運命の子(趙氏孤児/Sacrifice)(中国映画・2010年) |
<角川映画試写室>
2011年11月25日鑑賞
2011年11月26日記
紀元前600年頃の春秋時代、司馬遷、史記、晋の国、趙氏孤児。そう聞いてわかる日本人は少ないだろうが、「趙氏孤児」は、中国では『ハムレット』や『忠臣蔵』と同じように有名!権力闘争は世の常だが、同時に父子の愛も永遠だ。趙氏孤児の出生の秘密と「赤ん坊取り替え事件」をめぐるスリリングな前半1時間の展開は『十戒』(56年)の面白さをはるかにしのぐが、後半の復讐劇の心理描写は賛否両論?さあ、陳凱歌監督の最新作が放つ問題提起を、あなたはいかに受け止める?
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監督・脚本:陳凱歌(チェン・カイコー)
原典:司馬遷『史記』
原作小説:陳凱歌『運命の子』(角川文庫刊)
程嬰(医師)/葛優(グォ・ヨウ)
屠岸賈(晋国の司寇(法務大臣))/汪学圻(ワン・シュエチー)
荘姫(霊公の姉、趙朔の妻)/范冰冰(ファン・ビンビン)
韓厥(趙氏の家臣)/黄暁明(ホワン・シャオミン)
程嬰の妻/海清(ハイ・チン)
公孫(趙氏の門客)/張豊毅(チャン・フォンイー)
趙朔(晋国の将軍、荘姫の夫)/趙文卓(ヴィンセント・チャオ)
程勃(趙氏孤児)(8歳)/王瀚(ウィリアム・ワン)
程勃(15歳)/趙文浩(チャオ・ウェンハオ)
霊公(晋国の君主)/彭波(ポン・ボー)
策士/王勁松(ワン・ジンソン)
趙盾(趙朔の父)/鮑国安(パオ・グオアン)
2010年・中国映画・128分
配給/角川映画
<ここに中国3000年の歴史が!>
日本の「戦国時代」は知っていても、あなたは中国の春秋・戦国時代を知ってる?それは、日本に邪馬台国ができた時代よりはるか昔、そしてまたイエス・キリストが生まれるよりはるか昔のこと。つまり、春秋時代は紀元前770年~403年、戦国時代は紀元前403年~221年のことで、紀元前221年に秦の始皇帝が中国を統一するまで約550年間続いた戦乱の時代のことだ。他方、あなたは司馬遷の『史記』を知ってる?その名前くらいは聞いたことがあるだろうが、その中にある「趙氏孤児」を知ってる?これは、『史記』の中に書かれた復讐物語で、中国ではシェイクスピアの『ハムレット』や日本の『忠臣蔵』と同じように有名で、京劇などでもよく演じられるらしいが、日本ではほとんど知られていない。そしてこれは、春秋時代の晋国で起きたある権力闘争と、その中で生じた1人の孤児の出生の秘密とその成長後に起きる復讐をめぐる何とも因果な物語。
ちなみに、邦題の『運命の子』も悪くはないが、これだけでは所詮何のことかわからない。もちろん『趙氏孤児』でも何のことかわからないが、同じわからないなら、司馬遷の『史記』に敬意を表して、原題どおり『趙氏孤児』とした方がよかったのでは?
<中国の権力闘争では、「一族皆殺し」はあたり前!>
民主主義国では最も多くの国民が支持する人物が最高権力者に選出されるシステムだが、世襲制の国では時々優秀な国王が登場するものの、ボンクラな国王が多いのは仕方なし。そして、いつの時代でも有能な家臣がそれを補佐していくのだが、実際にはそんな時に「権力闘争」が勃発することが多い。
紀元前598年、晋の国王・霊公(ポン・ボー)はいかにもバカ殿様。そこで、それを補佐するのが屠岸賈(ワン・シュエチー)と趙盾(パオ・グオアン)だが、趙盾の息子・趙朔(ヴィンセント・チャオ)は霊公の姉・荘姫(ファン・ビンビン)と結婚したため、宰相となった今、彼は日の出の勢い。しかも、今日明日にでも赤ちゃんが生まれそうだから、それが男の子ならひょっとして趙朔は時期の国王?もし屠岸賈が荘姫と結婚していたら形勢は逆転していただろう、などと霊公から言われても、今更力関係を変更することはとても無理だから、屠岸賈にとって現在の宮廷内は我慢と屈辱の日々だった。そんな中、屠岸賈が密かに心の中で練っていたのは「趙氏一族皆殺し作戦」。本作前半では、その緻密な準備状況と実行方法そしてその徹底ぶりが見モノだからそれに注目!
チャン・イーモウ監督の『項羽と劉邦ーその愛と興亡 完全版』(94年)では秦の都咸陽に先に入った項羽が、「阿房宮を火の海にしてしまえ」と命令し、阿房宮が90日間も燃え続けるシーンや、何千名の敵兵を巨大な穴の中に生き埋めにしてしまうシーンが登場した(『シネマルーム5』140頁参照)が、中国ではこれがあたり前!まずは、何千年も権力闘争をくり返してきた中国では、「一族皆殺し」はあたり前という常識の再確認を!
<「赤ん坊取り替え事件」にみる人間性とは?>
チャールトン・へストンとユル・ブリンナーが「対決」した『十戒』(56年)はすごい大作だったが、「ヘブライ人の男の赤ん坊は皆殺しにせよ」というエジプト王の命令が実行される中、籠に入れられてナイル川に流された生まれたばかりの赤ん坊が、もしエジプトの王女に拾われなかったら、成長したモーゼは存在しなかったはずだ。本作前半に1時間かけてタップリと描かれる「赤ん坊取り替え事件」はすごく面白いうえ、人間性や親子の情を考える上でのすごいネタになるから、それに注目!
趙氏一族が屠岸賈の手によって皆殺しにされる中、医師の程嬰(グォ・ヨウ)の手によって荘姫は今赤ん坊を産み落としたが、趙朔の屋敷は兵たちに取り囲まれていたから、母子の命は風前の灯。見張りに来た屠岸賈の部下である韓厥(ホワン・シャオミン)に対して、荘姫は必死に「見逃してくれ」と頼んだが、「そんなことをしたら自分の命が危ない」と韓厥は拒否。そりゃ当然だが、荘姫が赤ん坊を程嬰に預けたまま自ら胸を刺して死んでいく姿を見ると・・・。「この子が大きくなっても、仇が誰なのか教えないで」と言い残した荘姫は、赤ん坊を趙氏の門客である公孫(チャン・フォンイー)の元に届けるよう程嬰に託したが、そこまで言われると、良心的な医者としては当然・・・。また程嬰は日常の摂生が良かったとみえて、40歳にして妻(ハイ・チン)との間に赤ん坊が授かったところだが、屠岸賈は趙朔の息子として生まれた赤ん坊は必ず殺さなければならないから、それを探し出すのに必死。エジプト王のように「ヘブライ人の男の赤ん坊は皆殺しにせよ」とは言わなかったものの、「生まれたばかりの男の子を全部集めろ」と命令し、趙朔の赤ん坊を連れ出した人間が名乗りでなければ、赤ん坊100名を皆殺しにすると宣言したから大変。程嬰があたふたと外を出回っている間に、程嬰の家には兵がやってきて程嬰の妻が抱いている赤ん坊を連れて行ったが、さてこれは誰の赤ん坊?程嬰の妻にしてみれば、亭主がさっさと趙朔の赤ん坊を差し出して、荘姫が程勃と名づけてくれたという自分たちの赤ん坊を確保すればそれでいいのだが、さて程嬰は?さらに趙氏に忠誠を尽くす公孫は?
この「赤ん坊取り替え事件」については、ぜひパンフレットやネットで『史記』ではどのように描かれているのかを確認してほしい。そうすれば、チェン・カイコー監督の原作小説『運命の子』による本作でそれがどのように修正されているかがよくわかるはずだ。程嬰と妻は生まれたばかりの自分たちの赤ん坊を犠牲にするとともに、公孫も命を落とすことになるという結論は同じだが、そこに至るまでのプロセスが異なれば、そこに浮かびあがってくる人間性や親子の情も当然変わってくるはず。さすが中国で2600年間も語り継がれている『趙氏孤児』の「赤ん坊取り替え事件」は奥が深いから、そこに見る人間性と親子の情をじっくりと!
<父さんと父上、程勃はなぜ2人の父を?>
きっちり1時間の前半に続くのは、赤ん坊の程勃を抱きかかえて屠岸賈の屋敷に乗り込み、屠岸賈の家臣となった程嬰・程勃親子と屠岸賈との生活風景。ここで面白いのは、中国における「干爹(ガンディエ)」の制度だ。プレスシートによると、これは「生みの父親とは別に、父親と近い年配の人に「後見人」になってもらうという制度」だが、本作中盤では、程勃の干爹となった屠岸賈が程勃を猫可愛がりする(?)シーンが描かれるから、何とも皮肉。他方、命令に違反して荘姫の赤ん坊を逃がそうとしたため屠岸賈によって左目を斬られてしまった韓厥も屠岸賈に対する復讐を決意し、日々そのチャンスを狙っていたが、程嬰が狙う屠岸賈への復讐はもっと壮大な計画。すなわちそれは、成長した程勃にコトの次第を打ちあけたうえ、程勃の手で屠岸賈を殺させることによって、死んだわが子と妻の仇を討つというものだった。程嬰は医師として屠岸賈から信頼されていたから、毒を盛ろうと思えばいつでもそれを実行するチャンスはあったが、あえてそれをせず日々程勃の成長を待ったのは、そんな計画のためだった。
8歳の時に屠岸賈から鎧兜や刀をもらって大喜びしていた程勃も、今や15歳。日本では元服する年頃だから、この年になれば男の子はもはや一人前。さあ、程嬰はいつコトの次第を程勃に打ちあけるの?前半1時間のスリリングかつ緊張感いっぱいの展開に比べると、中盤の2人の父親物語(?)はやや中だるみの感があるが、さあ15年前のあの事実、この事実が判明した後の、クライマックスに向けての各自の行動と気持の揺れは?
<2人の名優の激突は?程勃の選択は?>
芥川龍之介の短編小説『杜子春』は、峨眉山の頂上に残され、「何があっても口をきいてはならない」と厳命された杜子春が、地獄の責め苦には耐えられても、鬼たちにメッタ打ちにされる両親の姿には耐えられず、思わず「母さん!」と叫んでしまうという人間としての選択を描いた名作。しかして、「父さん」と呼んできた育ての父親がホントの父親でなかったうえ、「父上」と呼んだトキの最高権力者がホントの父母の仇だったと知った程勃の選択は?
本作のプレスシートには、コラムニストの丸目蔵人氏の「父性本能に悩む男たち」というエッセイや、明治大学教授の加藤徹氏の「『運命の子』の背景」というバックグラウンドがある。これらを読めば、『ハムレット』や『忠臣蔵』と同じように、復讐に至るまでの人間の営みや人間の決断については人それぞれの解釈が可能なことがわかる。そして、本作も、司馬遷の『史記』の「趙氏孤児」をチェン・カイコー監督が自分流に解釈し、修正を加えたものだ。亡き父母をはじめ趙氏一族300名の仇を討つべく屠岸賈に刀を向けるという程勃の決断が早かったのは私には少し意外だったが、本作では武官として描かれた屠岸賈の刀の腕前ははるかに程勃をしのいでいたから、まともに刀での対決が続けば程勃が返り討ちにされることは明らか。スクリーン上でも次第にその様相が深くなってくる。そんな中、「お前の力では太刀打ちできないからもうやめろ」と程嬰は程勃にアドバイスしたが、ここまで闘いが続いてきた以上、今更それを中止するのは不可能。そんな局面下、チェン・カイコー監督が描いた最後の結末は?それはあなた自身の目で確認してもらいたい。
京劇の舞台として演ずるにはこんな悲劇的な結末がピッタリかもしれないが、映画のクライマックスとしては賛否両論ありそうだ。とはいえ、チェン・カイコー監督の最新作の問題提起は考えるネタがいっぱい。「趙氏孤児」を知らない多くの日本人は、新しい勉強のネタとして本作をじっくりと鑑賞してほしいものだ。
2011(平成23)年11月26日記