我が闘争(スウェーデン映画・2010年) |
<シネ・リーブル梅田>
2010年11月3日鑑賞
2010年11月4日記
これは何が何でも観なければ!そんな思いで50年前の記録映画を鑑賞。タイトルだけで何の映画かわかる人は今や少ないだろうが、こりゃ必見!ヒトラーによるユダヤ人迫害の実態は広く知られているが、1920~30年代にナチスがなぜ台頭したの?それについては知らない人が多いのでは?「失われた20年」が続き、政治的混迷から「日本沈没」まで予測される現状下、あなたはこの映画から何を学ぶ?
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編集:エルウィン・ライザー
日本語ナレーション:小山田宗徳
1960年・スウェーデン映画・117分
配給/是空
<これぞ「記録映画」の最高峰!>
『我が闘争』という本のタイトルはよく知っていたが、その本を読んだことはなかった。そんな中、1960年にスウェーデンで公開され、1961年2月に日本で初公開された本作を、約50年後の今はじめて鑑賞。「すべてホンモノ」の写真やフィルムによって編集された117分の映像は、圧倒的な迫力で目の前に迫ってくる。
ヒトラーを主人公にした映画の最高峰はチャップリンの『独裁者』(40年)だが、ここ10年内に私が観たものだけでも、『ヒトラー~最期の12日間~』(04年)(『シネマルーム8』292頁参照)、『アドルフの画集』(02年)(『シネマルーム4』276頁参照)、『ヒトラーの贋札(にせさつ)』(06年)(『シネマルーム18』26頁参照)、『ワルキューレ』(08年)(『シネマルーム22』115頁参照)、『イングロリアス・バスターズ』(09年)(『シネマルーム23』17頁参照)などがある。また、ユダヤ人の悲劇を描いた名作として印象強いのが『ライフ・イズ・ビューティフル』(98年)(『シネマルーム1』48頁参照)や『聖なる嘘つき その名はジェイコブ』(99年)(『シネマルーム1』50頁参照)などだ。
芸術(=つくりもの)としての映画という観点からはこれらの作品の方が圧倒的に感動的だが、本作はあくまで記録映画だから、物語的な面白さを求めてはダメ。あくまで事実を事実として直視しなければ。そんな観点から観れば、本作はまさに記録映画としての最高峰!
<1920~30年代のドイツの内政に注目!>
ユダヤ人の大量虐殺をはじめとするナチス・ドイツの残虐性はよく知られているが、日本人が意外に知らないのは、第一次世界大戦に敗北した当時のドイツの悲惨さと、その時代を生きた若き日のヒトラーの不遇時代。『アドルフの画集』では、青年時代のヒトラー像が興味深く描かれていた。
「ベルサイユ条約」によって約束させられた高額な賠償金の前に屈辱的な立場におかれた1920年代のドイツの最大テーマは、国の内政をいかに転換するかということ。そんな時代状況の中、名もなき伍長だったヒトラーのナチス党が、なぜ急速に力をつけていったの?そんな1920年代から30年代にかけてのドイツ国内の政治の動きと、ナチス党が政権を握るまでの動きは、「失われた20年」を経てなお低迷が続く現在の日本の政治状況と照らしても、きわめて興味深い。「日独伊」三国同盟の締結については日本国内でも賛否両論があったことはよく知られているが、そんな勉強とともに、本作が見せてくれるこの時代をじっくり勉強したい。
<ヒトラーの演説力に注目!>
ヒトラーの幼年時代と青年時代は写真を使って描かれているが、天才か狂気かは別として、こんな境遇下でヒトラーの性格が形づくられたことはまちがいない。その分析は心理学の領域だが、本作を観て私があらためて感心するのは、ヒトラーの類まれなる演説力。
「自己陶酔型」「教祖型」であることはまちがいないが、日本の政治家の演説能力のレベルの低さに見馴れている私は、これだけ真正面からナマの演説を聞くとやはりビックリ。
こりゃ、誰でもその演説に陶酔し、すぐにナチス党に入りたくなるのは当たり前?そう思えてくる。
<領土拡大の野心は、ひょっとして昔も今も?>
ヒトラーの領土的野心の出発点はドイツとオーストリアの併合だが、それに対してイギリスやフランスなど第一次世界大戦の戦勝国がいかに油断していたかもあの時代の大きな特徴。そんな安易さが、ヒトラーによる対イギリス、対ソ連とのいわば「めくらまし外交」を生んだわけだ。オーストリア併合に続いてチェコスロバキアを併合し、そして1939年9月1日のポーランドへの侵攻。
これによって遂に第二次世界大戦に突入することになったわけだが、このようなヒトラーの領土的野心は、同じ時代に日本が中国東北地方に示した領土的野心と基本的に同じ?そしてまた、現在の中国が尖閣諸島に対して、そしてロシアが北方四島に対してとっている行動と基本的に同じ?つい、そんなことを考えてしまったが、さて?
<ヒトラーはなぜソ連侵攻を?私にはそれが不可解>
ナチス・ドイツの東方侵攻はポーランドから始まり、北方侵攻はデンマークやスウェーデンへ。そして、西方侵攻はベルギー、オランダ、フランスと続いたから、残るはイギリスのみ。ナチス・ドイツの空軍をあずかるゲーリング元帥は「イギリスを屈服させることは可能」と断言したが、チャーチル首相率いるイギリス国民の抵抗が力強かったため、制海権も制空権も奪うことはできなかった。そんなイライラの中、ヒトラーは1941年ソ連への侵攻を決断し実行したが、私にはそれが不可解だ。
もちろん、ヒトラーはナポレオンのロシア遠征の「失敗」の教訓を学んでいたはず。また、対ソ連とは「独ソ不可侵条約」を結んでいるのだから、ソ連がドイツを攻めてくることがないのは明らか。それなら、東方はソ連の手前で止めておき、西方すなわちイギリスの攻略に全力を注入した方が良かったのでは?チャーチルはアメリカのルーズベルト大統領の援助を盛んに求めていたから、両国が手を結ぶ前にイギリス攻略に力を集中していれば、ナチス・ドイツの力はもっと続いたのでは?日本は本当は中国東北地方つまり満州国を守ることだけで精一杯だったが、いわゆる「ABCDライン」によって石油を止められるなどの圧力を受けたため、やむなく石油を求めて南方作戦を開始したという側面があるが、ドイツにはそういう事情はなかったはず。そう理解している私には、ナチス・ドイツがなぜソ連へ侵攻したのか?それが不可解だ。
<歴史を学ぶことは、今の生き方を学ぶこと>
日本の中学・高校で教える歴史は年代暗記型が多いから、面白くないのは当たり前。また日本史の勉強は縄文・弥生時代から始まり、大化の改新、平城・平安と時代を追って進めていくから、坂本龍馬が登場する明治維新の時代には学年末となり、明治・大正・昭和の歴史を学ぶことはほとんどないのが実情らしい。
したがって、日本がなぜ中国大陸へ侵攻したのかはもちろん、なぜ日本がナチス・ドイツと三国同盟を結んだのかを中学・高校で学ぶ機会はほどんどないはず。そのうえ、大学に入れば歴史の勉強とはおさらばで、キャンパス生活をエンジョイするだけ。そして、3年生からはリクルートスーツを着て就職活動。これでは歴史から何も学んでいないことになるが、それではダメ。大学を卒業した後どこの会社に就職するかは、これからの生き方を決めるうえでの大切な要素だが、それ以上に大切なことは自分の生き方を学ぶこと。そして、それにはこんな映画から歴史を学ぶことが不可欠だ。そんなことをしっかり認識してもらいたい。
2010(平成22)年11月4日記