17歳(フランス映画・2013年) |
<シネ・リーブル梅田>
2014年4月10日鑑賞
2014年4月15日記
「貞淑な人妻が売春婦になるカトリーヌ・ドヌーヴ主演の『昼顔』(67年)も衝撃的だったが、17歳の美少女が300ユーロでエスコートガールになる本作も衝撃的!『アデル、ブルーは熱い色』(13年)では女子高生アデルは同性愛に走ったが、アデルと同じく同年代の男の子には満足できないイザベルは、なぜ売春に?
婚外子差別撤廃40年のフランスでは、離婚や事実婚が続出する中、「複合家族」が増えているらしい。しかして、あるハプニングから「コト」が発覚したイザベルは、そこで反省するの?それとも居直るの・・・?
紳士的な初老の客の「腹上死」は大きな悲劇だが、ラストに見る不思議な風景を含め、多感で自分探しに一生懸命なイザベルが学んだものも大きかったのでは・・・?
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監督・脚本:フランソワ・オゾン
イザベル(17歳の女子高生)/マリーヌ・ヴァクト
シルヴィ(イザベルの母、医師)/ジェラルディン・ペラス
パトリック(イザベルの義父)/フレデリック・ピエロ
ヴィクトル(イザベルの弟)/ファンタン・ラヴァ
ジョルジュ(初老の男、イザベルの売春客)/ヨハン・レイセン
アリス(ジョルジュの妻)/シャーロット・ランプリング
ヴェロニク/ナタリー・リシャール
ピーター(イザベルの実父)/ジェジェ・アパリ
フェリックス(イザベルのボーイフレンド、ドイツ人)/リュカ・プリゾール
アレックス/ロラン・デルベク
クレール/ジャンヌ・リュフ
精神科医/セルジュ・エフェズ
女性警官/キャロル・フランク
キノフィルムズ配給・2013年・フランス映画・94分
<主人公は一転して、多感な少年から美少女へ!>
私は2002年にベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞して、一躍世界にその名を轟かせたフランスのフランソワ・オゾン監督の『8人の女たち』(02年)を観ていない。しかし、つい最近、「書くこと」に才能を見せる多感な少年(高校生)クロードを主人公にした、『危険なプロット』(12年)を観て、その面白さに開眼した。文章を綴ることが大好きで、元作家の高校教師がその才能に惚れ込んだ少年クロードの、空想が空想を生み、妄想が妄想を生む中で、ごく普通だった「こちらの家庭」「あちらの家庭」にスリルとサスペンスに富んだストーリーが展開していく物語はまさにミステリーだった。そんなオゾン監督の次回作は、一転して17歳の女子高生イザベルを主人公にした問題作に。
イザベルを演ずるのは、オゾン監督が新たなミューズとして発掘した、本作が映画初出演となるマリーヌ・ヴァクト。本作は第66回カンヌ国際映画祭に正式出品されたが、スティーヴン・スピルバーグ監督が審査員長を務めた同映画祭ではアブデラティフ・ケシシュ監督の『アデル、ブルーは熱い色』(13年)が圧倒的支持を得てパルム・ドール賞を受賞したため、本作の賞取りはならなかった。『アデル、ブルーは熱い色』で共演したレア・セドゥとアデル・エグザルコプロスは2人とも素晴らしい女優だったが、さて本作にみるマリーヌ・ヴァクトは?
本作は、「R-18+」指定らしく、映画冒頭、弟のヴィクトル(ファンタン・ラヴァ)が双眼鏡でのぞくレンズの中から浜辺に寝そべり、水着のブラを外していくイザベルの姿が映し出されるが、さてその魅力は・・・?
<「17歳」は、さまざまな名作のテーマに!>
「17歳」をテーマにした日本の歌謡曲といえば、若くして歌手を引退し、写真家の篠山紀信の奥さんになってしまった南沙織の『17歳』や、私の中学生の頃のヒット曲である、西郷輝彦が歌った『十七才のこの胸に』等がある。また、「17歳」をテーマとした名作映画といえば『17歳のカルテ』(99年)や、『17歳の肖像』(09年)があるし、小説ではフランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』の主人公が17歳の女の子だ。17歳は男女を問わず微妙な年齢だが、とりわけ女性にとっては少女から女へと転換する時期。『アデル、ブルーは熱い色』では、女子高生のアデルは、イザベルと同じように「初体験」を済ませたボーイフレンドには全く満足できず、ブルーの髪をした魅力的な美大生エマに一目惚れし、同性愛(レズビアン)にのめり込んでいったが、さてイザベルは?アデルと同じように、また、オゾン監督の前作『危険なプロット』の主人公の少年クロードと同じように、イザベルも一筋縄ではいかない、多感で鋭敏な感性の持ち主のようだ。
普通の17歳の女子高生なら、ボーイフレンドとの「初体験」で処女を喪失したら、そのボーイフレンドに夢中になっていくものだが、パリの名門アンリ4世高校に通うイザベルにとって、ドイツ人のボーイフレンド・フェリックス(リュカ・プリゾール)は、処女喪失のためのお相手役を務めさせただけらしい。したがって、母親のシルヴィ(ジェラルディン・ペラス)と義理の父親(つまり、シルヴィの再婚相手)パトリック(フレデリック・ピエロ)、そして、おませな弟ヴィクトルと共に過ごした避暑地で、17歳の誕生日を前に処女喪失の儀式を済ませると、あっさりフェリックスとはバイバイを決め込んでしまうことに。
そして、季節は変わり秋。そこにはパリッとスーツを着こなしたイザベルが、パリの瀟洒なホテルの回転ドアをくぐり抜け、6095号室のドアをノックする姿が。さて、これは一体ナニ・・・?
<なぜエスコート・ガールに?その料金は?>
本作のパンフレットには、鎌田聡江氏(ジャーナリスト)の『女子学生を取り巻くフランスの売春事情』と題する面白いコラムがある。パリ在住のライターである彼女が足で稼いだ情報によると、フランスの売春婦は、①街角やブローニュの森で、たちんぼで客を取る「売春婦 Prostitue'e」と、②容姿端麗、身なりの良い「エスコート・ガールEscort girl」と呼ばれる高級売春婦という2つのカテゴリーに分かれるらしい。
日本でも、かつてバブルの時代には「援助交際」が流行し(?)大きな社会現象になったが、今はインターネットとケータイさえあれば、未成年者でも家族や友人に内緒でいくらでも売春ができる時代。これはフランスだけでなく日本でも同じだ。そこに一定の危険があるのも共通だが、フランスは「売春婦だって立派な自由業だ!」と叫んでデモをすることができる国だから、日本より圧倒的に性に関しては自由。イザベルだって、秘密で購入した2台目のケータイさえあれば、エスコート・ガールはやり放題。しかし、弁護士として、日本におけるその手の情報をほとんど把握している私にとっての興味は、「How Much?」ということだが、オゾン監督はそれを300ユーロ(=約4万2000円)と明示してくれるので嬉しい。4月11日のTVニュースでは、原子力発電と手を切り、再生可能エネルギーに切り替えている西ドイツでは、近時日本以上に電気代が高騰し、それが社会問題になっていることが報じられた。そんな「電気代の日独比較」という真面目な議論も重要だが、本作鑑賞後の話題としては、イザベルのような「エスコート・ガール」のセックス1回の料金300ユーロと、日本のそれとの料金比較というのも一興だ。
<客もいろいろ!これも人生勉強?しかし、このハプニングは?>
イザベルが自らの意思でエスコート・ガールになったのは、お金のためでもなければ、『恋の渦』(13年)で見た8人の男女のように人一倍「セックスがしたくてしたくてたまらなかった」ため、でもない。あえて言えば、それは「自分探しのため」。つまり、自分の存在感や自分の価値を自分で確認するため・・・?もっとも、イザベルの動機がそうであっても、その若い身体に吸い寄せられてくる男たちの生態(性態?)はさまざまであるうえ、変態おやじもいれば、「犯罪」に結びつく危険性があるのは当然だ。イザベルは幸いヤクザのような危険な客には遭遇しなかったが、コトが終わってから「お前は300ユーロ払うに値しない」と言って200ユーロしか払わない客や、割増料金を払うからには「それ相応のサービスをしろ!」と要求してくる客など、客もいろいろ・・・。
しかし、逆にエスコート・ガールに群がってくる「カネで女を買う」男は、悪い奴ばかりかというと、決してそうではない。そのことがイザベルの馴染みの客になった初老の男ジョルジュ(ヨハン・レイセン)をみればよくわかる。そう考えると、エスコート・ガールとしていろいろな客と接するのも、いい人生勉強かも・・・?ジョルジュの場合はイザベルが何も言わなくても先にお金をわかるところにそっと置いてくれているから、料金のことで気を遣う必要がないうえ、ベッドの上を含めて、始めから終わりまで対応が紳士的で優しいから、イザベルも父親のように(?)安心して共に時間を過ごせたらしい。しかも、イザベルが両親と一緒に行った劇場で、その休憩中にジョルジュを見かけると、わざわざジョルジュの方からイザベルの隠れケータイに「水曜、同じ時間に、6095号室で」というメールを入れてくれる気の遣いようだから嬉しい。こうなれば、イザベルが6095号室に出かけていくのは、半分仕事、半分デートの気分に・・・。
たとえ1回ごとにお金をもらう関係といえども、また、17歳の女の子と初老の男との関係といえども、セックスを通じた男女関係は回数を重ねれば重ねるほど互いに親近感が湧いてくるものだ。今回は、バイアグラを飲んだせいかジョルジュは女上位でのセックスを頑張っていたが、そこでとんだハプニングが・・・。
<イザベルは反省?それとも居直り?後半はそれに注目!>
17歳の少女は、状況次第でどのようにでも変化するもの。したがって、イザベルのように1回の売春で300ユーロも受け取り、その回数がどんどん増えていくと、収入はかなりの額に上るから、普通はそれが化粧や服装の派手さとして表れてくるものだ。しかし、イザベルの場合は、もらったお金で何を買いたいと願っているわけでもなかったから、外見には何の変化もないうえ、勉強もそれなりにしっかり続けていたから、両親がそれに気づかなかったのは仕方ない。したがって、ある日女性警官(キャロル・フランク)ら2人の訪問を受けて、イザベルの「放課後の行動」に捜査が及び、家宅捜索の結果、イザベルの部屋の中から大量の札束が見つかると、イザベルの母親シルヴィは絶句!日本ではこんな場合、未成年の少女とセックスをした男は「買春」で罰せられるが、さてフランスでは?
前述の鎌田聡江氏のコラムに書いてあるとおり、売春に歯止めをかけたいフランスは、2013年12月に買った側に最高3750ユーロ(約50万円)の罰金を課することを決めたらしい。そんな背景もあって、シルヴィに対して女性警官は「法的には未成年は被害者なので証人ですみますが、捜査はします」と説明したが、母親としてはそれで安心できないのは当然だ。ここから以降、「なぜ、こんなことを?」というシルヴィからイザベルに対する質問が投げかけられていくわけだが、それに対してイザベルはどんな反応を?自分のやっていることを悪いことだと認識していれば、あるハプニングでそれが警察沙汰となり両親にバレてしまったら、「ごめんなさい、もう2度としません」という「反省」になるはずだが、さてイザベルの場合は?
4月11日付朝日新聞は『婚外子差別撤廃40年 フランスを訪ねて』『家族壊れず増えた』という見出しで、フランスの高校教師ロランスさんたちの「複合家族」のあり方をレポートした。18歳以上が結ぶ共同生活のパートナー契約を「連帯市民協約(PACS)」と呼ぶのと同じように、「複合家族」という概念は日本人にはわかりにくいが、フランスでは離婚、事実婚、不倫が混在する中で、父母が違う子供たちが一緒に生活している家族が激増しているわけだ。イザベルの場合は、シルヴィは実の母親だが、父親のパトリックはシルヴィの再婚相手だから、義理の父親。他方、イザベルの実父ピーター(ジェジェ・アパリ)は再婚し、そこで新たに2人の子供たちと一緒に生活していることが、後半からわかってくる。そんな状況下、イザベルが劇場で偶然ジョルジュを見かけたのと同じ日に、長い間「トイレが込んでいて・・・」と弁解しながら席に戻ってこなかったシルヴィは、いったい誰と親しげに話をしていたの?他方、ジョルジュがあの年で若いエスコート・ガール、イザベルに興味を示したのなら、シルヴィの夫たる父親のパトリックだって男なのだから、同じようなものでは?すると、シルヴィの娘とはいえ、イザベルが血のつながっていない義理の父娘関係だとすれば、ひょっとして男の目でイザベルを見ることだって・・・ああ、恐い、恐い。本作後半の展開を見ていると、とんだハプニングに巻き込まれた後のイザベルの行動は、どうも「反省」ばかりではなさそうだ。これを「居直り」というのか、「新たな人生の模索」というのかは別として、オゾン監督が描く、多感な17歳イザベルの、そんな後半の行動に注目したい。
<新旧両ミューズの「ご対面」をどう読み解く?>
イザベルを演じたマリーヌ・ヴァクトは、映画初出演となったオゾン監督の新しいミューズだが、本作ラストにはなんとも奇妙な設定の中で、オゾン監督の「永遠のミューズ」と言われるシャーロット・ランプリングが、イザベルの上で腹上死したジョルジュの妻アリス役で登場するので、そこにも注目したい。ちなみに『愛の嵐』(74年)でみせた、「ナチスの帽子をかぶり上半身裸にサスペンダー姿は当時あまりにも衝撃的であった」そうだが、そのシーンは私も何度も映画雑誌で確認している。本作のパンフレットを読んではじめてわかったのが、その女優こそ、1946年イギリス生まれの女優シャーロット・ランプリングということだ。さらに、このシャーロット・ランプリングは、私の大好きな映画、シドニー・ルメット監督の『評決』(82年)にも出演していたし、最近では、キーラ・ナイトレイとキャリー・マリガンの2人が大注目された名作『わたしを離さないで』(10年)(『シネマルーム26』98頁参照)にも出演していたそうだ。しかし、なぜそんなシャーロット・ランプリングが演じるジョルジュの妻アリスが本作ラストに登場するの?
それは、既に17歳の初心な女の子から、かなりアブないしたたかな女に豹変してしまった感のあるイザベルが、再びあのケータイで、ある番号に連絡を取ったためだ。私はこのシーンを観て、イザベルはエスコート・ガールに復帰したの?と一瞬思ったが、実はそうではなく、イザベルがあの回転ドアのあるパリの瀟洒なホテルのロビーで待ち合わせたのは、ジョルジュの妻アリスだ。イザベルはなぜ今頃こんなところでアリスに会っているの?しかも驚くことに、2人はそのまま思い出の(?)6095号室に入っていったばかりか、アリスは300ユーロをそっといつもの場所に置いたから、ビックリ!さらに、それ以上に驚かされるのは、そこでイザベルが「脱ぎますか?」とエスコート・ガールらしく質問すること。一体これから何が始まるの・・・?
こんなラストシーンを、これは現実なのか夢(妄想)なのかを含めてどう解釈するかはあなたの自由だが、さすがフランソワ・オゾン監督の問題提起は面白い。『アデル、ブルーは熱い色』ほどの驚くようなインパクトはなかったが、時を同じくして、フランスの17歳の美少女の生き方をスクリーン上で対比しながら勉強できたことに感謝!
2014(平成26)年4月15日記