ラッシュ/プライドと友情(アメリカ、ドイツ、イギリス合作映画・2013年) |
<TOHOシネマズ梅田 試写室>
2013年11月18日鑑賞
2013年11月25日記
『ベン・ハー』(59年)の4頭の馬に曳かれた二輪戦車競争の見事さは今なお語り草だが、1976年のF1グランプリの死闘も語り草。スクリーン上に響き渡るエンジン音と、時速270kmのスピード感は圧巻!
ベン・ハーとメッサラ、項羽と劉邦、宮本武蔵と佐々木小次郎等々のライバル物語は面白いが、F1きってのプレイボーイ、ジェームス・ハントと、冷静沈着で「走るコンピューター」と言われたニキ・ラウダとのライバル物語も興味津々だ。人生を楽しもうとしたハントは引退後45歳で死亡したが、ラウダをして「私が嫉妬した唯一の男」と言わしめた男の魅力が本作で全開!さあ、今年のアカデミー賞レースに向けての本作の疾走は・・・?
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監督:ロン・ハワード
脚本:ピーター・モーガン
ジェームス・ハント(マクラーレンのF1レーサー)/クリス・ヘムズワース
ニキ・ラウダ(フェーラーリのF1レーサー)/ダニエル・ブリュール
スージー・ミラー(ハントの妻)/オリヴィア・ワイルド
マルレーヌ(ラウダの恋人)/アレクサンドラ・マリア・ララ
クレイ・レガッツォーニ(ラウダの先輩)/ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ
ヘスケス卿(ハントのスポンサー)/クリクチャン・マッケイ
ギャガ配給・2013年・アメリカ、ドイツ、イギリス合作映画・123分
<F1ファンはもとより、F1を知らない人も大興奮!>
「RUSH」とは、①突進すること。突撃すること、②物事が一時にどっと集中することだが、F1レースにおける①の意味の「RUSH」は時速270kmというから新幹線並みのスピードだ。F1は「フォーミュラ1」の略で、ひとり乗りのレース専用車両とその規格を指す「フォーミュラ」を使ったレースの最高峰だ。世界一のドライバーを決める世界選手権は1950年に始まり、60年以上の歴史を持つそうで、現在ではオリンピック、サッカーワールドカップとともに世界三大スポーツと言われているそうだ。日本でも大人気で、鈴鹿サーキットには多くのファンがつめかけるそうだが、残念ながら私はF1に関しては全くの門外漢。かろうじてアイルトン・セナの名前や日本人のF1ドライバー鈴木亜久里の名前は知っているが、本作の主人公となったジェームス・ハント(クリス・ヘムズワース)とニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)は全く知らなかった。
ジェームス・ハントとニキ・ラウダが日本の富士スピードウェイで死闘をくり広げたのは、1976年8月。そして、ラウダがフェラーリのエースドライバーとしてはじめてF1ワールドチャンピオンになったのは、1975年だ。しかし、1974年4月に弁護士登録した私はその当時弁護士業務にまい進していたから、世の中がこの2人の対決に湧きかえっていたことなど全く知らなかった。ところが、弁護士生活40周年となった今、本作を観ると「RUSH」の興奮はもちろん、2人のライバルの魂の対決に大興奮!こりゃ、「あなたの、生涯の1本を塗り替える。衝撃と興奮の先にある、想像を超える感動。歓声は鳴りやまない―」との「賛辞」もうなずけるし、今年のアカデミー賞候補になることまちがいなし!
<F1対決VS二輪戦車は?>
本作はスクリーン上に炸裂するけたたましいエンジン音を聞きながら、サーキット上で展開される、命がけの攻防戦を見ているだけで、「アドレナリン全開!」となってくる。私が中学生の時も、そんな「アドレナリン全開!」となる攻防戦を観た記憶がある。それは、「もっともスリリングな15分」と言われる『ベン・ハー』(59年)のクライマックスで、チャールトン・ヘストン扮するユダヤ人のベンハーと、スティーブン・ボイド扮するローマ人のメッサラが共に4頭の馬に曳かれた「二輪戦車」に乗ってくり広げる攻防戦だ。
もっとも『ベン・ハー』における二輪戦車対決は文字どおり手に汗を握る攻防戦としてスクリーン上の展開を楽しむことができたが、本作のF1レースはレース展開があまりにも早すぎるから、ドライビングテクニックを含むその攻防戦を楽しむのはなかなか難しい。しかし、ベンハーとメッサラの「因縁の対決」と同じく、本作でもハントとラウダの「因縁の対決」を堪能することができるからそれに注目!つまり、本作はベンハーVSメッサラはもとより、項羽VS劉邦、大鵬VS柏戸、宮本武蔵VS佐々木小次郎、あしたのジョーこと矢吹丈VS力石徹、若乃花VS栃錦等々、古今東西問わず世の中にゴマンとあるライバル対決と同じく、ライバル対決の人間ドラマとしての醍醐味がいっぱいだ。
<なぜ2人はライバルに?「ライバルもの」は面白い!>
ベンハーVSメッサラが因縁のライバル関係になったのは、約4時間にも及ぶ壮大な史劇として、アカデミー賞11部門を受賞した映画に詳細に描かれているが、本作を観ればハントとラウダがなぜ因縁のライバルになったのかがよくわかる。
F3時代の若きレーサー、ハントの酒、女をめぐる無軌道ぶりはハチャメチャで面白い。他方、政界と財界に君臨するオーストリアの名家に生まれたラウダが、「レーサーになりたい」と言った時、父親から猛反対されたのは当然。ところが、ラウダはそれでレーサーへの道を諦めるのではなく、「父親を見返してやる!」という覚悟で家を飛び出し、自力でレーサーへの道を歩み始めたからすごい。遊び好きで、レースの前でも酒と女は欠かせないイギリス人のハントに対して、マシーンのメカニズムにも精通し、全て理論的に解明していくラウダは禁欲的でレース展開も冷静沈着なオーストリア人だ。項羽と劉邦はもともとライバルといえるほどの関係ではなく、身分も実力も圧倒的に項羽の方が上だったが、結果は劉邦の勝ち。F3レーサーの時代から派手でカッコ良くレーサー稼業を楽しんでいたハントは、次々とF1レーサーに向けての地歩を固めていたが、本来何の実績のないラウダはそもそもハントのライバルにもなれなかった存在だった。
ところが現実には、ラウダの方が先に名門フェラーリのエースドライバーになったし、1975年にF1のワールドチャンピオンになったのもラウダだ。そして、1976年も順当にいけばラウダが連覇するはずだったが、1976年8月1日、“墓場”と呼ばれる世界一危険なサーキットで開催されたドイツGPで、ラウダは再起不能と言われた重傷を。これにて、2人のライバル物語は「ジ・エンド」と思われたが、何の何の・・・。本作後半に展開される、2人のライバル対決に注目!やっぱり、「ライバルもの」は面白い!
<ハントの性豪ぶりに唖然!しかし、45歳で死亡とは・・・>
いかにも豪放磊落(ごうほうらいらく)に見えるハントだが、意外なのはレース直前に必ず嘔吐すること。これは緊張感の表れだから、レース前に酒と女は欠かせないというハントも、心の奥の奥は意外に繊細なのかもしれない。プレスシートには柴山幹郎氏(評論家)の「リスク・ジャンキーの祝祭」というコラムがある。そこでは、「トム・ルビソンの書いたジェームス・ハントの評伝(『シャント』)に、笑うしかない記述が出てくる。1976年の日本グランプリが行われる前、東京のヒルトン・ホテルに滞在していたハントが、たった2週間のうちに英国航空のスチュワーデス33人と関係を結んだというのだ。」と書かれているから、すごい。さらに本作でも、ラウダの先輩レーサーで、ラウダを引き立ててくれたクレイ・レガッツォーニ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)がラウダに伝えるハントの性豪ぶりを聞いていると、唖然!
そんなハントが、スーパーモデルの美女スージー・ミラー(オリヴィア・ワイルド)とド派手な結婚式を挙げ、豪華な新婚生活をくり広げたのは当然だろうが、女関係は相変わらずだから、たちまち夫婦仲に亀裂が・・・。さらに、ハントのスポンサーになっていたヘスケス卿(クリスチャン・マッケイ)が資金難に陥ってF1から撤退したり、ラウダが先にF1レーサーになったりすると、自暴自棄となり酒に溺れてしまったから、やはりハントの心の中は意外に繊細らしい。スージーが、『クレオパトラ』(63年)への出演を契機としてエリザベス・テイラーの結婚相手となった名優リチャード・バートンと仲良くなって再婚したという話には驚かされたが、これにはハントも参ったはずだ。
そんなハントは1979年にF1レーサーを引退した後はテレビで解説者を務めたが、93年6月に享年45歳で心臓発作のために急逝したそうだから、これにもビックリ!
<25人中2人が死亡!すると、雨中のレースの危険性は?>
時速270kmで走る車が接触したり、コーナーを回りきれなかったりしたら・・・?そこから生まれる事態はTV画面などで何度も見ているとおり悲劇的なもので、ドライバーは大怪我もしくは死亡してしまうのは必至。しかして、本作冒頭にはF1レースに参加する25名のレーサーのうち毎年2人が死亡するとレポートされるから、F1とは何とも過酷なレースだ。
もともと、そんなに過酷なレースなのに、雨の中のレースになると、その危険性はどれくらい増幅するの?普通のドライブでも雨中は危険が増大するのは常識だが、ラウダが400℃の炎の中に1分間も包まれ瀕死の重傷を負った、1985年8月1日のドイツGPのレースを見ていると、その危険性がよくわかる。私が感心したのは、そんな雨中でGPを開催すべきか否かについてドライバー会議が開かれ、そこでラウダがハッキリ中止を提言したこと。それに対して一部のレーサーからは「お前は命が惜しいのか?」と反論されたが、それに対してラウダは「命が惜しいのは当然だ。それはお前も同じだろう。」と、しっかり反論。全くそのとおりだ。ところが、この時点で猛烈にラウダを追い上げていたハントは、ドイツGPが中止になれば猛追のチャンスが一度失われることになるため、開催すべきことを強行に主張。こんな議論になると、大体「強硬派」が「慎重派」を圧倒することになるのが常で、結局ドイツGPは決行されたが、その結果ラウダは・・・?
<最終決戦は日本で!そこは豪雨だが・・・>
大鵬と柏戸の「柏鵬対決」では、大鵬が大きく柏戸をリードしていたから、実際には真のライバルと言える関係ではなかったが、栃錦と若乃花の栃若対決では両者の成績はほぼ拮抗していたから、2人は真のライバル。しかして、1976年のF1のチャンピオン争いは大怪我をしたラウダが欠場している間にハントが大いにポイントを稼いだから、日本の富士スピードウェイでの最終決戦を前にしてラウダが68ポイント、ハントが65ポイントとその差はわずか3ポイントに縮まっていた。したがって、1976年10月24日の富士スピードウェイには8万人の観客が押し寄せて、2人のライバルの最終決戦を見守っていた。ところが、あいにく当日の天候は・・・?
8月のドイツGPでは降雨の中で悲劇が起きたが、富士スピードウェイはそれをはるかに超える豪雨。こんな状態でレースを決行すれば、20%をMAXとすべき「死の確率」が各段に上昇すること確実だから、中止が賢明。もちろん、そんなことは誰もがわかっているが、主催者としては、8万人もの観客がずぶ濡れになってもサーキットを見つめているのだから、多少のリスクがあっても強行したいのはヤマヤマだ。その上、最終決戦が中止になれば自動的にハントの連続ワールドチャンピオンが確定することになるから、F1ファンの盛り上がりも急速にしぼんでしまうのも必至だ。しかし、雨の中でのレースの危険性がドイツGPで実証済みなのに、こんな豪雨の中で最終決戦を強行したら、また悲劇が起きるのでは・・・?
しかして結論は、ドイツGPと同じように試合は決行と決定!さあ、ハントとラウダの2人は視線を交わし、アクセルを踏み込んだ。ユダヤ人のベンハーとローマ人のメッサラの二輪戦車での対決はベンハーの勝利に終わったが、さてオーストリア人のラウダとイギリス人のハントとの最終対決の決着は?本作のクライマックスでのレース展開を存分に楽しもう!
2013(平成25)年11月25日記