ナイト・トーキョー・デイ(スペイン映画・2009年) |
<シネ・リーブル梅田>
2010年10月11日鑑賞
2010年10月12日記
菊地凛子主演、スペイン人女性監督によるTOKYOを舞台としたスタイリッシュな映像。こりゃ物語も!そう期待したが・・・。神秘さを保つには秘密が一番。それは「かの隣国」を見ても明らかだが、プロの殺し屋はやはり実力を示さなければ・・・。映画は脚本が命!したがって、変態じみたセックス描写が面白く、ラーメンをすする音が強調されても、このストーリーでは・・・?美しい映像と極端に少ないセリフにも注目だが、それだけでは・・・?
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監督・脚本:イザベル・コイシェ
リュウ(殺し屋)/菊地凛子
ダビ(スペイン人のワイン商)/セルジ・ロペス
録音技師/田中泯
長良(実業界の大物)/中原丈雄
石田(長良の部下)/榊英雄
2009年・スペイン映画・98分
配給/ディンゴ
<完全に期待外れ!もうちょっとまともな脚本を!>
『バベル』(06年)、『ノルウェイの森』(10年)の菊地凛子主演、09年度カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作と聞いて、「こりゃ必ず観なければ!」と思って映画館へ行ったが、何じゃ、こりゃ・・・?スペイン・バルセロナ出身の女流監督にしてみれば、TOKYOの築地市場をはじめとして、遊園地、カラオケ店、ラブホテルなどが珍しいのかもしれないが、そんなものを単純きわまりないストーリーの中で羅列されても、日本人の私には全然面白くない。
他方、さすがにカメラの技術は一流らしく、スクリーン上に映し出される映像は美しい。また、ダビ(セルジ・ロペス)ご愛用の(?)列車仕立てのラブホテルの中で展開される変態じみたダビとリュウ(菊地凛子)のセックスには一種独特の哀愁が漂っている。さらに、「コト」が終わった後に流れる昭和歌謡や、ラストの字幕で流れる懐かしい「あの歌」も郷愁を誘う。
しかし、映画は脚本が命!面白い脚本から生まれたすばらしい映画は、『キサラギ』(07年)や『アフタースクール』(07年)などたくさんあるが、その逆が本作。つまり、いくら俳優が良くても、またいくら映像がおしゃれでスタイリッシュ、カメラワークが特筆ものでも、脚本がダメなら映画はダメということだ。脚本にはすべて起承転結が必要なわけではないが、ストーリー展開にはそれなりに観客を引きつけ、できればあっと驚かせる仕掛けがほしい。しかし、本作にはそれが全くなく、退屈そのものだ。かつての日活ロマンポルノに名作がたくさん出たのは、ストーリー構成に優れたものが多かったため。いくらスペインの女性監督だからTOKYOに詳しくないとしても、自分で脚本を書くのならもうちょっとまともな脚本を。
<神秘めいた雰囲気だけでは?これでホントにプロの殺し屋?>
菊地凛子演ずる女・リュウが築地市場で働いているのは、「考えすぎないですむから」らしい。神秘のベールに包まれ、自分のことは何も語らないリュウからそんな片言でもリュウのことを聞き出したのは、年老いた録音技師(田中泯)。本作は全編を通じて再三語られるこの録音技師のナレーションによって、リュウの「人となり」が少しだけ明らかになるが、だからって一体ナニ?本作で唯一意味がある設定は、リュウが孤独なプロの殺し屋らしいこと。そして、愛する娘・ミドリが自殺したのは、ミドリの夫・ダビの責任であると勝手に思い込んだ実業界の大物・長良(中原丈雄)が、部下の石田(榊英雄)に命じて、ダビの暗殺をリュウに依頼することだ。たしかに、リュウが引き出しの中から拳銃を取り出し、消音装置の確認をしている姿を見ると、「必殺仕置人」的雰囲気が漂ってくるが、その期待はストーリーが展開していくにつれてしぼんでいくばかり。だって、ダビが営むワイン店の中でも、あるいはラブホテル内でコトが終わった後でも全然依頼を実行しないばかりか、その後もリュウはダビとの逢瀬を重ねて、仕事を放り出すことになるのだから。これって完全に契約違反では!これでホントにプロの殺し屋?看板に偽りがあるのでは?
そんな私の疑いは、仕事の履行を迫る長良からの電話に対して、「考えが変わった。金は返す」「前金として受領していたお金に50%をプラスして返金したら、契約取消でいいでしょう」とシャーシャーと応えるリュウの姿を見ていると次第に確信に。こんなカッコばかりの殺し屋に大切な仕事を頼んだ石田がバカだったのでは?本作は全編を通じて、リュウの神秘めいた雰囲気とラーメンをすする音と、ダビが求める変態じみたセックスに粛々と応じる菊地凛子の演技が売り(?)だが、それだけでは映画としては・・・。
<美しい映像と極端に少ないセリフだが、それだけでは・・・?>
最近の邦画はセリフが過剰気味でバラエティーやテレビドラマの延長みたいなものが多いが、韓国のキム・ギドク監督作品をはじめとして、極端にセリフが少ない映画には緊張感が漂うものが多い。TOKYOを舞台とし、プロの女殺し屋・リュウを主人公としたイザベル・コイシェ監督の本作はそういう映画を狙ったようだが、結果は全然ダメ。録音技師のナレーションはしゃべりすぎの感が強いが、逆に長良は娘を殺されたショックで立ち直れない情けない姿をさらす演技ばかり。したがって、それに代って石田が殺人依頼の役目を引き受けたうえ、最後には頼りない殺し屋・リュウに代って、何と石田自身が殺人の実行犯になるのだが、そんなバカな・・・。脚本がそうなっているのだから仕方ないと言えばそうだが、この男たちのバカさ加減とプロの殺し屋・リュウの責任感のなさに、私は見ていてイライラするばかり。美しい映像と極端に少ないセリフだが、それだけでは・・・?
2010(平成22)年10月12日記