連理の枝(韓国映画・2006年) |
<試写会・大阪厚生年金会館芸術ホール>
2006年3月14日鑑賞
2006年3月15日記
前半のコミカルな展開はマンガ的だが、後半に入るとさすがに「涙の女王」の本領を発揮。雨の中、窓越しの抱擁シーンではあちこちからすすり泣きの声が・・・。そこで、さらに「意外な事実」が判明し、後は一気呵成に涙のクライマックスへ・・・。永遠の愛を象徴する「連理の枝」をバックにした、ケイタイでの1人芝居は、チェ・ジウの代表的演技になることまちがいなしだが、さて、映画のヒットの行方は・・・?
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監督・脚本:キム・ソンジュン
主題歌:シン・スンフン
へウォン(ヒロイン)/チェ・ジウ
ミンス(へウォンの恋人)/チョ・ハンソン
ギョンミン(ミンスの親友、先輩)/チェ・ソングク
スジン(へウォンの親友)/ソ・ヨンヒ
医者/ソン・ヒョンジュ
看護師長/ジン・ヒギョン
東芝エンタテインメント配給・2006年・韓国映画・148分
<『忘れえぬ想い』VS『連理の枝』>
3月13日に観た香港映画の『忘れえぬ想い』(03年)は、香港の「涙の女王」セシリア・チャン主演の感動ラブストーリーであったのに対し、3月14日に観た『連理の枝』は、韓国の「涙の女王」チェ・ジウ主演のラブストーリーで、2つとも私の大好きな作品だが、さてあなたはどちらが好き・・・?
<対比その1ー若さと美貌、そして泣きのテクニックは・・・?>
美貌については人それぞれの評価だからここでは評論しないが、若さの点では1980年生まれのセシリア・チャンと、1975年生まれのチェ・ジウでは、明らかにセシリア・チャンの勝ち。年齢に関連して面白いのは、恋の相手方がセシリア・チャンは年上の離婚経験のあるオッサンで、彼からいろいろと応援してもらう中で愛が育っていくというストーリーであるのに対し、チェ・ジウは年下のプレイボーイをはじめて真剣な恋に目覚めさせるというストーリーになっていること。うまくバランスをとっているものだと感心・・・。
「泣きのテクニック」については同じ「涙の女王」という称号であっても、その称号がピッタリするのは圧倒的にチェ・ジウで、いくつかの泣かせどころのツボの押さえ方はさすが・・・。なお、『PROMISE』(05年)でのセシリア・チャンを観れば、必ずしも彼女は「涙の女王」という称号にこだわらなくてもいいのでは・・・?
<対比その2ー悲劇性あれこれ・・・>
涙のラブストーリーにするためには、人の死や病気を絡ませるのが1番・・・?大ヒットした日本映画の『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)のヒロインは白血病だし、大ヒットした韓国映画の『私の頭の中の消しゴム』(04年)のヒロインは若年性アルツハイマー病。その他この手の事例は数知れないほどある。
『連理の枝』でチェ・ジウは、前半はコミカルな面を強調して明るく健気に生きていく女性像を演じているが、これは後半の悲劇を強調するためのテクニックであることは明らか。さらにその悲劇性を強調するため、『連理の枝』はもう1つの仕掛けも・・・。
他方、『忘れえぬ想い』は結婚を控えた恋人が交通事故で死亡するシーンからのスタートで、こちらはいわば、人生再生のラブストーリーを感動の涙で描くもの・・・。
<引き立て役の是非は?>
この映画はへウォン(チェ・ジウ)とミンス(チョ・ハンソン)の悲恋物語を強調するため、ギョンミン(チェ・ソングク)とスジン(ソ・ヨンヒ)、そして医者(ソン・ヒョンジュ)と看護師長(ジン・ヒギョン)との恋愛模様をスパイスとして使っているが、さてその是非は・・・?
ギョンミンとスジンは、へウォンとミンスが出会い、デートを重ねていく中で、それなりに必要な存在だといってもいいだろう。しかし、いくらへウォンがずっと病院内にいるからといって、別に医者と看護師長とのケッタイな(?)恋愛模様を展開させる必要はないのでは・・・?もっとも、この医者と看護師長の2人は、その恋愛模様の中身ではなく、映画前半のへウォンの明るさやお茶目さを強調させるのがその役割だが、そこまでやらなくてもいいのでは・・・?
<プレイボーイのミンスを変身させたものは・・・?>
ミンスを演ずるチョ・ハンソンは、スクリーンデビューした『オオカミの誘惑』(04年)に続く第2作で、チェ・ジウのお相手という重大な役をもらうことになった。それは長身でハンサムだというだけではなく、大変なプレイボーイでありながら、本当はナイーブな神経の持ち主というミンスの役に彼がピッタリだと判断されたため・・・?
1981年生まれという若手だから、前半のプレイボーイの役は地のままでいけるのかもしれない(?)が、後半からはなぜかへウォンに魅かれていく自分にとまどいながら、生まれてはじめての愛を知るという難しい役柄をうまく演じている。このようにミンスが変身できた(させられた)のは、ひとえにへウォンが持っている年上の女の魅力のせい・・・?
ミンス役がさらに難しいのは、へウォンの難病を知った後の苦悩と、自分から離れていこうとするへウォンをあくまで追い求めていく若者の苦しみをどう演じるかだが、チェ・ジウやキム・ソンジュン監督の指導よろしきを得て(?)、無事そのおつとめを果たしたのは立派。今後の活躍が楽しみな若手俳優だ。
<目のつけどころがシャープでしょ・・・>
『冬ソナ』ブームで「涙の女王」の称号を手中に収めたチェ・ジウだが、映画では直近の『誰にでも秘密がある』(04年)でのコミカルな役をはじめとして、意外とその称号にふさわしい作品はない。したがって、今回は満を持して悲恋ラブストーリー映画への挑戦。テレビドラマ『輪舞曲ーロンドー』の人気がイマイチなだけに、「涙の女王」チェ・ジウの代表作にしたいところだ。そこで私が「目のつけどころがシャープでしょ」と思ったのは、連理の枝。これは、中国の唐の詩人・白楽天が玄宗皇帝と楊貴妃について歌った「長恨歌」の一節にあるもので、永遠の愛を象徴するものだから、なぜ今まで、恋愛ドラマのネタとして使われなかったのか不思議に思うほど格好の素材。
少女時代のへウォンが写っている写真のバックが、牛島という離島にあるこの連理の枝。そして、死を直前にしたへウォンとミンスが病院を抜け出して、2人で行くのが最後の舞台となるこの連理の枝。この映画に使われた連理の枝は、「撮影後済州島観光局に寄贈され、観光名所として保存されることになった」とのことだから、私も次回の済州島旅行の際は、是非これを見学しなければ・・・。
<クライマックスはケイタイでの1人芝居>
最近ケイタイを小道具とした映画が多いことは何度も書いているが、この映画のラストもそれ。もっともこの映画のそれは、通話機能だけのケイタイではなく、しゃべっている自分の姿を動画として写し相手方に送るという、私のケイタイではとてもできないカメラの動画機能を活用したもの。これは最初は、3日間でへウォンを「落とす」とギョンミンに対して豪語したミンスが、2人でドライブしている時、へウォンのケイタイに語りかける自分の姿を送ってへウォンをビックリさせたものだったが、ラストシーンでは、へウォンが自分にケイタイのカメラを向けて動画を撮り、それをミンスのケイタイへ・・・。
涙ながらに語るその動画とメッセージが、へウォンの死亡後、ミンスのケイタイに送られてきたら・・・?そりゃもう観客席のあちこちからすすり泣きの声が聞こえてくるのは当然。このクライマックスは、まさに「涙の女王」チェ・ジウの真骨頂・・・。さらにその最後の、「私をこんなに愛してくれてありがとう」という「決めゼリフ」は、まさにチェ・ジウ最高の歴史に残る演技といえる絶品モノ・・・。
<わかりやすいメロディーとわかりやすい歌詞の主題歌だが・・・>
最近の映画は、そのラストにヴォーカルが流れ、歌詞がスクリーン上に表示されるものが多い。『男たちの大和/YAMATO』(05年)における長渕剛が歌う『CLOSE YOUR EYES』もそうだったが、韓国映画にはとりわけその傾向が強い。それはやはり主題歌のヒットによって、映画のヒットも狙おうとその相乗効果を狙っているため。私もカラオケで歌えるようになった『冬ソナ』の主題歌『最初から今まで』は日本語バージョンも登場しているが、シン・スンフンが歌う切ないバラードのこの映画の主題歌は、歌詞さえ書いてくれれば私でもすぐに覚えられると思えるほど、わかりやすいメロディーと、わかりやすい歌詞の曲。さて映画とともに、この主題歌のヒットのほどは・・・?
2006(平成18)年3月15日記