不惑のアダージョ(日本映画・2009年) |
<テアトル梅田>
2012年2月12日鑑賞
2012年2月14日記
今ドキの「アラフォー」は元気印だが、教会という狭い世界の中で「不惑」を迎えた修道女の身体は更年期障害でボロボロ?ところが、バレエ教室での出会いによって第1の変化が、ある男とのハプニングによって第2の変化が・・・。女性監督ならではの視点とテーマ設定にビックリだが、男だって理解可能。さらに、美しい音楽とバレエシーンは必見!
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監督・脚本・編集:井上都紀
真梨子(修道女)/柴草玲
立本(教会に通う男)/千葉ペイトン
村岡(神父から手紙を託された男)/渋谷拓生
女性バレエダンサー/橘るみ
男性バレエダンサー/西島千博(特別出演)
2009年・日本映画・70分
配給/ゴー・シネマ
<テーマにビックリ!この女性監督に注目!>
近時「アラフォー」と呼ばれる40歳代(の女性)がもてはやされているが、これは長寿化が進み、金をかければかなりのアンチエイジングができる時代を前提としたもの。また、女性の出生率の低下や女性の社会進出を含む生き方との関係も大きい。したがって、近時の映画やテレビドラマではそんな女性の魅力を全面に押し出したものが多いが、本作の主人公・真梨子(柴草玲)は同じアラフォーでも、若い頃からその身を神に捧げ教会で仕事をしている修道女(シスター)だからかなり特殊。しかも、今ドキのアラフォーの自由さ、豊かさを謳歌するストーリーではない。不惑の年を迎えた真梨子は今、女性特有の更年期障害による身体の変調に悩んでいるらしい。さらに、アラフォーにして早くも閉経を迎えようとしているらしい。映画冒頭からスクリーン上に登場してくる真梨子の緩慢な動作やしんどそうな表情を見ていると男の私でもそれはわかるが、アラフォー女性のそんなテーマを映画にしたことにビックリ。
本作は、短編『大地を叩く女』(08年)でゆうばり国際映画祭2008オフシアター部門グランプリを受賞した女性監督・井上都紀(つき)初の長編作とのことだが、女性ならではの細かな観察とミュージシャンの柴草玲を起用し、美しいアダージョの曲やすばらしいバレエダンスを見せてもらえるところがミソ。いやいやそればかりではない。さらに本作では、シスターの性の問題もかなり赤裸々に・・・。
<シスターの第1の変化は、バレエ教室から・・・>
真梨子のメインの仕事は教会でのオルガン演奏らしいが、ある日教会に通う女性の1人からバレエ教室でのレッスンピアニストを頼まれ、渋々これを引き受けたところから、真梨子には第1の大きな変化が・・・。子供を対象にしたまちのバレエ教室などたかが知れたもの。私はそう思っていたが、本作に見る男性バレエダンサー(西島千博)と女性バレエダンサー(橘るみ)の踊りは圧巻!現役で活動しているバリバリのバレエダンサーを特別出演させたのだから当然とえいば当然だが、こんなすばらしいバレエを見れば、いくら教会だけの狭い世界に生きているシスターだって衝撃を受けるのは当然。
しかも、ここで真梨子のピアノ演奏に対するバレエダンサーの言葉(アドバイス)が的確ですばらしい。それは、「あなたのピアノは譜面に忠実なもの。しかしもう少し気持を入れて弾いてほしい。それは簡単だ。あなたも一緒に踊っていると想像してくれればいい」というものだったが、その言葉を真梨子はいかに受け止めるの?2人のバレエダンサーの美しい身体もさることながら、身体をいっぱいに使った躍動感あふれる男性の踊りも、可憐な美しさでいっぱいの女性の踊りも何とも言えずすばらしい。教会にはないこんなすばらしい世界を見れば、当然真梨子の心の中に大きな変化が・・・。
しかして、次の引き受け手が見つかったためお払い箱になった(?)真梨子が、ある日1人で訪れたバレエ教室で、自由奔放に弾き始めたピアノ演奏に合わせて踊る男性バレエダンサーの美しさときたら・・・。さすがミュージシャンだけに柴草玲の演奏は大したものだし、ここまで一体感を持った即興の踊りはそうそう見られるものではない。それまでは譜面を忠実に弾くしか能がなかったこのシスターに、なぜこんな大きな第1の変化が・・・。
<第2の変化はなぜ?>
本作にはカッコいい男性バレエダンサーの他に、2人の男が登場するが、これはいずれも出来損ない?その1人・立本(千葉ペイトン)は最近教会に通うようになった男で、しきりにシスターに対して「話を聞いてほしい」と擦り寄ってきていたが・・・。
もう1人の男・村岡(渋谷拓生)は真梨子が神父から手紙を渡してくれと頼まれた男。その手紙は入院している村岡の母親からのものだが、仕事中にわざわざ家まで届けに行っているのに母親との確執があるらしい村岡は真梨子から手紙を受け取ろうとしないばかりか、話すら全く聞こうとしないから始末が悪い。何回かそんな経験をした後、母親の容態がいよいよ切羽詰っていると聞いた真梨子は、村岡に対して「封を開けますよ。私が読みますよ」と言って読み聞かせたが、さてその内容は?神父もシスターも人の悩みを聞いてやることが仕事の1部だが、さて村岡はその後どんな行動を?そう考えていると、ある日あっと驚く展開が待っているから、それに注目!
真梨子は立本が求めてきた接触は断固拒んでいたのに、なぜ村岡からの接触には応じたの?また、母親の葬儀後打ちひしがれた感のある村岡と2人きりの時間を過ごしたり、アコーディオン演奏を聴かせてやったりしたのはなぜ?さらにその後の、法的にいえば婦女暴行、強姦とも言えるような行動にあえて身をまかせたのは一体なぜ?本作中盤ではバレエ教室の体験によって急に自転車を疾走させるようになった真梨子の第1の変化が描かれる。そして、村岡との体験後、本作のラストに向けては1人涙を流すものの次第に快活さを取り戻し生き生きとした表情になっていく真梨子の第2の変化が描かれる。真梨子と村岡との「絡み」のストーリー構成には少し無理があるものの、この第2の変化は一体なぜ?
<これぞ最善の性教育!人形よりこんな映画を!>
栄養状態の改善等によって性的成熟度が次第に早まっているが、そんな状況下、小学生の性教育にある人形を使ったことが報道され、問題になった。今や中学生や小学生同士の性交渉もザラにあるらしいが、「妊娠」という問題を抱える女性にとっては、とりわけ正しい性教育が不可欠。しかしそうかと言って、よりリアルに、より具体的にと人形を使って手取り足取り、というのはいかがなもの・・・。そう考えると、本作のラストに向けて登場する真梨子の小学生の女の子に対する「性教育」はすばらしい。
本作には数回真梨子が自分のアパートでお米を磨ぐシーンや1人で食事をとるシーンが登場するが、それは当然つつましやかなもの。ところが第1の変化、第2の変化を経た真梨子は、1人激しく泣いていたものの、なぜか今赤飯を作っていた。しかも、どう見てもこれは1人分でないことは明らかだ。昔から女の子が初潮を迎えた時、母親は赤飯を炊いてこれをお祝いをすると言われているが、もちろん男の私にはそれは縁遠い話。しかし、小学生の女の子に「女性には毎月決められた切符がある」と説明しながら、1枚1枚教会の庭の落ち葉を渡していくシーンや一緒に赤飯を食べるシーンを見ていると、「これぞ最善の性教育!」と思ったが、さてあなたは・・・。
2012(平成24)年2月14日記