ゼウスの法廷(日本映画・2014年) |
<GAGA試写室>
2014年2月28日鑑賞
2014年3月4日記
重過失致死事件の被告人を裁く若きエリート裁判官は元婚約者。彼女は「親族」ではないから「除斥」「忌避」「回避」には当たらないが、なぜあえてそんな選択を?高橋監督はそんなアイデアを元に、トルストイの『復活』以上に、男女のラブストーリーを絡めながら日本の司法制度の問題点をえぐり出そうとしたが、さてその成否は?
邦画にも『ゆれる』『疑惑』『事件』等すばらしい法廷モノがあるが、本作にみる後半1時間の法廷シーンはそれには遠く及ばない。また、注目の「判決主文」はいかにもタイトルにふさわしいものだが、それにも多くの疑問が。しかして、ラスト1分の衝撃的シーンとは・・・?
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監督/脚本:高橋玄
中村恵(加納の元婚約者)/小島聖
内田(裁判官、司法研修所教官、後に弁護士)/野村宏伸
加納清明(若きエリート裁判官)/塩谷瞬
加納清明(声)(子供時代)/椙本滋
山岡勇次(恵のかつての恋人)/川本淳市
飯塚判事(加納の上司、裁判長)/出光元
加納由紀子(加納の母)/風祭ゆき
土岐判事/宮本大誠
富澤陽子(山岡の教室の生徒)/速水今日子
鈴本(恵の同級生、友人)/吉野紗香
大野(東京地方裁判所所長)/黒部進
池田(最高裁主席調査官)/仙波敏郎
GRAND KAFE PICTURS配給・2013年・日本映画・136分
<目のつけどころはシャープ!しかし・・・>
本作のポイントは、重過失致死事件の被告人となった女性・中村恵(小島聖)と、それを裁く裁判官・加納清明(塩谷瞬)が「婚約者」同士だったというところにある。プレスシートに書かれているとおり、高橋玄監督は、「この核となったアイディア自体が、日本の司法制度や裁判官の矛盾を指摘できるんじゃないかと思った」わけだ。しかも、そうなったのは偶然ではなく、加納が自らその事件の担当になることを希望したことによって実現したというところが本作のミソだ。そんな目のつけどころはシャープ。しかし・・・。
次に述べるように、日本の刑事訴訟制度や各種システムはガッチリと固まっているから、刑事事件の配属が本作のように自由に変更できるわけではない。その他、本作は「法律監修」を経ているとはいえ、所詮ドラマだから、必ずしも現実と一致していない面もある。それはそれで仕方ないが、あまりにも現実離れが過ぎると誤解を与える可能性も・・・。
<除斥とは?忌避、回避とは?>
刑事訴訟法第20条は、「裁判官は、次に掲げる場合には、職務の執行から除斥される」と規定し、その2号は、「裁判官が被告人又は被害者の親族であるとき、又はあつたとき」を挙げている。つまり、現在の婚約者はもとより、「元」婚約者はこの「親族」に含まれないから、加納は恵を被告人とする裁判の裁判官になることが可能なわけだ。
もっとも、同法第21条1項は、「裁判官が職務の執行から除斥されるべきとき」の他、「又は不公平な裁判をする虞があるとき」は、「検察官又は被告人は、これを忌避することができる」と規定しているし、2項は、「弁護人は、被告人のため忌避の申立をすることができる。但し、被告人の明示した意思に反することはできない」と規定している。したがって、裁判所はOKと考えても、検察官や被告人、弁護人から「忌避」の申立をされる可能性は残っている。
また、刑事訴訟規則13条には、裁判官自らが忌避されるべき原因があると考えたときには、自ら申し立てて職務の執行から外れるという「回避」の制度を定めているから、刑事訴訟法第20条2号の要件に該当しなくとも、忌避されるべき原因があると考えれば、その裁判官は、所属する裁判所に書面で回避の申立を行い、申立を受けた裁判所はこれについての決定をすることになる。本作を鑑賞するについては、まずはこの程度の基礎知識のお勉強を。
<『復活』のドミートリイ公爵と加納の違いは?>
トルストイの小説『復活』は、日本では劇団芸術座の島村抱月と松井須磨子が1914年3月に『カチューシャ』として上演し、大ヒットした。劇中歌『カチューシャの唄』も有名になった。また同年、日活がサイレント映画『カチューシャ』を公開し、以降何度も映画化されたから、そのストーリーは日本人にも有名だ。
『カチューシャ』では、今、殺人事件の被告人として法廷に立っている女性カチューシャを、若い貴族ドミートリイ・イワーノヴィチ・ネフリュードフ公爵は陪審員として裁こうとしていたが、このカチューシャはかつて公爵が弄んだ挙げ句に棄ててしまった女。カチューシャは公爵の子供を産んだ後、娼婦に身を落とし、ついには殺人事件にまで関わることになったわけだが、そのことに公爵には罪はないの?『復活』のストーリーのポイントはそこ。公爵はシベリアへの徒刑を宣告されてしまったカチューシャのために恩赦を求めて奔走し、ついには彼女とともに旅をして彼女の更生に人生を捧げる決意をするわけだ(『名作映画から学ぶ裁判員制度』62頁参照)。
他方、加納は今、重過失致死事件の被告人として法廷に立っている、かつての婚約者・中村恵をどのように裁こうとしているの?ドミートリイ公爵と加納の違いは、ドミートリイは一人の陪審員にすぎなかったのに対し、加納はゼウス(全知全能の神)として、自らが主催する法廷に座っているということだ。全知全能の神なら何でもできるの?いやいや、そんなことはないはずだが・・・。
<「二股」で有名な塩谷瞬がエリート裁判官役に!>
本作は2時間16分と少し長尺になったが、その一因は導入部で若手判事補として将来を嘱望されている加納清明とその婚約者・中村恵との仲むつまじい生活ぶりを詳しく描いたためだ。日本の若手裁判官がどのような日常生活を営んでいるのかは一般人にはよくわからないだろうと考え、親切にそれを描こうとしたのだが、私の目にはそれはあまりにもステレオタイプ(固定的、単純、紋きり型)。私の友人の映画ファンの女性は、私の後輩の裁判官と結婚生活を送っているが、すべての裁判官が本作の加納のようなタイプと思われると、えらい迷惑なはずだ。
私は、戦後始まった司法研修所制度の第26期だが、今やそれが67期まで続いている。そんな時代状況の中で作られた本作で、裁判官とはこういうものだという固定観念で描かれていることにビックリ。もっとも、そんなエリート裁判官役に、冨永愛と園山真希絵との「二股」で有名になったハンサム俳優・塩谷瞬を起用したのは面白いが・・・。
<ステレオタイプな人物ばかりが次々と>
山崎豊子の小説『白い巨塔』は、山本薩夫監督、田宮二郎主演の『白い巨塔』(66年)等で何度も映画化、TVドラマ化されたが、そこでは「大名行列」と呼ばれる「教授回診」の「生態」が興味深かった。それと同じように、裁判長の飯塚判事(出光元)以下、左陪席の加納清明を含む3人の裁判官が法廷に入る姿や、判事室での合議・プライベートな会話から見える裁判官の「生態」は、法曹界を知らない人には興味深いかもしれない。また、司法研修所の民事裁判教官でありながら「風鈴の会」を主催し、司法制度や裁判官システムの問題点に警鐘を鳴らそうとする内田判事(野村宏伸)の姿もなるほど、法曹界の一面を描いて興味深い。さらに、裁判官、検察官、弁護士の法曹三者による「ソフトボール大会」の描写も、司法界の一部の生態を描くものとして興味深い。
しかし、これらの描写やその中で展開される硬質な(青臭い?)さまざまな議論は、私に言わせればあまりにもステレオタイプに過ぎる。さらに、本作冒頭、土岐判事(宮本大誠)が下した「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との「30秒判決」に怒った原告による土岐判事の殺傷事件の描写はいかがなもの?「暴力はダメだ」と諭す土岐判事に対して、それまでのあまりにも横柄かつ権力的な裁判官の対応にキレてしまったこの若者は、「お前は暴力ではないのか!」と喰ってかかったわけだ。しかし、1960年10月12日に社会党の浅沼稲次郎を刺し殺した山口二矢のように、一定の思想的背景をもった青年ならともかく、今ドキこんな単純でバカげた行動に走る若者がいるの?こんなことでいちいち包丁で刺されていたら、裁判官のなり手なんていなくなってしまうはずだ。
『ゼウスの法廷』といういかにも大層なタイトルからわかるとおり、高橋玄監督は、加納清明と中村恵のラブストーリーを描く中で、現在の法曹界、司法界に大胆なメスを入れ、監督なりの問題提起しようとしたわけだが、その「気負い」とは裏腹に、私の目には少しマンガ的に・・・。
<同窓会での再会から「密会」への展開の必然性は?>
10年ぶりの同窓会。そこでの、かつての恋人との再会。その夜、送ってもらった際のキス。そして、その後の(ラブホテルでの)密会。そんなステレオタイプなパターンも悪くはないが、そのストーリーを納得するためには、それなりの「必然性」を見せつけてくれなきゃ。そんな目で見ると、大学を卒業した後も何かと斜に構え、同窓会の場ですら何かと議論を吹っかける男・山岡勇次(川本淳市)の魅力はイマイチだ。したがって、人もうらやむエリート裁判官との結婚に多少の不安を持っているとはいえ、既に婚約を終え今は式の日取りを考えている恵が、そうスンナリそんな男と肉体関係をもつというストーリー展開は少しバカげている。もっとも、映画冒頭、家の中でもパソコンに向かって仕事をしている加納の前でパジャマのボタンをあえて一つはずして挑発する(?)恵の姿を見ていると、この女は意外にスキモノ?つい、そんな邪推もしてしまいそうだが・・・。
山岡はフラワーデザインの仕事をしていると自己紹介し、その教室に恵を誘ったが、その生徒の中には、後に恵の裁判の担当検事がいみじくも「エロい熟女」と表現した富澤陽子(速水今日子)がおり、山岡は既に彼女と「親密な関係」になっていた。しかし、それくらいのことは、すぐにわかるのでは?小島聖が美人であるうえ、利口そうな顔立ちをしているだけに、小島聖扮する中村恵と山岡勇次とのそんなストーリー展開の「必然性」の無さに、思わず失笑・・・。
<法廷シーンの迫力は、『ゆれる』『疑惑』『事件』以下>
ハリウッド映画には、『アラバマ物語』(62年)、『レインメーカー』(97年)、『評決のとき』(96年)等々のすばらしい法廷モノがある。邦画でも、『それでもボクはやってない』(06年)は興味深かった(『シネマルーム14』74頁、『名作映画から学ぶ裁判員制度』139頁参照)し、『ゆれる』(06年)(『シネマルーム14』88頁、『名作映画から学ぶ裁判員制度』82頁参照)、『疑惑』(82年)、『事件』(78年)(『シネマルーム10』52頁参照)に見る法廷シーンは迫力があった。
本作後半の1時間は、加納の単独法廷での恵の裁判シーンになる。そこでは、裁判官をやめて弁護士になった内田が恵の(国選)弁護人として登場するが、全く不可解なのは彼が、「公訴事実についての認否」で無罪の主張をしないこと。アパートの前で富澤を連れてきた山岡ともみ合った際、山岡が2階の階段から転落して死亡したのは事実だが、それが恵の重過失によるものか否かが本件最大の争点。したがって、雨が降っていたという事情があっても、もみ合った際に恵が山岡の手を振りほどけば山岡が階段から転落、死亡することなど恵はホントに予見できたの?法的に予見可能性あり、と認定できるの?私が恵の弁護人になれば、そこを最大限主張するはずだし、「現場検証」の申請も不可欠だ。
もちろん、予備的に情状立証はするが、もし有罪になっても本件で実刑がありえないことは弁護士なら誰でも最初からわかるはず。また、本件にみる検事の「懲役4年」の求刑は重過ぎるはずだ。したがって、恵の無罪を争わない本作の法廷シーンは不可解としかいいようがない。唯一、弁護側の情状証人として出廷した恵のことを最も良く知る大学時代の友人・鈴本(吉野紗香)の尋問もわかりきった質問ばかり。また、被告人質問でも、犯罪の成否に関する質問は皆無のうえ、量刑に影響を及ぼすような有効な質問もほとんどなされていない。さらに恵の「供述」に検事が急に怒鳴り始め、裁判官から制止されるなど、この法廷シーンで見る限りでの検事も弁護士も「無能」といわざるをえない。これでは、本作の法廷シーンの迫力が『ゆれる』『疑惑』『事件』に遠く及ばないのは当然だ。
<法廷は事実を審理する場ではなかったの?>
戦後、アメリカ流の刑事訴訟法の導入によって、日本の刑事裁判は戦前の糾問主義・弾劾主義から直接主義、当事者主義へと180度転換した。したがって、証人や被告人に対する尋問も検察官・弁護人が主に行うが、裁判官も補充尋問することが認められている。もっとも、実務では裁判官の補充尋問は全くないのが半分、2~3質問されるのが半分、といった感じだ。ところが本件では、恵に対する弁護人の主尋問と検察官の反対尋問が終わった後、加納裁判官から次々と補充尋問が・・・。
しかしそれは、「あなたの婚約者はどんな人?」「婚約者はあなたの夢に耳を貸さなかったの?」「婚約者の何が信頼できたの?」「山岡に他の女性がいなければ、婚約を破棄して新しい人生を歩んだの?」等々、本件の有罪・無罪の審理や量刑の判断とは無関係のことばかり。そんな質問が延々と続いたから、弁護人も検察官もビックリ。あまりのしつこさに検察官から「異議」が出されると、加納は「この法廷は私の法廷だ」「不規則発言をするようなら退廷させますよ」とまで叫んだからアレレ・・・。
恵の婚約者であった当時の加納は、将来を嘱望された裁判官としての自分しか見えなかったため、いつもその立場で恵と接していたらしい。ところが、内田との会話や、法廷での恵の証言を聞き、加納は法廷で恵との「心の対話」を試みたわけだ。しかし、それって、いかがなもの?法廷は事実を審理する場ではなかったの?
<最終弁論は?>
恵の審理には弁護人から鑑定も現場検証も申請されなかったから、法廷での見せ場(弁護人の腕の見せどころ)は鈴本の証人尋問と恵の被告人質問だけ。私が弁護人なら、きっと恵の情状立証のため、元婚約者・加納清明の証人申請をするはず(もっとも、担当裁判官に証人適格があるのか否かはよくわからないが・・・)。しかし、弁護士として経験の浅い内田には、それも思いつかなかったのだろう。
弁護人にとって最終弁論は、裁判官はもとより被告人本人や傍聴席に向けて最高のパフォーマンスができる場だが、内田弁護士のそれは日本の法廷でよく見られる書面の丸読み。これではダメだ。まして、そこでの主張は被告人に寛大な刑罰を求めるもので、無罪の主張を裏付ける事実を実証的に述べるものではないから、全然迫力がない。注目は「審理を終結するにあたって何か述べることがありますか?」との加納裁判官の質問に対して恵が「被害者の山岡はじめ、元婚約者には申し訳ないと思っているが、それは自分の刑罰の情状酌量を求めるものではなく、本心からのものだ」と述べた点だが、それって量刑にどれほど影響するの?
<注目の判決は?ラスト1分の衝撃的シーンとは?>
しかして、今日は判決言渡し日。傍聴席の端っこには、ちゃっかり飯塚判事も座っていた(監視していた?)が、ここで加納は「主文」を後回しにして、「判決理由」から述べるという異例のやり方を採用。これは世間から注目される裁判についてたまにとられるやり方だが、なぜ加納は本件であえてそんなやり方を?もっとも、普通は判決理由の朗読を聞いていれば自ずとその結論が見えてくるものだが、本件では加納裁判官が朗読する恵と加納との婚約時代の交際状況を聞いていても、弁護士40年というベテランの私ですら結論がみえてこない。
さあ、判決理由の朗読を終えた後、加納の口から言い渡された判決主文とは?それはあなたの目でしっかり確認して頂くとともに、判決言渡し後、ラスト1分間に登場する衝撃的シーンもしっかりと確認してもらいたい。しかして、裁判官は法廷ではやっぱりゼウスなの?それとも・・・?本作は弁護士の目でみると星3つが妥当だが、面白いアイデアからの裁判モノという観点からあえて星4つに。
2014(平成26)年3月4日記