47RONIN(アメリカ映画・2013年) |
<TOHOシネマズ梅田・試写会>
2013年11月12日鑑賞
2013年11月19日記
タイトルからわかるとおり、日本人にお馴染の『忠臣蔵』をモチーフに、ハリウッドが「未体験の忠臣蔵」に挑戦!日本を表現するキーワードは、かつては桜、富士山、芸者だった(?)が、本作ではサムライ、ローニン、忠義、切腹だ。しかして、あなたは侍・トム・クルーズ派?それとも、浪人キアヌ・リーヴス派?
妖術あり、天狗ありのエンタメ作品だが、ハリウッドスター真田広之扮する大石内蔵助とカイとの共闘による主君の仇討ちは日本文化そのもの。今年の12月は、日本人によるこんな「英語劇」を楽しむのも一興では・・・
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監督:カール・リンシュ
脚本:クリス・モーガン、ホセイン・アミニ
カイ(四十七士に加わる異端の浪人、イギリス人と日本人のハーフ) /キアヌ・リーブス
大石内蔵助(カイを導く四十七士の将)/真田広之
吉良上野介(妖しき力で天下を狙う暴君、浪士たちの主君の仇)/浅野忠信
ミヅキ(吉良家に仕える謎の妖女)/菊地凛子
ミカ(浅野家の姫、カイの恋人)/柴咲コウ
大石主税(大石内蔵助の息子、カイの親友)/赤西仁
浅野内匠頭(播州国・赤穂藩の藩主)/田中泯
5代将軍・徳川綱吉/ケイリー=ヒロユキ・タガワ
ヤスノ(浅野家の侍)/羽田昌義
ハザマ/曽我部洋士
芭蕉/米本学仁
ハラ/山田浩
カピタン/ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン
磯貝/出合正幸
堀部/中嶋しゅう
天狗の首領(カイを育てた人物)/伊川東吾
リク(大石内蔵助の妻)/國元なつき
護衛人(吉良家に仕える門番)/梶岡潤一
東宝東和配給・2013年・アメリカ映画・121分
<「未体験の忠臣蔵」の是非は?好き嫌いは?>
忠臣蔵といえば長谷川一夫主演による『赤穂浪士』(64年)をはじめとして、日本人にはお馴染みの一つの文化。しかし、『47RONIN』というタイトルから想像できるとおり、本作は『忠臣蔵』をモチーフにしているものの、ハリウッドを代表する俳優の一人キアヌ・リーブス扮する「鬼子」カイを主人公にしたり、吉良上野介(浅野忠信)が赤穂藩の乗っ取りを企てたり、吉良の側室ミヅキ(菊地凛子)の妖術が登場したりと、エンタメ性の要素をてんこもり。
また、昔は日本を表現するキーワードは、桜、富士山、芸者だった(?)が、本作ではそれは、サムライ、ローニン、忠義、切腹だ。西欧人は今なお、これらを鎖国時代のニッポン国における日本文化と考えていること(?)がよくわかるが、さて、『忠臣蔵』をモチーフとしたこんな設定のハリウッド映画でどこまで『忠臣蔵』の本意が伝わるだろうか?2013年の暮れは是非、こんな「未体験の忠臣蔵」を鑑賞し、その是非や好き嫌いを論じてみたい。
<あなたは侍トム・クルーズ派?それとも浪人キアヌ・リーブス派?>
ハリウッドを代表する俳優の一人であるトム・クルーズは端正な顔立ちが魅力だが、唯一の欠点は背が低いこと。『ラストサムライ』(03年)では甲冑に身を包み、カッコいい侍、ネイサン・オールグレン大尉を演じていたが、渡辺謙と並ぶと渡辺謙の方が目立ってしまう(?)という弱点があった。その点、同じくハリウッドを代表する俳優の一人であるキアヌ・リーブスは背が高く、体格がいいから、本作前半に見せる「鬼子姿」も、後半に見せる「ローニン姿」も、そしてラストに向けて見せる「サムライ姿」もすべてカッコよく絵になっている。もちろん、刀を持ってのアクションも『マトリックス』シリーズ(99年)で鍛えている(?)から、今や渡辺謙とともに日本を代表するハリウッドスターとなった、ジャパン・アクション・クラブ(JAC)出身の真田広之との斬り合いも迫力十分だ。
もっとも、トム・クルーズにしてもキアヌ・リーブスにしても、和服姿で正座する姿や、刀を持って斬り結ぶ姿は何となく違和感がある。ましてや、本作のラストに見る切腹シーンの違和感は大きいが、それは日本を舞台にし、日本の侍や浪人をテーマとしたハリウッド映画の前向きの「挑戦」として受け止めるべきだ。しかして、あなたは侍トム・クルーズ派?それとも浪人キアヌ・リーブス派?
<日本国の捉え方に異議あり!>
映画の冒頭に、本作のテーマがプレスシートに書かれているとおりのナレーションで語られる。それは「かつて鎖国時代の日本は海の外の国々にとって神秘の地だった。競い合う藩主たちの頂点に君臨するのは絶対君主の徳川将軍。藩の秩序を守るのは、刀に生きる侍たち。主君と藩を守ることが彼らの使命だった。主君を失ったり忠義に欠けるとされた侍は恥にまみれ、“浪人”の身に落ちた。だが、この47人の物語こそ、真の侍の魂を知る物語である。」というものだ。
そんな前提の下に、一方では名君・浅野内匠頭(田中泯)を領主とする赤穂の国が描かれ、他方ではこれを併呑することを画策する長門の国の領主・吉良上野介が描かれる。しかし、私の理解では、徳川時代の幕藩体制は、決して絶対君主制ではない。中世ヨーロッパは王制で絶対君主制だったが、徳川家は有力大名のトップという位置づけで、全国の大名のとりまとめ役にすぎなかったはずだ。日本は明治維新によって天皇制を前提とする立憲君主国家となり、中央集権国家となったが、徳川幕府の時代は連邦制に近かったはずだ。本作では、5代将軍・綱吉(ケイリー=ヒロユキ・タガワ)が浅野内匠頭に切腹を命じることができる絶対的権力者であることを納得させるために、あえてナレーションで絶対君主制の徳川将軍と説明していると思われるが、これは誤解を招くので、私としては是非訂正してもらいたいと考えている。
<吉良の狙いは?「松の廊下事件」は偶然だったが・・・>
吉良は将軍綱吉が赤穂の浅野を贔屓にしていることが気に入らないらしい。そこで、赤穂の乗っ取りだけではなく、ゆくゆくは徳川家まで滅ぼして天下を取ろうと目論んでいるらしい。それを手助けするのが、妖術を使う側室のミヅキだ。『忠臣蔵』では、吉良と浅野が対立したのは、京都から江戸城へ下向した勅使の饗応役に命じられた浅野内匠頭に対して指導役の高家筆頭・吉良上野介が意地悪をしたため(?)、堪忍袋の緒が切れた浅野内匠頭が松の廊下で刀を抜いたことがきっかけだが、これは全く偶然のハプニングだ。
しかし本作では、綱吉が赤穂を訪れていたある夜、ミヅキの妖術によって大変な事件が発生することになる。吉良が内匠頭と並んで歩いているとき、内匠頭の後ろに従っていた娘のミカ(柴咲コウ)を、「美しい側室をお持ちですな」と称えたのはかなりヤバイが、ひょっとしてこれも策略の一つ?そんな伏線があったから、ミヅキの妖術によって、内匠頭が眠っている最中にミカが吉良によって今にも手込めにされそうになっている夢を見ると、思わず刀を抜いて斬りつけたから大変。さらに、大騒ぎになっているその現場に将軍・綱吉が登場し、状況を一見して理解したから、さらに大変だ。これによって内匠頭は綱吉から切腹を命じられたうえ、浅野家は取り潰し、大石内蔵助(真田広之)以下の家臣は禄を失い、浪人へと身を落とすことに・・・。
<カイの生まれ育ちは?なぜ浅野家に?>
『忠臣蔵』をモチーフとしたハリウッド映画をエンタメ作品として成立させることができるか否かの最大のポイントは、キアヌ・リーブス扮するカイのキャラクターをどのように設定し、どのように生命力と活力を与えるかにある。本作におけるカイの設定は、「少年の頃、どこからとも知れず赤穂に流れてきた異端児で、命さえ危ないところを、領主浅野の温情で助けられ、浅野の娘ミカにも愛されて、郊外の小屋でひとり暮らしを続けながら、大人に育っていた」というもの。そんな内匠頭の温情のため、カイには「浅野父娘のためなら命に替えても、その恩と愛に報いたいという気持ちが根付いていた」という設定だ。また、一方では本作をエンタメ作品として盛りあげるとともに、他方ではマンガみたいな作品にしてしまっているのが、ミヅキが駆使する妖術。本作冒頭のアクションとして、侍でもないカイが、浅野家の侍・ヤスノ(羽田昌義)を助け、ミヅキの妖術によって登場した「化け物」退治に活躍するシークエンスが描かれるが、カイは一体どこでそんな武術を身につけたの?
本作後半は、長崎の出島で奴隷に身を落としているカイを大石内蔵助が助け出し、主君の仇を討つべくカイの力を借りる展開になっていくが、そこで更に登場してくるのがカイを育ててくれたという天狗の首領(伊川東吾)。このように、本作は「何でもアリ」のエンタメ作品になっているが、一人だけ異相の外人カイを『忠臣蔵』をモチーフとしたストーリーの主人公にするためにそれはやむをえなかっただろうし、それはそれで面白いものになっている。したがって、本作を鑑賞し、楽しむについては、「俺が知っている『忠臣蔵』のストーリーと違う!」などと寝ぼけたことを言わず、クリス・モーガンとホセイン・アミニが書いた原案と脚本を信頼し、またカール・リンシュ監督がCGを駆使してスクリーン上に造り出す映像クオリティの世界の中に浸り切ることが不可欠だ。そんな視点でみれば、スクリーン上に展開される赤穂の国は、シェイクスピアのリア王の世界や、中世ヨーロッパのどこかの王国のような雰囲気も・・・。
カイのキャラクターをこのように設定したことによって、本作のストーリーの基本軸は確立したが、若干影が薄いのがミカ。つまり、ミカは浅野内匠頭の愛する娘、そしてカイの最愛の女性という、いわば「飾りモノ」的位置づけになってしまっている。本作全編を通じて大活躍するミヅキに比べると、本作ではミカの存在感の薄さが目立つので、柴咲コウのファンは若干不満が残るかも・・・。
<「中略」だが、ハイライトはしっかりと!>
大河ドラマとしての『忠臣蔵』は、主君の仇討ちに執念を燃やす大石内蔵助を中心とした赤穂の浪人達が、苦労に苦労を重ねながら、吉良家への討ち入りのチャンスを窺うストーリーにさまざまな人間ドラマが登場する。しかし、カイを主人公とした2時間の映画ではそこまでは到底描けないから、その人間ドラマは「中略」とし、本作では大石たちが、カイの「つて」によって天狗の首領から刀を調達する苦労話(?)が描かれる。他方、忠臣蔵のハイライトは何といっても、雪の降りしきる中での四十七士の吉良邸への討ち入りと、大石が打ち鳴らす山鹿流の陣太鼓だが、当然ながら本作のハイライトはそれとは全く違うものになっている。そもそも、そのハイライトの舞台は私人としての吉良邸ではなく、赤穂の城主となっている吉良のお城の中だから、厳重な警戒の中いかにして城内に入るかが最初のポイントになる。そして、カール・リンシュ監督は、それを「なるほど、そういう手があったのか」と誰もが納得できるストーリーで組み立てている。
こうなると、あとは城内に入り、吉良とミカとの婚礼を祝う席で舞を舞っている大石たちと、城外からこれに呼応する四十七士の残りの部隊がいかにタイミングを合わせて城内に突入し、活躍をくり広げるかが焦点になってくる。最近の『007』シリーズと同じように画面の展開があまりに早いため動体視力の衰えた目にはついていくのが大変だが、CGを多用したこのハイライトの斬り合いは見どころいっぱいだから、しっかり楽しみたい。ちなみに、その後の結末はミエミエだが、カイを含めた大石以下四十七士(もっとも、大石主税が除かれるのはハリウッド流?)の面々が、5代将軍・綱吉の寛大な処置により、白装束に身を固めて切腹するシーンはハリウッド映画としてははじめてだろう。さて、そのシーンを全世界はどこまで理解できるだろうか?
2013(平成25)年11月19日記