依頼人(韓国映画・2011年) |
<シネマート心斎橋>
2012年8月9日鑑賞
2012年8月11日記
韓国映画に初の本格的法廷サスペンスが登場!しかし、死体なし、凶器なしの愛妻殺人事件はもともと有罪立証が困難だから、いかにエリート検事でも大変。他方、一匹狼的キャラの弁護士が2008年から施行された「国民参与裁判制度」をあえて選択したのはなぜ?無罪判決獲得に向けたその戦略は?本作では弁護人の最終弁論に注目!合理的疑いとはナニ?それをしっかり考えながら、判決言渡後のあっと驚くドンデン返しの展開を楽しみたい。
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監督:ソン・ヨンソン
カン・ソンヒ(弁護士)/ハ・ジョンウ
アン・ミンホ(検事)/パク・ヒスン
ハン・チョルミン(容疑者)/チャン・ヒョク
チャン・ホウォン(事件紹介ブローカー)/ソン・ドンイル
弁護士事務所の女性事務長/キム・ソンリョン
ソ・ジョンア(ハンの妻)/ユ・ダイン
イ・ビョングク(刑事)/ファン・ビョングク
部長検事/チョン・ウォンジュン
ソ・ミンソク刑事(広域捜査隊協力犯罪チーム刑事)/パク・ヒョックォン
ソ・ジョンアの母親/イェ・スジョン
チェ教授(警察大学の教授)/ミン・ボッキ
裁判長/チュ・ジンモ
商店の老人/ユ・スンウン
2011年・韓国映画・123分
配給/ファインフィルムズ
<「韓国映画初!本格的、法廷サスペンス」は必見!>
本作のふれこみは、「韓国映画初!本格的、法廷サスペンス」。そう言われると、たしかに韓国映画で本格的法廷ドラマは観たことがない。日本では、古くは『事件』(78年)(『シネマルーム10』52頁参照)や『疑惑』(82年)(『シネマルーム10』33頁参照)、最近では『ゆれる』(06年)(『シネマルーム14』88頁参照)等々の法廷モノの名作があるし、アメリカではジョン・グリシャム原作の『レインメーカー』(97年)、『評決のとき』(96年)、『ニューオーリンズ・トライアル』(03年)(『シネマルーム4』226頁参照)等々のリーガルサスペンスが1つのジャンルとして確立している。実在の人物であるマフィアのボス、“ジャッキー”・ディノーシオに焦点を当てたシドニー・ルメット監督の『コネクション マフィアたちの法廷』(06年)は、評判どおりのものすごい本格的法廷ドラマだった。
日本では2009年5月から「裁判員制度」が施行され、満3年を迎えたが、韓国では民主化を目指す盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の意向を受けて、2008年から「国民参与裁判制度」が施行された。これは、殺人や強盗などの重大犯罪を対象とするなど日本の裁判員制度と共通する点もあるが、大きく異なるのは被告人が国民参与裁判か、裁判官だけによる裁判かを選択できること。もっとも、裁判員裁判か国民参与裁判か以前に日本と韓国の刑事裁判手続そのものが大きく異なるから、弁護士の私には戸惑う点が多いが、本作では3日後に指定された第1回公判期日を延期するために、妻殺しの被告人とされたハン・チョルミン(チャン・ヒョク)の弁護人カン・ソンヒ(ハ・ジョンウ)が国民参与裁判の申立をすることになるから、まずはそこに注目!しかし、私が勉強したところによると、韓国の弁護士は国民参与裁判を嫌い、被告人も量刑が重くなると危惧して、おおむね国民参与裁判には否定的らしいから、本作でそれを選択したカン弁護士の判断は是?それとも非?
<死体なし、凶器なしでの起訴はそもそも・・・?>
映画は脚本が命。法廷ドラマではそれがなお一層当てはまる。推理モノでは犯人は誰だ?が最大のポイントだが、法廷ドラマでは被告人が有罪か無罪かをめぐる検察側と弁護側の攻防がポイント。被告人の自白だけで有罪とできないことは近代刑法の基本だから、殺人罪で起訴し有罪とするためには死体や凶器の存在、そして凶器や現場での被告人の指紋や遺留品など客観的な証拠(物証)が不可欠だ。そんな常識から見ると、本作冒頭に見るハンの逮捕シーンは少し違和感がある。
大勢の警察官が動き回っている中、妻ソ・ジョンア(ユ・ダイン)の誕生日を祝うため花束を持って部屋に戻ってきたハンは寝室のベッドが血まみれになっていることにビックリ。ところが、声も出せないまま立ちすくむそんなハンの手に警察官が手錠をかけていとも簡単に逮捕したから、これには弁護士の私はビックリ。韓国の刑事モノを観ていると、日本とは違うその「荒っぽさ」にビックリするが、韓国の本格的法廷ドラマでも逮捕はこんなに荒っぽいの?殺人事件で逮捕状を取るためにはそれなりの物的証拠が必要なことは常識だし、現行犯逮捕するには犯人であることが明白でなければならないはずだ。ハンの妻殺し事件を担当するのは、カンと司法修習同期のエリート検事アン・ミンホ(パク・ヒスン)だが、いくら勝率99%を誇っていても、こんな死体なし、凶器なしの起訴では、有罪判決はもとより公判の維持そのものが難しいのでは?
<リンカーン弁護士もチョイ悪だったが、カン弁護士も>
『リンカーン弁護士』(11年)で観た、リンカーン・コンチネンタルを事務所代わりに使っているリンカーン弁護士ことミック・ハラー弁護士は有能で金儲けもうまいが、チョイ悪キャラが目立っていた。それに比べれば、本作におけるカン弁護士はずっと真面目だが、大事務所に属するキャラではなく、一匹狼的な雰囲気がプンプン。弁護士増員が進む日本では近時依頼事件を求める宣伝活動が目立つが、私が弁護士登録した1970年代でも事件を依頼してくるブローカーと弁護士との接触問題は時々起きていた。
本作では弁護士に事件を紹介し手数料をとるブローカー役としてチャン・ホウォン(ソン・ドンイル)が登場するが、それはストーリーを盛りあげる積極的な役割であり、何ら負のイメージはない。また、イケメン三人男を中心とした本作に登場する紅一点(?)はカンの事務所の女性事務長(キム・ソンリョン)だが、彼女は事務仕事ではなく探偵まがいの現場調査をイキイキとやっているところが興味深い。しかも、有能で気の強い彼女はボスであるカン弁護士の意向に逆らってまで自分なりの捜査を進めるからすごい。しかし、弁護士が事務員にこんなことまでやらせていいの?さらに法廷での証人調べが佳境に入ってくると、カン弁護士はチャンや事務長を使ってハンが起こした自動車事故を目撃したというウリ商会の老人(ユ・スンウン)を証人に立てようとするが、そこで金を動かすのはヤバイのでは?さらに、犯行現場を撮影したビデオをめぐって、元警察官に接触するチャンや事務長たちの調査活動(?)を見ていると、こりゃ明らかにやりすぎでは・・・?
政治家は問題が起きると往々にして「それは秘書がやったことで自分は知りません」とシラを切っているが、弁護士はそうはいかないはず。いくら無罪を勝ち取りたいためとはいえ、こんな無茶な調査活動をチャンや事務長にやらせていれば、リンカーン弁護士と同じようにカン弁護士のクビが危うくなるのでは?
<イ刑事の執念に注目!>
韓国映画では『殺人の追憶』(03年)(『シネマルーム4』240頁参照)、『チェイサー』(08年)(『シネマルーム22』242頁参照)、『シークレット』(09年)(『シネマルーム25』56頁参照)など刑事の執念を描いた秀作が多いが、犯人を捕まえるためであれば被疑者をボコボコに殴ったり、違法収集証拠も厭わないのが韓国警察?と思えるような問題点もチラホラと・・・。本作には西北女子高生殺人事件を執拗に迫っていく中、その犯人がハンに違いないと目をつけながらも途中で挫折し、警察官をやめてしまったイ・ビョングク刑事(ファン・ビョングク)が登場する。彼は警察官をやめた後も手弁当で西北女子高生殺人事件の犯人検挙に意欲を燃やし続けていたから、その執念はすごい。アン検事はこのイ刑事を証人申請し、それなりの証言を得たが、「西北女子高生殺人事件の犯人に違いないから、ソ・ジョンア殺しの犯人に違いない」といくらイ刑事が力説しても、その証言の価値がイマイチであることは明らかだ。これでは、せっかくのイ刑事の執念も証言も無意味・・・?たしかに現象面を見ればそのとおりだが、本作においてはそれが後に登場するあっと驚く大展開の大きな伏線になってくるから、とにかくこのイ刑事の執念に注目!
<双方とも証人の証言の価値はイマイチ・・・>
アン検事が申請したイ刑事の証言の価値がイマイチなら、被害者ソ・ジョンアの母親(イェ・スジョン)の証言もハンに対する恨みつらみをヒステリックにがなり立てるだけだったから、その価値はイマイチ。やはり証人の証言は的確に体験した事実を語るものでなくちゃ。たとえば、ハンと夫婦ゲンカをして実家に戻ってきた娘が「このままではハンに殺されそうだと何度も言っていた」等の証言はそれなりに価値があるが、「ハンは冷酷な男だから、きっとジョンアを殺したに違いない」などという推測は、それを証言すれば証言するほど価値は下がってしまうだけだ。
他方、カン弁護士が苦労の末に実現させたウリ商会の老人の証言も、アン検事から「カネがらみの証言ではないか!」と反対尋問されて立ち往生。これでは無罪立証の有力な決め手になれるはずはなく、カン弁護士の法廷戦術の汚さを目立たせてしまっただけ。下手すると、弁護士会から懲戒処分も・・・。全編のほとんどが法廷シーンだった『コネクション マフィアたちの法廷』における証人尋問の攻防は見応えいっぱいだったが、それに比べると本作における証人尋問シーンは、イケメン2人が丁々発止とやり合っているからそれなりにカッコイイものだが、どこかマンガ的であるうえ、結果的には最近連敗を続けている阪神タイガースの試合のように互いに得点力不足・・・。
<この最終弁論は、法科大学院の教材に!>
死体なし、凶器なしの殺人事件を状況証拠だけで有罪にするのはもともと難しい。逆にそうだからこそアン検事はこの事件に執念を燃やしたわけだが、その論告は立証の困難さを率直に認めたうえで、本件での有罪立証は十分だというオーソドックスなもの。それに対するカン弁護士の最終弁論は、本件に提出された状況証拠だけでは有罪の確信を得ることはできないと訴えるものだが、興味深いのはその演出だ。
『レインメーカー』におけるルーディ弁護士の最終弁論は生前のレイの姿をスクリーンに映し出し、レイ自身に語らせるもので、陪審員の人間としての心に訴えたものだった(『法苑』NO.118・14頁参照)。また、『評決のとき』におけるジェイク弁護士の最終弁論は法律論を一切カットし、「目を閉じて私の話を聞いてほしい」と切り出し、「少女がレイプされた。悲惨な状況だ。よく頭の中に描いてほしい・・・」とハートに語りかけるもので、陪審員一人一人にその状況を想定させるもの。そして最後に、「そして・・・その少女は白人でした」と結ぶものだった(『法苑』NO.124・7頁参照)。しかして、本作におけるカン弁護士の最終弁論は「私が3つ数えて合図すれば、法廷のドアを開けて殺されたはずの妻ジョンアが登場してくるから、陪審員の皆さんはそれに注目してください」と述べ、1・・・2・・・3と数え始めるもの。これによって私を含む法廷内のすべての人々はドアに注目。カン弁護士が言うように、ホントにこのドアから殺されたはずのジョンアが登場してくるのだろうか・・・?
引田天功のような天才的なマジシャンであれば、また『幻影師 アイゼンハイム』(06年)(『シネマルーム20』96頁参照)に見たアイゼンハイムであれば、死者をあの世からこの世に蘇らせることができるかもしれないが、カンは所詮弁護士だからそんなことはムリ。しかして、ドアからジョンアが現れてこないことが確認できると、おもむろにカンは「皆さんが私の言葉に従って一斉にドアを見つめたということは、まだジョンアが殺されておらず、生きてそこから現れるかもしれないと思ったからだ。つまり、ジョンアの死体を確認していない皆さんは、ひょっとしてジョンアがまだ生きているかもしれないと心のどこかで思っているわけだ。それこそ、被告人がジョンアを殺した犯人であることを確信していないことの何よりの表れなのだ」と論じたから、なるほど、なるほど・・・。多少屁理屈めいてはいるものの、この論理展開は筋が通っている。それなら是非、この最終弁論は、法科大学院の教材に!
<1人だけドアを見なかった男は?判決後の大展開は?>
『それでもボクはやってない』(06年)(『シネマルーム14』74頁参照)でも、『ニューオーリンズ・トライアル』でも有罪か無罪かが大きく注目されたが、本作の法廷シーンをつぶさに見聞すれば判決については大方の予想はつくはず。しかし、それを言ってしまえば元も子もないから、それはあなた自身の目で確認してもらいたい。韓国映画初の本格的法廷サスペンスたる本作がよくできているのは、実はストーリーがここで終わらず、ここからドンデン返しのストーリーが始まることだ。
カンの依頼者はハンだが、弁護士にとっては依頼者の言葉をどこまで信用できるかが最大のポイント。信頼できる場合は弁護活動をやりやすいが、信用できない場合はやりにくいものだ。まして、リンカーン弁護士のように、審理の途中で依頼人が犯人であると明確にわかったのに、依頼者と弁護士間の「秘匿特権」に縛られるケースは最悪だ。判決言渡後、アン検事はカン弁護士の健闘をたたえ、「あの最終弁論は良かったよ」と持ちあげたが、同時に「1人だけドアを見ていなかった男がいた」と指摘。さて、その1人の男とは?もしホントにそんな人物がいたとすれば、彼はジョンアが殺されたことを確信していることになるわけだから、こりゃ大変・・・。それまでの法廷ドラマは一体何だったの?あれはすべて道化芝居?そんな風に思いたくなってしまう判決言渡後のあっと驚くドンデン返しの大展開はしっかりあなた自身の目で。弁護士生活38年目に入っている私も、刑事事件でこんな思いだけはしたくない、と大いに自戒!
2012(平成24)年8月11日記