グリーン・ゾーン(アメリカ映画・2010年) |
<TOHOシネマズ梅田>
2010年5月16日鑑賞
2010年5月18日記
大量破壊兵器は存在しなかった!すると、2003年3月19日イラク開戦の正当性は?アメリカは民主主義の国、自由の国。だからこそこんな政府批判映画(?)がつくれるわけだが、同時に平気で国民を騙す国?他方、情報源の正確性について、一介の現地指揮官がここまで文句をつけられるの?マット・デイモンの動きをみていると、日本の5.15事件や2.26事件を彷彿?決してそんなことはないが、こんな行動はかなりの絵空ゴト?黒澤明監督の『七人の侍』(54年)における真の勝者は百姓だったが、さて本作の勝者は?
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監督・製作:ポール・グリーングラス
ロイ・ミラー(米国陸軍上級准尉MET隊隊長)/マット・デイモン
クラーク・パウンドストーン(国防総省情報局)/グレッグ・キニア
マーティン・ブラウン(CIA調査官)/ブレンダン・グリーソン
ローリー・デイン(「ウォール・ストリート・ジャーナル」記者)/エイミー・ライアン
フレディ(イラク人男性)/ハリド・アブダラ
ブリッグス(米国陸軍少佐)/ジェイソン・アイザックス
アル・ラウィ将軍(フセイン政権最高幹部)/イガル・ノール
大佐/アントニ・コロン
2010年・アメリカ映画・114分
配給/東宝東和
<大量破壊兵器はあったの?それとも、なかったの?>
2003年3月19日、イラク空爆開始。私を含む多くの日本人はまるで戦争ゲームのようにテレビ映像でその様子を見ていたが、ブッシュ大統領がイラク戦争を決断したのは、大量破壊兵器(WMD)を持っているサダム・フセイン政権をたたくため。ブッシュ大統領と蜜月関係にあった、時のわが国の総理・小泉純一郎はイギリスのブレア首相とともに全面的にアメリカへの協力を約束したが、さて開戦の根拠となった肝心の大量破壊兵器はあったの?それとも、なかったの?
フセイン政権の崩壊により5月1日には戦闘終結宣言がなされ、その後大量破壊兵器の存否をめぐる大規模な調査と激論が展開されたが、結局存在しなかったことが確認された。そしてそれが、2008年11月4日のアメリカ合衆国大統領選挙においてオバマ民主党大統領を誕生させる大きな理由となったことは周知の事実だ。しかして、なぜブッシュ大統領は存在しない大量破壊兵器が存在すると主張してイラク開戦に踏み切ったの?フセイン大統領の「ないことは証明できない」との主張もわからないではなかったが、あの居直ったような憎たらしい(?)言い方ではそれは信用できず、「きっとあるに違いない!」と怯えたため?それとも?
もし、万が一ブッシュ大統領が大量破壊兵器は存在しないと知っていながら、それを口実に使ってイラク戦争を始めたとしたら?そんなバカな?本作のポール・グリーングラス監督はそんな大胆な仮説(?)を本作で大展開。中国ではとても考えられないそんな映画の公開に私はビックリ!さすがアメリカは民主主義の国!しかし、同時に平気で国民にウソをつく国?
<主人公の身分は?立場は?>
本作の原案になったのは、ラジブ・チャンドラセカランが書いた『グリーン・ゾーン』。「グリーン・ゾーン」とはナニ?それは本作を観てしっかり勉強してほしいが、本作ではそれが直接のテーマになるわけではない。
『ボーン・スプレマシー』(04年)、『ボーン・アルティメイタム』(07年)と2本続けて大成功を収めた、ポール・グリーングラス監督とマット・デイモンのコンビ3作目となる本作における主人公ロイ・ミラー(マット・デイモン)の身分は米国陸軍上級准尉で、MET隊の隊長。MET隊の任務は大量破壊兵器の捜索だが、過去2度も失敗したうえ、映画冒頭で展開される3度目のそれも見事にカラ振り。こりゃ一体なぜ?そこでロイが抱いた疑問は、大量破壊兵器に関する情報の正確性だが、作戦会議で情報源の説明を求めたロイに対して、上官から「情報は精査されている。黙って従えばいいのだ」と切り返されたのは当然。いくらロイがMET隊の隊長だといっても、ロイの階級は上級准尉にすぎない。軍隊における指揮・命令系統は絶対だから、上からの命令を無視してロイが勝手に動けないのは当然。にもかかわらずロイは・・・?
<現場の軍人がなぜここまで?>
ところが、次の捜索場所アル・マンスール地区で英語が堪能なイラク人のフレディ(ハリド・アブダラ)から、フセイン政権の要人たちが近くの民家に集まっていたという情報を得たロイが取った行動はかなり独善的。現場指揮官にはある程度の裁量が認められているから、フレディの情報を信頼してロイが次の作戦をとることくらいは認められるかもしれないが、それだって報告・連絡・相談(いわゆるホウレンソウ)という当然のプロセスを経なければならないはず。そんな手続を省略して、民家での銃撃戦の末フセイン政権の最高幹部、アル・ラウィ将軍(イガル・ノール)の側近の男サイード・ハムザを拘束したロイはその尋問を行おうとしたが、そこに突然登場してきたのがブリッグス(ジェイソン・アイザックス)率いる特殊部隊。サイードから押収していた手帳を「引き渡せ」と少佐から要求されたのに、それを拒むのは明らかに命令違反では?
おりしも本作を観た前日の5月15日は、日本では1932(昭和7)年に5.15事件が起きた日。2.26事件もその4年後の1936年のことだ。若手軍人がいろいろと国のことを憂えるのは悪くはないが、自分の立場を超えた政治的行動をとるのはいかがなもの?そんな視点で考えると、ロイの行動は大いに問題あり?
<アメリカにも、縦割りの弊害が?>
縦割り社会の弊害は「省益あって国益なし」と言われる日本の官公庁組織において顕著だが、それは民間企業だって同じ。また、それはアメリカだって同じだということが本作をみればよくわかる。縦割り社会の弊害が生まれるのは、巨大な組織を構成する人間たちがそれぞれ自分の部署だけしか見えなくなるため。
私が思うに、イラク開戦についてアメリカ全体のことを考えて行動すべきは、何よりも国防総省情報局のクラーク・パウンドストーン(グレッグ・キニア)。アメリカ中央情報局(CIA)調査官のマーティン・ブラウン(ブレンダン・グリーソン)が、そこにどのように関与するの?それが私にはよくわからない。したがって、大量破壊兵器捜索の情報の正確性に疑問を提起するロイに対してブラウンが関心をもち、ロイをMET隊からCIAの一員に引き入れるプロセスも理解が難しい。大量破壊兵器の存否をテーマとし、結局それが存在しなかったという問題提起をするための映画をつくり、それを約2時間にまとめる必要があるとしても、こりゃあまりにも現実離れしているのでは?
さらに本作には『ウォール・ストリート・ジャーナル』の女性記者ローリー・デイン(エイミー・ライアン)が登場する。彼女はパウンドストーンから「マゼラン」という謎の人物の情報提供を受けて記事を書いたわけだが、その情報源の確認は?政府高官の話なら、裏付けなしでOK?国防総省情報局やCIAという国家の中枢機関でも縦割りの弊害があるうえ、その縄張り争いがここまで深刻だったことに私はビックリ。さらに、パウンドストーンの情報操作に民間記者のローリーがここまで取り込まれていたことにビックリ。
本作が如実に示す「縦割り行政の弊害」を反面教師として、普天間基地移転問題によってあらためて提起された日本にとっての最重要課題である安全保障問題について、「縦割り行政の弊害」を今真剣に考えてみなければ・・・。
<手持ちカメラ=臨場感も、良し悪し?>
ハードなアクションシーンが売りものの『ボーン』シリーズにおける前作『ボーン・アルティメイタム』の評論で、私は「カメラマンも大変……」という小見出しのもと「スクリーンが乱れたり揺れたりしているのは、カメラマンの持つカメラが揺れているためだが、そんな乱れや揺れを逆に存分に楽しまなくちゃ……。」と書いた(『シネマルーム16』173頁参照)。しかし、実はそれは半分皮肉。正直なところは、なかなか目がついていかず作品の鑑賞は大変だったということを言いたかったのだが、スクリーンの乱れや揺れは本作も同じかそれ以上。
本作のクライマックスはロイの独断専行によるアル・ラウィ将軍との直接交渉(出頭要請)への道のりだが、それが生半可なものでないのは当然。「マゼラン」という謎の人物と「ヨルダン」という地名が本作後半のキーワードとなるが、高度な国家秘密に一介の現場指揮官たるロイがどこまで迫れるの?ロイのあまりにも独断専行的な行動に怒ったパウンドストーンはアル・ラウィ将軍の口封じとともにロイの抹殺をブリッグス少佐に命じたが、さてその展開は?還暦を迎えたと思ったらまたすぐに1年が過ぎ61歳となっている私には、本作後半で展開されるスピーディーな追跡劇の鑑賞はかなりしんどい。手持ちカメラ特有の臨場感が本作の売りだが私にとっては手持ちカメラ=臨場感も、良し悪し?
<勝者は誰?>
黒澤明監督の『七人の侍』(54年)では、七人の侍を率いた志村喬演ずる島田勘兵衛の「勝ったのは我々雇われた武士ではない。あの百姓たちだ」とのセリフが印象に残ったが、さて本作における勝者は誰?某会議でアル・ラウィ将軍に約束されていたのは、新国家建設のあかつきには自分がそのリーダーになれるということだった。ところが、ロイの勝手な動きによって重大な秘密がバレそうになったパウンドストーンが緊急にとった措置は、①現存イラク軍の解体、②軍における階級および身分の剥奪というものだったから、アル・ラウィ将軍は激怒。
本作ラストに訪れるクライマックスは、なおアル・ラウィ将軍にイラク軍の必要性を説き、協力する人間もいるので取引に応じるよう説得するロイと、ロイもろともアル・ラウィ将軍を抹殺してしまおうとするパウンドストーンおよびブリッグス少佐との激突。手持ちカメラが揺れ動く中で高速カット割りが続くそんなクライマックスは、目が疲れるうえ全体像の把握も容易ではない。そんな中、それまでロイの側に付き添い協力していただけのフレディが銃を持って現れ、ある行動を。なるほど、これが本作のアピールしたかったこと?
フレディの主張は、映画中盤から少しずつ明らかにされていくが、それは「イラクのことを真剣に考えているイラク人だっているんだ!」ということ。「この国のことを決めるのは私たちだ」「あなたたちにこの国のことを決めさせない」。最後にフレディがみせるそんな強い意志は、『七人の侍』の影の主役だった百姓たちの意志と同じだったのかも?
2010(平成22)年5月18日記