終の信託(日本映画・2012年) |
<東宝試写室>
2012年9月3日鑑賞
2012年9月6日記
『それでもボクはやってない』(06年)で痴漢冤罪事件をテーマとして日本の刑事裁判の問題点に切り込んだ周防監督が、再び医師による延命治療の中止=安楽死という社会問題に挑戦!「終の信託」とは、命の終わりを信ずるものに託すこと。それを託された女医の揺れる心と決断は?ラスト45分間の「取調べ」に見る検事と女医との攻防に注目!取調べの可視化が叫ばれる今、女医の善意の行為、人間として当然と思われる行為がなぜ逮捕の理由に?そして、字幕で知らされる刑事裁判の結末は?『シネマから学ぶ法律』の教材に、是非加えたい名作だ。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督・脚本:周防正行
原作:朔立木『終の信託』(光文社文庫刊)
折井綾乃(呼吸器内科の医師)/草刈民代
江木秦三(喘息患者)/役所広司
高井則之(外科医、綾乃の不倫相手)/浅野忠信
塚原透(検察官)/大沢たかお
杉田正一(塚原担当の検察事務官)/細田よしひこ
江木陽子(江木の妻)/中村久美
2012年・日本映画・144分
配給/東宝
<周防監督が再び「骨太なテーマ」に挑戦!>
周防正行監督の『それでもボクはやってない』(06年)は、痴漢冤罪事件をテーマとして日本の刑事裁判の問題点に真正面から切り込んだ注目作だった(『シネマルーム14』74頁参照)。その周防監督が今回は、重度の喘息と闘う中で自らの死期を覚った61歳の江木秦三(役所広司)から、「終の信託」を受けた女医・折井綾乃(草刈民代)による「延命治療の中止」に焦点を当てた問題作に挑戦!「終の信託」とは、命の終わりを信ずるものに託すこと。死期が迫っていることを自覚した江木は「信頼できるのは先生だけだ。最期のときは早く楽にしてほしい」と綾乃に対して懇願したが、それに対する綾乃の答えは?その2カ月後に心肺停止状態に陥った江木の治療を担当することになった綾乃は、患者の命がある限り医師として延命治療を続けるの?それとも江木の懇願を受けて延命治療を中止するという決断を下すの?それが本作が問いかける大きなテーマだ。
臓器移植法は平成21年7月の一部改正で、①臓器摘出の要件と②臓器摘出に係る脳死判定の要件が改正(緩和)され、③親族への優先提供が認められたが、尊厳死や安楽死への法的対応は全く変わっていない。少子高齢化が進み、医療の高度化と医療費の高額化が進む中、尊厳死や安楽死を望む声が確実に強まっているが、さて現実は?安楽死の可否という社会問題にウエイトを置くか、それとも後述する江木と綾乃のラブストーリーにウエイトを置くかは観る側が自由に選択すればよいが、私としては周防監督が挑戦したこの骨太なテーマに注目したい!
<独身の美人エリート医師の内面にも焦点を!>
もっとも映画はあくまでエンタメだから、周防監督はそんな社会性の強い「骨太なテーマ」の中に、医師と患者の立場を前提としながらも、江木と綾乃の男と女としてのラブストーリーの彩りを添えている。さらにそれを正確に描き出すため、美人エリート医師・綾乃の女としての内面にも焦点を!
そこで本作の前半に(のみ)登場するのが、綾乃と長年不倫関係にある同僚の外科医・高井則之(浅野忠信)だ。病院の中で密かに情事を重ねるのは大変だから、そんな不倫関係を続けること自体がストレスになるはず。そのストレスが拡大していく様子や、高井に別の若い女がいることを知った綾乃の対応を見ていると、エリート女医といえども普通の女に変わりがないという感じがするが、それがはからずも「自殺未遂」という大事件に発展していこうとは・・・。しかして、そこに見る高井の冷ややかな対応とは?
この綾乃と高井の不倫騒動は、綾乃と江木との間の医師と患者としての信頼関係を前提とした男と女のラブストーリーを描くための伏線だが、本作はそんな高度でピュアなラブストーリー(?)としても楽しむことができる。2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』で龍馬の生母役と京都の旅館・寺田屋の女将役の2役を完璧にこなした元バレリーナの草刈民代が、本作ではバレエを完全に切り離し、高井医師との不倫の恋に悩みつつ、江木に対して医師としての信念を貫こうとする綾乃になり切るため、演技者として勝負をかけている。
<時代をなぜ平成16年に?なぜ満州時代の思い出を?>
『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(11年)(『シネマルーム28』91頁参照)で颯爽とした五十六像を演じた役所広司が、本作ではプッチーニのオペラにはめっぽう強い(?)が、病弱なため企業戦士として生き抜き、家族を養う大黒柱としてはイマイチという61歳の男・江木秦三を巧みに演じている。長い間、喘息の病魔と闘いながら、散歩が大好きな江木が歩く川沿いの土手道を本作の重要な舞台とするため、周防監督は本作の時代を平成16年に、江木を61歳に設定した。また周防監督は、江木が両親と共に満州のチチハルで生活をしていた5歳の時、妹が銃弾によって殺されたという「あの戦争」の記憶を江木に語らせている。これは、「川の流れる先が空と交わるところまで歩いていけば、あの時の故郷に帰れるような気がする」と綾乃に対して語る江木の思いを強調するためだが、さてそこまでの設定は必要だったの?また、「人間は死ぬ時も聴覚が最後まで続くそうだから、自分の最期の時には子守歌を歌ってほしい」と江木が綾乃に対してねだる(?)のは、私の目には患者として少し甘えが過ぎるが、これも江木と綾乃のラブストーリーの小道具としてはきわめて有効。しかしこの子守歌が、妹が何の手も尽くせないまま死んでいく時、母親が歌ってやっていた子守歌だというのは少しこじつけが過ぎるのでは?
他方、平成22年には大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件が起きて、検事の取調べの実態が大問題となり、世間を震撼させたことは私たちの記憶に新しい。そのことを考えれば、本作がラスト45分間に見せる検察官・塚原透(大沢たかお)と被疑者・綾乃との白熱の攻防戦を際立たせるためにも、時代設定は平成23年とした方がよかったのでは?また、後述する横浜地裁の東海大学安楽死事件判決が出されたのは平成7年3月28日だが、それ以降平成24年の今日まで目立った判例変更はないことを考えても、あえて本作の時代設定を平成16年にしなくてもよかったのでは?江木が5歳の時満州で生活していたことと、現在61歳だということのつじつま合わせのために本作の設定を平成16年にしたのだろうが、あえてそこまでの設定は不要だったのでは?
<弁護士の目で、綾乃の処置を見ていると・・・>
医師と患者の治療関係すなわち医療契約は、法的には準委任契約とするのが判例通説だ。しかし、近時はインフォームド・コンセントの考え方が強くなってきたため、患者に対する医師の説明と患者の納得という手続が大変。それが本作における江木の治療の様子を見ているとよくわかる。ここで一つ問題なのは、江木の妻・陽子(中村久美)があまり積極的にその話に乗ってこないばかりか、長男も長女も日々の忙しさにかまけて(?)江木の病状にあまり関心を示さないことだ。そんな家庭内の事情もあって江木は綾乃を余計信頼したのだが、弁護士の私の目で見れば、そうだからこそ余計に江木や綾乃は家族に対して江木の病状や治療方針、江木の希望を明確にしておく必要がある。だって、江木が突然の発作で死んでしまったら、江木が何を望んでいたかを明らかにする資料は何もないのだから。その意味では、几帳面な江木が毎日つけている闘病日誌はきわめて重要な資料。しかし、その内容を江木が妻と十分共有していなかったのは残念だし、それは江木の手落ちというべきだろう。
他方、綾乃の方はあくまで医師として客観的に江木の病状と向き合う必要があるし、江木がいつ死ぬかもしれないことを前提としてその治療方針を陽子たちに示し、その納得を得る必要がある。本作には綾乃が自ら江木の身体を拭くシーンが登場するが、これは多分現実にはありえない話。医師にはとてもそんな暇はないはずだ。したがってこれは、江木と綾乃のピュアなラブストーリーを暗示させるためのシーンだが、やはり医師としては自分の(個人的な)思いをそんな風に表現するのではなく、家族や妻に対してもっと積極的に働きかける努力が必要なのでは。陽子に対する安楽死の説明とその了解のシーンを見ていると、弁護士の私の目にはきわめて不十分に思えたが・・・。
<東海大学安楽死事件とは?>
綾乃の陽子に対する安楽死の説明の仕方や、現実に綾乃が実施したチューブの切断による延命治療中止の様子を見ていると、弁護士の私としては、綾乃は横浜地裁平成7年3月28日判決が掲げた安楽死の4つの要件をきちんと理解しているのかどうかが疑問に思えてくる。4つの要件とは、すなわち①耐えがたい肉体的苦痛があること②死が避けられずその死期が迫っていること③肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと④生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること、だが、この事件に照らして綾乃の行動をチェックしてみると・・・?
上記①②③は医師としての判断が大きなウエイトを占めるが、④は手続的なことだから江木からの口頭の懇願を聞くだけでなく、それを書面にしておいてもらうべきだ。また、江木が意識不明となり、いよいよ延命治療を中止しチューブを切断しようとする前には、少なくとも妻や子供たちから「書面による承諾」を得ておくことは、やろうと思えば容易にできること。しかるに、なぜ綾乃は安楽死について上記判決が要求する上記④の手続要件を無視したの?まさかそれを知らなかったわけではないだろうから、そこらあたりが私には少し不可解・・・。
<この取調べ風景と取調べテクニックに注目!>
『それでもボクはやってない』は刑事裁判の流れを観客にわかりやすく説明しながら、冤罪が生まれる構造的問題点を描いたが、本作では塚原検事の取調べ風景と取調べテクニックに注目!司法修習生時代に「検察修習」として被疑者の取調べを行った経験があり、弁護士になってからは検察官の部屋に何度も出入りした経験のある私には、本作に見る検察庁や検事室は少し時代がかっており重みがありすぎるが、映画としてはこれくらいの方が緊張感があって面白い。綾乃は午後3時の呼び出し時間の30分以上前に到着しているのに、塚原検事は1時間以上これを待たせるのは平気なようだが、ひょっとしてそれも作戦の一つ?塚原検事担当の検察事務官・杉田正一(細田よしひこ)はトイレの中での同僚との会話でそんなことを教わったが、塚原検事は取調べにあたって頭の中でどんな戦略を立てているのか私にもサッパリわからない。
裁判官も検事も1つの案件だけをトコトン調べるのではなく、「手持ち事件」として同時並行的に多くの案件を抱えているから、案件毎にすべての事実関係が頭の中に入っているわけではなく、書類を見ながら確認していくのが常だが、本作ではそれが一切ないのが大きな特徴だ。つまり、塚原検事は綾乃の取調べにあたってすべての書類に目を通し、すべての事実関係が明確に頭に入り整理されているわけだ。「聞かれたことだけ答えなさい!」と再三注意しながら、「被疑者調書」をとるのに必要な質問を次々とあびせかけ、合理的に「ハイ」という答えを引き出していく塚原検事の取調べ風景と取調べテクニックに注目!
<ラスト45分間の攻防は、映画史上に残る名シーンに!>
大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件以降「取調べの可視化」の必要性が強調されているが、本作に見る検事室での攻防はまさに「取調べの可視化」そのものだ。当然塚原検事は暴力を振るったり脅迫したりはしていないし、利益誘導もしていない。しかし、被疑者から「自白」を引き出すためには、時として大きな声も・・・。圧巻は、前記判例が示す安楽死の4つの要件を明示しながら少しずつ綾乃を追いつめていく塚原検事のテクニック。最初は塚原検事からの質問に戸惑っていた綾乃も、途中からは法的観点から綾乃の行為を殺人罪だと追及する塚原検事に対しさかんに反論し始めたが、塚原検事からここまで論理的に追及されると、かなり情緒的な(?)綾乃の反論の有効性は?映画では珍しい2人だけの(杉田は黙って見守っているだけ)45分間の白熱の攻防をじっくりと味わいたい。
多くの観客は「取調べ」を終えた後、塚原検事が口頭で検察事務官の杉田にパソコンを打たせて調書をとる作業は神業に見えるだろうし、本当はこんなにカッコよくはないのだが、実際にやっている作業は本作が描くとおりだ。しかして、最後の質問に対する綾乃の答えを得た塚原検事の最後の言葉とは?弁護士の私には逮捕状の執行はごくありふれた行為であり風景だが、本作が描くそれには思わずドッキリ!本作が描くそんなラスト45分間の攻防は、映画史上に残る名シーンになるはずだ。
<『シネマから学ぶ法律』の教材に本作を追加!>
『SHOW-HEYシネマルーム』を1~28まで出版している私のもう一つの夢は『シネマから学ぶ法律』の出版。映画から学ぶべき法律的なテーマは、都市問題、住宅問題、欠陥住宅問題、医療制度、認知症などたくさんあるが、尊厳死や安楽死もその一つ。ちなみに「余命数カ月、その時あなたは」というテーマは、たまたま『シネマルーム27』で『ビューティフル』(10年)(214頁参照)、『海洋天堂』(10年)(219頁参照)の2本を取り上げたが、これは法的に勉強すべきテーマではなく、人間としての生き方を問う根源的なテーマ。それに対して尊厳死や安楽死は法的に重要なテーマで、私はその教材として『ミリオンダラー・ベイビー』(04年)(『シネマルーム8』212頁参照)と『海を飛ぶ夢』(04年)(『シネマルーム7』197頁参照)をあげている。しかして、本作もその教材にピッタリだ。
江木とのピュアなラブストーリーの彩りを持たせ、綾乃の女性としての心の揺れにもウエイトを置いた分、綾乃の医師としての行動と判断に多少の弱み(甘み?)が出ているのは残念だが、延命治療の中止という行動に至るまでの彼女の心の揺れと決断、そしてインフォームド・コンセント(?)の様子はしっかり学びたい。塚原のような優秀な検察官にかかれば、綾乃のような優秀な医師でも1回の取調べで容易に「自白」させられ、即座に逮捕に至ることは多くの観客にとって驚きのはず。また、殺人罪で起訴された綾乃の刑事裁判は結局懲役2年、執行猶予4年で確定したと字幕で表示されるが、なぜ善意でとった綾乃の行動がそのような結果になるのかについて納得できない人も多いのでは?そのような法律に無知な人々に対して、私は『ミリオンダラー・ベイビー』と『海を飛ぶ夢』に是非本作を加え、「安楽死」についてしっかり勉強してもらいたいと願っている。
2012(平成24)年9月6日記