光にふれる(逆行飛翔)(Touch of the light)(台湾、香港、中国映画・2012年) |
<シネリーブル梅田>
2014(平成26)年2月15日鑑賞
2014(平成26)年2月18日記
聾唖や被爆2世を「売り」にした「佐村河内事件」が起きた今、「光を知らない天才ピアニスト」をテーマにした本作の公開は最悪のタイミング?そんな心配は、主人公の人柄の良さと美しいピアノの音色、そして周りの人たちとの温かい心の交流をみれば、吹っ飛ぶはずだ。
そのうえ、ストーリーの軸に美しいダンサーを配置したことがよく効いている。本作に見る若い男女の心の交流が「一歩前へ!」の原動力になっていることをしっかり確認したい。そして、クライマックスのピアノ演奏は、一人静かに涙と共に・・・。
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監督:チャン・ロンジー
提供:ウォン・カーウァイ
ユィシアン/ホアン・ユィシアン
シャオジエ/サンドリーナ・ピンナ
ユィシアンの母/リー・リエ
ダンス講師/シュウ・ファンイー
2012年・台湾、香港、中国映画・110分
配給/クロックワークス
<「佐村河内事件」直後の公開だが・・・>
光を知らない盲目の天才ピアニストが主人公。その主人公が逆境を乗り越え、今、光に向かって飛翔する。原題を『逆光飛翔』とするそんな映画は、「全聾の作曲家」「現代のベートーヴェン」と呼ばれた、佐村河内守氏のインチキぶりが露呈された今、最悪のタイミングでの公開になった。「聾唖者」や「広島での被爆2世」を「印籠」にした売り込みに、NHKをはじめとする日本のアホバカ・マスコミはコロリと騙されてしまったから、台湾で第14回台北映画祭観客賞等を受賞し、第85回アカデミー賞外国語映画賞台湾代表作品とされた本作にも、何となく違和感が・・・。
しかし、盲目のピアニストであるユィシアンが自ら出演した本作では、なぜユィシアンが音楽コンクールに出なくなったのかが冒頭に示されるから、佐村河内氏とは正反対であることはわかる。ユィシアンの母親(リー・リエ)の言葉によれば、彼は子供時代に出場するコンクールですべて1位か2位になっていたにもかかわらず、ある言葉を聞いたことにより、以降コンクールへの出場を拒否したらしい。それは、「目が見えないから1位に・・・」という心ない言葉だが、視覚障害のある学生をはじめて受け入れた台北の音楽大学に入学したユィシアンは、今や「コンクールに出場しないと、僕は見えませんか?」と逆質問するほどに急成長!顔を見れば決してハンサムとは言えないが、その屈託のない明るい顔は実に魅力的。これも、いかにも「作った感」があった佐村河内氏とは正反対だ。さあ、今日から始まるそんなユィシアンの音楽大学での生活はいかに・・・?
<美しい映像と美しい音色だけで涙が・・・>
本作冒頭は、故郷から母の運転する軽トラに乗って台北に向かうユィシアンとその家族の様子が描かれる。そして、その次には、大学の寮に入るユィシアンを何かと世話しながらも独り立ちさせるべく、別れを惜しみながら部屋を後にする母の姿が・・・。はじめて視覚障害者を受け入れた大学は、クラスメートに対して日直の仕事としてユィシアンの教室への移動を手伝うよう指示したが、その指示は徹底できなかったようだ。すると、ユィシアンの苦労は並大抵ではないと思うのだが、当の本人はいたって飄々と・・・。
また、スーパーミュージック(通称SM)のサークルにユィシアンを誘ってくれた、寮の同室となった若者チンが陽気だったことも、ユィシアンに幸いしたようだ。肝心の授業では、補助教員としてやってきたワンが小テストを行う中、ペーパーに何も書くことができないユィシアンの不安そうな様子が浮かび上がる。こんなあんばいで、ユィシアンは授業についていけるの?思わずそんな心配をしたが、目が見えない分ユィシアンの耳の能力と記憶力はすごいようだ。クラスメートと同じように解答を紙に書くことはできなくても、耳で聴き取った問題とその答えをパーフェクトにピアノで再現したから、ワンはビックリ!本作の導入部で描かれるそんなシーンの数々は、光や影を駆使してボヤけたシルエットをつくり出したチャン・ロンジー監督特有の美しい映像で描かれていく。そんなストーリー自体は別に大したものではないが、ユィシアンが弾く美しいピアノの音色と、美しい映像の数々だけで思わず、涙が・・・。
<2人の出会いは?>
本作で台北映画祭に2012最優秀主演女優賞を受賞したサンドリーナ・ピンナ演ずるシャオジエは、スクリーンに登場した当初はブスっとした表情が目立っていたが、ユィシアンと知り合い、互いに心を開くようになってからの表情はすばらしい。また、ユィシアンの物語と、シャオジエの物語は全く別のストーリーとして提示されていくので、2人の接点がどこで生まれるのかという興味が次第に強くなるが、チャン・ロンジー監督が本作で描く「出会い」は何ともユニークかつすばらしい。
ユィシアンは何とか音大生になれたが、シャオジエの方は母親の猛反対で大好きなダンスのレッスンを受けることができないうえ、バイトが忙しいから、そもそも2人の出会いはありえないはず。そんな2人が出会えたのは、大学構内でユィシアンとチンがSM部の勧誘をしている際中に交わしたある会話がきっかけだ。つまり、いかにも大学生らしい「好きな女性のタイプは?」というたわいない質問に対して、ユィシアンが「優しい人がいい。ポイントは声がきれいなこと」と答えた後、校内にドリンクを配達に来たシャオジエの透き通ったキレイな声が聞こえてきたことがきっかけだ。もっとも、ユィシアンは目が見えないから、声のキレイなことはわかっても、シャオジエの顔はわからないから、「どんな人?」と聞くと、チンは「きれいだけど、ブスっとした顔」と正直に答えたから、さてユィシアンのシャオジエに対する関心は?
<2人の接近度は?心の開き具合は?>
これが第1の出会いなら、「第2の出会い」はその数日後、交通量の多い交差点で立ち往生をしているユィシアンをドリンク配達中のシャオジエが見つけ、ユィシアンが行こうとしていた小学校まで連れて行ったこと。その小学校でユィシアンが自分と同じ視覚障害の子供たちに、彼独特の音楽レッスンをしている姿を見て、一気にシャオジエの心が開いていったのは当然だ。
「車が多いと怖くない?」と尋ねるシャオジエに「それでも自分を試したい」と答えるユィシアン。「実現できない夢とかある?」と聞かれたシャオジエは、正直に「ダンスがしたい」。「ダンスはどんなもの?」というユィシアンに、「踊っている時だけは生きている実感がある」と答えるシャオジエ。ユィシアンは「そう思うのならやってみなくちゃね。でないと自分の実力がわからないよ」と返したが、さてシャオジエはその言葉をどのように受け止めたの?それから数ヵ月後、ユィシアンはシャオジエと一緒に故郷に戻ったが、同じ部屋で寝たユィシアンの妹から「お姉ちゃんは、お兄ちゃんの彼女?」と聞かれるまでになっていた。本作中盤にみるそんな2人の接近度と心の開き具合に注目!
『海角7号/君想う、国境の南』(08年)(『シネマルーム24』138頁参照)、『モンガに散る』(10年)(『シネマルーム25』121頁参照)、『あの頃、君を追いかけた』(11年)等を観れば、台湾の青春映画の素朴なすばらしさがよくわかるが、それは本作も同じ。後半からクライマックスにかけての2人の夢の追いかけ方は、「淡い初恋」などという単純な言葉では表現できないものであるうえ、今の日本の若者たちには到底見ることのできないものだ。そんな2人の夢の追いかけ方に、心から拍手!
<美人ダンサーは、スクリーンによく映える!>
チャン・ロンジー監督はパンフレットで、「ダンスは映像的に非常に映えるから、ダンサーを今作の中心となる女性キャラクターとして設定したんだ。」と述べている。美人ダンサーがスクリーンによく映えることは、邦画の『花とアリス』(04年)を観ても(『シネマルーム4』326頁参照)、韓国映画の『ダンサーの純情』(05年)を観ても(『シネマルーム19』125頁参照)明らかだ。
声がキレイで美人だが、いつもブスっとしたところが欠点(?)のシャオジエが急に魅力的に見え始めるのは、ダンス教室での無料体験レッスンに参加したところから。ダンス講師(シュウ・ファンイー)の模範演技が魅力的なら、そのお目がねにかなったシャオジエのダンスも魅力的だ。ソチ五輪で見る女子のフィギュアもいいが、フロアで見る、柔軟で伸びやかそして見ているだけでホレボレする美人女優のダンスは、実にいいものだ。それまでダンスから逃げていたシャオジエが、このレッスンを受けてみようと「一歩前へ」踏み出したのは、「そう思うのならやってみなくちゃね。でないと自分の実力がわからないよ」というユィシアンの前向きの言葉を聞き、その言葉に現実味と力を感じとることができたため。レッスンが終わった後シャオジエは、国際オーディションのチラシを受け取ったが、シャオジエの更なる「一歩前へ」は実現するの?
ユィシアンが弾くピアノの音色も美しいが、本作ではそれにプラスしてシャオジエの美しいダンス・シーンを見ることができるのは、チャン・ロンジー監督の巧みなストーリー構成のおかげ。そんな風に感謝しながら、台北映画祭2012最優秀女優賞を受賞した、サンドリーナ・ピンナの美しいダンスを堪能したい。
<クライマックスは一人静かに涙と共に・・・>
他方、ユィシアンはシャオジエに対しては「やってみなくちゃ」とアドバイスしていたが、自分の方は、大学で開催される音楽コンクールへの参加を頑なに拒否。今やユィシアンの実力を完全に認識しているチンをはじめとするSM部の仲間たちは、何とかユィシアンを音楽コンクールに参加させようとしたが、さてユィシアンの更なる「一歩前へ」は?
本作では、ユィシアンと同室になった面白いキャラクターのチンや、補助教員のワンなど、周りの人たちとの温かい心の交流が目立つが、これはひとえにユィシアンの人柄のおかげであることがよくわかる。私の理解では、ユィシアンのしゃべる言葉は特別なものではないが、誠実であるうえ力のこもったものであるため、相手に安心感を与えるわけだ。本作のクライマックスは、コンクールには出ないと言っていたユィシアンがチンたちと共にコンクール会場に急ぎ、事前に出場申し込みをしていなかったにもかかわらず、多少強引にコンクールで演奏するシークエンスになる。すべてのプログラムが終了したと思った観客の一部は既に席を立とうとしていたが、ユィシアンたちの演奏が始まると?
『北京ヴァイオリン』(02年)はコンクールでチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を弾くことより、もっと大切なことがある、というのがミソだった(『シネマルーム5』299頁参照)が、本作のクライマックスは、コンクールで弾くユィシアンのピアノ演奏。『北京ヴァイオリン』は号泣の中で北京駅(ホントは北京西駅)で弾かれるチュンのバイオリン演奏を聴いたが、本作のクライマックスは一人静かに、涙と共に美しいユィシアンのピアノ演奏を楽しみたい。。
2014(平成26)年2月18日記