モンガに散る(台湾映画・2010年) |
<角川映画試写室>
2010年10月21日鑑賞
2010年10月22日記
国際的に、アジア的に日本の若者の無気力さが目につくが、80年代後半の台湾の若者たちの生きざまは?韓国映画に多い学園モノかと思いきや、後半は実録ヤクザ路線並みの本格的な「極道間抗争」が大展開!しかし、それでも5人の若者たちの義兄弟の契りはみずみずしい。権力争い、策謀、裏切りは極道の世界では当然だが、「生まれた日は違っても、死ぬ日は同じ」という契りの履行は・・・?ラストに向けてどんどん迫力を増していくストーリー展開をタップリと楽しみたい。
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監督・脚本・編集・製作:ニウ・チェンザー
モンク(太子幇の影のリーダー)/イーサン・ルアン
モスキート(太子幇の仲間)/マーク・チャオ
ゲタ親分(廟口組の親分)/マー・ルーロン
ドラゴン(ゲタ親分の息子、太子幇のリーダー)/リディアン・ヴォーン
シャオニン(顔に青あざを持つ娼婦)/クー・ジャーヤン
ブンケアン(後壁厝の狂犬)/ジェイソン・ワン
白ザル(太子幇の仲間)/ツァイ・チェンシェン
アペイ(太子幇の仲間)/ホァン・トンユー
ドッグ(モスキートのクラスを仕切る不良)/チェン・ハンティエン
ウルフ(大陸系極道、モスキートの母の元恋人)/ニウ・チェンザー
2010年・台湾映画・141分
配給/ブロードメディア・スタジオ
<3人の義兄弟のキーマンは関羽。5人の義兄弟のキーマンは?>
『三国志』では「桃園の誓い」が有名だが、日本人の私の目には映画やDVDで見る劉備、関羽、張飛3人による義兄弟の契りの儀式は、本作の主人公たる高校2年生のモスキート(マーク・チャオ)が5人の義兄弟の契りを結ぶ儀式とそっくり。劉備、関羽、張飛3人の義兄弟のキーマンはまちがいなく関羽だが、5人の義兄弟のキーマンは?
ドラゴン(リディアン・ヴォーン)はモンガ一帯の権力を握る極道組織“廟口組”のゲタ親分(マー・ルーロン)の一人息子だから、幼い時からいつも不良グループのボス。しかし実は、ケンカが強いだけではなく学業も優秀で、度胸も座っているのが、その親友のモンク(イーサン・ルアン)でモンクが別のリーダー的存在。菅直人政権で仙石官房長官が影の総理と言われているのと同じようなものだが、ドラゴン・モンク間の信頼は、菅・仙石間の信頼よりもずっと上。映画が始まってすぐにみせてくれる5人が暴れ回るハデなケンカ風景の中、ムードメーカーのアペイ(ホァン・トンユー)や腕っ節の強い白ザル(ツァイ・チェンシェン)などと共に、義兄弟の契りを結んだ5人の若者たちのキャラが紹介されるが、それを見ていると5人の義兄弟のキーマンはモンク。それにはきっと、誰も異論はないはずだ。
<また台湾映画の注目作が!モンガとは?時代は?>
『海角七号/君想う、国境の南』(08年)は台湾映画史上最高動員記録となった名作だが、本作はそれに続く歴代第2位を記録した台湾映画の名作。『海角七号/君想う、国境の南』は、「海角七号」に住む恋人に宛てたラブレターを軸とし、台湾最南端の海辺にある恒春(ハンチュン)という小さな村を舞台とした美しい映画だった(『シネマルーム24』138頁参照)が、本作の舞台は原題の「艋舺」(モンガ)。
プレスシートのイントロダクションによると、艋舺は「台北市西部の最も古くから拓けていた下町の名で、現在の地図では一般に『萬華』(万華)と記されている地域。東京で例えれば、浅草に歌舞伎町の要素をミックスしたような性格を持つ。台北市繁栄の起源となった街であり、寺と仏具街、そして歓楽街(当局公認の赤線地帯を含む)が並存。同時に極道たちがそこで縄張り争いを繰り広げてもいた」とのことだ。スクリーン上で見るモンガの街で目につくのは、道路や路地の狭さ。2005年3月13日~16日に私が台湾を旅行した時にも感じたが、中国(大陸)の広大さに比べると、台湾は日本以上に狭い国であることが実感できる。
他方、本作が描く時代は1986年。日本では中曽根内閣下での不動産バブルの絶頂期だが、台湾のモンガでは?私はこの時代のモンガに赤線地帯があったことを知ってビックリ!小学校の同級生にそっくりだという、顔に青あざを持つ娼婦・シャオニン(クー・ジャーヤン)とモスキートとの「純愛」の様子を見ていると、その雰囲気は五木寛之の小説『青春の門』が描いた昭和29年(1954年)当時の新宿2丁目とそっくりだ。2時間21分の長尺となった本作では、後半になるにしたがって濃さを増していく面白いストーリーとともに、日本に対してきわめて友好的な感情を持つ国台湾のモンガという街にもしっかり興味を持ってもらいたい。
<極道にも、「古いタイプ」と「新しいタイプ」が・・・>
日本でもヤクザ映画の名作は多いが、そこでよく描かれるのが、日本刀にこだわりあくまで任侠道を追求する「古いタイプ」の極道と、ヤク、女、その他何でも金になるビジネスなら手を出す「新しいタイプ」の極道の対立。新旧両タイプの極道が義兄弟並みに仲良くしているのは、勝新太郎と田宮二郎の『悪名』シリーズくらいのものだ。
そういう視点で本作を見ると、ゲタ一つで刀を持つ敵を倒したことからゲタ親分の異名をとるドラゴンの父親は、典型的な古いタイプの極道。「卒業旅行」と称して5人の義兄弟が激しい武闘訓練を受けた「山合宿」でも、ゲタ親分は「銃を使うのは邪道。極道はあくまで腕と刀で闘うものだ」と教えていた。わからないでもないが、1980年代後半ともなれば、それはあまりにも時代遅れ?
<前半の学園モノ(?)から、後半は本物の極道間抗争に>
他方、新しいタイプの極道がモスキートの母親の元恋人で、大陸系極道のウルフ(ニウ・チェンザー)。廟口組のゲタ親分と後壁厝のマサ親分との義兄弟の結束が固いとみた彼は、3年間の刑を終えて出所してきたばかりの後壁厝の狂犬・ブンケアン(ジェイソン・ワン)に狙いを定め、新しいビジネスモデルを提案したから、ブンケアンはまんまとその誘いに乗ることに。
そのため、本作前半は学園モノの韓国映画のような、若者たちの青春をぶつけ合うケンカ劇だったが、後半は一転して菅原文太や松方弘樹らが大活躍した東映「実録路線」を彷彿させる、血で血を洗う極道間抗争に変化していく。その最初の大事件は、何者かによってマサ親分が射殺されたこと。こりゃきっと、マサ親分がゲタ親分の意見どおりに、ウルフと手を結ぶことを拒否したことへの報復。直感的にゲタ親分はそう理解したが、さてその真相は?
ニウ・チェンザー監督が自ら書いた脚本がすばらしいのは、後半から急展開していくストーリーの面白さと意外性。マサ親分に続いてゲタ親分も殺されることになるのだが、その犯人は誰?それがわかった時、あなたはあっと驚くとともに、本作の脚本のすばらしさに気づくはずだ。
<義兄弟の「誓い」の履行は?>
モスキートははじめてゲタ親分に出会った時、自分たちの料理を作ってくれている姿を見て、「これが極道?」と思ったようだが、そんな気さくさをもってはいても、やっぱり極道の親分はえぐい。また、いざという場面では、常日頃から「極道は腕と刀で勝負する」と豪語しているだけの度胸と実力をもっていることを見せてくれる。しかし、いくらそうでもやっぱり銃弾の前では・・・?北辰一刀流の達人であった坂本龍馬が高杉晋作からもらった拳銃を大事に持っていたのは、新しいもの好きという面もあるが、やはり実用性と合理性を考えてのこと。ゲタ親分だって用心のためいつも一丁胸の中に持っていれば命を落とすことはなかったのに・・・。
ラストに向けた、怒濤の大展開が本作の真骨頂。5人の義兄弟たちは「生まれた日は違っても死ぬ日は同じ」と誓ったが、白ザルは今瀕死の重傷を負ってベッドの上。そして、父親であるゲタ親分を失い失意のどん底にあるドラゴンは、今ほとんど思考停止の状態に陥っていた。そんな中で「火事場のクソ力」的な力を発揮しはじめたのがモスキート。ゲタ親分は、廟口の本拠地の寺になぜ一人で残っていたの?ひょっとして誰かがそんな風に仕向けたのでは?新米極道とは思えないまるでシャーロックホームズのような抜群の推理力によって「推論」を得たモスキートは、以降その「論証」のための直線的な行動を見せるから、それに注目!「桃園の誓い」を結んだ劉備・関羽・張飛の3人は、結局その誓いを果たすことはできなかったが、今や立派な極道一年生に成長した5人の若者たちの「誓い」の履行は?
その美しくも切ないクライマックスシーンをしっかり堪能するとともに、薄れゆく意識の中でモスキートが語るセリフをしっかり噛みしめたい。
2010(平成22)年10月22日記