終戦のエンペラー(EMPEROR)(アメリカ映画・2012年) |
<梅田ブルク7>
2013年7月27日鑑賞
2013年7月30日記
流血を最小限に抑えた「明治維新」の実現が奇跡なら、戦後の混乱を最小限に抑えた「戦後復興」も奇跡。それは、なぜ実現できたの?それを考えるうえで、「象徴天皇」を戴く日本人は、本作必見!東條英機のお孫さんの東條由布子氏は先日亡くなったが、関屋貞三郎宮内次官のお孫さんで本作のプロデューサーである奈良橋陽子氏の企画力に感謝!本作に見るマッカーサーの人物像と昭和天皇の戦争責任の有無を勉強しながら、「あれから68年後」の8・15を控え、今後の日本のあり方をしっかりと考えたい。
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監督:ピーター・ウェーバー
脚本:デヴィッド・クラス、ヴェラ・ブラシ
製作:奈良橋陽子、ゲイリー・フォスター、野村祐人、ラス・クラスノフ
原作:岡本嗣郎『終戦のエンペラー 陛下をお救いなさいまし』(集英社刊)
ボナー・フェラーズ准将(マッカーサーの軍事秘書)/マシュー・フォックス
ダグラス・マッカーサー元帥(連合国軍最高司令官)/トミー・リー・ジョーンズ
アヤ(フェラーズの恋人)/初音映莉子
鹿島大将(アヤのおじ、ワシントン日本大使館の駐在武官)/西田敏行
高橋(フェラーズ専属の運転手兼通訳)/羽田昌義
東條英機(陸軍大将、開戦時の首相)/火野正平
近衛文麿(3期首相を務めた政治家)/中村雅俊
鹿島大将の妻/桃井かおり
木戸幸一(内大臣)/伊武雅刀
昭和天皇/片岡孝太郎
関屋貞三郎(宮内次官)/夏八木勲
リクター少将(マッカーサーの部下)/コリン・モイ
2012年・アメリカ映画・107分
配給/松竹
<今年の8・15に向けては、ハリウッドの勝ち!>
8月15日の「終戦記念日」に向けて、かつて東宝は『日本のいちばん長い日』(67年)、『連合艦隊司令長官 山本五十六』(68年)、『日本海大海戦』(69年)等の「戦争大作」を製作していたが、今はない。しかるところ、今年の8月15日に向けては、東宝配給による宮崎駿監督の『風立ちぬ』(13年)と降旗康男監督の『少年H』(13年)の2作が注目作だが、私は断然『少年H』の方をお勧めしている。そんな中、試写室で観ていなかった『終戦のエンペラー』を公開初日に映画館で観た私は、今年の8・15「終戦記念日」に向けての戦争映画は、邦画よりハリウッドの方が勝ち!と宣言したい。
去る7月21日に参議院議員選挙が実施されたが、その投票率は52.61%とかろうじて過半数を超えただけ。また、7月28日の日曜日、週ごとの日課である『たかじんのそこまで言って委員会』のテレビを観ながらランニングマシンで走っていたが、20代、30代の若者の投票率は30%前後だったらしい。また画面に写る彼らのインタビューを聞いていると、情けないというより、「好きにしろ」とさじを投げたくなってくる。そんな若者たちはきっと、本作が最大のテーマとして描いた「マッカーサーと昭和天皇」の2人が並んで写った写真(1945年9月27日撮影)など全く知らないだろうし、興味もないはずだ。公開初日の映画館の入りは約90%と久しぶりに充実していたが、当然その観客の9割以上が60歳以上。それは仕方がないが、こんな映画に興味もなく勉強しようという意欲もない今の若者たちは、所詮時給800~900円の非正規労働者=消耗品としてこき使われる一生になるだけだろう。
<なぜ、ハリウッドがこんな映画を?>
前述のとおり、今年の8・15に向けては「ハリウッドの一人勝ち」だが、なぜハリウッドがトミー・リー・ジョーンズをマッカーサー役に起用してこんな映画を・・・?それは、本作の鑑賞後に購入したパンフレットを熟読してはじめてわかったことだが、本作のプロデューサーである奈良橋陽子氏の企画力と人脈のおかげだ。1947年生まれだから私の2年先輩になる奈良橋氏は、これまでキャスティング・ディレクターとして①『ラスト・サムライ』(03年)(『シネマルーム3』137頁参照)、②『SAYURI』(05年)(『シネマルーム9』59頁参照)、③『バベル』(06年)(『シネマルーム14』340頁参照)等の映画に参加してきたが、何と本作に登場する、宮内庁の側近として昭和天皇に仕えてきた関屋貞三郎次官は彼女の祖父にあたるらしい。本作の原作になったのは、岡本嗣郎氏の『終戦のエンペラー 陛下をお救いなさいまし』。それに目を通す中で彼女は思わず「ちょっと待って」と声を上げ、祖父の関屋貞三郎に背中を押されるようにして本作を製作したそうだ。そんな彼女の気持は、7月28日付大阪日日新聞掲載の『終戦のエンペラー 陛下をお救いなさいまし』を推薦するコーナーを読めばよくわかる。
ちなみに、「東京裁判」を描いた映画はいろいろあるが、その代表作は津川雅彦が東條英機を演じた伊藤俊也監督の『プライド・運命の瞬間』(98年)。この映画について、東條英機の孫にあたる東條由布子氏は、津川の演技は「まるで東條(英機)があの世から帰ってきたみたいです」と称賛し、自身のブログ上で、東條英機を主人公にした映画が作られたことを「時代が変わった」と感想を記していることがウィキペディアに書かれている。保守の論客としてならし、テレビにも時々出演して持論を展開していた彼女が、今年2月13日に73歳で亡くなったのは実に残念だ。
関屋貞三郎次官の孫にあたる奈良橋氏の問題意識から本作の製作が開始されたものの、現実には奈良橋氏と奈良橋氏の息子である野村祐人、そしてゲイリー・フォスターの3人が共同プロデュースすることになったから、キャスティングから脚本づくり、そして監督選定まで、奈良橋氏が一人だけで「暴走」することはきっと抑えられたはずだ。3月13日付産経新聞「敗者・日本人の『心』描く」によれば、ハリウッド映画として製作された本作は全米各地で3月8日から公開されたが、「敗者側にも人間的な光をあてた内容で、おおむね好評だが日本側に甘すぎるという批判も一部あった」らしい。『プライド・運命の瞬間』の例を挙げるまでもなく、この手の映画に賛否両論が噴出するのは当然だが、一部には「日本軍の残虐行為への言及がないまま米軍の日本破壊だけが拡大されたのは不公平」というような批判もあるものの、ほとんどが「歴史の深遠な瞬間が本格的に描かれている」などと好評だったそうだ。8月15日の終戦記念日に向けてハリウッドがこのような映画を製作したことに驚くとともに、それをプロデュースした奈良橋氏に拍手!
<主人公のボナー・フェラーズに注目!彼の役割は?>
本作の邦題は『終戦のエンペラー』だが、原題は単に『EMPEROR』。「エンペラー」と聞くと、とてつもなく面白い歴史劇だったベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』(87年)を思い出すが、本作の主人公はきっと戦後の「象徴天皇」とは全く違う「現人神」としての「ラストエンペラー」=昭和天皇(片岡孝太郎)と、それをも超える連合国軍最高司令官として、1945年8月30日に厚木飛行場に降り立ったダグラス・マッカーサーの2人・・・。私は当然そう思っていたが、実は本作の主人公は、マッカーサーの下で働く日本文化の専門家であるボナー・フェラーズ(マシュー・フォックス)だった。
フェラーズがマッカーサーから極秘に命じられた任務は、「戦争における天皇の役割を10日間で探れ」というものだ。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の中には天皇が戦争責任を負うべきだと考え、その裁判を望む勢力がいたのは当然。その代表格が本作ではリクター少将(コリン・モイ)だが、柔軟な思考力を持つマッカーサーはそのような一面的な見方はしなかったらしい。むしろ、1948年の大統領選挙への出馬を狙っていたマッカーサーが描いた日本の占領政策の柱は、日本をいかにして早く復興させるかということ。その観点から考えれば、天皇を逮捕し裁判にかけることはかえって多くの日本人の反発を招き、場合によれば反乱を招くのでは?さらに、連合国には米英仏の他にソ連と中国もいたから、日本がその影響によって共産化することは絶対に防がなければならないから、そのためには天皇制は残した方がいいのでは?本作を観ていると、どうもマッカーサーはそんな現実的な占領政策を目指していたらしいことがよくわかる。
しかし、そんな占領政策を実行に移すためには、天皇に戦争責任があるのか否かを客観的にキッチリ調べる必要がある。そのためにマッカーサーはフェラーズを起用したわけだ。マッカーサーがまずフェラーズに命じたのは「名誉の自決」を防止するとともに、早急に事実調査をするため東條英機(火野正平)などの重要人物の「逮捕」だが、彼らを「天皇の戦争責任の有無」という観点から取り調べていくためには、日本人の考え方を理解できるアメリカ人の力が不可欠だ。そこでマッカーサーが起用したのがフェラーズだが、なぜフェラーズはそんなに日本をよく知っているの?
<あの時代の「太平洋を股にかけた恋」の行方は?>
日米開戦前後の太平洋を股にかけた恋の物語に、工藤夕貴の『ヒマラヤ杉に降る雪』(99年)(『シネマルーム1』53頁参照)がある。また、日米開戦によって兄と弟が米日に分かれて兵士として戦わざるをえなかったドラマが、2011年8月13日にテレビで放映された終戦記念特番『最後の絆・沖縄 引き裂かれた兄弟~鉄血勤皇隊と日系アメリカ兵の真実~』だった。しかして、本作でも主人公となるフェラーズと日本人女性アヤ(初音映莉子)との太平洋を股にかけた恋が大いなる見モノとなる。
フェラーズがアヤと知り合ったのは大学生の頃で、アヤがアメリカの大学に留学していた時。アヤを演ずる初音映莉子は『ノルウェイの森』(10年)に出演していたそうだが、同作では水原希子や菊地凛子ばかりに注目していたため、初音映莉子はほとんど印象に残っていなかったが、本作に見る初音映莉子は実に魅力的!英語がこれだけ堪能でこれだけの美人なら、女優としての今後が大いに楽しみだ。それはともかく、ストーリーが進行するにつれてビックリするのは、アヤのおじがワシントンの日本大使館に駐在武官として2年間勤務していた鹿島大将(西田敏行)だったということ。ちなみに、フェラーズとアヤが太平洋を股にかけた恋をくり広げていたのは実話らしい。たしかに、アヤがアメリカ留学中にフェラーズと恋に落ちたというのはよくある話だが、本作が描く開戦の5年前にフェラーズが任務で日本を訪れ、「日本兵の心理」という論文執筆に悩んでいた頃、アヤが鹿島大将を引き合わせ、日本人の心理や天皇への格別な忠誠心について鹿島大将の講義を受けたというストーリーは、さて・・・?しかも、アメリカ人とは結婚しないという亡き父親との約束を破って、アヤはこの時にフェラーズと結ばれたらしいが、それも映画のストーリーとしてはOKでも、現実には・・・?
フェラーズは今マッカーサーから命じられた任務の遂行に没頭していたが、どうしてもアヤのことが気になるフェラーズは彼専属の運転手兼通訳である高橋(羽田昌義)に頼んで、密かにアヤの安否の確認を。こりゃ明らかな公私混同だ。しかも、マッカーサーから命じられた「天皇の戦争責任の有無」についての報告書の提出は10日以内という期限つきだから、ホントはそんな個人的な事情について調べる余裕などないはずだが・・・。
<マッカーサーの人物像に注目!>
マッカーサーと言えば、コーンパイプ、そしてサングラス。それは彼が1945年8月30日に厚木飛行場に降り立った時に一斉に撮影された彼の写真からくるイメージだが、ウィキペディアを調べてみると、彼はコーンパイプをこよなく愛したそうで、現在ではこのような形のコーンパイプを「マッカーサータイプ」と呼ぶまでになっているらしい。これくらいの知識は、戦後生まれで団塊世代の私たちなら、誰でも持ち合わせている。また、私たちはマッカーサーについては、次のような歴史的事実も概ね知っている。
①日本軍がフィリピン侵攻してくる中マッカーサーはやむなく「I shall return」の言葉を残してフィリピンから撤退したこと、②1942年4月に南西太平洋方面のアメリカ軍、オーストラリア軍、イギリス軍、オランダ軍を指揮する南西太平洋方面最高司令官に任命されたマッカーサーは、その言葉どおり1944年10月にフィリピン反攻を実現させたこと、③ポツダム宣言を受諾した日本の占領政策を実行するため、連合国軍最高司令官に任命されたマッカーサーはその権限を最大限行使したが、本作に描かれるような占領政策を断行したため、「戦争の歴史の中で最も平和的な占領を行った軍人」として称賛されていること、④1950年6月25日の朝鮮戦争勃発により、国連軍を指揮することになったマッカーサーは核兵器の使用まで主張したため、時のトルーマン大統領と対立し、更迭されたこと、⑤1948年の大統領選挙への出馬を望んでいたマッカーサーは、共和党から候補に指名されれば大統領選挙に出馬すると発表し、現実に登録されたが、結果は敗北し、大統領候補に選出されなかったこと。
本作を観ていても、リクター少将からマッカーサーの大統領選挙出馬の野望を聞かされたフェラーズが、そんな目でマッカーサーの立居振る舞いを見ていると、たしかに・・・。さらに、昭和天皇との「御対面」を実現させたマッカーサーが、その時に見せた対応を見ていると、たしかに・・・。そう考えれば、マッカーサーは権力志向の強い、俗物・・・?たしかに、そういう面もあったのかもしれないが、天皇の戦争責任の有無と、それを熟慮した上でのあるべき日本の占領政策の姿とは?それを懸命に模索し、自分の選択した道が正しいと信じると、たとえ合衆国大統領の指示であってもそれを無視して自分の信念を貫く彼の姿勢は立派だ。もっとも、マッカーサーの人物像については本作に描かれているものがすべて正しいわけではないから、そこは一人一人本作を参考にしてさらに堀り下げていく必要がある。まさにそういう視点からも、今年の8・15終戦記念日に向けては、多くの日本人とりわけ若者たちが本作を鑑賞し、マッカーサーの人物像についてしっかり勉強してもらいたいものだ。
<キーマンとして、東條、近衛、木戸、関屋が登場!>
『プライド・運命の瞬間』で津川雅彦が演じた東條英機はカッコ良かったが、本作で火野正平が演じる東條英機は、拳銃での自殺に失敗したり、半身麻痺になった姿でフェラーズの尋問に対応したり、とあまりカッコいいものではない。東條英機に代わってマッカーサーがテーマとする「天皇の戦争責任の有無」を調査する上でキーマンとなるのが、①近衛文麿、②木戸幸一、そして③関屋貞三郎だ。
中村雅俊演ずる近衛文麿が、フェラーズに対して英語を駆使して堂々と「日本がやってきたことは英米がやってきたことと同じだ」と主張するシーンはカッコいいが、フェラーズはそんな「講義」には全く興味がないらしい。他方、内大臣であり戦争中ずっと天皇の側で相談役を務めていた木戸幸一(伊武雅刀)が、面会の約束を反故にして、フェラーズの前に現われなかったのは、いかがなもの・・・。また、関屋貞三郎宮内次官(夏八木勲)のことは本作を観るまで私はその存在も名前も知らなかったがフェラーズの調査のターゲットになった彼の証言は、せっかく本作に登場してもらったものの、やはりあまり価値のないものだった。考えてみれば、彼は国策の遂行に関する重要会議に直接参加して意見を述べることはなかったのだから、むしろそれは当然。彼がスクリーン上で見せてくれるのは開戦前の御前会議で平和を願う天皇が朗読したという短歌を朗々と朗読する姿だが、これだけでは私でも全然納得できないから、フェラーズが納得できないのは当然だ。
こんな風に調査は行き詰まり、フェラーズはこのままでは「天皇の戦争責任はなし」との報告書は到底書けない状況に追い込まれたが、そこでやっとフェラーズの前に登場したのが木戸幸一。そこで木戸は彼しか知り得なかった数々の重要な「証言」をするわけだが、その最大のものは玉音放送とそれに絡む宮城事件。このシーンを見ていると、天皇の戦争責任の有無を判断するについては、やはり木戸が最大のキーマンだったことがよくわかる。しかして、宮城事件とは?
<本作鑑賞後は、『日本のいちばん長い日』が必見!>
『少年H』でも、天皇陛下の玉音放送を泣きながら聞く日本国民の姿が登場していたが、このシーンは「あの戦争」を描く映画には必ず登場するもの。この玉音放送は、1945年8月14日にポツダム宣言を受諾したことに伴って、翌15日正午に天皇の肉声を通じて戦争の終結をラジオで国民に放送したものだ。しかし、日本の降伏に反対する一部陸軍将校らはこの放送を阻止すべく、この玉音盤(レコード盤)を奪取しようとする計画を立てて、8月14日深夜から15日未明にかけてクーデターを起こした。これが宮城事件だ。
1932年の5・15事件や1936年の2・26事件については多くの映画がそれを描いているが、この宮城事件を描いた映画は少ない。しかし、『日本のいちばん長い日』を観れば、まさに8月15日正午に放送される玉音放送をめぐって、時の陸軍大臣であった三船敏郎演ずる阿南惟幾大将を頂点とする日本の巨大組織「陸軍」が、いかに「日本のいちばん長い日」を過ごしたかがよくわかる。
本作では木戸の言葉によってこの宮城事件が語られ、スクリーン上にもそのシーンが登場するが、これは宮城事件のごく一部にすぎない。したがって、本作で宮城事件を知った人は是非『日本のいちばん長い日』を鑑賞し、更に勉強してほしいものだ。
<68年後の8・15を控え、今後の日本のあり方は?>
7月21日の参議院議員選挙における自公の「圧勝」によって、「衆参のねじれ現象」が解消した。このことと、衆議院の解散が無ければ今後3年間国政選挙がないことと相まって、安倍晋三政権はいよいよ「自分の信念」にもとづく政治を行うことができるわけだが、さてその展望は?そのテーマは、大きくは①経済再生(とそれに絡む消費増税)、②憲法改正、そして③外交だ。日米同盟が基軸であることは多くの人に異論がないが、今やアメリカは日本よりも中国や韓国を重視しているうえ、中国の海洋進出はいよいよ急になってきている。
流血を最小限に抑えて「明治維新」を成功させたのが奇跡なら、ポツダム宣言を受諾して「あの戦争」を終結させた後、混乱を最小限に抑えて日本を平和的かつ急速に復興させることができたのも奇跡。この奇跡的な戦後復興を実現することができたのは、マッカーサーと会見した天皇陛下の「戦争の全責任は私にある。私は死刑も覚悟しており、私の命はすべて司令部に委ねる。どうか国民が生活に困らぬよう連合国にお願いしたい」との言葉にあったことを、本作を鑑賞してあらためて確認する必要がある。
あれから68年。軍国主義から民主主義へ180度急転換した日本は信じられない早さで経済成長を遂げながら、民主主義国家として先進国の仲間入りをしたが、さてその実態は?8月15日の靖国参拝について、安倍首相は「行く行かないを申し上げる気はない」と何度も同じ発言をくり返しているが、さてあなたはこれをどうみる?そして、68年後の8・15を控え、あなたは今後の日本をどう考える?本作を鑑賞した後、そんなテーマについてみんなでじっくり語り合いたいものだ。
2013(平成25)年7月30日記