2010年 12月 20日
しあわせの雨傘(フランス映画・2010年) |
洋10-154 ★★★★
<GAGA試写室>
2010年12月14日鑑賞
2010年12月14日記
清楚で美しかった若き日の「あの雨傘」も良かったが、今なお変わらぬ美しさを保つ「この雨傘」も意外にグッド!本作は単なる心温まるコメディではなく、意外や意外、1977~78年のフランスの政治状況と女性解放の動きがヴィヴィドに!こりゃいかにもフランス的な、風刺の効いた問題提起作。こういう映画をつくれること自体が文化なのだ、とあらためて痛感!
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督・脚本・脚色:フランソワ・オゾン
スザンヌ・ピュジョル(雨傘工場を運営するロベールの妻)/カトリーヌ・ドヌーヴ
モリス・ババン(パリ市長)/ジェラール・ドパルデュー
ロベール・ピュジョル(スザンヌの夫)/ファブリス・ルキーニ
ナデージュ(ロベールの秘書)/カリン・ヴィアール
ジョエル(長女)/ジュディット・ゴドレーシュ
ローラン(長男)/ジェレミー・レニエ
2010年・フランス映画・103分
配給/ギャガ
<あの「雨傘」も良かったが、この「雨傘」もグッド!>
日本では1945年生まれの吉永小百合がずっと美しいまま第一線で女優としての活躍を続けているが、フランスでそれに相当するのが1943年生まれのカトリーヌ・ドヌーヴ。最近では女優としての活躍の他、06年の第63回べネチア国際映画祭で審査委員長を務めるなどの活躍も目立っている。「彼女の代表作を1本選べ」、と言われればきっと『昼顔』(67年)だろうが、「最も印象に残る映画を1本選べ」と言われれば、それは『シェルブールの雨傘』(63年)。何とも不思議な雰囲気のフランス語によるミュージカル映画に、高校1年生の私は酔いしれたものだ。
そんなカトリーヌ・ドヌーヴの最新作が本作。アルジェリア戦争への召集令状によって2人の恋が引き裂かれた『シェルブールの雨傘』も良かったが、フランソワ・オゾン監督が脚本を書き、時代を1977年~78年のフランスに設定した今回の『しあわせの雨傘』もグッド。日本は1960年代後半は学園紛争と対立の時代だったが、70年安保闘争が終焉し、70年の大阪万博が成功裏に終わると、その後は一気に平和と安定を求める経済成長一辺倒の国へと進んでいった。しかし、人権の国、自由・平等の国フランスでは?
<価値観の相違を明確に!対立軸を明確に!>
2009年8月30日の「政権交代」後、鳩山・菅と続いた民主党政権が正常に機能しない理由はたくさんあるが、その1つがあらゆる論点について問題点をあいまいにし、価値観の相違を明確にしないこと。それによって問題の先送りはできても、問題の解決には何ら寄与しないわけだ。「内向き志向」を強める日本では若者たちにその傾向が顕著で、若者たちの飲み会での話題はソフトな話題ばかりであるうえ、互いに踏み込み不足。そこに硬い話題を提供して、口角泡を飛ばす議論をすることは到底考えられないわけだ。しかし、1977年~78年に時代設定をした本作を観ると・・・。
まず、家庭において雨傘工場の社長であるロベール(ファブリス・ルキーニ)が妻に求めるのは、美しく着飾って夫の言うことにただ黙ってうなずけばいいということ。その結果、妻のスザンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は夫が秘書のナデージュ(カリン・ヴィアール)と浮気していることにも文句が言えないわけだが、そんな母親に対して「それでは飾り壷だ」と激しく非難するのが娘のジョエル(ジュディット・ゴドレーシュ)。既に結婚し2人の子供の母親となっている彼女はスザンヌのそんな情けない生き方に反発し、家庭を省みない夫と自分は断固離婚すると息まいているが、さて・・・?
それはともかく、今雨傘工場では労働組合が権利を主張し、ストライキに入りそうだから大変。組合の要求を断固拒否したロベールだったが、ロベールは今団交の延長として社長室に監禁状態に。それを救出してくれたのは市長のモリス・ババン(ジェラール・ドパルデュー)だが、何とこのモリスは若かりし頃のスザンヌと相思相愛の恋人であったうえ、れっきとしたコミニストの闘士。つまり、ブルジョアのロベールやその妻であるスザンヌとは立場や価値観が全く違うわけだ。本作はてっきりフランス流コメディと思って試写室に赴いた私は、導入部で展開されるそんな展開を観て思わず身を乗り出すことに。
やはり菅総理が言う「熟議」のためには、価値観の相違を明確に、そして対立軸を明確にしなければ・・・。
<日本にもこんな隠れた人材がいれば・・・>
家族だけでやっている小さな企業ならともかく、何十人何百人の従業員を抱えている中レベルの企業では、急に代表者が倒れ入院してしまうと、そのピンチヒッターや後継者選びは大変。北朝鮮のような国になると、良くも悪くも将軍様たる金正日の腹一つで三男の金正恩に後継者を決めることができるが、ロベールがストライキのショックよる心臓発作で倒れた後の会社の後継者は?
本作におけるそのピンチヒッターはスザンヌだが、夫婦2人だけの家内工業ならともかく、これだけの規模でやっている雨傘工場の代表者が会社経営の右も左もわからないブルジョア主婦でOKなの?そんな疑問を持つのは当然だが、意外や意外、労働組合との団交におけるスザンヌの対応は立派なもの。労働者たちからの週40時間労働、残業手当25%増などの要求を「ごもっとも」と受け止めたスザンヌはそれを「丸飲み」したうえで、今後の会社経営については「友愛と団結」の精神でやっていきたいと宣言した。そして、自らの補佐役として、娘のジョエルと息子のローランを重要な部署に登用。さらに局面によっては恋敵ともなりうる秘書のナデージュを引き続き重用したから、何と会社の業績は以降右肩上がりに。こりゃまるで2001年4月の自民党総裁選挙で「変わり者」と言われていた小泉純一郎が橋本龍太郎と麻生太郎を破って第87代総裁に選出され、以降大胆な小泉改革を進めた時の日本と同じ?
目下菅総理と民主党支持率は下がりっぱなし。しかし、そうかといって自民党にもう1度国政を任せようという気にもならない国民が充満しているから、わが国の「政治不信」は今やどうしようもない状況にある。つまり、近い将来衆議院議員総選挙が実施されても、投票すべきタマがいないという民主主義そのものの危機にあるわけだ。ないものねだりかもしれないが、日本にもスザンヌのような人材が登場してくれれば・・・。
<あの「友愛」はダメだったが、こちらの「友愛」は?>
日本国民から今や総スカン状態とされながら、なお本人は「衆議院議員としての役割をあれこれと果たすのが天命」と考えているらしいのが鳩山由紀夫前総理。その「どうしようもなさ」は政権を引き継いだ市民運動出身の菅直人現総理とともに白日の下にさらされているが、鳩山由紀夫前総理が提唱した「友愛」を、これまた今やどうしようもないほど低レベルに陥っているマスコミが一時もてはやしたのも事実。
この鳩山流の「友愛」に何の中身もなく、言葉の遊びに過ぎなかったことは歴史的に明らかになったが、1977年のフランスでピンチヒッターながら雨傘工場の社長に就任したスザンヌが唱えた友愛と団結とは?あちらの「友愛」はダメだったが、こちらの「友愛」は意外にも大きな共感と大きな成果を・・・。
<後半は、意外な権力争いからスタート!>
とはいっても、スザンヌの政権はあくまで暫定政権。ロベールはそう思っていたから、病が癒えて会社に復帰すると、まずは秘書のナデージュを呼び出し、ちょっとエッチなことも仕掛けながら、元通り会社の独裁者としておさまろうとしたのは当然。ところが、映画後半は意外にもロベールとスザンヌの会社経営権をめぐる権力争いからスタートする。そして、これが実に面白いから私はそれに注目。
スザンヌがピンチヒッターに立ったことによって工場の業績がアップしたといっても、それはたまたまの偶然。俺が復帰した以上、以前と同じような本格的保守政権を樹立しなければ。ロベールがそう考えたのは当然だが、スザンヌに言わせれば、それはもう古い古い。今や雨傘工場の経営は労使一体、友愛と団結の精神で次々と大胆な改革をしながら進めていかなくっちゃ。そんなスザンヌの考えを支持したのが、娘のジョエル、息子のローラン、そして秘書のナデージュたちだ。俺の妻は何を血迷っているのだ!そう考えたロベールは、会社の経営は株主構成によって決まるものであり、自分は圧倒的な株主だからあくまで自分の意思が会社の意思。スザンヌに対してそう主張したが、さて株主総会の結末は?
ストーリー的にはこれは本筋ではないが、弁護士の私としては非常に興味深かったので少し詳しく紹介すれば、この争いの前提は次のとおりだ。すなわち、この雨傘工場は典型的な同族会社であり、社長のロベールが45%の筆頭株主。その他は、妻のスザンヌが15%、娘のジョエルが10%、息子のローランが10%、ロベールの姉が15%、その他5%という株主構成となっている。テーブルを囲んで座ったこれらの株主の意思は秘書のナデージュの手によって黒板に書かれていったが、さてその結末は?
<権力闘争が終われば、すべて水に流して一致団結?>
個人企業の場合は、夫が社長で妻が専務(その実は総務、会計、庶務、雑用)、社員はアルバイト1人だけというスタイルが多い。その場合、この夫婦は必然的に自宅でも会社でも常に一緒ということになる。しかし、規模が大きくなると男はそういうスタイルを嫌がり、妻は家庭に、会社のスタッフは別に、ということになるが、1977年当時の典型的なブルジョア男ロベールはその典型だったようだ。
夫と妻が会社の経営権をめぐって株主総会の議決権で争うという姿はめずらしいが、そこで白黒がついてしまうとどうしてもその争いは尾をひくもの。2010年9月14日に菅直人と小沢一郎が争った民主党代表選挙は、地方票はともかく国会議員の頭数では206人対200人と僅差だったこともあり、「権力闘争が終われば、すべて水に流して一致団結」といくらきれいごとを言っても、それが無理なことは現況を見れば明らかだ。それと同じように、社長選出闘争において敗北したスザンヌは、今やロベールとの離婚を決意するまでに。今回、それを支持するのは息子のローラン、逆にそれに反対するのは娘のジョエル。さて、それはなぜ?
<なるほど、これがフランス流・・・>
もっとも弁護士的視点で言えば、ロベールとスザンヌの離婚問題については、ロベールの入院中に明らかになった、若き日のスザンヌが恋多き女だったことの方が大問題。ババンがスザンヌの元恋人だったことは公然の秘密だが、主義主張が異なったため別れたのだし、今更よりを戻そうとしてもそれにはかなり無理がありそう。そのことは、ロベール入院中のデートで、ババンとスザンヌはいいムードまで進むものの、やんわりとしたスザンヌの拒否によって明らかだ。
ところが、そんな中で急に浮上したのが「息子のローランは誰の子だ?」という問題。いくつかの物的証拠(?)といくつかの誤解的発言の中で、ひょっとしてローランはババンとスザンヌの子供かも?という疑惑が浮上したわけだが、その真相を知っているのは当然スザンヌだけ。ロベールからの追及を受けたババンは「ひょっとしてそれが真実なら、天にも上る気持」と有頂天になったが、さて真相は?ここで明らかになるスザンヌの若き日の恋多き女ぶりは見モノだが、スザンヌに言わせれば、それは昔のことですべて時効らしい。
なるほど、これがフランス流。そんな問題が顕在化すれば離婚問題にも大きな影響を与えることは明らかだが、それは本作ではいかにもフランス的な合理主義(?)で片づけられていく。何ごとにも情緒的で何かと根にもつタイプが多い日本人では、こうはいかないのでは?
<政治はこんなに身近!これまたフランス流!>
「嫉妬心は女の専売特許」などと言うのは、男のカッコづけにすぎず、嫉妬心は男も女も同じ。社会的に重要な役割を担っている男の場合のそれは、時として最悪になることも。また、「敵の敵は味方」というのは軍事的戦略の基本だが、それを地でいったのがロベールだ。見方によって、本作は心温まるコメディではなく、血湧き肉踊る男と女のバトルそしてコミュニズムと資本主義との対立をダイナミックに描いた映画とみることもできる。それは、クライマックスに向けて展開される国会議員選挙によってだ。なぜ、そんな展開に?
それは、社長のイスを争う闘いに敗れたうえ、「君は偽善とウソと特権のブルジョア女だ」と言われてババンと決別したスザンヌが、友愛と団結の精神を持って社会を変え、女性を変えるには国会議員になるのが一番、と考えたためだ。スザンヌのそんな考え方は一見突飛なようだが、よくよく考えれば合理的でこれこそ民主主義の原点だ。「府知事選挙への出馬は2万%でもあり得ない」と断言していた橋下徹弁護士の、「君子は豹変す」を地で行くような出馬をマスコミは批判したが、私に言わせればそれはナンセンス。ある日、ある理由によって突然出馬を決意したからといって、一体何が悪いの?
この展開をみて私が面白かったのは後援会組織もなくマイクも使わない選挙戦の様子だが、それは脇道の話。スザンヌとババンの一騎討ちは当初ババンの楽勝と見られ、ババンも余裕しゃくしゃくだったが、さてその結末は?それにしても、当選直後のお礼のあいさつの後、当選者が突然マイクを握って歌を歌い出すとは!たくさん集まっていた聴衆もこれにはきっとビックリのはず。なるほど、政治はこんなに身近!これまたフランス流だ。
2010(平成22)年12月14日記
<GAGA試写室>
2010年12月14日鑑賞
2010年12月14日記
清楚で美しかった若き日の「あの雨傘」も良かったが、今なお変わらぬ美しさを保つ「この雨傘」も意外にグッド!本作は単なる心温まるコメディではなく、意外や意外、1977~78年のフランスの政治状況と女性解放の動きがヴィヴィドに!こりゃいかにもフランス的な、風刺の効いた問題提起作。こういう映画をつくれること自体が文化なのだ、とあらためて痛感!
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督・脚本・脚色:フランソワ・オゾン
スザンヌ・ピュジョル(雨傘工場を運営するロベールの妻)/カトリーヌ・ドヌーヴ
モリス・ババン(パリ市長)/ジェラール・ドパルデュー
ロベール・ピュジョル(スザンヌの夫)/ファブリス・ルキーニ
ナデージュ(ロベールの秘書)/カリン・ヴィアール
ジョエル(長女)/ジュディット・ゴドレーシュ
ローラン(長男)/ジェレミー・レニエ
2010年・フランス映画・103分
配給/ギャガ
<あの「雨傘」も良かったが、この「雨傘」もグッド!>
日本では1945年生まれの吉永小百合がずっと美しいまま第一線で女優としての活躍を続けているが、フランスでそれに相当するのが1943年生まれのカトリーヌ・ドヌーヴ。最近では女優としての活躍の他、06年の第63回べネチア国際映画祭で審査委員長を務めるなどの活躍も目立っている。「彼女の代表作を1本選べ」、と言われればきっと『昼顔』(67年)だろうが、「最も印象に残る映画を1本選べ」と言われれば、それは『シェルブールの雨傘』(63年)。何とも不思議な雰囲気のフランス語によるミュージカル映画に、高校1年生の私は酔いしれたものだ。
そんなカトリーヌ・ドヌーヴの最新作が本作。アルジェリア戦争への召集令状によって2人の恋が引き裂かれた『シェルブールの雨傘』も良かったが、フランソワ・オゾン監督が脚本を書き、時代を1977年~78年のフランスに設定した今回の『しあわせの雨傘』もグッド。日本は1960年代後半は学園紛争と対立の時代だったが、70年安保闘争が終焉し、70年の大阪万博が成功裏に終わると、その後は一気に平和と安定を求める経済成長一辺倒の国へと進んでいった。しかし、人権の国、自由・平等の国フランスでは?
<価値観の相違を明確に!対立軸を明確に!>
2009年8月30日の「政権交代」後、鳩山・菅と続いた民主党政権が正常に機能しない理由はたくさんあるが、その1つがあらゆる論点について問題点をあいまいにし、価値観の相違を明確にしないこと。それによって問題の先送りはできても、問題の解決には何ら寄与しないわけだ。「内向き志向」を強める日本では若者たちにその傾向が顕著で、若者たちの飲み会での話題はソフトな話題ばかりであるうえ、互いに踏み込み不足。そこに硬い話題を提供して、口角泡を飛ばす議論をすることは到底考えられないわけだ。しかし、1977年~78年に時代設定をした本作を観ると・・・。
まず、家庭において雨傘工場の社長であるロベール(ファブリス・ルキーニ)が妻に求めるのは、美しく着飾って夫の言うことにただ黙ってうなずけばいいということ。その結果、妻のスザンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は夫が秘書のナデージュ(カリン・ヴィアール)と浮気していることにも文句が言えないわけだが、そんな母親に対して「それでは飾り壷だ」と激しく非難するのが娘のジョエル(ジュディット・ゴドレーシュ)。既に結婚し2人の子供の母親となっている彼女はスザンヌのそんな情けない生き方に反発し、家庭を省みない夫と自分は断固離婚すると息まいているが、さて・・・?
それはともかく、今雨傘工場では労働組合が権利を主張し、ストライキに入りそうだから大変。組合の要求を断固拒否したロベールだったが、ロベールは今団交の延長として社長室に監禁状態に。それを救出してくれたのは市長のモリス・ババン(ジェラール・ドパルデュー)だが、何とこのモリスは若かりし頃のスザンヌと相思相愛の恋人であったうえ、れっきとしたコミニストの闘士。つまり、ブルジョアのロベールやその妻であるスザンヌとは立場や価値観が全く違うわけだ。本作はてっきりフランス流コメディと思って試写室に赴いた私は、導入部で展開されるそんな展開を観て思わず身を乗り出すことに。
やはり菅総理が言う「熟議」のためには、価値観の相違を明確に、そして対立軸を明確にしなければ・・・。
<日本にもこんな隠れた人材がいれば・・・>
家族だけでやっている小さな企業ならともかく、何十人何百人の従業員を抱えている中レベルの企業では、急に代表者が倒れ入院してしまうと、そのピンチヒッターや後継者選びは大変。北朝鮮のような国になると、良くも悪くも将軍様たる金正日の腹一つで三男の金正恩に後継者を決めることができるが、ロベールがストライキのショックよる心臓発作で倒れた後の会社の後継者は?
本作におけるそのピンチヒッターはスザンヌだが、夫婦2人だけの家内工業ならともかく、これだけの規模でやっている雨傘工場の代表者が会社経営の右も左もわからないブルジョア主婦でOKなの?そんな疑問を持つのは当然だが、意外や意外、労働組合との団交におけるスザンヌの対応は立派なもの。労働者たちからの週40時間労働、残業手当25%増などの要求を「ごもっとも」と受け止めたスザンヌはそれを「丸飲み」したうえで、今後の会社経営については「友愛と団結」の精神でやっていきたいと宣言した。そして、自らの補佐役として、娘のジョエルと息子のローランを重要な部署に登用。さらに局面によっては恋敵ともなりうる秘書のナデージュを引き続き重用したから、何と会社の業績は以降右肩上がりに。こりゃまるで2001年4月の自民党総裁選挙で「変わり者」と言われていた小泉純一郎が橋本龍太郎と麻生太郎を破って第87代総裁に選出され、以降大胆な小泉改革を進めた時の日本と同じ?
目下菅総理と民主党支持率は下がりっぱなし。しかし、そうかといって自民党にもう1度国政を任せようという気にもならない国民が充満しているから、わが国の「政治不信」は今やどうしようもない状況にある。つまり、近い将来衆議院議員総選挙が実施されても、投票すべきタマがいないという民主主義そのものの危機にあるわけだ。ないものねだりかもしれないが、日本にもスザンヌのような人材が登場してくれれば・・・。
<あの「友愛」はダメだったが、こちらの「友愛」は?>
日本国民から今や総スカン状態とされながら、なお本人は「衆議院議員としての役割をあれこれと果たすのが天命」と考えているらしいのが鳩山由紀夫前総理。その「どうしようもなさ」は政権を引き継いだ市民運動出身の菅直人現総理とともに白日の下にさらされているが、鳩山由紀夫前総理が提唱した「友愛」を、これまた今やどうしようもないほど低レベルに陥っているマスコミが一時もてはやしたのも事実。
この鳩山流の「友愛」に何の中身もなく、言葉の遊びに過ぎなかったことは歴史的に明らかになったが、1977年のフランスでピンチヒッターながら雨傘工場の社長に就任したスザンヌが唱えた友愛と団結とは?あちらの「友愛」はダメだったが、こちらの「友愛」は意外にも大きな共感と大きな成果を・・・。
<後半は、意外な権力争いからスタート!>
とはいっても、スザンヌの政権はあくまで暫定政権。ロベールはそう思っていたから、病が癒えて会社に復帰すると、まずは秘書のナデージュを呼び出し、ちょっとエッチなことも仕掛けながら、元通り会社の独裁者としておさまろうとしたのは当然。ところが、映画後半は意外にもロベールとスザンヌの会社経営権をめぐる権力争いからスタートする。そして、これが実に面白いから私はそれに注目。
スザンヌがピンチヒッターに立ったことによって工場の業績がアップしたといっても、それはたまたまの偶然。俺が復帰した以上、以前と同じような本格的保守政権を樹立しなければ。ロベールがそう考えたのは当然だが、スザンヌに言わせれば、それはもう古い古い。今や雨傘工場の経営は労使一体、友愛と団結の精神で次々と大胆な改革をしながら進めていかなくっちゃ。そんなスザンヌの考えを支持したのが、娘のジョエル、息子のローラン、そして秘書のナデージュたちだ。俺の妻は何を血迷っているのだ!そう考えたロベールは、会社の経営は株主構成によって決まるものであり、自分は圧倒的な株主だからあくまで自分の意思が会社の意思。スザンヌに対してそう主張したが、さて株主総会の結末は?
ストーリー的にはこれは本筋ではないが、弁護士の私としては非常に興味深かったので少し詳しく紹介すれば、この争いの前提は次のとおりだ。すなわち、この雨傘工場は典型的な同族会社であり、社長のロベールが45%の筆頭株主。その他は、妻のスザンヌが15%、娘のジョエルが10%、息子のローランが10%、ロベールの姉が15%、その他5%という株主構成となっている。テーブルを囲んで座ったこれらの株主の意思は秘書のナデージュの手によって黒板に書かれていったが、さてその結末は?
<権力闘争が終われば、すべて水に流して一致団結?>
個人企業の場合は、夫が社長で妻が専務(その実は総務、会計、庶務、雑用)、社員はアルバイト1人だけというスタイルが多い。その場合、この夫婦は必然的に自宅でも会社でも常に一緒ということになる。しかし、規模が大きくなると男はそういうスタイルを嫌がり、妻は家庭に、会社のスタッフは別に、ということになるが、1977年当時の典型的なブルジョア男ロベールはその典型だったようだ。
夫と妻が会社の経営権をめぐって株主総会の議決権で争うという姿はめずらしいが、そこで白黒がついてしまうとどうしてもその争いは尾をひくもの。2010年9月14日に菅直人と小沢一郎が争った民主党代表選挙は、地方票はともかく国会議員の頭数では206人対200人と僅差だったこともあり、「権力闘争が終われば、すべて水に流して一致団結」といくらきれいごとを言っても、それが無理なことは現況を見れば明らかだ。それと同じように、社長選出闘争において敗北したスザンヌは、今やロベールとの離婚を決意するまでに。今回、それを支持するのは息子のローラン、逆にそれに反対するのは娘のジョエル。さて、それはなぜ?
<なるほど、これがフランス流・・・>
もっとも弁護士的視点で言えば、ロベールとスザンヌの離婚問題については、ロベールの入院中に明らかになった、若き日のスザンヌが恋多き女だったことの方が大問題。ババンがスザンヌの元恋人だったことは公然の秘密だが、主義主張が異なったため別れたのだし、今更よりを戻そうとしてもそれにはかなり無理がありそう。そのことは、ロベール入院中のデートで、ババンとスザンヌはいいムードまで進むものの、やんわりとしたスザンヌの拒否によって明らかだ。
ところが、そんな中で急に浮上したのが「息子のローランは誰の子だ?」という問題。いくつかの物的証拠(?)といくつかの誤解的発言の中で、ひょっとしてローランはババンとスザンヌの子供かも?という疑惑が浮上したわけだが、その真相を知っているのは当然スザンヌだけ。ロベールからの追及を受けたババンは「ひょっとしてそれが真実なら、天にも上る気持」と有頂天になったが、さて真相は?ここで明らかになるスザンヌの若き日の恋多き女ぶりは見モノだが、スザンヌに言わせれば、それは昔のことですべて時効らしい。
なるほど、これがフランス流。そんな問題が顕在化すれば離婚問題にも大きな影響を与えることは明らかだが、それは本作ではいかにもフランス的な合理主義(?)で片づけられていく。何ごとにも情緒的で何かと根にもつタイプが多い日本人では、こうはいかないのでは?
<政治はこんなに身近!これまたフランス流!>
「嫉妬心は女の専売特許」などと言うのは、男のカッコづけにすぎず、嫉妬心は男も女も同じ。社会的に重要な役割を担っている男の場合のそれは、時として最悪になることも。また、「敵の敵は味方」というのは軍事的戦略の基本だが、それを地でいったのがロベールだ。見方によって、本作は心温まるコメディではなく、血湧き肉踊る男と女のバトルそしてコミュニズムと資本主義との対立をダイナミックに描いた映画とみることもできる。それは、クライマックスに向けて展開される国会議員選挙によってだ。なぜ、そんな展開に?
それは、社長のイスを争う闘いに敗れたうえ、「君は偽善とウソと特権のブルジョア女だ」と言われてババンと決別したスザンヌが、友愛と団結の精神を持って社会を変え、女性を変えるには国会議員になるのが一番、と考えたためだ。スザンヌのそんな考え方は一見突飛なようだが、よくよく考えれば合理的でこれこそ民主主義の原点だ。「府知事選挙への出馬は2万%でもあり得ない」と断言していた橋下徹弁護士の、「君子は豹変す」を地で行くような出馬をマスコミは批判したが、私に言わせればそれはナンセンス。ある日、ある理由によって突然出馬を決意したからといって、一体何が悪いの?
この展開をみて私が面白かったのは後援会組織もなくマイクも使わない選挙戦の様子だが、それは脇道の話。スザンヌとババンの一騎討ちは当初ババンの楽勝と見られ、ババンも余裕しゃくしゃくだったが、さてその結末は?それにしても、当選直後のお礼のあいさつの後、当選者が突然マイクを握って歌を歌い出すとは!たくさん集まっていた聴衆もこれにはきっとビックリのはず。なるほど、政治はこんなに身近!これまたフランス流だ。
2010(平成22)年12月14日記









