新少林寺(新少林寺/SHAOLIN)(香港、中国映画・2011年) |
<角川映画試写室>
2011年10月25日鑑賞
2011年11月1日記
少林寺映画は数多いが、カンフー活劇だけではなく、禅宗による人間の変革と救いを描いたのは本作が初?裏切りによって権力の頂点に登りつめた男が裏切りに泣くのは当然だが、さて本作の主人公の場合は?トコトン戦う男の対決の中で、見えてくる真実とは?銃や大砲の前には少林寺の教えや武術は無力?否、決してそんなことはないはずだ。99本目の出演作となったジャッキー・チェンがとぼけたいい味でみせる人間変革のメッセージを見れば、きっとそれがわかるはずだ。
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監督・製作:陳木勝(ベニー・チャン)
アクション監督:元奎(コリー・ユン)
侯杰(こう・けつ)(傲慢な将軍)/劉徳華(アンディ・ラウ)
浄覚(じょうかく)/劉徳華(アンディ・ラウ)
曹蛮(そう・ばん)(部下)/謝霆鋒(ニコラス・ツェー)
顔夕(がんせき)(候杰の妻)/范冰冰(ファン・ビンビン)
悟道(ごどう)(少林寺の料理係)/成龍(ジャッキー・チェン)
浄能(じょうのう)/吴京(ウー・ジン)
方丈(ほうじょう)(少林寺の館長)/于海(ユエ・ハイ)
浄海(じょうかい)/余少群(ユイ・シャオチュン)
索降図(ソルント)/熊欣欣(ション・シンシン)
浄空(じょうくう)/釋延能(シー・イェンレン)
2011年・香港、中国映画・131分
配給/ブロードメディア・スタジオ、カルチュア・パブリッシャーズ
<100本目は『1911』、99本目は?>
中国のカンフー映画といえば、①ブルース・リー〈1973年死亡)の『ドラゴン危機一髪』(71年)、②ジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)の『少林寺』(82年)が最も有名。しかし、本作のプレスシートにある『少林寺映画の変遷 MEMO』をみれば、1970年にはじめて作られたカンフー映画『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』から、2011年の本作に至るまでの41年間に、数多くの少林寺映画が作られていたことがわかる。1973年にブルース・リーが脳浮腫のため若くして死亡した後は、70年代から80年代にかけてラウ・カーリョン(リュー・チャーリァン)監督の『少林寺三十六房』(78年)やジャッキー・チェン主演の『スネーキーモンキー 蛇拳』(78年)等が続いた。また、90年代に入ると、ジェット・リー主演の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地黎明』(91年)など香港映画の人気が沸騰し、2000年代に入ると『少林サッカー』(01年)、『カンフーハッスル』(04年)、さらには『カンフー・パンダ』(08年)などのカンフー娯楽大作とともに、ドニー・イェン主演の『SPL/狼よ静かに死ね』(05年)や『イップ・マン 序章』(08年)、ジェット・リー主演の『スピリット』(06年)など本格派カンフー映画も大人気となった。
ジャッキー・チェン100本目の出演作にして主演作になったのは、10月19日に観たチャン・リー監督の大作『1911』だが、彼が99本目に出演したのが本作。中国の河南省鄭州市登封の嵩山にある「少林寺」は西暦495年に設立された由緒あるお寺だが、それを描く映画の時代設定はさまざま。しかして、何と本作が描く少林寺の時代は1912年。つまり辛亥革命直後であるため、中国に進出しようとする西洋列強と台頭する軍閥によって中国各地が混乱していた時代だ。さあ、そんな1912年という時代の中、少林寺はどんな立場に?そしてまたジャッキー・チェンが100本目の主演作を『1911』とし、本作を99本目の出演作としたのは一体なぜ?
<こんな男の生キザマは、こんな権力闘争から?>
本作は冒頭、少林寺に逃げこんできた登封城の将軍霍龍(かく・りゅう)を追う、本作の主人公将軍侯杰(こう・けつ)(アンディ・ラウ)の権力にとりつかれた姿が描かれる。侯杰の忠実な腹心(?)が若き武将曹蛮(そう・ばん)(ニコラス・ツェー)だが、曹蛮が霍龍を殺すのを躊躇する姿を尻目に、侯杰は何の迷いもなく霍龍を射殺したうえ、それまで義兄弟の契りを交わしていた宋虎(そうこ)将軍を裏切ることも平気だ。ところが、侯杰の愛する妻顔夕(がんせき)(ファン・ビンビン)との間に生まれた一人娘勝男(しょうだん)と、宋虎将軍の一人息子との婚約式の席で、侯杰は宋虎将軍を殺害し登封城を独り占めしようとしたが、「イザ計画実行!」という段階で予想もしない曹蛮の裏切りが発生したから大変!
「権力奪取のためには裏切りは当たり前」と常々曹蛮に教えていた侯杰は、当然自分も裏切られる可能性があることを予想しておくべきだったが、侯杰にとってこの事態は全くの想定外だったらしい。曹蛮のどう猛な部下、索降図(ソルント)(ション・シンシン)の追撃を命からがら逃れた侯杰は、瀕死の娘勝男を伴って少林寺へ逃げこんだが、手当ての甲斐もなく勝男は死亡。そんな事態になってもなお侯杰は、「勝男の命を救わなければ、寺をつぶしてしまうぞ」と一人すごんでいたが、その姿は哀れを誘うのみ。こんな男の生キザマは、こんな権力闘争の中で必然的に生まれたの?それとも・・・?
<ジャッキー・チェンがいい味を!>
本作は『新少林寺』とタイトルされているだけあって正真正銘のカンフー映画だが、それは本作の半分の持ち味で、残りの半分は侯杰の人間性の変革とそれに対する少林寺の教えの尊さが描かれる。少林寺は禅宗のお寺だから、本来の務めは禅宗による人間の救済で、武術はあくまで人間を鍛えるための手段であると同時に、お寺を侵略者から守るための手段。ところが少林寺の武術があまりにも有名になったため(ちなみに少林寺拳法は日本で創始されたものであり、現在の少林寺の武術とは別物)、これまでの少林寺映画ではそれが強調されすぎていたという反省(?)のうえに、本作は侯杰の人間性の変革と少林寺の教えを全面に押し出すという新機軸をうち出した。そこで登場するのが、キャラが明確な少林寺の館長である方丈(ほうじょう)(ユエ・ハイ)やその高弟である浄海(じょうかい)(ユイ・シャオチュン)、浄能(じょうのう)(ウー・ジン)、浄空(じょうくう)(シー・イェンレン)などの登場人物たちとは一線を画し、いかにもとぼけたいい味を持つジャッキー・チェン演ずる少林寺の料理係たる悟道(ごどう)。ブルース・リーやジェット・リーそしてアンディ・ラウらの本格的カンフーも見ごたえ十分だが、本作では料理の極意(?)で見事な武術をみせるジャッキー・チェンに注目すると同時に、侯杰の権力に腐りきった人間性を改めさせる悟道の人間力にも注目!
<男の戦いはトコトンここまで・・・?>
大阪ではついに11月27日(日)の大阪市長と大阪府知事のダブル選挙が決まり、平松邦夫現大阪市長と大阪府知事を辞任した橋下徹氏との「大阪秋の陣」の対決が明確になった。かつては蜜月状態もあったが、今や「犬猿の仲」になってしまったこの2人の闘いは私の予想では橋下徹氏の圧勝だが、さて現実は?それと同じように、生きていることが報じられた後すぐに「お尋ね者」とされた侯杰は、当然曹蛮とは犬猿の仲。そう考えるのが普通だが、本作を観ていると人間に対するそんな見方がいかに単純であるかがよくわかる。イエス・キリストは「汝の敵を愛せよ」と説き、十字架で処刑されることに何の抵抗もしなかったが、それと同じように(?)今やすっかり少林寺の教えを自らのものとし、悟りを開いたかの感がある侯杰は曹蛮のいかなる要求にも逆らわず、淡々と曹蛮に対して「悔い改めよ」と迫るのみ。これにはいい加減曹蛮もうんざりしたようだが、実は侯杰が人質のような形になっている間に、少林寺の僧侶たちが曹蛮のある企みの邪魔をしようとしていることを知ったから曹蛮は大激怒。ついに少林寺そのものをぶっ潰そうと大挙して乗り込んでいき、侯杰との最後の対決を試みたが、その行く末は?
そんな男同士の戦いをうまく利用し、鉄道の利権から大量の埋蔵宝物の権利まで少林寺にまつわるすべての権益を横からかすめとってしまおうとしたのが西欧列強の武器商人だが、さて「皆殺しにしてしまえ」との思惑の行方は?男の戦いはトコトンここまで。炎が燃えさかる少林寺の中での侯杰と曹蛮の最後の死闘を見ているとそう実感させられるが、実はそこでは戦いの勝敗を越えたある高潔な教えの実践が・・・。さあ、それはナニ?トコトン戦うことになってのみ見えてくる真実とは?それは、あなた自身の目でしっかりと。
<少林寺の教えや武術は銃や大砲の前には無力?>
長年続いた大国ながら、旧態依然としたシステムの弊害のために清王朝が西欧列強の武力の前に屈したことは、阿片戦争以降の歴史で明らかだが、1911年10月10日の武昌蜂起によって辛亥革命が始まったため、中国にもはじめて「民衆」なるものが歴史の表舞台に登場するようになった。本作に登場する「民衆」は侯杰などの軍閥によって虐げられるだけの存在だが、少林寺の僧侶たちが最先端の知識とともに改革意欲とともに相当強力な武術を身につけていたことは本作を観ればよくわかる。しかし、侯杰を権力の座から追放して自らが権力の頂点に立った曹蛮が、西洋人から機関銃などの最新武器を購入すれば、いくら人格と武術にすぐれた少林寺の僧侶たちでもそれに太刀打ちすることは不可能。それは誰の目にも明らかだ。現に映画の後半からクライマックスにかけて、大砲によって次々と崩壊させられていく山門や天王殿そして大雄寶殿を見ていると、そう実感させられてしまう。方丈をはじめとする少林寺の高僧たちは次々と西洋式武器の前に屍を重ねていったが、さて本当に少林寺の教えや武術は西洋式の銃や大砲の前に無力?否、そんなことはない。そのことは、「十戒」(56年)で見たモーセ率いるユダヤの民の脱出行を彷彿させる、悟道率いる民衆たちの脱出シーンを見ればわかるはずだ。そんな視点で、少林寺の底力をしっかりあなた自身の目で確認してもらいたいものだ。
2011(平成23)年11月1日記