ツィゴイネルワイゼン(日本映画・1980年) |
<テアトル梅田>
2011年8月7日鑑賞
2011年8月10日記
原田芳雄逝く!そんな訃報に日本中がビックリしたためか、彼の追悼上映は大入り。もっとも、観客が年配者ばかりなのは仕方なし・・・。日本が超元気だった1980年の本作は、キネ旬第1位作品には珍しく不可解かつ難解だが、2011年のヘタってしまった日本ではさて?名優を偲びながら、物語の不可思議性と鈴木清順監督の爛熟美や映像美を堪能し、さらに日本国の時代状況にも注目!
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監督:鈴木清順
脚本:田中陽造
中砂糺(士官学校ドイツ語教師)/原田芳雄
中砂園(糺の妻)、小稲(芸者)/大谷直子
青地周子(豊二郎の妻)/大楠道代
青地豊二郎(士官学校ドイツ語教師)/藤田敏八
妙子(豊二郎の妹)/真喜志きさ子
先達/麿赤児
巡査/山谷初男
甘木医師/玉川伊佐男
キミ/樹木希林
宿の女中/佐々木すみ江
1980年・日本映画・145分
配給/リトル・モア
<原田芳雄逝く!>
原田芳雄逝く!彼は上行結腸がんから併発する肺炎のために、7月19日に亡くなった。そんなニュースを聞き、そしてテレビ報道や新聞で彼のやせ細った闘病姿を見てビックリ!5月17日に『大鹿村騒動記』(11年)を観た時には、ガンを患っている雰囲気など全く感じさせない存在感タップリの演技を見せていたのに。彼の訃報を聞いた直後、日刊ゲンダイの記者から、私のホームページをよく読んでおり、『大鹿村騒動記』の評論を読んで面白かったので、是非原田芳雄と『大鹿村騒動記』についてのコメントを。そう頼まれていろいろと話をしたところ、それが次のようにまとめられて、7月22日付日刊ゲンダイに掲載された。
「村歌舞伎の花形役者を務める主人公(原田)のもとへ、18年前に駆け落ちした妻(大楠道代)と幼なじみ(岸部一徳)が突然帰ってきたことから始まる。ムチャクチャな設定だが、複雑な感情を抱く役柄を3人が見事に演じていて、悲劇を喜劇へと導いている。三国連太郎、石橋蓮司、松たか子、佐藤浩市ら脇を固める豪華キャストの役割分担もはっきりしていて、軽妙なセリフのやりとりも面白い。また、リニア新幹線の誘致やアルバイト青年の性同一性障害といった現代風な問題も盛り込まれていて、飽きさせない。誰もが納得できる感動作です」。
映画俳優・原田芳雄の最大の特徴は、野性味と不思議な存在感。『竜馬暗殺』(74年)などに出演していた若い時はアウトロー的な存在感を、近時の『美しい夏キリシマ』(02年)や『父と暮せば』(04年)などでは、作品のテーマに沿った父親像としての存在感を見事に表現していた。そんな原田芳雄の過去の名作の追悼上映がなされたため、見逃していた『ツィゴイネルワイゼン』(80年)だけは何が何でもと思って、テアトル梅田へ。80年に『影武者』を制してキネマ旬報ベストテンの第1位を獲得したこの作品は、09年に『沈まぬ太陽』が日本アカデミー賞最優秀作品賞をとるまでは歴代最長の上映時間(2時間25分)だったらしい。さて、そんな名作で原田芳雄はいかなる名演を?
<なぜ、こんなタイトルが?>
ツィゴイネルワイゼンとは、いうまでもなくサラサーテが作曲したバイオリンの名曲(小曲)のタイトル。したがって、それを演奏した演奏家は数多いが、本作冒頭にレコード(CDではなくLPレコード)から流れてくるツィゴイネルワイゼンを演奏しているのはサラサーテ本人らしい。原田芳雄演ずる本作の主人公・中砂糺が、親友である士官学校ドイツ語教師である青地豊二郎(藤田敏八)に語るところによると、このレコードはサラサーテのしゃべる言葉が入っている欠陥版(?)らしいが、逆にそれはそれとして希少価値が・・・。
着物姿で旅行している中砂は女の自殺事件に巻き込まれたらしいが、そこでみせる中砂の行状はとても青地と同じ士官学校の教授には見えない突拍子もないものだ。それに対して、きっちりしたスーツ姿の青地はいかにも教授風だが、なぜこんなに性格が正反対(?)の2人が大の親友なの?本作のストーリーはこの2人の男を軸として展開していくから、ツィゴイネルワイゼンは直接何の関係もないが、ラストにはこのレコードの返還をめぐって、あっと驚く展開が待っているから、決してこのタイトルのことは忘れないように・・・。
しかして、本作に『ツィゴイネルワイゼン』というタイトルがつけられた意味とは?
<鈴木清順監督の美学とは?爛熟の美学とは?>
本作には昭和初期の香りがプンプンと漂っているが、そんな時代を生きるこの2人の男を主人公として、鈴木清順監督が醸し出す美学はまさに妖しさいっぱいの爛熟美だが、そのためには当然魅力的な女優が必要。そこで登場するのが、第1に田舎芸者のくせにえらく妖艶な魅力をふりまく小稲と、小稲と瓜二つの中砂が結婚した良家のお嬢サマである鈴木園の2役を演ずる大谷直子。芸者姿で踊っている姿はバッチリと決まっているから、これでは田舎芸者はもったいないと思ったのは私だけではなく、中砂も同じだったようで、中砂が持ち帰ったスペイン風邪で園が死んでしまうと、中砂は園が生んだ一人娘を育てさせるためもあって(?)か、たちまち小稲と再婚(?)してしまうことに・・・。
第2に大谷直子以上に怪しげな魅力をふりまいているのが、『大鹿村騒動記』(11年)で認知症の老婆(?)役を怪演した大楠道代。彼女は青地の妻・青地周子役を演じているが、夫の留守中に周子は中砂といったいナニをしているの?中砂の右目の中に入ったというゴミを、ねっとりと舌をからめて周子が取ってやるシーンなどは、まさに鈴木清順美学の典型?また、何でも腐る直前が一番おいしいと感じるのは中砂の勝手だが、なぜか周子もその影響を受けて、腐りかけの桃を好んで食べるように変身していく姿を観ていると・・・。しかして、鈴木清順監督の「美学」を官能的に表現したといわれる本作の妖しげな魅力とは?
<3人の盲目の旅芸人たちの絡みは・・・?>
本作は中砂と青地そして小稲と園と周子が織り成す摩訶不思議な人間模様を、鈴木清順美学タップリに描いた「奇妙な映画」だが、その摩訶不思議さに密接に絡むのが3人の盲目の旅芸人たち。盲目の旅芸人といえば、岩下志麻が主役を演じた『はなれ瞽女おりん』(77年)が有名だが、本作に登場する男2人女1人の旅芸人が歌う「ここはお国を何百里・・・」の替え歌は、当時最高のパロディーソング?さらに、節の境目境目で若い女が股を広げたり閉じたりしながら歌うのは、当時最高のパフォーマンス?
3人をよく知る小稲の話によると、年配の男が師匠で若い女は師匠の嫁、そして若い男は弟子らしい。当初はそういう人間関係でガッチリした秩序が保たれていたようだが、途中で弟子と師匠の嫁がイチャイチャし始めると、もめ事が起きるのは当然。しかして、そんな3人の旅芸人に興味を示して3人の後を追った中砂による目撃談は、男2人は殺し合い、女は海の藻屑と消えてしまったということだが、小稲はそれとは全く異なる3人の後日談を・・・。こりゃ、一体どうなっているの?
中砂と青地の付き合い方やそれに絡む2人(3人?)の女の関係そしてそれが織り成す物語も奇妙だが、サブストーリーとして展開される3人の盲目の旅芸人の絡みも奇妙。ストーリーの起承転結を求め、納得できる結末を求める人には多分本作は不向きだろうが、ワケのわからない美学が大好きな人には本作は最高の作品?そう考えると、1980年のキネマ旬報ベストテンで『影武者』を抑えて本作が第1位を獲得したのは、バブル直前の豊かな国ニッポン国だったからかも。逆に今のような超不況の時代、不透明な時代だったら、いくら爛熟美に溢れているとはいえこんなワケのわからない映画をゆっくり堪能するヒマはないから、断然『影武者』の方が受け入れられたかも?
<原田芳雄のみならず、俳優・藤田敏八にも注目!>
本作は形のうえではあくまで原田芳雄が主役だが、登場時間からみればむしろ中砂の親友であり、一貫して中砂の身勝手な行動に振り回され続ける青地の方が長いうえ、ストーリー形成の軸になるのはこちらの男。中砂はいつも旅に出かけてほとんど家にいないから、結婚したばかりの妻・小稲がさびしい思いをしているのは当然だが、そんな小稲からいくら言い寄られても中砂の親友である青地としては、それに乗るわけにはいかないのは当然。ところが、中砂はまるでケダモノみたいに青地の妻・周子と・・・。
そんな青地役を演ずる藤田敏八という名前を聞いて私はあれれと思ったが、それは私がよく知っている有名な映画監督と同じ名前だったから。そこで調べてみると、たしかに藤田敏八監督の作品で私が観ていた有名なものに『八月の濡れた砂』(71年)、『八月はエロスの匂い』(72年)、『妹』(74年)、『バージンブルース』(74年)等があった。更に調べてみると、彼は次第に監督から俳優としての活動に重点を移し、1988年の『リボルバー』が最後の監督作品になったらしい。そして、何と彼は本作での演技が高く評価されて日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞しているとのこと。俳優・藤田敏八も1997年に亡くなっているから、本作は7月19日に亡くなった俳優・原田芳雄の追悼として上映されたものだが、俳優・原田芳雄のみならず、俳優・藤田敏八にも注目!
<このラストには、死の香りがプンプンと・・・。>
中砂のような身勝手かつ放浪癖のある男の最後は非情なものと相場が決まっている。きっと「フーテンの寅さんだって、最後は「のたれ死に」するはずだが、山田洋二監督の『寅さん』シリーズでそれを描く前に、フーテンの寅さんこと渥美清は96年8月俳優として壮絶な最期を遂げた。本作ではしっかり中砂の最期が描かれているが、その姿を見れば本人はそれでもいいだろうが、周りから見ればかなり惨めなものだ。
また、本作のラストに向けては中砂が死亡した後の小稲の行動が見モノだ。小稲が再三青地の家に押しかけて、「中砂から預かっているはずのドイツ語の原書を返してくれ」と言い始めるのはまだしも、青地が預かった覚えのないサラサーテが弾いたという「あのレコードを返してくれ」と要求するに至っては・・・。なぜ、そんなレコードを周子が青地に内緒で持っていたの?また、小稲はなぜ中砂が死亡した後、そんな要求(?)を青地に突きつけることができたの?それは、青地と園との間に生まれた一人娘が、どこかで死んだ父親・中砂と対話していたに違いない。そう考えるのももっともだが、そこまで言ってしまうとSFの世界?
それはともかく、本作では盲目の旅芸人の女が、海の上に浮かぶ桶の上で琵琶(?)を弾く姿が死を象徴するシーンとして印象的だったが、本作のラストに登場する少女が手招きをするシーンも、同じように死を象徴するイメージとして印象的。ついつい、そんなところに引き付けられていったら、ひょっとしてそのまま死の世界へ・・・?1997年に藤田敏八が死亡し、原田芳雄が去る7月19日に死亡した今、あらためて本作をみると、まさに死の香りがプンプンと・・・。
2011(平成23)年8月10日記