ゼロ・グラビティ(アメリカ映画・2013年) |
<梅田ブルク7>
2013年12月31日鑑賞
2014年1月10日記
ゼロ・グラビティ(無重力)の宇宙空間に、シャトルから一人放り出されたら?それは、サーカスにおける空中ブランコの命綱が切れたようなもの・・・?
登場人物は宇宙服で完全装備された2人だけ。そして、空間はゼロ・グラビティ。そんな映画が成立するのは、美術・視覚効果における映画テクノロジーの素晴らしさのおかげだが、何の何の、人間的感情の描き方もすばらしい。
何もかも未体験ゾーンの「実況中継」をタップリと楽しもう!
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監督:アルフォンソ・キュアロン
脚本:アルフォンソ・キュアロン、ホナス・キュアロン
ライアン・ストーン博士(メディカル・エンジニア、宇宙飛行士)/サンドラ・ブロック
マット・コワルスキー(ベテラン宇宙飛行士)/ジョージ・クルーニー
ミッション・コントロール(声のみ)/エド・ハリス
ワーナー・ブラザーズ映画配給・2013年・アメリカ映画・90分
<何度も予告編で観たシーンが、3D映像で!>
近時は、3Dの大作が増えてきた。しかし、試写室での試写の場合は不要だが、映画館で観る時は専用眼鏡をかけるので、プラス400円の3D料金を払う必要がある。3D料金にそれだけの価値があるかどうかを考えると、半分くらいはその価値がないが、本作は十分追加料金の価値がある。
映画が始まると、スクリーン上には「地球の上空60万メートル 温度は摂氏125度からマイナス100度の間で変動する 音を伝えるものは何もない 気圧もない 酸素もない 宇宙で生命は存続できない」の字幕が映し出された後、何度も予告編で観たゼロ・グラビティ(無重力)の中で、宇宙遊泳をしながらおしゃべりを楽しんでいる(かのように見える)、ベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)と、何かの作業に必死に取り組んでいるメディカル・エンジニアの女性宇宙飛行士ライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)の姿が浮かび上がる。もちろん、これは映画だから、誰かがどこかからこの2人をカメラで撮影・録音し、それを編集したものを最終的な完成品としてスクリーン上に映しているわけだが、今私たちの目の前に立体的に広がっている世界は、まさに地球の上空60万メートルの宇宙そのものだ。
宇宙服内のマイクを通してヒューストンの基地と連絡を取り合いながらの作業は、冗談まじりで一見楽しそう。しかしそれは、これが最後のミッションになるという、ベテラン宇宙飛行士コワルスキーなればこそだ。データ通信システムの故障の原因を探っているらしいストーン博士の方は緊張感でガチガチのようだが、そこで予告編で観たようなハプニングが!
世の中にはさまざまなハプニングがあるが、意外な名作だった『地球でたったふたり』(09年)(『シネマルーム22』264頁参照)ならぬ、「宇宙でたった2人」という状況下で、人類の誰一人として経験したことのない、こんなハプニングが発生したら、さて人間は・・・?
<宇宙でも米中の対立と共存が・・・?>
本作はもちろん「実話」ではなく、アルフォンソ・キュアロン監督が息子のホナス・キュアロンと共に書いた脚本に基づくもの。しかし、「破壊された人工衛星の破片(スペース・デブリ)が別の衛星に衝突して新たなデブリが発生し、コワルスキーとストーン博士のいる方向へ猛烈な速さで迫ってきた」という設定は、どこかで聞いたような気が・・・。そこで思い出したのが、07年に中国が老朽化した自国の気象衛星を衛星攻撃兵器で破壊したというニュースだ。現在、中国で深刻化しているPM2.5による大気汚染は中国のみならず韓国や日本にも大きな影響を及ぼしているから、やはり発生源で的確に対処することが大切。しかして、中国は地球上だけではなく地上60万キロメートルの宇宙でも、他人サマに迷惑をかけているの・・・?超大国アメリカによる一国支配から、米中二国による支配に変わろうとしている現在、アメリカは中国をことのほか意識せざるをえないことが、この脚本にも反映されてることがよくわかる。
もっとも、本作はベテラン飛行士・コワルスキーの機転と知恵によってやっとたどり着いた自分たちのシャトルはもちろん、国際宇宙ステーション(ISS)の中に設営されている宇宙船ソユーズまでデブリによって破壊されていることを知った後は、中国の宇宙ステーション・天宮と中国の有人宇宙船・神舟に頼ることになる。こんな非常事態だから、アメリカが勝手に中国の宇宙ステーションや有人宇宙船を使っても中国は文句をつけないのかもしれないが、多分それは映画だけの世界で、もしこれが現実なら・・・?
月面への無人探査機の軟着陸はソ連が1966年2月のルナ9号の成功によってアメリカに先行したが、今やソ連(ロシア)の宇宙開発技術(意欲?)は中国に追い越されてしまっている。したがって、本作の脚本を書くについて、アルフォンソ・キュアロン監督らが中国の宇宙開発を意識したのは当然かもしれないが、本作を観れば宇宙でも米中の対立と共存が・・・?
<ゼロ・グラビティの宇宙空間で命綱が切れたら・・・>
日本語には「命綱」という言葉がある。これは、他の国の言葉でも同じはずだが、サーカスにみる「空中ブランコ」は、命綱あればこそできるものだ。もっとも、空中ブランコに命綱が必要なのは、地球には重力があるから。つまり、人間の身体をつりあげるものがなければ、人間は重力に従って一直線に地球の中心に向かって落ちて行ってしまうからだ。すると、重力のないゼロ・グラビティの世界では、命綱は不要・・・?
本作について、キネマ旬報1月上旬号では3人の映画評論家が5点5点4点という高得点をつけているし、新聞紙評でも軒並み高評価だが、そこでは美術・視覚効果における映画テクノロジーの素晴らしさを褒め称えているものが多い。たしかに本作のプロダクションノートを読めば、本作にはさまざまな映画制作における新テクノロジーが開発されたことが紹介されている。中でもとりわけ大変だったのは、2人の俳優がいかにゼロ・グラビティ(無重力)内の演技をホンモノらしく見せるかということだったらしい。しかして、無重力状態の中、ヒューストンからの「作業中止!至急シャトルへ戻り、地球へ帰還しろ!」との緊迫した命令にもかかわらず、「もうちょっと!もうちょっと!」と言いながらシャトルのアームにへばりついて作業していたストーン博士が、突然切り離されたアームと共に一瞬にして宇宙空間に放り出されたら・・・?さらに、コワルスキーの冷静な指示によって、命綱でコワルスキーの身体とつながり、さらにコワルスキーのベテランらしい機転と知恵によってやっとシャトルに戻れたと思ったのに、その命綱を切り離さなければならないとしたら・・・?
宇宙開発はテクノロジー開発の積み重ねだが、それに従事するのはあくまで人間だ。したがって、人間には「恐怖感」という感情があることを考えると、ゼロ・グラビティの宇宙空間で命綱が切れたら・・・?
<2人だけの登場人物ながら、人間的感情はタップリと!>
本作は90分と短めだし、登場人物は2人だけ(もっとも、死亡してしまった同僚の宇宙飛行士は数人登場するが・・・)。また、2人ともずっと宇宙服を着ているから、その俳優がサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーだと知らされていなければ、顔だけでは容易に判別できない。したがって、脚本上の工夫と演出上の工夫だけでゼロ・グラビティの世界と、その活動中に起きたハプニングによって「生きて地球に帰る!」という最も根源的な欲求を実現するべく、もがき苦しむヒロインの姿をスクリーン上に描きださなければならないが、ハッキリ言ってそれはかなり難しい。しかし、冒頭にみる作業中のヒューストンとの冗談まじりの会話や、ゼロ・グラビティの世界に放り出された後の命綱でつながれた状況下での2人のハラを割った会話を聞いていると、2人だけの登場人物ながら、人間的感情の交流はタップリ味わうことができる。
人間的な感情をめぐる本作最大のポイントは、第1に宇宙空間に一人放り出された上、酸素も乏しくなっていくストーン博士の恐怖感、第2にやっとコワルスキーによって救出されたと思ったのに、そのコワルスキーをも失ったストーン博士の自立心(の強さ)だ。冗談を飛ばしながらも、徹頭徹尾「理詰め」で的確に状況を判断し、的確な判断を下していくコワルスキーが自ら命綱を手放すシーンは涙ものだが、そこまでの境地に達していないストーン博士がそうはいかないのは当然。女優にとって、顔や身体全体を使った表現ができないのはもどかしいはずだが、サンドラ・ブロックはヘルメットや宇宙服ごしの荒い呼吸音や短いセリフによって、本作が意図した女性宇宙飛行士・ストーン博士の恐怖と何とかそれに打ち勝とうとする自立心(の強さ)を実に見事に表現している。
ほとんどの観客は、そんなストーン博士の気持ちと一体になってコトの経過を見守っているはずだから、シャトルが地球上の海に落下した後、一転して短パンとタンクトップ姿になって、地球の空気を吸うサンドラ・ブロックを見ると、心の底から「ああ、良かった!」と思えるはずだ。したがって、本作では映像テクノロジーの素晴らしさのみに目を奪われるのではなく、人間的感情もタップリと味わいたい。
<この臨場感と実況中継は、まさに未体験!>
『007』シリーズや『ボーン』シリーズをはじめ、最近の人気ハリウッド映画はスリルとサスペンスを限界まで追求しているが、それはあくまで地球上のこと(もっとも、『007』シリーズの第11作の『007/ムーンレイカー』(79年)には宇宙ステーションが登場したが・・・)。また、『スター・トレック』シリーズをはじめ宇宙を舞台にした「スリルとサスペンスもの」も多いが、それらはいずれも人間が作り出したドラマだ。しかし本作は、あたかもゼロ・グラビティ状態にある宇宙空間で現実に起きた事件であるかのような臨場感をもって、3Dのスクリーンが「実況中継」してくれる。
本作前半は強い絆で結ばれた(?)コワルスキーとストーン博士の「生きるための戦い」が描かれるが、中盤以降はストーン博士だけの「生きるための孤独な戦い」がメインとなる。そこで登場してくるのが、国際宇宙ステーション(ISS)やそこに設営されている宇宙船ソユーズ、そして中国の宇宙ステーションである天宮や中国の有人宇宙船・神舟だ。酸欠状態でギリギリの状態になっているストーン博士が、ゼロ・グラビティの空間から宇宙ステーションの中に入ってくるや否や、宇宙服を脱ぎ捨てて、ステーション内の酸素を吸うシーンは素人の私の目にも少し違和感があるが、その手の細かい「突っこみ」は避けて、ストーン博士の孤独な戦いを注視したい。破壊されかかっている宇宙ステーションからやっとのことでソユーズに乗り移ったのに、そのソユーズが損傷のため動かないことを知ったときのストーン博士の絶望感はいかばかり。しかし、それにもめげず、今度は中国の天宮を目指す彼女の生きる力の源は一体どこに秘められていたのだろうか?最近のスマホの機能すらろくに使えず、ガラパゴスケイタイに固執している私には、ソユーズのみならず中国の神舟の機能までしっかり使いこなしているストーン博士の能力に脱帽する他ない。
迫力ある3Dスクリーンの中で実況中継されるストーン博士の力強いスリルとサスペンスは、まさに未体験!本作のクライマックスに向けて、そんなストーン博士の姿をタップリと楽しみたい。
2014(平成26)年1月10日記