あの日 あの時 愛の記憶(ドイツ映画・2011年) |
<試写会・シネ・リーブル梅田>
2012年7月3日鑑賞
2012年7月10日記
アウシュヴィッツ収容所におけるユダヤ人の悲劇を描いた名作は多いが、男女2人が手に手を取って脱走した例が4組もあったとは!本作はそんな実話にもとづき、1944年の波乱の脱走劇と1976年からの回顧を交錯させながら綴った平和ボケした日本人必見の映画!なぜそんな脱走ができたの?最初の興味はそれだが、その後に展開される緊迫の人間模様は圧巻!そして訪れるシンプルで感動的なラストシーンに、あなたは目を奪われるはずだ!
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監督:アンナ・ジャスティス
ハンナ・ジルベルシュタイン(1944年のハンナ)/アリス・ドワイヤー
トマシュ・リマノフスキ(1944年のトマシュ)/マテウス・ダミエッキ
ハンナ・レヴィーン(1976年のハンナ)/ダグマー・マンツェル
トマシュ・リマノフスキ(1976年のトマシュ)/レヒ・マツキェヴィッチュ
ステファニア・リマノフスキ(トマシュの母)/スザンヌ・ロタール
ダニエル・レヴィーン(ハンナの夫)/デヴィッド・ラッシュ
チェスワフ・リマノフスキ(トマシュの兄)/アドリアン・トポル
マグダレーナ・リマノフスキ(チェスワフの妻)/ヨアンナ・クーリーグ
ハンス・ヴォン・アイデム(ナチス将校)/フロリアン・ルーカス
レベッカ・レヴィーン(ハンナの娘)/シャンテル・ヴァンサンテン
2011年・ドイツ映画・111分
配給/クレストインターナショナル
<アウシュヴィッツにも、こんな実話が!>
ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を描いた名作は数多いが、本作はアウシュヴィッツ収容所からの男女2人の脱走とその後の波乱、そして32年後の2人の運命の再会、という信じられないような実話を基にした映画。本作は1976年のニューヨークと1944年のアウシュヴィッツ収容所風景を交錯させながらストーリーを展開させていく。スクリーン上には冒頭クリーニング店にテーブルクロスを受け取りに来たハンナ・レヴィーン(ダグマー・マンツェル)の姿や、机に向かって必死に手紙を書いているハンナの姿が映し出されるが、その意味するものは?これは1976年のニューヨークにおけるハンナの姿。今ハンナは長年の研究が表彰されることになったやさしい夫ダニエル・レヴィーン(デヴィッド・ラッシュ)と一人娘に囲まれて幸せな生活を送っていたが、クリーニング店で待っている間にテレビから流れてきた声にハンナはビックリ!この声はひょっとして・・・?
その驚きの表情から一転して、スクリーン上は1944年のアウシュヴィッツ収容所に移る。そこではポーランド人男性トマシュ・リマノフスキ(マテウス・ダミエッキ)とユダヤ人女性ハンナ・ジルベルシュタイン(アリス・ドワイヤー)の姿が映し出されるとともに、何とこの2人が愛を交わし合う=現実的にセックスを交わす姿が描かれる。アウシュヴィッツ収容所の中で、なぜこんなことが可能なの?スクリーン上だけでそれを理解するのは少し難しいが、そんなことが可能になったのはポーランドの政治犯として収容されていたトマシュには、さまざまな特権が与えられていたためらしい。ユダヤ人に対してひどい待遇がされていることは数々の映画で観ているとおりだが、そんな中でもハンナが妊娠してることがわかるから、これにもビックリ。ポーランド人のトマシュには、収容所の実態を撮影したフィルムのネガを持って収容所を脱走するというレジスタンスとしての任務があるらしいが、トマシュはその脱走にハンナを同行させることを強行に主張。そんなバカな!そんなことは不可能だし、もし逮捕されたら・・・?同志からそのようにきつく忠告されたのは当然だが、さてトマシュは・・・?
<この緊張感!この解放感!2人はどこへ?>
アウシュヴィッツ収容所におけるユダヤ人の悲劇は多くの映画に描かれているが、男女2人による脱出劇の成功を描いた映画は本作が初!トマシュは今さかんに「73804番!来い!」と怒鳴る「予行演習」をしていたが、それは何のため?また「同志」が連行されるのを見て脱出を決意したトマシュが、今取り出したのはドイツ軍の制服だが、なぜトマシュはそんなものを入手できたの?いくらアウシュヴィッツ収容所が厳しいといっても組織としての営みを続けているわけだから、そこでの何らかの「盲点」を見つければ脱出の方法があるはず。なるほどトマシュの行動を見れば、その工夫のサマがよくわかる。しかし、そこには当然大きな緊張感が・・・。
ヨーロッパでは人種が違っても外見上すぐにそれを見分けるのは困難だから、ポーランド人のトマシュだってナチスの軍服を着れば立派なナチス兵。すると、そんなナチス兵がユダヤ人女性のハンナを処罰のために外に連れ出すとか、ある特別なお楽しみのために外に連れ出す特権とかがあっても、おかしくはない。そんな極度の緊張感の中での脱出劇に注目!しかして、無事森の中に逃げ込んだ2人は以降ただただ走るのみだが、アンナ・ジャスティス監督はここですばらしいサービス精神(?)を発揮してくれるから、それに注目!その1つははじめての解放感の中での野外エッチ。これは見モノだ。もう1つはハリウッド映画さながらの車の強奪劇。これも少し笑いを含めた爽快感でいっぱいだ。本作で唯一見せてくれるそんな解放感の中、2人が向かったのはトマシュの実家だが、さてそこは安全?
<この家族もバラバラに!そしてこの2人も・・・>
平穏な時代ならノホホンと生きノホホンと死んでいくこともできるが、戦乱の時代の弱小国ポーランドに生きる青年や、ヒトラー抬頭時のユダヤ人は否応なく生き方や死に方の選択を迫られることになる。そんなことが、トマシュの家族の生き方を見たり、その論争を聞いていくとよくわかる。
まずトマシュの母親ステファニア・リマノフスキ(スザンヌ・ロタール)はとにかく2人の息子の幸せを願うだけの平凡な女性だが、トマシュが連れてきた結婚相手がユダヤ人だとわかると・・・。次に、トマシュの兄のチェスワフ・リマノフスキ(アドリアン・トポル)もトマシュと同じようにレジスタンス活動に身を投じていたうえ、その妻のマグダレーナ・リマノフスキ(ヨアンナ・クーリーグ)もチェスワフの生き方に強く同調していた。もちろんそれはそれで立派なことだが、今トマシュの実家はナチス・ドイツに接収されていたから、ここに出入りするのは危険。ましてアウシュヴィッツから2人の男女が脱走したことは知れ渡っているのだから、いつまでもここにハンナを置いておくのはヤバイ。2人の息子を愛するステファニアがそう考えたのはやむをえない。その結果、ある日屋敷を訪れたナチス将校ハンス・ヴォン・アイデム(フロリアン・ルーカス)を家の中に招き入れコーヒーをふるまいながら、隠れているハンナをつき出すような微妙な「お芝居」になるのだが、ここまでくると一体何を信じていいのやら・・・。
こんな状態ではトマシュの家族がバラバラになっていくのは仕方ないが、本作が描くその後のこの家族の結末は何とも悲しい。ハンナを残して任務遂行のために自宅を出発したトマシュがやっとの思いで自宅に戻ると、母親から聞かされたのはハンナの死亡。他方、雪原の中で倒れたハンナの方は、「73804番!おいで(来い)」という声を朦朧とした意識の中で聞いたが、さてその後のハンナの運命は・・・?
<今ニューヨークでは?ハンナの動揺と決断は?>
映画とは便利な芸術で、緊迫した1944年のポーランドの様子と平和な1976年のニューヨークの様子が、交錯しながらスクリーン上で展開していくことに何の違和感もない。クリーニング店のテレビから聞こえてきたあの声は、確かにトマシュのもの。そして、あの姿も・・・。しかし、トマシュは死亡したのではなかったの?
今日は夫ダニエルの晴れの祝賀パーティーの席であるにもかかわらず、主役の妻であるハンナの頭の中はトマシュのことでいっぱい。そこで勝手に席をはずしたり、電話をかけることに熱中したり、あげくの果ては突然夫の目の前でタバコをふかし始めたり、その様子は明らかにヘン。既に妻の過去に何かあったと感じていたダニエルはなおそんな妻に優しかったが、同性である娘のレベッカ・レヴィーン(シャンテル・ヴァンサンテン)の目は厳しかった。アンナ・ジャスティス監督はそんな1976年のレヴィーン家のいかにも不安定な状況=みんなが何かしらイライラしている精神状態を、うまくスクリーン上に描いていく。
ダニエルにしてみれば、妻から「実は・・・」と相談を持ちかけてくれればそれで安心できるのだが、ハンナはあくまで「これは私の問題だから・・・」と頑なに心を開かないから始末が悪い。レヴィーン家にそんな動揺が広がる中、ハンナの調査によってトマシュが今なお生きており、ポーランドの田舎町ルィンスクで教師をしていることが判明!さて、ここにおけるハンナの決断とは?
<奇跡の32年ぶりの再会は?>
本作のドイツ語の原題は『DIE VERLORENE ZEIT』=(損失時間)、英題は『REMEMBRANCE』=(記憶)だが、邦題は『あの日 あの時 愛の記憶』。これを比べると、英題のシンプルさ、原題の意味シンさ、そして近時の傾向どおり邦題の説明調が顕著だが、本作においてはこの邦題はいかにもピッタリ!ハンナの頭の中には、やさしい夫とかわいい娘に恵まれ平和かつ幸せに暮らしている32年後の今でも、「あの日 あの時 愛の記憶」でいっぱいだったわけだ。
本作のプレスシートには「『ひまわり』、『シェルブールの雨傘』に続く、戦争によって引き裂かれた恋人たちを描いた、忘れがたき感動作の誕生!」と書かれており、この比較は面白い。もっとも、『ひまわり』(70年)では結局戦地に赴いたマルチェロ・マストロヤンニ扮する夫とソフィア・ローレン扮する妻は戦後引き裂かれることになったし、『シェルブールの雨傘』(64年)でもカトリーヌ・ドヌーブたちが演じたかつての若い恋人たちは結局引き裂かれることになった。しかして、さて本作は?
2012年の今は極端な情報社会だが、1976年当時も電話という通信手段によって全世界を結ぶことができていたから、ニューヨークに住むハンナとポーランドのルィンスクに住むトマシュとの連絡自体はきわめて容易。問題は、ふとしたきっかけでトマシュの生存を知ったハンナに連絡をとる勇気があるかどうか、またもしそんな行動をとった場合の夫や娘の許容度如何だが、さてクライマックスに向けてスクリーン上にはどんな結末が?それはあなた自身の目で確認してもらいたいが、本作にみるラストはまれにみる名シーンになっている。ラストシーンのすばらしさで語り継がれているのは、何といってもアラン・ラッド主演の映画『シェーン』(53年)だろうが、本作のきわめてシンプルなラストシーンはそれに勝るとも劣らないものだ!ハンナの手紙による語りはついているものの、このシーンをみれば、名シーンが1つあれば言葉は何もいらないという映画の魅力に、すべての観客が納得するのでは・・・。
2012(平成24)年7月10日記