チャイ・コイ(日本映画・2013年) |
<テアトル梅田>
2014年1月1日鑑賞
2014年1月7日記
「チャイ・コン」はチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の略だが、「チャイ・コイ」はベトナム語の「果物」。果物は新鮮な方がおいしいに決まっているが、50代の川島なお美が魅せる、熟れた果実の味とは・・・?
異国情緒たっぷりのタイで展開される、韓国人のムエタイボクサーとのめくるめく官能の世界は、言葉が通じないだけに危険と興奮度が二倍に!しかし、かつての日活ロマンポルノの傑作に比べれば、やっぱり昔の方が・・・。
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監督:伊藤秀裕
脚本:赤澤ムック、伊藤秀裕
原作:岩井志麻子『チャイ・コイ』(中公文庫刊)
瑞島麻衣子(人気女流作家)/川島なお美
ハヌル(韓国人のムエタイボクサー)/イ・テガン
盲目の女性(ハヌルの恋人)/Srikanya Saengthong
恵(麻衣子の姪)/北川史織
/Piphat Thanyakij
/飯田基祐
エクセレントフィルムパートナーズ、トリプルアップ配給・2013年・日本映画・97分
<チャイ・コイってナニ?>
チャイ・コイってナニ?それは、人気作家・岩井志麻子が第二回婦人公論文芸賞を受賞した「女性向け」官能小説のタイトルらしい。そんな作品に川島なお美が久々に主演することをチラシで知り、1週間だけ、毎日1回だけの限定上映ながら、お正月休みの暇な時間に鑑賞することに。私は過去、天六にあった「ホクテン座」と「ユウラク座」で時々上映されていた団鬼六原作、杉本彩や小向美奈子主演の『花と蛇』1、2、3などの「官能モノ」をそれなりに楽しんでいたが、その手の映画はあまり大きな期待を持つと、期待外れになることが多い。
「チャイ・コン」はチャイコフスキーのバイオリン・コンチェルト(協奏曲)の略で、『北京ヴァイオリン』(02年)ではチャイ・コンの響きに涙した(『シネマルーム5』299頁参照)が、さて「チャイ・コイ」ってナニ?それはベトナム語で「果物」らしい。果物はもぎたてのフレッシュなものもいいが、十分に熟れた腐る直前の果物もおいしいものだ。もっとも、そのためには、川島なお美のように50代になっても美しい肢体と美しい肌を保っていることが不可欠だが、さて本作の川島なお美にみるチャイ・コイの熟れ具合は?
<この女流作家が書く官能小説のレベルは?>
冒頭、渋滞しているタクシーを降り、一人で散歩しながらタイのホテルにさっそうとあらわれる人気女流作家・麻衣子(川島なお美)の姿が登場する。たまたま露店で見つけた小説を取り上げたところ、「安くしておくよ」と言われて苦笑する麻衣子の姿を見て、この小説の作者が麻衣子であることがわかる。しかし、日本に残っている編集長との不倫の電話のやりとりや、タイでの取材旅行(?)の合間にパソコンに向かって書いている(打っている)文章をみていると、この作家が書いている官能小説のレベルは・・・?
日本にはかつて1970~80年代に日活ロマンポルノという優れた映画芸術があったが、川島なお美が見せる本作の官能ぶりと、かつての日活ロマンポルノで宮下順子、白川和子、谷ナオミ、美保純らが見せた官能ぶりを比べてみると・・・。
<言葉の通じないガイド選びはちょっと・・・?>
麻衣子をホテルで出迎えてくれたのは、タイに留学しそのままタイで気ままに(?)暮らしている姪の恵(北川史織)。一見内気で純情そうな麻衣子(?)に比べ、恵の方はいかにも男性関係に奔放らしい。そんな恵にはタイの風土は絶好だ。そこで、翌日食事に立ち寄ったレストランでバイトをしているハンサムな韓国人男性ハヌル(イ・テガン)と出会うと、すぐに恵は麻衣子に対して、あれこれと恋のキューピッド役を。最初は慎み深い日本女性らしく(?)遠慮していた麻衣子だったが、観光案内をOKしてくれると、いかにも嬉しそうにホイホイと同行することに。しかし、取材旅行が目的ならちゃんと言葉が通じ、タイの観光や歴史そして人情の機微を知り尽くしたタイ人のガイドを雇うべきが筋。何の共通語もない麻衣子とハヌルがどうやってコミュニケーションをとりながらタイの観光を楽しむの?いくらハンサムでも、言葉の通じないガイド選びはちょっと・・・。
<言葉は通じなくとも、肉体を通じた観光や交流なら>
ハヌルはムエタイボクサーをしながら料理店でバイトをしている韓国人の若者だが、あの程度の実力では、「負け犬」と呼ばれても仕方がない。彼にはマッサージ師をしている盲目の恋人がいたから、タイ語は彼女から学んだのだろうが、なぜ韓国人の若者がタイでこんな中途半端な生活をしているの?そもそも、ハヌルを中途半端なムエタイボクサーという設定にした理由がよくわからない。ひょっとしてこれが男としてのたくましさに麻衣子が惹かれるための設定だとしたら、あまりにも作為的・・・。
中国旅行を何度も楽しんだ経験のある私は、食事も観光も客とガイドがこれだけ言葉が通じなければ全然楽しくないだろうと思うのだが、麻衣子はそうでもなさそうだ。そのうえ、「あなたは、今どこに住んでいるの?あなたの家に行ってみたい」という麻衣子の言葉は、身振り手振りでハヌルに通じたらしい。なるほど、異国を舞台にした安物の官能小説はそういう展開・・・。
<注目の官能シーンは、いつ、どこで?>
観光地を離れ、狭い路地を通り抜け、貧相なアパートの方へどんどん進んでいくハヌルの後ろをどこまでもついていく麻衣子の姿を見ていると、「この女はバカか!」と思ってしまう。平和な日本に慣れている日本人は、ややもすれば外国でもこんな不用心な行動をとるから、思わぬ犯罪に巻き込まれてしまうわけだ。もっとも、本作については、官能小説のひとつの展開の仕方だと理解すれば、何の心配もない。そんな予想どおり、この後は、ハヌルの部屋で、本作初の「見せ場」となる、めくるめく官能の世界が・・・。
ちなみに、2002年4月に約1週間のタイ旅行をした経験のある私には、あのクソ暑い中を1日(半日?)観光で歩き回り汗をいっぱいかいている男女が、シャワーも浴びないまま、クーラーが効いているとも思えない部屋の中で展開するベッドシーンを想像するとかなり違和感がある。しかし、それが「売りモノ」の映画ともなれば、それはそれなりのお見事な官能シーンに・・・。
<彼はどちらを選ぶの?>
盲目とはいえ、恋をしている若い女性の勘は鋭いもの。従って、自分の恋人が女性を連れ込みめくるめく官能の世界を満喫したベッドの中に寝れば、「私の留守中に、誰か部屋に来た?」と質問するのは当然。それに対して、ハヌルがうまく答えられないのも当然だから、以降このカップルに異変が起きるのは仕方ない。しかし、その後に見せる彼女の行動は、私の目には如何なもの?と思わざるをえない。
もっとも、「私にはあなたしかいない。なのにそのあなたがもう私を愛してくれなくなったら、私には生きる意味がない」という彼女の言葉にはそれなりの説得力も。そんな2人の姿を窓越しに見た麻衣子がいたたまれなくなったのは当然。しかし、そこで飛び出していった麻衣子と、それを追いかけたハヌルとの間で、ロウ・イエ監督の中国映画『パリ、ただよう花』(08年)で見たのと同じような、立ったままでの激しいセックスシーンが展開されるのは、官能小説のワクを超えていかにも安物のポルノ小説風・・・?もっとも、こんな激しいセックスシーンを展開しながらも、彼は頭の中では「自分が選択すべき女は麻衣子ではなく盲目の女だ」と考えていたのでは・・・?それは多分まちがいないだろうが、他方、麻衣子の方は・・・?
<なるほど、こんな経験の中で女はより強く・・・>
異国での観光や食事を楽しむには適切なガイドが必要だが、そこでは共通の言葉というコミュニケーションの道具が不可欠。しかし、男女のベッドでの営みについては、言葉は全くいらないことが本作を観ているとよくわかる。さらに、「行為」が終わった後、言葉が通じないため、麻衣子から「ご苦労さん」と言われたと誤解してハヌルが怒るシーンを見ていると、「その時」の言葉は「I love you」のひとことだけで十分なこともよくわかる。
麻衣子には出版社の編集者という「不倫」相手がいるが、電話口から声だけ聞こえてくるその男は、私の想定では下っ腹が出て脂ぎった中年男。したがって、太陽が燦燦とふりそそぐ異国情緒タップリのタイのまちでベッドを共にし、心から満足できる性体験をするためには、そんな中年男よりハヌルのような若く筋骨たくましい男の方がいいに決まっている。たとえ言葉は通じなくても、ベッド上での相性さえ良ければ・・・。
他方、それが長く続くものではないことも官能小説家の麻衣子なら十分わかっていたはずだから、タイでの取材旅行が終わる頃には、2人の関係が自然消滅していくのは当然。それはすぐにわかるのだが、ここで私が「さすが!」と感心したのは、麻衣子がハヌルとの別れと同時に、東京の不倫相手との別れも決意したこと。こんな経験の中で、女はより強くなっていくわけだ。なるほど、なるほど・・・。
2014(平成26)年1月7日記