太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男(日本映画・2011年) |
<東宝試写室>
2011年1月5日鑑賞
2011年1月7日記
サイパン島の玉砕は地獄絵。そんなイメージだったが意外にも?日本の敗戦は1945.8.15だったが、なぜ大場大尉はその後も抵抗を?こんな映画が作られた意義は十分認めるものの、もう少し事実関係の正確な評価が必要では?
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監督:平山秀幸
原作:ドン・ジョーンズ『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』『OBA,THE LAST SAMURAI』
大場栄陸軍大尉(フォックス)/竹野内豊
堀内今朝松一等兵(任侠道の男)/唐沢寿明
青野千恵子(民間人の少女)/井上真央
木谷敏男曹長(大場隊と合流した曹長)/山田孝之
奥野春子(民間人の女性)/中嶋朋子
尾藤三郎軍曹(大場隊のひとり)/岡田義徳
元木末吉(英語が話せる民間人)/阿部サダヲ
ハーマン・ルイス大尉(日本に留学経験がある大尉)/ショーン・マクゴーウァン
ポラード大佐(ルイスの上官)/ダニエル・ボールドウィン
ウェシンガー大佐(ポラードの後任)/トリート・ウィリアムズ
金原少尉(大場隊と合流した少尉)/板尾創路
伴野少尉(大場隊の一員)/近藤芳正
永田少尉(大場隊と合流した少尉)/光石研
馬場明夫(捕虜になっていた民間人)/酒井敏也
池上上等兵(元神主)/柄本時生
大城一雄(民間人たちのリーダー)/ベンガル
2011年・日本映画・128分
配給/東宝
<サイパン島は地獄絵だったのでは?>
日米開戦から70年を経た2011年の今。サイパン島で現実に存在した「太平洋の奇跡」というべき物語が映画化されたが、こんな現実があったことを私が知ったのはもちろん本作によって。フィリピンのルバング島に派遣され、日本の敗戦後もなお密林にこもって抵抗活動を続けていた小野田寛郎少尉が、「天皇陛下万歳」と叫んで帰還してきたのは、大阪万博から4年後の1974年のこと。また、2010年のNHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』によって妖怪を次々と漫画に描いた水木しげるが一躍全国区になったが、その原体験はラバウルのニューブリテン島での戦争体験(玉砕戦とゲリラ戦)にある。したがって私のイメージでは、あの戦争におけるサイパン島をはじめとするそんな南方の島々での戦いは、それぞれ地獄絵だったはずだが、意外と本作では?
主演の竹野内豊はかなりの減量で本作に臨んだそうだが、私には本作がそれほどの地獄絵に見えなかったのが、意外かつ少し残念。
<なぜ空爆しないの?>
玉砕は玉砕であり、万歳突撃は万歳突撃。したがって、それを決行すれば、それにてすべてジ・エンド。私はそう思っていたが、サイパン島では、万歳突撃後の生き残りの兵隊と民間人が200人という規模でタッポーチョ山の中に隠れて「野営」を続け、生き延びていたらしい。しかし、圧倒的な軍事力を持つアメリカ軍は、なぜそんなタッポーチョ山を空爆しないの?それが私には不可解。したがって、ポラード大佐が5000名の海兵隊を集結させてタッポーチョ山の大掃討作戦を展開するシーンにも、私は何となく違和感が・・・。
<捕虜収容所はこんなに自由?>
本作では、タッポーチョ山に野営する大場栄陸軍大尉(竹野内豊)たち一行と、捕虜収容所に収容された捕虜たちとの間の「交流」が描かれる。しかし、これも私には少し違和感が。それは、捕虜収容所はこんなに自由なの?という疑問だ。
また、日本語をしゃべることができ日本文化を理解するハーマン・ルイス大尉(ショーン・マクゴーウァン)が、逆に英語をしゃべることができる民間人の捕虜・元木末吉(阿部サダヲ)を使って大場大尉に降伏をうながそうと努力している姿は理解できるが、こんな中途半端なやり方では、それはなかなか実現しないのでは?
<なぜ1945.8.15以降も?>
日本が敗戦した1945.8.15以降もインドネシアに残り、インドネシアの独立のためにインドネシア人と共に戦った旧日本陸軍の将兵の姿を描いた映画が『ムルデカ』(01年)だった(『シネマルーム1』89頁参照)。しかし、サイパン島では1945年8月15日の敗戦後、捕虜収容所で玉音放送が流され、それを大場大尉たちも間接的に聞かされていたのだから、合理的に考えれば日本の敗戦は信じたくなくとも信じるべき事実だったのでは?そうだとすれば、大場大尉ほどの判断力があれば、直ちに武装解除して降伏するのが当然だと私は思うのだが、以降1946年12月1日に降伏式を行うまで512日間もタッポーチョ山にこもって抵抗を続けたのは一体何のため?
アメリカ側から大場大尉の奮闘ぶりを描いたドン・ジョーンズ著『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』が1982年に出版されたことの意義やそれが映画化されたことの意義は認めるものの、もう少し個々の事実関係についてのシビアな評価をしてほしかったと思うのは私だけ?
2011(平成23)年1月7日記