三国志英傑伝 関羽(関雲長)(中国映画・2011年) |
<シネ・リーブル梅田>
2012年1月22日鑑賞
2012年1月24日記
あなたは『三国志』の「過五関、斬六将」を知ってる?『レッドクリフ』=「赤壁の戦い」ほど有名ではないが、そこでの関羽の英雄豪傑ぶりは語り草だ。しかし、それ以上に興味深いのは、関羽という男に惚れた曹操のヘッドハンティングぶり。青龍偃月刀を振り回すアクションもさることながら、曹操という男の器の大きさと、男の約束の「重み」をじっくりと味わいたい。
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監督・脚本:アラン・マック、フェリックス・チョン
関羽(劉備の義兄弟)/甄子丹(ドニー・イェン)
曹操(魏の始祖)/姜文(チアン・ウェン)
綺蘭(劉備の許嫁)/孫儷(スン・リー)
劉備(蜀の創始者)/方中信(アレックス・フォン)
孔秀(東嶺関の指揮官)/安志杰(アンディ・オン)
王植(滎陽での刺客)/王學兵(ワン・シュエビン)
顔良(袁紹軍の将軍)/錢小豪(チン・シウホウ)
献帝(後漢の皇帝)/王柏傑(ワン・ボーチェ)
荀攸(曹操の部下)/董勇(ドン・ヨン)
張遼(曹操軍の武将)/邵兵(シャオ・ビン)
秦琪(滑州での刺客)/李宗翰(リー・ツォンハン)
韓福(関羽の旧友、洛陽での刺客)/聶遠(ニエ・ユエン)
卞喜(沂水関での刺客)/余皚磊(イー・カイレイ)
孟坦(韓福の部下、洛陽での刺客)/黑子(ヘイ・ツー)
2011年・中国映画・109分
配給/日活
<なるほど、「あの物語」を切り取ると・・・>
『三国志』をすべて映画化すればDVDで50本になってしまうが、その中にはいろいろな面白い物語があるから、どの部分を「切り取るか」は監督のお好み次第。呉宇森(ジョン・ウー)監督は『レッドクリフPartⅠ』(08年)『レッドクリフPartⅡ』(09年)で最も有名な「赤壁の戦い」を切り取った(『シネマルーム21』34頁参照)(『シネマルーム22』178頁参照)が、アラン・マック監督とフェリックス・チョン監督は日本人に最も親しまれている「過五関、斬六将」を切り取った。
関羽を演ずるのは、『孫文の義士団(十月圍城)』(09年)(『シネマルーム26』143頁参照)、『イップ・マン 葉問』(10年)(『シネマルーム26』213頁参照)、『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳(精武風雲・陳真)』(10年)、『処刑剣 14BLADES』(10年)(『シネマルーム26』139頁参照)と、近時主演作が目白押しのドニー・イェン。本作は英雄・関羽の武勇伝はもちろん楽しく描いているが、それだけでなく男・関羽に惚れ込んだ曹操(チアン・ウェン)の関羽に対する熱烈なラブコールとあの当時のヘッドハンティングのあり方が描かれると共に、曹操と関羽の「世のため」「人のため」に対する熱い思いが縦横無尽に語られるから、それに注目!ドニー・イェンはアクション俳優の面が強いが、チアン・ウェンは強烈な個性を持った「性格俳優」だから、2人の「語りの場面」においては、どちらかというと曹操の方に重みがあり説得力がある。したがって、本作のタイトルは『三国志英傑伝 関羽』だが、曹操にも同じくらいのウエイトを置き、「2人の英傑伝」として本作を観てほしい。
<時代は?皇帝は?曹操のビジョンは?>
秦の始皇帝が在位した時代は紀元前246年から221年だが、『三国志』の時代は後漢末期の180年頃から280年頃。劉備玄徳(アレックス・フォン)は白帝城の中で諸葛孔明らに見守られながら223年に死亡したが、3人の義兄弟の中で1番最初に死亡した張飛は酷い仕打ちをした部下から寝首をかかれるという無惨な死に方だったし、関羽も荊州奪還の戦いの中で呉の大軍との戦いで捕われ処刑された。その死亡は219年で、赤壁の戦いは208年だ。「国家三分の計」を立てたのは蜀の軍師・孔明だが、これは魏や呉と比べて蜀の国力が圧倒的に弱かったための苦肉の策。それに対して曹操は、後漢の献帝を擁していたから「三国」の中で1番勢力が強かったのは当然だ。劉備や関羽が大好きな日本人は曹操について、実態のない皇帝を傍に置き、その権力を利用しようとした奸臣で策士だというイメージが強いが、本作を観れば曹操がいかに秀れた国家運営のビジョンを持っていたかがよくわかる。
本作前半にみる献帝(ワン・ボーチェ)は若いけれども苦労してきただけに、自ら田んぼを耕したり、無用な儀礼を排して臣下との距離を近づけたりと、なかなかの器ぶりを示していたが、さすがに曹操の関羽に対する「惚れ込み」は理解できなかったらしい。「劉備の居所がわかれば曹操の下を出て行く」というのは曹操と関羽との間で交わされた固い約束だから、曹操は劉備の許嫁・綺蘭(スン・リー)を連れて出て行く関羽の無事を約束したが、さてその実態は?曹操が描く国家運営ビジョンは、皇帝はあくまで皇帝で自分はその臣下だとすると、曹操が出した命令とは違う命令(勅命)を献帝が出したとすれば・・・。
<この男女模様は少しヘン・・・?>
『三国志』は当然男の戦いの物語が中心になる。しかし、『レッドクリフPartⅠ』でも、姉の大喬と共に「江東の二喬」と呼ばれた絶世の美女小喬に対する曹操の想い(横恋慕?)が大きなポイントとなっていた。曹操による呉征伐の動機は、呉の孫権の軍師である周瑜の妻となってしまった小喬を取り戻すためだったという説があるくらいだから、すごいものだ。しかして本作でもそれと同じように、第1夫人、第2夫人と同じように曹操の捕虜となっている劉備の許嫁である綺蘭と関羽との「恋模様」とまでは言えない「男女模様」がサブストーリーとして描かれる。
関羽と綺蘭は同郷で、実は綺蘭が劉備と婚約する前から関羽には綺蘭に対する想いがあったらしい。しかし、劉備が綺蘭を許嫁にした以上、弟であり臣下である自分は綺蘭に対する気持を抑えなければ、と関羽が考えたのは当然。しかし、戦争の戦略のみならず、男女間の策略にも長けた曹操は、囚われの身となっている間に関羽と綺蘭がいい仲になれば劉備と関羽との仲は崩れるはずと読み、ある仕掛けを・・・。ここは何とか関羽の理性が勝ったためコト無きを得たが、2人だけで劉備の元へ脱出の旅を続ける中、綺蘭からモーションをかけられるとさすがの関羽も・・・?いやいや日本では関帝として各地で祭られているほどの関羽だから単純な過ちは犯さないと思うのだが、本作が描く関羽と綺蘭との微妙な「男女模様」はあなた自身の目で。もっとも、綺蘭が「私の思いを聞き入れてくれなかったら自らの首をはねる」と迫るシーンや、逆に関羽が綺蘭が手に持つ短剣で自らの腹を刺すシーンなどは、男女関係の機微に詳しいと自負する(?)私の目には少しヘン・・・?
<男の約束の「重み」は?>
本作冒頭に描かれるのは、袁紹軍の将軍・顔良(チン・シウホウ)に攻め立てられた「白馬の戦い」で劣勢となった曹操軍を、曹操からの頼みを聞き入れて助ける関羽の姿だ。ドニー・イェンはそれほど大柄ではないから関羽役はあまり似合わないのでは?と心配していたが、何の何の!見事な鬚髯をたくわえ、青龍偃月刀を手に持ち馬上の人になると、その威風堂々ぶりは大したものだ。もっとも、当初は曹操軍の捕虜である関羽の配下になって共に命懸けで顔良軍に突撃していこうという武将がいなかったが、そこは関羽のプレゼン能力の高さもあり、張遼(シャオ・ビン)らが共に突撃に参加することに。これによって、関羽は曹操に1つ「貸し」をつくったわけだが、献帝はそんな関羽を漢の侯爵にすると命じたから関羽は困惑気味・・・。ここら辺りから曹操の色仕掛けを含めた関羽に対するヘッドハンティングが始まるから、その手練手管に注目!普通はここまで高く評価されると、曹操の人格的魅力もあって降参するものだが、劉備との義兄弟の契りにこだわる関羽は・・・?
そんな関羽の部屋をある日劉備の密使が訪れ、密命を伝えた後自分の命を断ったため、関羽は劉備の元へ帰る決心を。関羽の決意が固いことを覚ると、曹操は荀攸(ドン・ヨン)たち配下の武将の猛反対にもかかわらず、あっさりそれを認め、道中関羽の安全を保証したからえらいものだ。ところが、綺蘭を連れて曹操の陣営を離れた関羽には、東嶺関でまず第1の刺客・孔秀(アンディ・オン)が。こりゃ、一体なぜ?曹操は平気で約束を破る男なの?さて、男の約束の「重み」とは?
<刺客たちは?青龍偃月刀の冴えは?>
東嶺関の指揮官で、某人物の命令によって関羽の命を狙う孔秀の槍の腕前はなかなかのもの。壁と壁の間の狭い通路での戦いは、長い槍も長い青龍偃月刀も使い勝手が悪いはずだが、逆にそうだからこそ腕前の冴えが・・・?何十騎の敵でも一気に蹴散らす関羽の青龍偃月刀も孔秀との一対一の対決では結構いい勝負に見えたが、最後は結局関羽の勝ち。
某人物の命令によって自分と綺蘭の命が狙われていると覚った関羽は、以降隠密裏に劉備の下を目指すことに。しかし、第2の刺客として沂水関では卞喜(イー・カイレイ)が、第3の刺客として洛陽では韓福(ニエ・ユエン)と孟坦(ヘイ・ツー)が、さらに滎陽では王植(ワン・シュエビン)、滑州では秦琪(リー・ツォンハン)らが次々と関羽らを襲うことに。そして、これこそが「過五関、斬六将」の本筋のストーリーだから、そこにおける関羽のアクションと青龍偃月刀の冴えをじっくりと。
<棺で始まり葬儀に終わる展開の意味は?>
本作が描く「過五関、斬六将」を観ていると、『三国志』を読んでいた時以上に、関羽にも絶体絶命的な危機が何度も迫っていたことを実感させられる。特に、洛陽で関羽の旧友である韓福から毒の入った吹き矢を受けた後、その敵討ちをしようとする孟坦率いる部隊の攻撃を受けた時の関羽はギリギリいっぱい。最後は綺蘭の手助けによって何とか九死に一生を得るのだが、長い間続く戦時下にあって、こんな危機ばかり体験していれば長生きできないのは武人の常だ。しかして、本作は棺に入った関羽からスタートし、ラストは曹操が催した盛大なる葬儀で終わるが、その展開の意味は?
曹操がこんなに盛大な葬儀を挙行したのは、「関羽は呉によって殺されたのだ」ということを強烈に蜀の劉備や孔明にアピールするため?曹操の深慮遠謀の中にはきっとそんな計算も入っていたはずだ。だって、208年の「赤壁の戦い」では魏と戦うために連合を組んでいた呉と蜀は、219年に関羽が死亡した後はずっと敵対することになったのだから、こりゃ曹操の思う壺?若き献帝が意外な策士だったこと(?)がわかるクライマックスでは、こんなバカ皇帝でもうまく操っていかなければならない曹操の気苦労がありありと読み取れる。このクライマックスでは、小型の弩(いしゆみ)の矢が飛び交うアクションが見モノだが、その裏で展開しているこんな権力争いにも注目したい。そして何よりも、棺に始まり葬儀に終わる本作からは、関羽の死が『三国志』にいかなる影響を及ぼしたかをじっくり考えたい。
2012(平成24)年1月24日記