塀の中のジュリアス・シーザー(イタリア映画・2012年) |
<シネ・リーブル梅田>
2013年2月1日鑑賞
2013年2月5日記
このタイトルは一体ナニ?シーザーやブルータスを演ずる俳優たちは一体誰?なぜ、本作がベルリン国際映画祭金熊賞を?そんな疑問でいっぱいだが、刑務所という「塀の中」の密閉空間で、囚人たちがシェイクスピア劇を演ずる濃密な76分間の充実度は高い。他方、囚人たちのこの風貌、この体格、この表情には大拍手だが、長期拘束されている彼ら一人一人の思いに目を向けると・・・。
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監督:パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ
キャシアス(カッシオ)/コジモ・レーガ
ブルータス(ブルート)/サルヴァトーレ・ストリアーノ
ジュリアス・シーザー(チェーザレ)/ジョヴァンニ・アルクーリ
マーク・アントニー(マルカントニオ)/アントニオ・フラスカ
ディシアス(デチオ)/フアン・ダリオ・ボネッティ
キャスカ(カスカ)/ヴィットリオ・パレッラ
メテラス(メテロ)/ロザリオ・マイオラナ
ルシアス(ルーチョ)/ヴィンチェンツォ・ガッロ
トレボニアス(トレボニオ)/フランチェスコ・デ・マージ
シナ(チンナ)/ジェンナーロ・ソリト
占い師/フランチェスコ・カルゾーネ
ストラトー(ストラトーネ)/ファビオ・リッツート
オクタヴィアス(オッタヴィオ)/マウリーリオ・ジャフレーダ
軍人/パクスアーレ・クラペッティ
舞台監督/ファビオ・カヴァッリ
2012年・イタリア映画・76分
配給/スターサンズ
<なるほど、これがベルリン国際映画祭の金熊賞!>
アメリカのアカデミー賞と違い、カンヌ、ベルリン、ベネチアという三大国際映画祭では社会問題作が選出される傾向が強い。そして、第62回(2012年)ベルリン国際映画祭では金熊賞に本作が、銀熊賞に昨年12月3日に観た『東ベルリンから来た女』(12年)が選出された。しかして、本作『塀の中のジュリアス・シーザー』とは一体ナニ?私は「史劇」が大好きで、エリザベス・テイラーがクレオパトラを演じ、レックス・ハリソンがジュリアス・シーザーをリチャード・バートンがアントニーを演じた『クレオパトラ』(63年)は何度も観ているが、本作のタイトルはどうしても理解できない。
そこでチラシを見てみると、何とイタリア・ローマ郊外のレビッビア刑務所にはプロの演出家による演劇実習というものがあり、年に一度刑務所内の劇場に一般観客を招き、囚人たちの演劇を披露しているらしい。それを知ったパオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟監督がそこに収容されている元マフィアの重犯罪者にシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を刑務所内で演じさせ、カメラに収めるというアイデアを思いつき、本作を完成させたというわけだ。すると、本作の出演者たちは全員そこの囚人?そんなバカな!と思いながら、本編を観ていると・・・。
<このオーディション風景にビックリ!>
本作冒頭に映し出されるブルータス(サルヴァトーレ・ストリアーノ)の自決(?)シーンを観ていると、その迫力は「劇団四季」のそれに勝るとも劣らないもの・・・。そして、劇が終わると死んでいたはずのブルータスが起き上がるとともに、ジュリアス・シーザー(ジョヴァンニ・アルクーリ)やオクタヴィアス(マウリーリオ・ジャフレーダ)等も再登場して観客の万雷の拍手に応えるシーンになる。演技に素人のレビッビア刑務所内の囚人たちが、なぜこんなすばらしい演劇を上演することができたの?
そんな疑問に答える形で本作は以降そのリハーサル風景を追っていくから、本作はある意味でドキュメンタリー映画だ。まず、ビックリさせられるのは俳優を決定するためのオーディション風景。その方法は一人一人に、まずは愛する人に別れを告げるように、続いて税関で尋問を受けているかのように、二通りの言い方で名前や出身地を言う芝居をしてもらうこと。その狙いは一つは悲しみ、もう一つは怒りを表現してもらうためだ。そんな注文に応じて次々と自己表現していく囚人たち。これを見ているだけで、そのレベルの高さに驚かされる。このオーディションによって主要な配役がすべて決まったらしいが、彼らは今後どのようにセリフを覚え、それぞれの役柄になり切っていくのだろうか?
<この風貌!この体格!この表情!どれを見ても・・・>
1973年に作られた深作欣二監督の実録暴力団映画『仁義なき戦い』が大ヒットすると、同作はシリーズ化され、それまでの鶴田浩二、高倉健、富司純子などのスターによる東映任侠路線は一気に「実録路線」に転換された。そして、菅原文太が大フィーバーするとともに、安藤昇というホンモノの元暴力団組長も大人気になった。最近では凶暴さを売りにした北野武監督の『アウトレイジ』(10年)(『シネマルーム24』88頁参照)やその続編『アウトレイジビヨンド』(12年)がヒットしているが、それらの俳優たちは二枚目が多いから、武闘派のヤクザを演じるのはしんどいかも・・・。
それに比べると本作におけるシーザーとブルータス、ブルータスとオクタヴィアスの憎しみに満ちた権力闘争はまさに感情と感情の激突で、ホンモノの「犯罪者」が腹の底から演じている迫力がある。ひょっとしてそんな目で彼らを見るのは偏見かもしれないが、その風貌、その体格、その表情を見ているだけで、暴力性、凶暴性の迫力が違うわけだ。もちろん、本作は綿密に構成された脚本にもとづいて演じられているわけだが、クレオパトラはもちろん女性が一人も登場しないこともあって、その暴力性、凶暴性が際立っている。したがって、本作の上映時間は76分と比較的短いが、観終わったら、どっと疲れが出ること受け合いだ。
<彼らはなぜ?出演の対価は?>
本作には劇の最終シーンが2度登場するが、本作をラストまで観ていて切なくなるのは演じた俳優(囚人)たちが終了後それぞれの独房に戻されていくシーン。私が知っている日本の刑務所の独房より広く快適なのはさすがだが、これだけの努力をして最高の演技を見せ、観客から万雷の拍手を受けても、彼らには何の対価もないことが、このシーンを観ているとよくわかる。私たちが日常的に見る演劇の風景では、舞台上で演じたスターたちは上映終了後も拍手を浴びたり、贈り物をしようとする観客に待ち構えられているうえ、スポットライトを浴びて翌日の新聞の紙面を大きく飾ることになる。また、舞台への出演によって当然それ相応のギャラももらうのが当然。ところが、本作に見る演者(=囚人)たちは?
本作はラストに流れる字幕によって俳優(囚人)たちのその後の人生が説明されるが、それによるとブルータス役を演じたサルヴァトーレ・ストリアノは2006年に減刑となって出所し、刑務所での演劇研修により、カヴァッリの下で俳優に転身したが、その他の多くの囚人たちは相変わらず「塀の中」のままだ。そんなことは最初からわかっていることだが、それがわかっていながら彼らはなぜここまでの努力をしてブルータスやシーザー、そしてオクタヴィアスを演じたのだろうか?
<究極の密室性と閉鎖性が大いなる圧迫感に!>
私は「潜水艦モノ」が大好きだが、それは潜水艦という密室=閉鎖空間で極限状態に追いつめられる中で展開される人間ドラマが面白いため。そんな視点から本作を観ると、演劇本番の日には外部からの観客を招き入れているから少し閉鎖性が崩れるが、本作の大部分を占めるリハーサル風景は刑務所の中だけだから究極の密室性と閉鎖性だ。「塀の中」という邦題だけでも密室性と閉鎖性は十分明らかだが、シーザーやブルータスたちのリハーサルを独房の中から見学し声援を送る囚人たちの姿を観ていると、これぞまさに究極の密室性と閉鎖性!
舞台はもともと狭い空間をいかに有効に使って演出するかが一つのポイントだから、そこが映画とは大違い。現在、ミュージカル映画『レ・ミゼラブル』(12年)が大ヒットしているが、狭い舞台でのミュージカル『レ・ミゼラブル』の演出に馴れた目には、この映画における空間の演出はかなり新鮮だった。しかし、本作ではまさに『ジュリアス・シーザー』というシェークスピア劇を演ずる空間は、まさに「塀の中」にあるレビッビア刑務所の中だけ。そんな究極の密室性と閉鎖性の中で演じられる『ジュリアス・シーザー』の芝居には、大いなる圧迫感がある。したがって、本作は76分と比較的短い映画だが、その濃密度はピカイチ!
2013(平成25)年2月5日記