共喰い(日本映画・2013年) |
<大阪ステーションシティシネマ>
2013年9月15日鑑賞
2013年9月20日記
タイトルだけでも異色だが、授賞式での芥川賞作家・田中慎弥の発言は更に異様。中上健次文学のキーワードは「血族」と「路地」だったが、田中文学では?女の顔を殴りながらの性行為は最高!そんな男の血を引いていることを自覚したら?また、「川辺」で一生生きていかなければならないとしたら・・・。『千年の愉楽』(11年)に若松孝二監督が挑戦したように、青山真治監督がそんなテーマに挑戦した本作は、刺激的な論点が満載。こりゃ、しんどいけど、こりゃ必見!
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監督:青山真治
脚本:荒井晴彦
原作:田中慎弥『共喰い』(集英社文庫刊)
遠馬(17歳の高校生)/菅田将暉
円(まどか)(遠馬の父)/光石研
仁子(別居している遠馬の母、魚屋を経営)/田中裕子
琴子(同居中の円の愛人)/篠原友希子
千種(遠馬のガールフレンド)/木下美咲
アパートの女/宍倉暁子
ビターズ・エンド配給・2013年・日本映画・102分
<なるほど、あの芥川賞作品はこんな問題作!>
2012年に第146回芥川賞を受賞した『共喰い』は、そのタイトルを見ただけでかなりの問題作だろうと思っていたが、受賞作家・田中慎弥氏の受賞時の記者会見での発言を聞いてさらにビックリ。それは、①何度もアカデミー賞にノミネートされながらなかなか受賞できなかったシャーリー・マクレーンになぞらえて「シャーリー・マクレーンが『私がもらって当然だと思う』と言ったそうですが、たいたいそんな感じ」と心境を語ったり、②賞をもらったことについて「断ったりして気の弱い委員の方が倒れたりしたら、都政が混乱するので。都知事閣下と東京都民各位のために、もらっといてやる」と挑発的な発言をしたり、さらに③「とっとと終わりましょう」と記者会見を早く終わらせようと促したり、というもの。選考委員になっている石原慎太郎氏は、田中の作品をお化け屋敷に喩えて「次から次安手でえげつない出し物が続く作品」と評していたそうだが、なるほど、なるほど・・・。
本作は17歳になったばかりの高校生の男の子・遠馬(菅田将暉)が主人公。その父親・円(光石研)は女の顔を殴りながら、またその首を絞めつけながらセックスをするらしい。そうすると何とも言えない快感を感じることができるそうだが、そんな性行為の相手となる女はたまったものではないはずだ。その結果、遠馬の産みの母親たる仁子(田中裕子)は籍を抜かないまま別居し魚屋をしているが、円は家の中に35歳の愛人・琴子(篠原友希子)を同居させて今なおそんなセックスをくり広げているらしい。そのため、琴子の顔や目の周りには時々浅黒いあざが・・・。
そんな父親のすぐ側に、性欲旺盛でやりたい盛りの17歳の高校生がいては悪影響を受けて当然だ。ところが、遠馬の目には「ひどく頭の悪い女」に見えた琴子に恐る恐る尋ねてみると、琴子はシャーシャーと「うちの体がすごいええんて、殴ったら、もっとようなるんて」と遠馬に説明してくれたから、遠馬は唖然!なるほど、あの芥川賞作品はこんな問題作!
<路地VS川辺、中本の男たちVSマー君>
中上文学のキーワードは、「血族」と「路地」。若松孝二監督の遺作となった『千年の愉楽』(11年)は、そんな中上健次の1982年の同名の短編を原作にしたものだった(『シネマルーム30』153頁参照)。「路地」と呼ばれるのは「紀州サーガ」と呼ばれる中上氏の出身地である被差別部落だが、『共喰い』の舞台になるのは田中氏の出身地である山口県下関市の「川辺」と呼ばれる地域。『ペーパーボーイ 真夏の引力』(12年)では、「スワンプ」と呼ばれるプアホワイトが住む湿地帯で凄惨なストーリーが展開されたが、本作の遠馬たちが暮らす「川辺」と呼ばれる地域も、汚れた下水が流れる全然冴えない地域だ。遠馬が最近、社の神輿蔵の中でセックスを始めたガールフレンドの千種(木下美咲)は、あっけらかんとした口調で「あの川の割れるところは、女の割れ目のようじゃねえ」と言っていたが、なるほど、そう言えば・・・。
他方、『千年の愉楽』の主人公となった3人の美しい「中本の男」たちはそれぞれ「高貴で穢れた血」を受け継いでいたため、それぞれ女との絡みの中で死んでいったが、遠馬だってあの父親の血を継いでいるのなら、そのうち円と同じようなセックスを?遠馬の身体の下で裸になっていた千種は「馬あ君は殴ったりせんやん」と言っていたが、それに対して遠馬は「殴ってから気がついても遅いやろうがっちゃ」と答えていたから、ひょっとして遠馬は自分自身でもどこかにそんな予感が・・・。
「マークン」と言えば、今は誰でも楽天イーグルスの田中将大を連想するが、そんな不安を持つ本作の「マークン」こと遠馬は、さてこれからどんな体験を?そして、どのような成長を・・・?
<西太后とは違う、田中裕子の「説得力」に注目!>
田中裕子が名女優であることは誰一人争わないだろうが、私は中日合作テレビドラマ『蒼穹の昴』で西太后を演じた田中裕子はあまりにも尊大すぎて、あまり好きではない。しかし戦争中、空襲に遭い左手の手首から先を失った、という本作の仁子を演ずる田中裕子は淡々とした演技ながらも説得力十分で、迫力も十分にある。もちろん、仁子は円がセックスの時に女を殴りつける癖があることなど知らないまま、左手の手首から先のない女と結婚してくれることに感謝して結婚したわけだが、そんなセックスに長年耐えながら遠馬を産んだ仁子の円に対する憎しみと、その血を引いた一人息子・遠馬に対する愛情とは・・・?仁子は川一本隔てた魚屋で一人暮らしをしていたから、遠馬もよくそこを訪れていたし、円も時々訪れていたらしい。もっとも、円は自宅から仁子の家まで行く途中にあるアパートに住む女(宍倉暁子)のところにも時々立ち寄って性欲を満たしていたらしいから、いずれ遠馬もその真似をすることに・・・。
それはともかく、17歳になった遠馬に対してズバズバと本音の話をする仁子の姿は気持がいい。ある日琴子から円の子供を身籠ったと聞かされた遠馬はかなり動揺し、千種を社の神輿蔵に呼びつけコンドームをつけないままのセックスに及んだが、それを拒否する千種に対して遠馬はつい千種の首を絞めるという行動に・・・。これには千種もビックリなら、思わずそんな行動に出た遠馬自身もビックリ!やはり、俺の血の中には・・・。仁子の店に行きコーラを飲みながら、琴子の妊娠を告げる遠馬に対して、仁子は「あの男の血引くんはあんた一人で十分ちゃ」と明言。これには、さすがに遠馬も堪えたはずだ。
このように、何事にも価値観をハッキリさせ、言葉でもそれをハッキリ語る仁子なればこそ、後半の琴子の家出騒動から生まれる千種の「悲劇」を聞いて、「俺が殺したる」と息巻く遠馬に対して「あんたには無理!」と制したうえで、取った敢然とした行動とは?仁子が魚を下ろすために特注でつくってもらった義手は、かなりの年月を経たためもう引退間近になっているらしい。しかし、その義手をきっちりはめ込むために何本もの金属製の針が使われていたから、最後にはこれが大いに役立つことに・・・。本作では西太后とは一味も二味も違う、田中裕子の「説得力」に注目!
<『おだやかな日常』に続く篠原友希子に注目!>
『歓待』(10年)以降私が注目している女優が「アジア・インディーズのミューズ」と呼ばれる杉野希妃(『シネマルーム27』160頁参照)だが、内田伸輝監督が『おだやかな日常』(12年)でその杉野希妃と共に起用した女優が篠原友希子。私は同作ではじめてこの女優を見たが、そこでの堂々とした演技に感心するとともに、その美人ぶりにも大いに注目した(『シネマルーム30』209頁参照)。そんな篠原友希子が、本作では円の愛人・琴子役として、叩かれ、首を絞められながらのセックスシーンにも果敢に挑戦し、熱演している。ちなみに、身籠ったことを遠馬に告げた際、琴子が「馬あ君は承知してくれるかいねえ」と尋ねたのに対し、遠馬は「なんでそんなこと俺に訊かんといけんの?」と逆質問したが、なぜ琴子は遠馬にそんな質問を?
17歳になったばかりの遠馬がはじめて目撃した、生々しい父親・円と義理の母親・琴子とのセックスの結果として、自分の弟か妹が生まれてくるという事態に遠馬がショックを受けたのは当然。逆に円は琴子の妊娠を単純に喜び、少し大きくなったお腹をさすったりしていたが、同時に円は琴子の浮気を疑っていたから、これってホントに円の子供なの?仁子の話によると、妊娠している間は円は暴力的な性行為の強要をしなくなったそうだから、ひょっとして琴子にもそんな自衛本能が・・・?そんな不安は本作のラストに至ってあっと驚く展開になっていくから、やはりこの琴子という女は遠馬がいうような「ひどく頭の悪い女」ではなさそうだ。至るシーンで無防備な姿をさらけ出したから、妊娠したことを告げたり、一人で円の家を出ていく決心を断行したり、女優・篠原友希子が本作ではすばらしい味を出しているので、それに注目!
<この一線越えは、いくら何でもひどい!>
円役を演じた光石研は青山真治監督作品には欠かせない俳優だが、本作でも監督が要求するとおりの、いい年をして性欲の塊のような濃いキャラの男を熱演している。もっとも、身勝手な男は世の中にいくらでもいるし、性行為の時にケッタイな性癖を持つ男もいくらでもいるはずだ。したがって、うなぎを釣るための針を一生懸命作ったり、村の夏祭りのために一生懸命働いている円の姿をみると、この程度の「ガラの悪さ」は認めてやらなきゃと思ってしまうが、どうもそれは私が男だからの甘さのようだ。籍を抜かないまま別居している遠馬の母親・仁子に言わせると、顔を殴られながらのセックスがこの男の癖だということを知った時は、本気でこの男を殺してやろうと思ったそうだから、やはり当事者となった女の思い(怨み)は違うらしい。
後半に至って、円が半狂乱状態になり始めたのは、琴子が家出をしたことを知ったため。遠馬からそれを聞かされた円は、冷静に琴子の行先を推測するのではなく、半狂乱状態になって自分の住む町の中を捜し回ったが、もとよりそんなところにいるはずはない。なぜ円が社の神輿蔵まで琴子を捜しに行ったのかは、ラストの仁子の告白によって明かされるが、ここで起きた悲劇は、たまたまその日、遠馬としばらく冷戦状態にあった千種が、そこで遠馬が来るのを待っていたためだ。円に言わせると、たまたまそこで千種を発見したら「やりたくてたまらんかった」そうだが、いくら何でもそんな一線越えは・・・?もちろんこれは千種が告訴すれば刑法上の強姦罪の成立は明らかだが、田中慎弥が描く芥川賞文学の世界はそんなものではない。また、「路地」ではなく「川辺」で展開される、穢れた血をもった男のそんな一線越えの行動は、そんな法的な展開ではなく、全く別の悲劇を生む展開になっていく。
こんな男は死んでも当然!遠馬は直ちに「俺が殺しちゃる!」と叫んで走り出しそうになったが、それを「あんたには、無理」と静かに止めたのは仁子。そこで仁子が手に持ったのは、毎日魚を捌くために使っている包丁だが、さて、仁子はそれを持ってこれからどうするの?
<結末は中上文学とは大違い!若い2人の生きザマは?>
『千年の愉楽』では、美しき中本の男たち3人は高貴で穢れた血のためか、それぞれに悲劇的な結末を迎えたが、さて「川辺」に住む遠馬は?中本の男たちはそれぞれに女遍歴を重ねたが、時代が昭和から平成に変わろうという時代に17歳の今を生きている遠馬はせいぜい「アパートの女」を一度訪れたくらいだから、中本の男たちに比べるとかなり真面目。もっとも、『千年の愉楽』では寺島しのぶ演じる若きオリュウノオバがラストに向けて圧倒的存在感をみせつけたのと同じように、本作でも円殺害事件において仁子が圧倒的な存在感を見せつけてくれる。つまり、遠馬と千種という若い2人の出番は全くないわけだが、刑事の登場も終え、事件が一段落ついた後の若い2人の生きザマは?
「川辺」を離れて新しい土地で暮らしている琴子のもとを遠馬が訪れるシーンや、そこで弟か妹が宿っているはずの琴子とのセックスに躊躇するシーン、さらに、お腹の中にいるのは遠馬の弟でも妹でもないと告白されてやっとセックスに入ろうとすると、琴子のお腹を赤ちゃんが叩いたために中止する(?)シーン等には、少し違和感がある。しかし、五木寛之の大河小説『青春の門』における伊吹信介と同じく、男はこんなあんなの性体験を経て成長していくわけだ。ところが本作をみていると、それ以上に成長しているのが、あれほど遠馬の父親・円によって傷つけられた千種。遠馬が仁子の跡を継ぐことを決心して魚屋に戻ってみると、仁子と同じ格好をして働き、遠馬に対して好物のどんぶりを差し出す千種の姿があったから、こりゃすごい!昭和ラストの時代を生きる若者たちには、こんなすごいバイタリティがあったわけだ。
本作の前日に観た『許されざる者』(13年)のラストでは、アイヌの混血の若者と顔を切り刻まれた若い売春婦の2人の今後の生きザマが希望をもって描かれていたが、本作のラストもそれと全く同じ。なるほど、こうなりゃ『千年の愉楽』のラストの世界とは大違いだ。私としても、頼りないながらも今後2人で生きていこうと決心した遠馬と千種の2人の前途を、しっかり見守りたい。
2013(平成25)年9月20日記