戦火の中へ(韓国映画・2010年) |
<宣伝用DVD鑑賞>
2011年2月16日鑑賞
2011年2月18日記
1950年6月25日北朝鮮軍が突然南下!そして8月11日には浦項女子中学で学徒兵71名の死闘が!それから60年後の今、その物語が『アラモ(THE ALAMO)』(04年)と同じようにすばらしい映画としてよみがえった。なぜ、韓国はこんな感動的な戦争映画ができるの?それはきっと、平和でノー天気な日本と今なお北朝鮮との緊張関係を保つ韓国との相違。そして何よりも、若者たちの「祖国」に対する意識の差だ。『ブラザーフッド』(04年)も『光州5・18』(07年)も良かったが、本作も涙なくして見られないはず。腐ったニッポンの政治状況を嘆くだけではなく、こんな映画を観て自分の生き方を模索してほしい。
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監督:イ・ジェハン
オ・ジャンボム(韓国軍学徒兵中隊長)/チェ・スンヒョン(T.O.P)
ク・ガプチョ(韓国軍学徒兵)/クォン・サンウ
パク・ムラン(北朝鮮軍少佐)/チャ・スンウォン
カン・ソクテ(韓国軍大尉)/キム・スンウ
ファラン(看護師)/パク・ジニ
2010年・韓国映画・121分
配給/角川映画
<中国があれなら、韓国はこれ!さて日本は?>
中国では「正月映画の顔」として最も中国人民に愛されている馮小剛(フォン・シャオガン)監督が、1949年の中華人民共和国建国60周年を迎える直前の2007年に「国共内戦」の革命烈士秘話を描いた『戦場のレクイエム(集結號)』(07年)(『シネマルーム22』218頁参照)を監督した。それに対抗するかのように韓国では『私の頭の中の消しゴム』(04年)(『シネマルーム9』)137頁参照)や『サヨナライツカ』(09年)でラブストーリーの名手として有名になったイ・ジェハン監督が、1950年の朝鮮戦争勃発から60周年を迎えた2010年に本作を!
朝鮮戦争を真正面から描いた『ブラザーフッド』(04年)は、『SILMIDO(シルミド)』(03年)(『シネマルーム4』202頁参照)を超え観客動員数新記録1300万人を樹立した韓国映画の最高傑作。これは兄弟愛のドラマを軸にしながら、『プライベート・ライアン』(98年)ばりの戦闘シーンが強烈だった(『シネマルーム4』207頁参照)。それに対して、1950年8月11日に現実に起きた「浦項(ポハン)女子中学の戦闘」を題材とした本作は、71名の学徒兵たちがおりなす感動ドラマと強烈な戦闘シーンがすばらしい。
2010年に戦後65年を迎えた日本では今『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』(11年)が公開されているが、その出来はイマイチ。かつて1960年代後半に、東宝が終戦記念日に向けた戦争映画大作として『日本のいちばん長い日』(67年)などの傑作を次々と発表していた時代が懐かしい。すると今や、日本はこの分野でも中国や韓国に劣勢?
<なぜ、俺が中隊長に?>
実話にもとづく映画(トゥルーストーリー)は多いが、それはネタを実話に求めているだけであって、映画はあくまでつくりもの。本作冒頭は『プライベート・ライアン』ばりの冒頭20分の大活劇とまではいかないが、1950年6月25日突如南下してきた北朝鮮軍の前に敗退を重ねる韓国軍の中に混じって、「盈徳(ヨンドク)市の戦闘」で戦う学徒兵オ・ジャンボム(チェ・スンヒョン)の姿が描かれる。彼が、後に「浦項女子中学の戦闘」において71名の学徒兵の中隊長になるオ・ジャンボムだ。この戦闘で放心状態になってしまったジャンボムを演ずるのは、本作が本格的な映画デビュー作となる韓国のダンス・ヴォーカル・グループBIGBANGのメンバーであるチェ・スンヒョンだが、なぜ彼が学徒兵のリーダーに?
上部の命令に従って浦項女子中学を捨てざるをえない韓国軍のカン・ソクテ大尉(キム・スンウ)がジャンボムを中隊長に任命したのは、彼に戦闘体験があるというだけの理由。実は盈徳市の戦闘でも彼は爆弾を運ぶ任務を遂行した他は逃げまどうだけだったのだが、それでも地獄のような体験を経た彼は中隊長に着任すると、急に大人の顔に・・・。
<実話を元にした骨太ドラマの構想力に拍手!>
本作には、中隊長になったオ・ジャンボムが「お母さん、僕は人を殺しました」から始まる手紙を書くシーンが登場する。本作は1950年8月11日の浦項女子中学の戦闘で命を落とした当時中学3年生だった少年イ・ウグンが母親に宛てて書いたそんな手紙を題材としたものだが、本作におけるオ・ジャンボムは大学生。ここの戦闘で戦った71名の学徒兵の平均年齢は16歳だったそうだが、さすがにその年齢構成では個性ある俳優を集めるのはムリ。そこでイ・ジェハン監督は、チェ・スンヒョンの他に1976年生まれの韓流大スターたるクォン・サンウを少年院に行く代わりに学徒兵になるという濃いキャラのク・ガプチョ役として登場させ、オ・ジャンボムとク・ガプチョのバトルを人間ドラマの1つに据えた。
他方、こんな「ガキ共」をひと飲みにしようとする766部隊を率いる豪胆な北朝鮮軍のリーダーが、パク・ムラン少佐(チャ・スンウォン)。韓国映画における北朝鮮軍のエリート軍人やスパイはものすごい能力を発揮するが最後には死亡するものと「相場」が決まっているが、このパク少佐の存在感と圧倒感は抜群だ。学徒兵を自分の子供のように気にかけるカン・ソクテ大尉の熱いまなざしもあって、1950年8月11日に現実に起きた「浦項女子中学の戦闘」という史実は、イ・ジェハン監督の手によって骨太のドラマとして見事によみがえった。イ・ジェハン監督の、実話を元にした骨太ドラマの構想力に拍手!
<71名の「同期の桜」たちの成長ぶりに注目!>
映画中盤に描かれる浦項女子中学における71名の学徒兵たちの「訓練」の様子をみていると、学生らしくみんな明るく遊び心がいっぱい。やっぱり学徒兵は軍人ではなく、みんなまだガキ?戦局が悪化する中で次々と学徒動員されていった日本の大学生たちは悲壮感でいっぱいだったが、本作中盤にみる71名の学徒兵が日本の学徒兵と異なるのは、彼らが自分の意志に従って学徒兵になったということ。本作中盤では、そんな71名の「同期の桜」たちの成長ぶりに注目したい。
ジャンボムと共に「ガリガリ三銃士」と揶揄されながら小隊長になったチャンウ(ユン・スンフン)とビョンテ(キム・ホウォン)は、もともとジャンボムと同じ戦闘体験があってしっかりしていたが、歩哨に立っていたヨンベ(ムン。ジェウォン)とヨンマン(キム・ヘソン)の兄弟もある日起きた北朝鮮軍の偵察部隊との小競り合いの中で大きく成長!また、ダンスと歌が上手でふざけてばかりいたグァンイル(キム・ハンジュン)や、優等生というあだ名で無線機を担当するジェソン(キム・ドンボム)、そしてデブと呼ばれていたナムシク(ク・ソンファン)たちも、少しずつ「しゃきっ」としてきたからさすが軍隊式訓練はえらいものだ。他方、北朝鮮軍に両親を殺された恨みのため「アカ」を殺すことに並々ならぬ意欲を燃やすガプチョのケンカ殺法は健在だが、その右腕のプンチョン(キム・ユンソン)や下っ端のワンピョ(タク・トゥイン)の学徒兵ぶりも少しずつサマになってきた。そんな中、北朝鮮軍の挑発にのって騙し討ちに遭ってしまった学徒軍は16名の死者を出すという大打撃を受けたが、そこで捕虜となってしまったダリョン(シン・ヒョンタク)の命運は?
<究極の選択は2つに1つ。降伏or戦死?>
前述のとおりパク少佐の存在感は抜群だが、本作は韓国映画だからやはりその描き方はステレオタイプ?そう思うのは第1に、常にパク少佐の側にいて何かと意見を具申する政治委員との確執の描き方。党中央の命令は「洛東江(ナクトンガン)に向かえ」だったのに、パク少佐が浦項への進撃を決定したのは、直接金日成将軍サマから「解放記念日の8月15日までに釜山を陥とせ」と命令されていたためらしい。つまり、パク少佐の頭の中では党中央よりも「将軍サマ」の方が上にいたわけだが、やはりその論理はおかしいのでは・・・。
第2は、766部隊のリーダーたるパク少佐が、直接単身で武器も持たずに浦項女子中学へ赴くこと。これは捕虜にしたダリョンから浦項女子中学を守っているのは学徒兵だけだと聞いたことによるパク少佐の精一杯の広い心によるものだが、いくら何でもこれはムチャ。それはなぜなら、いくら白旗を掲げながらの降伏勧告のための訪問であっても、相手が正規軍ならともかく寄せ集めの学徒兵なのだから、中隊長の命令を無視して勝手な行動に走るヤツがいてもおかしくないからだ。映画をみている限り、あまりにも堂々としたパク少佐の姿に圧倒されて誰一人手出しできなかったが、そりゃ結果論というものでは?
それはともかく、ここでパク少佐がジャンボムに伝えたのは、「これから2時間後、正午までに降伏しろ。そうすれば学徒兵たち全員の命は保証する」というものだった。これは「君たちは南北統一後の国づくりにおいて大切な人材だから」という何とも大局的な判断にもとづくものだから、パク少佐は立派。そんな最後通告を受けたジャンボムの返事はその場では曖昧だったが、さて彼の選択は?その究極の選択は、2つに1つ。降伏or戦死?今の時代なら民主主義的に民意を確認しようということになるのかもしれないが、時代は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争からまだ2カ月も経っていない8月11日だ。パク少佐は学徒兵たちがとる道は降伏だと見切っていたようだが、さて中隊長ジャンボムの決断は?
<3日間でも、13日間でも、11時間でも!>
ザック・スナイダー監督の『300 スリー・ハンドレッド』(07年)は、紀元前480年8月に実際に起きた「テルモピュライの戦い」で100万人というペルシャ兵の侵攻に抵抗し全員玉砕したスパルタ戦士の勇姿を描いた劇画タッチの面白い映画だった。この抵抗はペルシャ兵の侵攻を3日間もちこたえたため、その間にアテネ海軍にペルシア軍を海上で迎え撃つ態勢を整えることを可能にさせ、サラミス沖の海戦で勝利することになったという意味で貴重なものだった(『シネマルーム15』57頁参照)。また、ジョン・ウェイン版の『アラモ』(60年)も、そのリメイク版『アラモ(THE ALAMO)』(04年)も、サンタアナ将軍率いる圧倒的なメキシコ正規軍の侵攻に対して、「アラモの砦」にたてこもったヤンキーたちが全員玉砕するという涙のドラマ。ここでも男たちは全員壮絶な戦死を遂げたが、13日間ももちこたえたことが、その後ヒューストン将軍率いるテキサス軍が「サシ・ハシントの戦い」でメキシコ軍に勝利する要因となった(『シネマルーム6』115頁参照)。これは、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島』2部作が描いた、栗林忠道中将が「1日でも長く硫黄島で米軍をもちこたえる」という戦略目標に従って、5日間でおとす予定が36日間もかかったというのと同じだ。そんな目でみれば、本作のクライマックスが描く壮絶な戦いの意味は?
パク少佐が洛東江へ向かわず浦項に進撃したのは、ここを突破すれば韓国の臨時首都とされた釜山へ最速で到達できると判断したため。したがって8月11日の午後0時を期して学徒兵たちが降伏していれば、766部隊はそのままスピードをアップして釜山へ一目散。ところが、ジャンボムをリーダーとする学徒兵たちの予想以上の抵抗と、カン・ソクテ大尉が人数は少なくとも対戦車用バズーカ砲を持って応援にかけつけたため、映画では「浦項女子中学の戦闘」で北朝鮮軍は敗退することに・・・。もちろん歴史的にはそうではなく、学徒兵がここでもちこたえた時間は11時間らしい。
しかし、織田信長やヒトラーの電撃作戦を持ち出すまでもなく、戦争はスピードが命。歴史的にはこの「浦項女子中学の戦闘」によって学徒兵71名のうち46名が死亡したが、それによって北朝鮮軍の南への侵攻を遅らせ、20万人を超える避難民が兄山江(ヒョンサンガン)以南へ退避することができたらしい。そしてこのことが洛東江の死守はもちろん、その後の韓国軍と連合軍の反撃に大きく寄与したということだ。そうすると、スパルタの3日間も、アラモ砦での13日間も、浦項女子中学での11時間も、その価値の大きさは同じ!
<平和でノー天気な日本の若者こそ本作を!>
本作のクライマックスは「アラモの砦」にたてこもるヤンキーたちと同じように、ありったけの知恵を動員し、ありったけの武器を用意して大軍を迎え撃つ、71名の学徒兵たちの壮絶な戦いぶり。もっとも、「ここで戦うのは犬死にだ」と主張したガプチョだけは仲間とともに持ち場を離れたが、そのガプチョもひょんなきっかけから再び死闘の現場に戻ることに。さらに「何としても学徒兵たちの支援を!」と上層部にしつこく願い出ていたカン・ソクテ大尉の思いがやっと叶い、落城スレスレの時間帯ながらも浦項女子中学には強力な助っ人が。もちろんこれは、史実にもとづく映画と言いながらもイ・ジェハン監督がオリジナルでつくり出したものだが、映像的にもストーリー的にもハイライトのスペクタクル・シーンをうまく盛り上げてくれる。
1980年5月18日から10日間続いた朝鮮半島最南端の全羅南道にある光州での、戒厳軍と市民軍との戦いを真正面から描いた感動作が『光州5・18』(07年)だった。そこに見る、市庁舎にたてこもった市民軍と戒厳軍との死闘は、市民軍が追い込まれていくにつれて観客の涙を誘った(『シネマルーム19』78頁参照)が、そのサマは本作も全く同じだ。敵が歩兵だけならまだしも戦車が投入されたのでは、何の防御線もない中学校の校舎やそこにたてこもる学徒兵など屁みたいなもの・・・。ところが、そこで展開される学徒兵たちによる日本帝国陸軍の特攻まがいの「戦車攻撃」をみると、思わず涙が・・・。
学徒兵たちは次々と殺され、残った者は屋上に追い詰められていく中で、最後に残ったのはジャンボムとガプチョの2人。屋上で見せる2人の獅子奮迅の戦いぶりはまさにエネルギーいっぱいの若者がみせる火事場のクソ力だが、なぜ日本の若者たちは彼らのような命がけの必死の行動をとらないの?とれないの?もちろん平和はいいことだし争いごとがないのは何よりだが、ホントにノホホンとしていれば幸せに生きることができる平和なんてあるの?こんなシーンをみていると、思わずそんな風に考えざるをえなくなってくる。
ラストの決着のつけ方には多少「異議あり」だが、これも映画的な手法としてはOK。しかし私は本作のクライマックスにおける死闘では、ストーリー展開よりもジャンボムとガプチョを中心とした学徒兵たち1人1人の心の持ちように注目したい。そして是非、本作を観る日本の若者たちは今の自分たちの心の持ちようと対比し、71名の学徒兵と同じように真剣に自分の生き方を模索してほしいものだ。
2011(平成23)年2月18日記