推理作家ポー 最期の5日間(アメリカ映画・2012年) |
<角川映画試写室>
2012年9月6日鑑賞
2012年9月8日記
エドガー・アラン・ポーの推理小説は犯人探しだけでなく、その奇怪ぶり・猟奇ぶりがミソ。ところが、そんな小説を模倣した怪奇殺人事件が連続したから、ポーはびっくり。更に「愉快犯」を思わせる犯人はポーの恋人を拉致したうえ、犯人の偉業をたたえる小説を書けと命じたから大変!さてポーは?40歳で早死にしたポーの、謎に包まれた「最期の5日間」とは?本作に見る、死よりも強いポーの愛の物語をじっくりと・・・。
本文はネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!
読まれる方はご注意ください!!
↓↓↓
監督:ジェームズ・マクティーグ
エドガー・アラン・ポー(推理作家)/ジョン・キューザック
エメット・フィールズ(刑事)/ルーク・エヴァンス
エミリー・ハミルトン(ポーの恋人)/アリス・イヴ
チャールズ・ハミルトン大尉(エミリーの父親)/ブレンダン・グリーソン
マドックス(新聞社パトリオットの編集長)/ケヴィン・マクナリー
カントレル(巡査)/オリヴァー・ジャクソン=コーエン
エルダリッジ(警部)/ジミー・ユイル
ブラッドリー夫人/パム・フェリス
リーガン(酒場の店主)/ブレンダン・コイル
アイヴァン(新聞社パトリオットの植字工)/サム・ヘイゼルダイン
2012年・アメリカ映画・110分
配給/ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン
<この印象的な名前は小学生の時から・・・>
小学生時代の私は江戸川乱歩の大ファンで、図書館にあった本を片っ端からすべて読破したものだ。したがって、江戸川乱歩というペンネームがエドガー・アラン・ポーという19世紀に生きた史上初の推理作家の名前を模したものであることは、その頃から知っていた。映画化されている彼の作品は『モルグ街の殺人』(32年)『黒猫』(34年)『世にも怪奇な物語』(67年)等だが、ポーの名前を題材とした『エドガー・アラン・ポー/早すぎた埋葬』(89年)もあるらしい。
ちなみに、私はまだ観ていないし、『キネマ旬報 9月上旬号』で3人の映画評論家から、星1つ、2つ、3つ、という酷評を受けたフランシス・フォード・コッポラ監督の最新作『Virginia/ヴァージニア』(11年)もポーの幻影をめぐるミステリーらしいから、エドガー・アラン・ポーの名前はいつまでも不滅だ。
<40歳の若死にだったとは!その最期の5日間は?>
私が今回はじめて知ったのは、1809年にアメリカのボストンで生まれたポーが1849年10月7日にわずか40歳という若さで死亡したこと。また、これだけ大成功した作家であるにもかかわらず、ポーの最期の5日間は定かでないということだ。ポーは本作の冒頭とラストに出てくるような瀕死状態で公園のベンチに座っているところを発見されたうえ、死の直前には「レイノルズ」という名の人物についてわめいていたらしい。ポーの書いた推理小説は怪奇殺人事件ばかりだがそんな作品の源となった彼の想像力は一体どこから得られたの?
そんな謎に包まれたエドガー・アラン・ポーの最期の5日間を映画にすれば面白いのでは?そう考えて本作が誕生したわけだが、たしかに本作は面白い。もっともポーが考案した各種殺人事件の態様は気味が悪く残酷なシーンが多いので、気の弱い人は予めご用心を・・・。
<あの時代にも「愉快犯」が?>
「愉快犯」とはウィキペディアによれば、「人(社会)を恐慌におとしめて、その醜態や慌てふためく様子を陰から観察する、あるいは想像して喜ぶ行為を指す」と定義されている。しかし、それでは誤解されそうなので、本来は「不愉快犯」とするべきでは・・・?それはともかく、19世紀のアメリカにも愉快犯がいたことは、エドガー・アラン・ポー(ジョン・キューザック)の小説『モルグ街の殺人』や『落とし穴と振り子』を真似た怪奇殺人事件が連続して起きたことによって明らかになる。
そんな導入部の後に起きる最大の事件は、愛娘エミリー・ハミルトン(アリス・イヴ)の誕生日のためにチャールズ・ハミルトン大尉(ブレンダン・グリーソン)が開催した仮面舞踏会の場で、愛娘が髑髏の仮面を付けた死装束の騎士たちによって拉致されたこと。これはポーの『赤き死の仮面』になぞらえた事件だが、この日父親の反対に抗してエミリーに結婚の申込みをしようとしていたポーにとっては、大ショック。またこれは、執拗に「愉快犯」の行方を追い、仮面舞踏会の警備を任されていたエメット・フィールズ刑事(ルーク・エヴァンス)にとっても、大きな汚点になるものだった。
<この「愉快犯」の狙いは?>
そのうえ、フィールズ刑事がその場で射殺した死装束の男の手には、「ポーが新聞にこの連続殺人の偉業を書いて載せるのなら、今後の殺人ではそれぞれの犠牲者が出るたびに、エミリーの居所のヒントを与える」と書かれたメッセージ(挑戦状)が残されていたから、ますます不愉快!この犯人は一体誰?そして、何を狙っているの?
フィールズ刑事もポーも苦悩したが、ポーとしては愛するエミリーを救う為には殺人鬼の言うとおりに新聞紙上に原稿を書くしかない。皮肉なことにそれまでポーが書いていた文芸批評には見向きもしなかった新聞社パトリオットのマドックス編集長(ケヴィン・マクナリー)はこの事件後、取り憑かれたように書くポーの原稿に「これなら新聞は飛ぶように売れる」といたく感激。しかし、犯人の言うとおりに踊らされているポーの立場に立って考えてみれば・・・。
<あまり模倣してほしくない知能ゲームが次々と・・・>
本作の中盤には殺人鬼が予告したとおりの怪奇殺人事件が次々と起きるが、これらはすべてポーの小説のどこかを模倣したものだからポーはたまったものではない。しかも、犯人は殺人事件のたびにポーやフィールズ刑事に何らかのヒントを投げかけ、どことも知れない場所の棺桶らしき箱の中に監禁されているエミリーのところへ少しずつ誘導していくわけだからこの知能ゲームはたちが悪い。2010年10月27日に観た『リミット』(09年)のような境遇にあるエミリーは孤独で心細いからそれだけで参ってしまいそうだが、若くて美人であるうえ、あの当時の良家のお嬢様としては気の強い性格が幸いしたようで、1人で何やらゴソゴソと格闘していたから、これならまだしばらくは大丈夫?しかし、その体力と気力がいつまで持つかわからないから、早くポーとフィールズ刑事は犯人からの謎賭けに対する解答を出し、監禁されているエミリーのもとへ駆けつけなければ。
次々と起きる怪奇殺人事件から得られるヒントの中で展開されるこの知能ゲームは、外から見ている分には結構面白いが、本当はあまり模倣してほしくないもの・・・。
<局面は大詰めに!ポーの決断は?>
何度も犯人の後ろ姿を目撃し追跡しながらこれを逃したうえ、逆に負傷させられたフィールズ刑事は切歯扼腕したが、遂にあるヒントを掴んだ様子。ポーの方も日々犯人からのメッセージを読み解きながら小説を書き続けたが、エミリーの体力の限界は日に日に近づいていることは明らかだ。そんな今、彼が下した決断は自分の命と引き換えにしてでもエミリーの命を救うことだが、それって一体どうするの?
そんなことを公然と書き綴った原稿を事前に読んだパトリオットの植字工アイヴァン(サム・ヘイゼルダイン)は猛反対したが、新聞の売れ行きを優先するマドックス編集長はそれを許可。すると、そんなポーのところに届いた最後のメッセージは?そして、そこから訪れる最後の局面とは?
<犯人は誰?それはあなた自身の目で>
推理小説やミステリー映画の解説で犯人をバラしてしまうのは、野暮の骨頂。したがって、この最後の局面でポーと対峠する犯人を明らかにすることができないのは当然。もっとも、ある意味で意外、ある意味でなるほどと思えるストーリーづくりになっていることが一流の映画と言われるために不可欠だが、さて本作では?ただ弁護士の私が指摘しておきたいことは、局面の主導権を犯人に握られた中での交渉は圧倒的に不利だということ。まして、ポーはエミリーを救うために自分の命を投げ出すことも厭わないと新聞紙上の小説で公言しているのだから、犯人からそれを要求されるとポーは・・・?
しかしてスクリーン上は、映画冒頭に登場した、公園のベンチにうつろな目で座るポーの姿をとらえていく。つまり、フィールズ刑事やハミルトン大尉たちが「現場」に駆けつけたとき既にポーはそこを離れ1人公園のベンチに座っていたわけだが、それは一体なぜ?本作のラストに向けて展開されるそのストーリーは、じっくりあなた自身の目で。
2012(平成24)年9月8日記