夏の終り((日本映画)2012年) |
<テアトル梅田>
2013年9月8日鑑賞
2013年9月10日記
91歳の今でも元気いっぱいの作家・僧侶である瀬戸内寂聴さんが、半世紀前にこんなドロドロした不倫関係にあったとは!よくまあ、ここまで生々しく自分の体験を小説に書けるものだと感心しつつ、この不倫ストーリーは今を生きる元気な女性こそ必読、必見!若くてキレイすぎるため、平行して描かれる現在と過去のストーリーの区別がつきにくいのが難点だが、ヒロインを熱演する満島ひかりの演技に注目!ちなみに、本作で目立つのが喫煙シーンの多さだが、日本禁煙学会が『風立ちぬ』(13年)に文句をつけるのなら、本作に言うのが本筋では・・・?
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監督:熊切和嘉
原作:瀬戸内寂聴『夏の終り』(新潮文庫刊)
相澤知子(染色家の女性)/満島ひかり
小杉慎吾(知子と暮らしている妻子ある年上の作家)/小林薫
木下涼太(知子が12年前に駆け落ちした男性)/綾野剛
小杉の妻/安部聡子(声だけ)
知子の別れた夫/小市慢太郎
2012年・日本映画・114分
配給/クロックワークス
<瀬戸内寂聴の半世紀前の小説が、なぜ今映画に?>
瀬戸内寂聴という、丸顔でいつもにこやかに話をする尼僧兼作家がいることはテレビや新聞でよく知っていたが、彼女が若かりし頃、こんなドロドロした不倫関係にあったとは・・・。現在91歳の瀬戸内寂聴氏が瀬戸内晴美と称していた40歳の時、つまり、ほぼ半世紀前に発売した自叙伝的小説『夏の終わり』は100万部も売れるベストセラーになっているそうだが、38歳の熊切和嘉監督がなぜ今それを映画に?熊切監督の言葉によると、それは本作の主人公相澤知子の生き方が興味深かったため。ちなみに、この原作は池内淳子が主演(仲谷昇、仲代達矢共演)した1963年の『みれん』というタイトルの映画になっているうえ、05年にはフジ系『瀬戸内寂聴 出家とは生きながら死ぬこと』(宮沢りえ、中村勘太郎(現・勘九郎))でドラマ化されているそうだから、「不倫」は男だけでなく、女にとっても永遠のテーマ・・・?
先日、『戦争と一人の女』(12年)(『シネマルーム30』199頁参照)の上映会を通じて、同作の井上淳一監督たちと「お友達」になったが、同作で「私、あいの子を産むの!」と宣言していた女は、へんな女なりにしっかりと自立していた。それと同じように、本作のヒロイン知子もまさに自立した女だ。時代は1962年、舞台は淡路島だが、そんな時代にもこのような形で自立を目指す女性がいたことに興味津々。2013年の今は女性の社会進出が著しいが、それでも真に自立していくことは大変。そんな現在を生きる女性には、50年前のネタであっても、こんな生々しいものなら十分参考に・・・。
<良い映画だが、ちょっとしんどい・・・>
石田純一は男の対場から、「不倫は文化だ!」と陽気に語っていたが、妻子ある作家・小杉慎吾が、自宅とそのすぐ近くにある知子の家をほぼ半分ずつ行き来する生活は今や定着し、安定しているようだ。しかし、そこにはどこかぎこちなさがつきまとっている。映画冒頭に登場する、大晦日の日に風邪をひいて寝こんでいるのに薬だけ枕元に置いて、慎吾が自宅に帰ってしまうと、知子に寂しさがつのってきたのは当然。そこにたまたま、知子が夫と子供を捨ててまで駆け落ちした若い男・涼太から遠慮がちに電話がかかってくると、知子の方から積極的に「これから家に来て!」と誘ってしまったところから、ストーリーは大展開していく。せっかく安定していた慎吾とその妻そして知子の「三角関係」が、さらに「四角関係」に広がっていく。瀬戸内寂聴先生も若いころにはこんな修羅場を体験する中で、男を学び、人生を学んできたわけだ。
そんな不倫の物語をベテラン俳優の小林薫、NHK大河ドラマ『八重の桜』の松平容保役で今やノリノリの綾野剛の2人を向こうに回して、満島ひかりがよくも悪くも「これぞ女!」という役柄を見事に演じている。もっとも慎吾と知子の不倫(半同棲関係)は8年間も続いているらしいが、本作では、知子が夫と幼い女の子を捨てて若い男・涼太に走るストーリーや、慎吾と知り合った後なぜ知子がズルズルと同棲生活に入ったのかのストーリーも同時並行で盛上がる。ところが、なぜか満島ひかりはいつも若くてキレイだから、どれが知子の何歳の時の出来事かがわかりにくいのが、本作の欠点だ。本作で3人の芸達者が見せる演技はそれぞれ見どころがあり、一つ一つのストーリー展開も深みがあるが、上記のわかりにくさを含めて全体的にしんどいのが、本作の難点だ。
<喫煙シーンは、はるかに『風立ちぬ』超え!>
宮崎駿監督の引退宣言もあって(?)、現在『風立ちぬ』(13年)は大ヒット上映中。ところが、同作の喫煙シーンの多さに噛みついたのが、医師や薬剤師らでつくる禁煙推進団体「日本禁煙学会」。同学会は12年8月7日と13年8月12日の二度にわたって、喫煙シーンについて配慮を求める要望書を提出した。それについて、弁護士ドットコム・トピックス・編集部から、弁護士兼映画評論家の私に対してコメントを求めてきたため、私はそんな要望は「ちゃんちゃらおかしい!」との立場からコメントを寄稿した。
そんなコメントを出した直後に観た本作は、喫煙シーンがメチャメチャ多く、その頻度は『風立ちぬ』の比ではない。本作の登場人物は基本的に3人だけ、そして、3人が一堂に会するシーンは少なく、ほとんどが慎吾と知子、涼太と知子の会話シーンだが、そこでは必ずと言っていいくらいタバコを吸うシーンが登場する。男女の機微を含む難しい論点を話し合うについては、「間を持たせる」という効用を含めて、タバコが不可欠というわけだ。
日本禁煙学会が映画における喫煙シーンの多さを問題にするのなら、『風立ちぬ』より圧倒的に本作だが、日本禁煙学会は『風立ちぬ』のような大ヒット作は観ていても、本作のような単館上映作品は観ていないのだろう。また、本作を批判するのなら、喫煙シーンの多さより不倫そのものの非道徳性だろうが、それを批判するのならそもそも本作を制作する意味がなくなってしまうこと明らかだ。
<息苦しさからの脱出は?その1、知子は?>
本件のヒロイン知子は、もちろん若き日の瀬戸内寂聴その人がモデル、また、慎吾も実在の作家だし、涼太も実在の男だ。慎吾と知子の一見安定しているようにみえる半同棲生活も、8年間も続けばやはりあちこちに綻びが・・・?そんな状況下でかつての恋人涼太が再登場してきたうえ、慎吾の妻・ゆきから慎吾に送られてきた手紙を盗み読みしてしまうと、知子の気持ちが千千に乱れたのは当然だ。
当時の瀬戸内寂聴の仕事は少女小説を書くことだったが、本作では知子の仕事は染色家。知子は貧乏作家・慎吾をパトロンとし、その愛人として生きているわけではなく、経済的にも自立している女だから、こんな風にあっちこっちの関係が乱れてくると息苦しくなったのは当然。しかして、知子がせっかく作り上げた染物の大作をメチャメチャに壊しながら、「息苦しい!」と叫ぶシーンが本作屈指の名シーンになるのだが、そんな知子を見ている慎吾の方は?また涼太の方は?
本作はあくまで瀬戸内寂聴の「女目線」で知子をヒロインとして描いているから、知子の息苦しさはよく表現されているが、その息苦しさは慎吾も涼太も同じだったはず。知子は何事にも行動的であるうえそれが直線的だから、そんな「息苦しさ」からの脱出は本作に見るように見事に実現できたが、さて、2人の男たちは?
<息苦しさからの脱出は?その2、男たちは?>
本作では「何もかも嫌になった。一緒に死んでくれ!」と迫る慎吾に対して、知子はとりあえず「いいわよ」と答えつつ、「どうして奥さんに頼まないの?」とはぐらかしていたが、さて、実際は?本作の上映に合わせるかのように、今年8月には朝日新聞は『逆風満帆』で『作家・僧侶 瀬戸内寂聴』を取り上げ、産経新聞は『オピニオン 話の肖像画』で『作家 瀬戸内寂聴』を取り上げている。そんな新聞紙面で彼女自身が語る「ネタばらし」によると、前述シーンの実際は「『奥さんに頼めば』と断ったら、『それはあんまり、かわいそうだ』って言うの。そんな人だったんです」ということらしい。井上淳一監督の『戦争と一人の女』では、「戦争が終わるまでやりまくろうか」と言っていた永瀬正敏演じた坂口安吾を彷彿させる三文文士は、戦争終了後せっかく女が持ってきてくれたおいしい白米を食べることなく、死んでしまったが、さて慎吾は?
他方、実際には21歳の時に夫と子供を捨てた知子と駆け落ちしてしまった涼太は、思いがけず慎吾と知子との間で8年間も続いていた半同棲生活への「割り込み」に成功したが、何事も真面目に考える涼太にとって、それが再度大変な状態になったことは本作を観ているとよくわかる。「俺のことを好きなのなら、早くあの年寄りの作家と別れて、俺と結婚してくれ!」「知子は、なぜそれが出来ないんだ」と直線的に考えていた(そのようにしか考えられなかった)涼太が、知子と再びヨリを戻し、肉体関係まで復活する中でそう考えたのは当然だ。そんな涼太は、ある時は冷たく知子を突き離し、ある時は泣きながら「俺を捨てないでくれ!」と叫んでいたが、ある日、知子が涼太の家を訪れてみると、そこは空っぽ。さて、三人三様に味わっていた「息苦しさ」の中、涼太が下した選択とは・・・?
2013(平成25)年9月10日記