にそんな映像と音楽に注目!
<本作のテーマは「怒り」VS「制御」、そして「憎しみ」VS「愛」>
アンソニーは東京で愛する妻ゆり子(桃生亜希子)と3歳の一人息子トムと暮らしながら、外資系企業に勤めている普通のサラリーマン。他方アンソニーの父親ライド(ステファン・サラザン)はかつて優秀な科学者で、妻の美津枝(中村優子)を亡くして以来、アンソニーとトムの健康に異常なほど気を遣うようになった。そんなライドがアンソニーにいつも言っていたのは「怒りを制御すること」だが、それは一体なぜ?
そんなアンソニーだったが、映画の冒頭アンソニーの目の前でトムが何者かによって轢き殺されたのを見て怒りに震えたのは当然。ところが、その怒りすらアンソニーは父親の教えを守って制御しようとしていたから、アンソニーはかなりヘンな奴?「あなたの息子が殺されたのよ!犯人を捜して!」と迫ったが、それでもアンソニーは亡き母が歌ってくれた子守歌で怒りを制御しようとしていたから、ゆり子はカンカンだ。もっとも、そんなことで制御できれば苦労しないが、そりゃとてもムリ。そんな葛藤の中、少しずつアンソニーの身体に起きてきた異変とは?
息子の死亡に続いて起きた第2の事件は、宅配業者を装った男や、謎の男“ヤツ”(塚本晋也)によるアンソニーへの直接攻撃。「轢き殺した息子の方が手強かったぜ」との“ヤツ”のセリフに、アンソニーの怒りが最高潮に達したのは当然だ。そんな中、遂にアンソニーの身体は“鉄男”に変身するとともに、腹部からは無数の銃弾が。
なるほど、本作のテーマは「怒り」VS「制御」。そして、冒頭に提示されたそんなテーマは、きっとラストには「憎しみ」VS「愛」というテーマになるはず。
<なぜ舞台を東京に?なぜ「英語劇」に?>
去る4月19日に観たギャスパー・ノエ監督の衝撃作『エンター・ザ・ボイド』(10年)も「魔都TOKYO」が舞台だったが、男の怒りが爆発し“鉄男”に変身していく本作の舞台も東京。本作では映画中盤に至ってやっと、監禁から解放されたライドの口から「家族の真実」が明らかにされるが、人工人体の研究、“鉄男”プロジェクト、人造人間兵器の研究がなぜ東京で?プレスシートやネット情報によると、塚本監督は『鉄男』シリーズ第3作となる本作では舞台を東京にすることにこだわったらしいが、それは一体なぜ?折りしも、5月1日からは上海万博が開催されている。「魔都」の先輩は上海だから、混沌とした都市と、その中で生まれる不条理な“鉄男”への変身を描くのなら上海の方が適切かもしれないが、今や上海は洗練された先進都市?『エンター・ザ・ボイド』にしても本作にしても、東京を舞台としたのは東京=混沌とした都市というイメージになっているためだが、それって名誉なこと?それとも・・・?
他方、本作は邦画ながら全編英語劇となっている。アンソニーはアメリカ人だから英語をしゃべれるのは当然だが、日本で生活している以上父親のライドも含めて日本語が話せるはず。また『鉄男』シリーズでは一貫して塚本監督が“ヤツ”役を演じているが、彼は日本人だから日本語をしゃべるのが普通。なのに、なぜ本作を全編英語劇に?ネット情報によると、アメリカの人気サイトcomingsoon.netのエドワード・ダグラス氏は、「ただ、この映画を全編英語でやる必要性については、イマイチわからないな」と述べ、またメニスカス・マガジンのクリストファー・ボーン氏は「ただ、塚本監督も含め、日本人俳優の英語のセリフが気になってしまった。むしろ日本語で撮影して、字幕を入れても良かったと思ったくらいだ」と述べているから、全編英語劇の試みはイマイチ不評?英語の聴き取り能力のない私にはその出来具合の評価はムリだが、あえて英語劇にする必要はなかったのでは?
<“ヤツ”との「対決」は?怒りの行く末は?>
『ウルフマン』では、ベニチオ・デル・トロ扮する新米ウルフマンであるローレンスとアンソニー・ホプキンス扮する老練なウルフマンであるタルボット卿との対決がストーリー上も映像上もクライマックスだったが、その結末は概ね予想どおり。すなわち、ローレンスがタルボット卿を倒すわけだが、所詮ウルフマンの宿命から逃げることができないローレンスは、愛する女性グエンの腕の中でグエンの拳銃によって息絶えることに。
それと同じように、本作前半の見せ場である傭兵部隊との激しい銃撃戦に続く後半のクライマックスは、さかんにアンソニーを挑発する“ヤツ”と今や完全に“鉄男”に化してしまったアンソニーとの対決。苦悩の末に、そして怒りの末にバケモノのような姿に変わり果てた夫の姿を見てゆり子が驚愕したのは当然だが、「“ヤツ”を倒さない限り終わらない」と執念を燃やしながら“ヤツ”との対決に挑む夫の姿をみて、今彼女の胸の中を駆けめぐる思いとは?そして、“ヤツ”との激しい対決の行方とは?
<究極の暴力は戦争、しかし「無意識の暴力」とは?>
プレスシートを読むと、塚本監督はえらく難しい哲学論(?)を語っている。その第1は「人が鉄になる、というのは、都市に生きる人間のメタファー」だということ。第2は、やっと見つけた「新しい方向性とは、戦争をしてしまうかも知れない自分たちの心と体」だということ。さて、この塚本流の問題意識をあなたはどこまで理解し、共有できる?
私が今あきれ果てているのは、普天間基地問題に対する鳩山由紀夫総理の対応と5月10日に発表された参議院選挙に谷亮子選手を立候補させるとのニュース。普天間基地問題は「迷走」を通り越して「赤っ恥」を世界中に発信しているようなもの。この国の安全保障は、そして合意形成システムは一体どうなってるの?他方、五輪メダリストやプロ野球選手等の有名人頼みの選挙に、民主党も自民党もそして中畑清氏を候補者と決めた「たちあがれ日本」も一直線だが、これって結局国民がバカだということを宣言しているようなものでは?塚本監督が「今最も恐ろしいもの、それは戦争の恐怖が分からない無意識の暴力だと思います。」と述べている問題意識を私がどこまで理解できているかはわからないが、現在の政治不在と一億総白痴化している日本の現状を憂う私の気持は塚本監督の前述の問題意識とそれほど違わないのでは。
2010(平成22)年5月11日記