キャタピラー(日本映画・2010年) |
<テアトル梅田>
2010年8月21日鑑賞
2010年8月23日記
四肢を失い言葉を失って故郷へ戻った軍神サマと、それを支え続ける銃後の妻の生キザマとは?食うこと、寝ることは当然だが、男にはそれ以外の欲があるから、軍神サマも、その妻も大変。若松孝二監督がそんな衝撃的なテーマに挑戦!こりゃ8・15を迎えて必見!寺島しのぶが銀熊賞当然と思えるオールヌードを見せながら、そんな役を熱演!勲章も大本営発表もいいけど、ホントに価値のあるものとは?政治的経済的に混迷する中、今や生き方すらきっちり定められない今ドキの若者こそ、こんな映画必見だが・・・。
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監督:若松孝二
黒川シゲ子/寺島しのぶ
黒川久蔵(シゲ子の夫)/大西信満
黒川健蔵(久蔵の父)/吉澤健
黒川忠(久蔵の弟)/粕谷佳五
黒川千代(久蔵の妹)/増田恵美
村長/河原さぶ
村長夫人/石川真希
司令部軍人/飯島大介
中国の女1/安倍魔凛碧
中国の女2/寺田万里子
中国の女3/柴やすよ
日本兵1/椋田涼
弥生(国防婦人会の女性)/種子
登志子(国防婦人会の女性)/折笠尚子
村の男1/小林三四郎
村の男2/金子貴明
軍人1/地曵豪
軍人2/ARATA
クマ/篠原勝之
ラジオの声/小倉一郎
2010年・日本映画・84分
配給/若松プロダクション、スコーレ
<靖国参拝の閣僚ゼロ!>
今年2010年8月15日の65回目となる終戦記念日は、菅直人首相をはじめ閣僚が誰一人靖国神社へ参拝しなかったことが報道された。「政権交代」の実現は09年8月30日の衆議院議員総選挙。したがって昨年8月15日は自公政権時代だったから、麻生太郎元首相は参拝しなかったものの、数人の閣僚は参拝した。しかして、閣僚が誰一人靖国参拝しなかったのは1985年以降はじめてらしい。韓国では「30年ぶりだ」と高く評価されたらしいが、それをあなたはどう評価?
私はここでその是非を問うているのではない。ただ8月15日には靖国参拝の是非をめぐる話題で「あの戦争」が語られることが多かったが、今年はそれがなかったことが残念だと思っているだけ。
<こりゃ必見!>
他方、かつて東宝はお盆の時期に『日本のいちばん長い日』(67年)、『連合艦隊司令長官 山本五十六』(68年)、『日本海大海戦』(69年)などの「戦争大作」を毎年のように公開していたが、今や邦画は純愛もの一色(?)で、戦争映画はほとんどつくられていない。しかし、若松孝二監督にとっては、「あの戦争」そして「あの原爆」は映画づくりにおける永久のテーマ。
しかして、2010年のお盆の時期に公開されたのが、4本の手足を失ったうえ耳も聞こえず口もきけない状態で故郷に戻ってきた「軍神サマ」黒川久蔵(大西信満)と、いかに過酷な現実であってもそれを受け入れざるをえないその妻・黒川シゲ子(寺島しのぶ)の姿を描いた「キャタピラー」。こりゃ必見!とりわけ、若者たちこそ今こんな映画を!
<銀熊賞も当然の熱演に拍手!>
2010年2月のベルリン国際映画祭で、寺島しのぶが銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞!35年前の田中絹代以来のこの快挙に、日本中が湧いた。トロフィーにキスをする彼女の姿は自信に満ちあふれていたが、本作の熱演をみればそれがよくわかる。女優にとってこんなハードな役をやることには賛否両論がつきまとうのは必至。したがって、どちらかというと安心できる監督の下で、オーソドックスな物語のヒロインを演じて評価してもらいたいと考える女優も多いはずだ。
しかし、覚悟を決め、「やるぞ!」というモードに入って12日間の撮影に挑んだ寺島しのぶは立派。素っ裸になってイモ虫のような身体のくせに性欲だけは一人前以上に強い久蔵の上に乗っかったり、あるいはアンバランスにならざるをえない久蔵の身体を自分の上に乗せる彼女の演技はそりゃ大変。母親の富司純子が出演に反対した(?)というのも頷けるが・・・。
<寺島しのぶもすごいが、大西信満も・・・>
他方、寺島しのぶの銀熊賞の陰に隠れてはいるが、久蔵を演じた大西信満の演技もすごい。久蔵は口がきけないのだから、出征する時の回想シーンを除いて全編セリフなし。「アー、ウー」といううめき声(?)と目の動きだけ、そしてイモ虫のような身体の動きだけで演技しなければならないのだから、そのしんどさは並大抵ではないはずだ。プレスシートによると、這いずり回りながら自分の頭を柱や壁にぶつけ血まみれになっていくシーンは、すべて「仕込み」ではなく、ホンモノの自分の血らしい。本作では再三再四にわたって部屋の中での食事シーンと性交シーンが登場するが、その合間に登場するこの狂乱的なシーン。その衝撃度はピカイチだ。
最初はそんな久蔵を何とか押し止めようとしていたシゲ子だったが、途中からは笑みを浮かべながらそれをじっと見つめるという印象的なシーンに変化していく。さてあなたは、こんなシゲ子の気持をいかに理解?とにかく寺島しのぶもすごいが、大西信満もすごい。食べること、寝ること、そして四肢を失っても性交すること。それをくり返すしかない「軍神サマ」の苦悩と、銃後の妻としてそれを立派に支えていくことを国家と社会から義務づけられた「軍神サマ」の妻の苦悩とは・・・?
<あの人物は?この人物は?>
20歳にもならない村の若者たちに次々と召集令状が来る中、シゲ子の弟・黒川忠(粕谷佳五)は身体が悪いため、徴兵をはねられており、目下野良仕事でお国にご奉公する身。したがって「軍神サマ」になった兄・久蔵に比べられると肩身が狭いのは当然だが、そんな忠の生きザマとは?またこれと反対に、本作には常に先頭に立って軍国ニッポンを仕切る村長(河原さぶ)が登場するが、これはあの時代どこにでもいた一番気楽な立場の人間。なぜなら、彼は時勢の流れに即して口先だけで原理原則を唱えていればいいのだから。
他方、本作における面白い登場人物が赤い襦袢を着て村の中を歩き回るクマさん(篠原勝之)。彼はいつも一人だけみんなとは違う行動をとっているが、それを皆から認めてもらっているのは、彼が知的障害者であるため。本作ではラジオから大本営発表のニュースが再三流れてくる。当初はこれを信じていた村の人たちも、ある時期からその内容に疑いを持ったのはまちがいないはず。しかし、それを言っちゃいけないのはあの時代だったから。みんなそれに耐え、銃後を守る婦人たちも防火のバケツリレーをやったり、ヤリで米兵を刺し殺す訓練をしていたわけだ。しかし、知的障害をもつクマさんは「禁治産者」だけにそんな国家統制も及ばないらしい。
<クマは何を見ていたの?クマが一番幸せ?>
したがって、クマさんだけはどんな苦境の時代になっても雰囲気が変わらない。しかして印象的なのは、8月15日の終戦を迎えた後、シゲ子の前でクマさんが大声で「戦争終わった!万歳!」と叫ぶこと。ここまでおおらかに終戦=敗戦を喜べるのも知的障害者だからかもしれないが、その姿を見て一緒に万歳できたシゲ子もきっと幸せだったはずだ。
1931年9月18日のいわゆる満州事変から1945年8月15日まで続いたあの長い戦争の時代の中、クマは一体何を見ていたの?ひょっとして、知的障害者であるクマが一番幸せだったのかも?
<男のセックスの繊細さ(?)をじっくりと・・・>
映画冒頭には中国人の女たちを追う日本兵の姿が登場する。「1945年 日中戦争」という字幕が表示された直後だから、その状況は容易に想像できるが、炎の中で犯され、銃剣で刺し殺される中国人の女たちの姿が印象的だ。このシーンは中盤から終盤にかけて何度も回想されるが、それはこの兵士こそが久蔵その人だからだ。
劇中、シゲ子が子供を産めない身体であることがわかったため、子供を望む久蔵からいつも殴られながら、セックスを強要されていたらしいことが明らかにされる。ところが、軍神サマとして戻ってきた当初こそ久蔵は必死でシゲ子の身体を求めたが、最近はシゲ子からの「ご褒美」にもあまり喜ばないらしい。それは一体なぜ?
その理由の一つは、多分ことセックスに関して、男は女より繊細な動物だから。つまり、久蔵とシゲ子の力関係が大きく逆転していく中、少しずつ久蔵のセックスはダメになっていったわけだ。しかして、もう一つの理由は?私が思うにそれは、あの炎の中での女を犯している自分を忘れることができないため。ことセックスに関して、男はそれほど繊細なのだ。そこらあたりの、男のセックスの繊細さ(?)をじっくりと・・・。
<この対比の妙に注目!>
軍国ニッポンを象徴するものはいろいろあるが、さしずめ軍艦マーチなどの華々しい軍歌や大本営発表のラジオ放送が挙げられる。本作のラストには広島、長崎への原爆投下の写真が示され、エンドロールでは元ちとせが歌う『死んだ女の子』の歌詞が字幕に表示される。軍歌や大本営発表の騒々しさは、その悲しくも力強いメロディとは大違いだ。本作はそのほとんどが久蔵とシゲ子の個人的な営みを描くシーンで構成されているが、その時代背景として常にこのような軍国ニッポンを象徴する音楽が流されているから、その対比の妙をしっかり味わいたい。
また、久蔵が軍神サマであることを象徴するのが、天皇陛下からいただいた3つの勲章と久蔵の奮戦ぶりを称えた新聞記事。これが今イモ虫状態で生き続けている久蔵の軍神としての誇りだが、さてその価値は?この勲章と新聞記事の上には天皇皇后両陛下の写真が飾られていたが、両陛下はこんな久蔵の姿をどのように見ているの?軍神サマの威光が通用するのはそんなバックがあってのことだから、さて戦争が終わってしまうと、久蔵の立場は?
久蔵が軍神サマとして故郷へ戻ってからも戦局は悪化の一途をたどったため、食事はロクなものがなくなり、明かりさえ不自由になっていた。そんな中、あれほど誇りだった陛下から頂いた立派な勲章の価値についての久蔵の思いは?そして迎えた8月15日の敗戦の日。さて軍神サマは、いかなる行動を?
2010(平成22)年8月23日記