必死剣鳥刺し(日本映画・2010年) |
<東映試写室>
2010年5月27日鑑賞
2010年5月29日記
藤沢周平原作映画の7作目。「必死剣」とは何とも縁起が悪いが、どんな剣?また、「鳥刺し」で人が斬れるの?しかしてまずは、一瞬で決まるこれまでの殺陣とは違う、長丁場の生々しい殺陣に注目!次に、あっと驚く権力闘争の種明かしと、一夜限りのラブシーンに注目。そして、第3の注目は『ジョゼと虎と魚たち』(03年)の怪演とは異質の、静かな熱演をみせた池脇千鶴。あの熱く訴えかけるような目で見つめられれば、男なら・・・。星5つは『たそがれ清兵衛』(02年)、『武士の一分(いちぶん)』(06年)に続く3本目だが、あなたの採点は?
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監督:平山秀幸
原作:藤沢周平『必死剣鳥刺し』(文春文庫『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』所収)
兼見三左エ門(海坂藩士)/豊川悦司
里尾(三左エ門の亡妻・睦江の姪)/池脇千鶴
帯屋隼人正(海坂藩別家)/吉川晃司
津田民部(海坂藩中老)/岸部一徳
保科十内(海坂藩士)/小日向文世
睦江(三左エ門の妻)/戸田菜穂
右京太夫(海坂藩七万石の藩主)/村上淳
連子(右京太夫の愛妾)/関めぐみ
2010年・日本映画・114分
配給/東映
<独断と偏見による、藤沢周平原作映画の星数は?>
山田洋次監督が時代劇に初挑戦した『たそがれ清兵衛』(02年)はすばらしい出来だった(『シネマルーム2』68頁参照、星5つ)。それに味をしめた(?)監督は以降『隠し剣 鬼の爪』(04年)、『武士の一分(いちぶん)』(06年)と藤沢周平原作映画を続けたが、私の採点は星4つ(『シネマルーム6』188頁参照)と星5つ(『シネマルーム14』318頁参照)といずれも高得点。そんな流れの中、藤沢周平原作映画が黒土三男監督の『蝉しぐれ』(05年)、篠原哲雄監督の『山桜』(08年)、中西健二監督の『花のあと』(09年)と続いたが、私の採点はそれぞれ星3つ(『シネマルーム8』200頁参照)、星4つ(『シネマルーム19』394頁参照)、星4つとまずまず。しかして、今回の平山秀幸監督の本作の星の数は5つ!
その根拠の第1は、クライマックスに訪れるダイナミックで生々しい殺陣の面白さ。もっとも、これは今までの藤沢周平原作映画とは大きくテイストが異なっているから、好き嫌いがあるかも。第2は、ラストに明らかになる、あっと驚くストーリーの意外性。なるほど、いつの時代もすごい権力闘争があるものだと実感。そして第3は、私の独断と偏見にもとづく池脇千鶴の熱演。『花のあと』は北川景子の美しい女剣士姿が「売り」だったが、藤沢周平原作映画らしくあまりにもアッサリした味だった。したがって、それを私流に表現すればたくあん風?それに対して、本作の主人公・兼見三左エ門(豊川悦司)が示す人間像は生々しくかつ力強いから、キムチ風?私はたくあんも好きだが、やっぱりキムチの方が味わい深い?
<こんなバカ殿やこんな時代に比べると、まだマシ?>
2009年8月30日の総選挙による政権交代によって発足した鳩山内閣への高支持率は、今や急下落。普天間基地移転問題をはじめとする、今の体たらくは一体ナニ?期待をもってその取り組みを見ていただけに、私も今や絶望的。来る7月11日の参議院選挙ではホントに誰に投票したらいいのかわからない状態だ。しかし待てよ。国民の投票によってその失政を是正することができるのだから、バカ殿・右京太夫(村上淳)が支配するあの時代の7万石の藩民よりはまだマシ?
江戸時代にあっては一国一城の主である藩主は絶対的な権力者だから、愛妾の1人や2人を持つことには誰も文句はない。しかし、いくら絶対的な権力者であってもそれを補佐する家老をはじめとする政治(藩政)システムは決まっているのだから、愛妾がそれに口出しし、藩主がそれに乗って意思決定するというのは絶対ダメ。古代中国では、天子は天命を受けて天下を治めるとされていたから、こういう場合、天命が改まり王朝が変わることが認められていた。これがつまり、中国周代の占いの書で五経のひとつである『易経(革卦)』のいう「革命」だ。
しかし日本ではそんな思想がないから、藩政補助スタッフたちはもちろん実力抜群の中老・津田民部(岸部一徳)といえども為す術がないらしい。そんな中、奥御殿での浪費、無慈悲な年貢取立てなど悪政は進むばかり。そこで映画冒頭にみる、280石の中級武士で物頭の役目にある三左エ門による白昼堂々の右京太夫の愛妾・連子(関めぐみ)殺人事件が発生したわけだ。こんな「テロ」しか藩政をあらためる方法がないあの時代に比べれば、選挙で国民の意志を示すことができる今はまだマシ・・・?
<なぜこんな寛刑に?なぜ近習頭取に?>
三左エ門の罪が殺人罪であることは明らかだから、問題はその量刑。犯行実行後おとなしくお縄についたことを重視すれば情状酌量の余地ありだが、逆に確信犯で全く反省がないことを重視すれば量刑は重くなる。ちなみに、昨年5月21日に施行された裁判員法による裁判員裁判によれば、多くの裁判員は三左エ門が連子を殺した動機は藩のため、義憤のためであると理解できるから、それには同情できるし共感すら覚える面がある。したがって、こんな殺人事件こそ裁判員裁判でやれば執行猶予がつく可能性が高いことになる。
ところが現実には、三左エ門を裁く裁判官は自分の愛妾を殺されたバカ殿その人だから、いわば被害者側が加害者を裁く構造になる。したがって、そこに報復刑的要素が入るのは仕方ない。そうすると、誰が考えても三左エ門の刑は切腹ならまだマシで、打ち首という極刑の可能性が高い。誰もがそう考えたし、三左エ門自身もそれを覚悟していたらしいが、下された沙汰(判決)は、禄高を減らしたうえ、1年間の閉門という寛刑だった。優秀な弁護士がついたわけでもないのに、なぜそんな判決に?
それが第1の疑問だが、1年間の閉門が終わるか終わらないかのうちに今度は禄高を復活させてくれたうえ、近習頭取つまり藩主の側に仕える重大な役目に就くことに。こりゃ一体なぜ?それが本作全編を貫くミステリー。この時点でこの謎が解けたなら、あなたの推理力は大したもの!
<テロ実行の功罪は?その判定は難しい>
本作の主役は、星5つの傑作『今度は愛妻家』(09年)で何とも面白いダメ亭主ぶりを見せた豊川悦司。しかし、そのキャラは前作とは大違いで寡黙で実直、そのうえ天心独名流の剣豪らしいが、その全貌が明らかになるのはラスト。太平洋戦争当時の神風特攻隊やイラクやアフガンに登場する自爆テロは、上からの命令に純真に(盲目的に?)従う若者たちによる行為だが、本作にみる三左エ門のテロ実行はあくまで1人で考え1人で実行したもの。しかして、三左エ門はその実行をいかなる考えで?
そこで興味深いのは、三左エ門のテロ実行の決意は、愛妻・睦江(戸田菜穂)との死別後だということ。三左エ門が連子殺害に及んだのは、愛妻・睦江が病で先立ってしまったため。つまり、これによって生きる希望を失い、そんな自分の命なら悪政の元凶を絶つために捧げてもいいと割り切ったためだ。しかし逆にいうとこれは、睦江と幸せな家庭生活を送っていれば、三左エ門はテロ行為に及ばなかったということ。すると、三左エ門がテロを実行した動機のメインは睦江の死によって生きる希望を失ったためで、政治改革は従だったことに?そう考えると、政治的意識の高い革命家ではなく一般ノンポリ藩士だったのかも?
さらによく考えてみれば、三左エ門が連子殺害後の藩政改革のあるべき姿を示していないのが弱点。つまり、三左エ門のテロ行為が吉と出るか凶と出るかは、バカ殿次第。つまり右京太夫が愛妾を失ったことによってヤケになり、より暴政を強めることになれば三左エ門のテロ行為はムダだったばかりか、バカ殿の暴走に火をつけたことになってしまう。そう考えると三左エ門の謹厳実直ぶりはわかるものの、あまり頭がいい男とはいえないことになる。それに比べると、少し格上の友人・保科十内(小日向文世)の方が、評論家的、日和見主義的とはいえ大所高所から藩政を見渡していたのかも?つまり、バカ殿が愛妾・連子に飽きる時期まで藩政改革を待つという戦略をたてていたのかも?そんな風にいろいろ検討すると、テロ実行の功罪の判定は難しい。
<2人の対照的なキーマンに注目!>
戦後民法の相続法における最大の改正点は、家督相続の廃止と相続人たる子の遺産の均等相続。もちろんその長所はいっぱいあるが、逆に短所として子の間での相続争いが激しくなったり、〇〇家の財産が分散し、いつの間にか雲散霧消していたというケースもある。
本作の時代はもちろん家督相続だから、いかにバカ殿でも右京太夫が藩主となればその兄弟やいとこは分家となり、いくら優秀でも藩主から声がかからない限り藩政にタッチすることはありえない。本作に登場する別家・帯屋隼人正(吉川晃司)は直心流の達人であるうえかなりの正義漢だから、バカ殿に対して1番ピシピシと意見が言える立場らしい。しかし、バカは自分のバカさ加減を指摘されることを1番嫌がるものだから、右京太夫にとって隼人正はきっと疎ましい存在?藩政への連子の口出しがひどくなる中、バカ殿の面前で展開される隼人正と連子の「政策論争」は見応えがある。そのどちらが正しいかは誰が見ても明らかだが、そこで下した右京太夫の裁定とは?
他方、近時多くの作品で渋くいい味を出しているのが、元グループサウンズ「タイガース」の岸部一徳。その岸部一徳演ずる津田民部は中老だからもっと上席の家老もいるはずだが、いわゆる「実力者」というやつで、彼は筆頭家老よりも藩主への発言権が強いらしい。そうは言っても、鳩山由紀夫総理ベッタリの平野博文官房長官のような側近ではないから、いくら切れ者の民部だって藩主と意見が合わず疎まれたら大変。こんなバカ殿のお守りをしながら藩政を維持していく民部も大変だが、バカ殿の暴走が目に余る今、民部はいかなる対応策を?
本作のキーマンはこの2人。年貢の増税に異を唱えた農民たちを打ち首にし、その首を刑場にさらすまでになった右京太夫の暴走を止めることができるのは俺だけ。若く直情的な隼人正がそう考えたのは当然だが、それは同時に直心流という自分の腕に自信があるため。そんな隼人正がついにとった行動とは?他方、あくまで右京太夫を補佐する立場にある民部が、右京太夫をそして海坂藩を守るためにとった方策とは?
<池脇千鶴はこんな役がピッタリ>
私が星5つをつけた名作『ジョゼと虎と魚たち』(03年)では、池脇千鶴演じる身障者のジョゼことくみ子の乳母車での包丁を持った登場にビックリ。そして、その演技の達者さに大いにしびれたもの(『シネマルーム7』185頁参照)。そんな池脇千鶴だが、最近はちょっと太り気味の感がある(?)うえ、『犬と私の10の約束』(08年)(『シネマルーム19』321頁参照)や『感染列島』(08年)(HP掲載)での存在感は作品の平凡さもあってイマイチ。さらに『スイートリトルライズ』(09年)(HP掲載)で、ダブル不倫の一員として色気ムンムンで登場した池脇千鶴は作品のレベルの低さと相まって最悪。彼女の訴えかけるような目の演技は絶品だが、『スイートリトルライズ』ではその色気があまりにも過剰だった。
その正反対が本作の里尾役。里尾は病気で亡くなった睦江の姪で、1度は嫁いだものの不縁となり実家に戻されたが、実家は既に家督を継いだ弟夫婦がいるため戻りづらく、居心地のよい睦江の家で睦江を献身的に世話をしていた娘だ。三左エ門が閉門処分を受けた時、三左エ門から実家に戻るよう言われても「自分はここにとどまりたい」とはっきり意思表示したのみならず、処分解禁後も何かと三左エ門の身の回りの世話を。その居心地の良さについ三左エ門も甘えていたが、このままでは婚期を失ってしまうと考えた三左エ門は、保科十内に頼んで秘かに若侍とのお見合いをセット。若侍は結構里尾を気に入ったらしく、その後何度か三左エ門の屋敷を訪れて里尾とのデートを申し込んだ。そんな状況下、藤沢周平原作映画には珍しいラブシーンが。
そりゃ三左エ門だって男。そもそも、いくら死別した妻の姪だからといって、男と女が1つ屋根の下で住んでいること自体があの時代ではどうなのかナという疑問すら湧くところだが、堅物だとばかり思っていた三左エ門にこんな人間的な一面(?)があったとは!さらに、「あの夜の出来事」以降の、里尾とのデートを申し込みに来る若侍に対する三左エ門の対応をみていると、三左エ門も意外にウソつくのが上手?しかし、「あの夜の出来事」があったからこそ、赤ん坊を抱えた里尾がひたすら三左エ門を待つ目が本作のラストシーンとしてピタリと決まることに。やっぱり池脇千鶴にはこんな役がピッタリ!
<必死剣とは?鳥刺しとは?>
将棋の戦法も藤井システム、ゴキゲン中飛車、居飛車穴熊、横歩取り8五飛などさまざまな戦法の流行があるが、私が将棋に凝っていた中学・高校時代には雀刺し戦法というのがあった。これは一筋に飛車、角、銀、桂馬、香車を集中して敵陣突破を目指す直線的な攻め。本作のタイトルを見た時私はてっきりそうかと思ったが、実際は雀ではなく鳥刺しだった。しかして、鳥刺しとは一体どんな戦法?
他方、将棋の世界では「必至」という言葉がよく使われる。これは、「必ずその事がやってくること。そうなるのは避けられないこと。また、そのさま」を意味する言葉。一般的にはあまり使われないが、ちょっとカッコよく文章を書く時には便利な言葉だ。それに対して、「必死」は日常的によく使われる言葉だが、剣術の戦法として必死剣とは何とも縁起が悪い。藤沢周平の原作『必死剣鳥刺し』は、『隠し剣』シリーズ全17話から成る短篇中の1篇だが、眠狂四郎の「円月殺法」と同様、その映像化は難しい。
映画中盤、病気の睦江とそれを世話する里尾を連れて野外散歩を決め込んだ三左エ門が、子供たちがとりもちを付けた長い棒で鳥を捕ろうとしている姿をみて応援するシーンが登場するから、なるほど鳥刺し戦法とはこういうものかとわかるが、必死剣とは?その全貌が明らかになるのはラストのラスト。そして、それはあなた自身の目で。本作ラストのクライマックスにおける約15分間の殺陣とあっと驚く結末をみれば、私が本作に星5つをつけたことに納得していただけるはずだ。
2010(平成22)年5月29日記