プラットホーム(站台/Platform)(香港、日本、フランス合作映画・2000年) |
<シネ・ヌーヴォ>
2013年1月13日鑑賞
2013年1月18日記
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の2作目は、4人の男女が織りなす青春群像劇。1979年から1991年までの激動の12年間で、若き劇団員たちは劇、音楽、ファッション等々にいかなる変化を?タイトルに反して中身は長距離バスでの移動を伴うロードムービーだが、四人二様の恋模様の展開も「あの時代」らしい。長回しカメラの描写を2時間31分も見続けるのはしんどいが、「オフィス北野」の出資にも注目し、「作家性」と「資金調達」の両立についてもしっかり考えたい。
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監督・脚本:賈樟柯(ジャ・ジャンクー)
明亮(ミンリャン)/王宏偉(ワン・ホンウェイ)
瑞娟(ルイジュエン)(明亮の恋人)/趙濤(チャオ・タオ)
張軍(チャンジュン)/梁景東(リャン・チントン)
鐘萍(チョンピン)(張軍の恋人)/楊天乙(ヤン・ティェンイー)
2000年・香港、日本、フランス合作映画・151分
配給/ビターズ・エンド
<4人の青春群像劇を通じて、あの10年余を・・・>
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の2作目となる本作も、1作目の『一瞬の夢』(97年)と同じく監督の出身地である山西省の地方都市、汾陽(フェンヤン)が舞台だが、本作はこの街の文化劇団に属する明亮(ミンリャン)(王宏偉/ワン・ホンウェイ)と瑞娟(ルイジュエン)(趙濤/チャオ・タオ)、張軍(チャンジュン)(梁景東/リャン・チントン)と鐘萍(チョンピン)(楊天乙/ヤン・ティェンイー)という4人の男女の10年余にわたる青春群像劇であり、さらにロードムービーになっている。
物語は毛沢東主席を賛美する劇の上演から始まるが、本作が描く時代は文化大革命が終了した1979年から天安門事件が起きた1989年の翌々年の1991年までの10年余。この激動の時代の政治や権力闘争を真正面から描けば大変なことになるため、中国ではそれはタブー。そこで、賈樟柯監督が描くのは、演劇、音楽、ファッション等を通した4人の若者の変化だ。スクリーン上にはさすがに天安門事件の様子は登場しないが、ラジオから流れる劉少奇の名誉回復のニュース(80年)や建国35周年の鄧小平の大閲兵(84年)や天安門事件の指名手配のニュースを聞いていると、あの時代の中国の政治の激動ぶりがよくわかる。他方、劇団に属するあの時代を生きた4人の若者たちがアメリカンスタイル(?)のラッパズボンやパーマ、長髪、そして軽音楽やロック、ブレイクダンスに憧れながら、それぞれの恋や友情を体験してきたことも本作を観ればよくわかる。
『一瞬の夢』と同じく、賈樟柯作品は何の説明もないまま長回しカメラで1つ1つのシークエンスをつないでいくだけだから、2時間31分という長尺の本作を見続けるのは少ししんどいが、少なくともあの時代の10年余の中国、そして中国の若者の生の生き方を切り取り、それに触れるには絶好の映画だ。
<なぜこんなタイトルに?中身はロードムービー!>
阪神タイガースは夏の全国高等学校野球選手権大会の時期は、ホームグラウンドの甲子園球場を明け渡さなければならないから、この間は「死のロード」と呼ばれ、成績もパッとしないのが通常だった。これには各地を移動しながら戦う大変さが影響しているというのが一般的な見方だったが、それはバスや列車で長時間の移動を余儀なくされた時代の話。飛行機や新幹線が整備され、ホテルの部屋が1人ずつ準備されている昨今では「ビジターだから負けた」という弁解は通用しないはずだ。それに比べれば、本作にみる劇団員の移動はすべて悪路を走る長距離バスだから大変。さらに、宿泊場所もひどいうえ、公演場所の確保やその設営も大変そうだ。日本でも劇団に憧れる若者は多いが、総じてその生活は苦しいらしい。スターになり名声を得たごく一部の人のみがリッチな暮らしができるのに、なぜ若者たちは劇団に入り、スターを夢見るの?本作にみる4人の主人公から、まずはそんな「なぜ?」を感じとってみたい。
劇団長は思想性もしっかり確立していなければならないはずだから、多分共産党の幹部だと思うが、文化大革命後とはいえ、巡業中のトラックの荷台の上で明亮たちが「20年後には女房を7~8人・・・」と大声で歌っている姿にビックリ。これには酔ったうえの勢いもあるのだろうが、文化大革命の最中であればたちまちつるしあげられ、自己批判させられていたはずだ。そう考えると文革後の中国は、そして劇団員は自由になったものだ。
本作の原題は邦題の『プラットホーム』と同じ『站台』だが、これは1980年代を通して中国で大ヒットした歌の題名らしい。なぜそんなタイトルにしたのかは賈樟柯監督に聞かなければわからないが、本作はそんなタイトルとはまったく無縁のロードムービー仕立てになっている。したがって、あなたも4人の若者たちと一緒にあの時期にタイムスリップし、あのバスに揺られながらの巡業を想像すれば、より強く本作や本作の主人公たちへの共感を得られるのでは・・・。
<ベネチア、ナントで絶賛!だが・・・>
本作は2000年のベネチア国際映画祭で批評家やマスコミから大絶賛され、グランプリは逃したものの最優秀アジア映画賞を受賞し、続くナント三大陸映画祭では、見事グランプリと監督賞を受賞した。ネット情報では「そのあまりの完成度の高さに・・・」と書いているが、私の目にはデビュー作の『一瞬の夢』と同じように、1つ1つのシークエンスをカメラの長回しで撮っているだけ。また本作でも、タバコに火をつけ、タバコを吸うシーンがやたら登場するので、そのシーンにはいい加減飽きてくる。
2組のカップルの恋模様をストーリーの軸とする本作では、中盤から張軍と鐘萍の恋仲は順調に進み(?)、妊娠にまで至るが、その堕胎騒動以降2人の仲は少しずつ離れてしまう。他方、『一瞬の夢』でもまったく煮え切らない役に終始していた王宏偉が、本作でも芝居面においても瑞娟との恋愛においても一貫して煮え切らない男・明亮を見事に演じている。違うのは『一瞬の夢』では王宏偉はいくら勧められてもカラオケを歌わなかったが、本作では大声を上げて歌ったり踊ったりするシーンが多いこと。もっともアメリカ流に洗練された(?)背の高い張軍に比べると、明亮はかなりダサイ。それは明亮と付き合っている瑞娟も同じで、パーマの髪や派手なワンピースがよく似合う鐘萍に比べると、いかにもいもねえちゃん(失礼!)という感じだ。
前述のように、本作は1979年から1991年まで12年間にわたる中国の変化をこの4人の主人公を通じて描き続けるから、劇中で流れる日本でも大ヒットした『ジンギスカン』の歌などを思いだし、時代考証をしっかりたどりながら楽しむことが大切だ。しかし、あくまで「それだけ」だから、2時間31分はちと長すぎる感も・・・。
<「作家性」と「資金調達」の両立は?>
賈樟柯監督は、私が2007年10月に『大阪の弁護士坂和章平が語る中国映画あれこれ』というタイトルで講演をした北京電影学院の出身。ネット情報によると、彼が北京電影学院の卒業後に作ったビデオ作品『小山回家』が香港インディペンデント映画賞の金賞を受賞したことから、香港の製作会社・胡同制作からの出資を獲得し、デビュー作『一瞬の夢』を製作したそうだ。つまり、『一瞬の夢』がベルリン国際映画祭での新人監督賞をはじめ、各国の映画祭で数々の賞を受賞し、各国に上映権が売れ製作費の回収を果たしたことによって、賈樟柯監督は「作家性」と「資金調達」の両立を果たすことができたわけだ。
そんな賈樟柯監督に北野武(ビートたけし)のマネージメント会社である「オフィス北野」が目をつけて、『プラットホーム』に出資したため、同作は「香港、日本、フランス合作映画」となっている。そして以降、オフィス北野は『青の稲妻』(02年)(『シネマルーム5』343頁参照)を製作、配給、『世界』(04年)(『シネマルーム17』289頁参照)を製作、配給、『長江哀歌』(06年)(『シネマルーム17』283頁参照)を提供、配給、『四川のうた』(08年)(『シネマルーム22』213頁参照)を製作、配給し続けてきたのは立派なもの。これは映画監督としても独自の「作家性」を主張し続けている北野武監督の慧眼によるものだろうから、お互いの才能を認め合ってきたということだろう。
近時の邦画がつまらなくなっている原因の1つは、「製作委員会方式」による「みんなの意見のとり入れ」にあることは明らかだが、それは同時に映画監督が「作家性」を貫くことができなくなってきたことを意味している。映画づくりには膨大なお金がかかるから、それに出資するのは大きなリスクがあるが、そのリスクを背負う覚悟がなければ優秀な若い映画監督の才能を育てることができないのは当然。その意味で本作へのオフィス北野の出資とその後の賈樟柯監督のめざましい成長という関係は、「作家性」と「資金調達」の両立という観点からしっかり評価しなければならない。
<2人の女優のその後は?>
前述のように、本作ではどちらかというと 明亮と付き合っている瑞娟を演じた趙濤よりも、 張軍と付き合っている鐘萍を演じた楊天乙の方が派手で目立っている。しかし、2人の女優のその後は正反対だ。つまり、具体的には知らないが、楊天乙はその後目立った女優活動を展開していないのに対し、趙濤は賈樟柯監督の第3作『青の稲妻』(02年)では本作と対照的に奔放な現代女性を演じて、その存在感をいかんなく発揮し、以降賈樟柯監督作品になくてはならないミューズとなっている。『世界』、『長江哀歌』、『四川のうた』での趙濤の活躍ぶりは私の評論に書いたとおりだ。
そんな中、近時のビッグニュースは、2012年5月4日に東京で閉幕した「イタリア映画祭2012」で上映されたイタリア映画『シュンリーと詩人(仮)』に出演していた趙濤が、イタリア版アカデミー賞である「ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞2012」で主演女優賞を受賞したこと。アジア人女優初の受賞という快挙らしいから恐れいる。ドレス姿で授賞式に臨む趙濤の姿をネット情報で見ると、そのセレブぶり、そのオーラにビックリだが、2000年の本作から12年、よくここまで成長したものだ!
2013(平成25)年1月18日記