捨てがたき人々(日本映画・2012年) |
<GAGA試写室>
2014年5月7日鑑賞
2014年5月10日記
イマドキの若者は『銭ゲバ』や『アシュラ』に描かれたジョージ秋山の世界は知らないはず。ところが平成26年の今、人間の業と欲望を徹底的に見据えた『捨てがたき人々』が映画に!
顔に痣のある新興宗教にハマる女は、レイプまがいに犯された中年男となぜ同居生活を?そして、子供が生まれ、今や・・・。表面上はそんな進行だが、そのウラでは、あっちの性欲、こっちの性欲がドロドロ。
しかし、それでも人間は生きていくもの・・・。
本文ははネタバレを含みます!!
それでも読む方は下の「More」をクリック!!
↓↓↓
ここからはネタバレを含みます!!ご注意ください!!
↓↓↓
監督:榊英雄
脚本:秋山命
原作:ジョージ秋山『捨てがたき人々』(幻冬舎文庫刊)
狸穴勇介(生きることに飽きた中年の男)/大森南朋
岡辺京子(顔に痣のある若い女)/三輪ひとみ
あかね(小料理屋のママ、京子の叔母)/美保純
丸吉社長(水産加工業会社の社長)/田口トモロヲ
吉田チーフ(丸吉の会社のチーフ)/滝藤賢一
吉田和江(吉田の新婚の妻)/内田慈
高橋/伊藤洋三郎
アークエンタテインメント配給・2012年・日本映画・123分
<ジョージ秋山のマンガの特徴は?>
私の大学時代(1967~71年)は、『週刊少年サンデー』『週刊少年マガジン』『週刊漫画アクション』の全盛期だったから、梶原一騎の『巨人の星』、ちばてつやの『あしたのジョー』、水島新司の『ドカベン』、さらに、上村一夫の『同棲時代』や、ジョージ秋山の『銭ゲバ』や『アシュラ』が大はやりだった。また、白土三平の『カムイ伝』は階級闘争を描いたマンガの鑑と称えられていたから、学生運動活動家の必読文献だった。ちなみに、今でも法政大学教授でつい最近女性初の総長に就任した田中優子教授が『カムイ伝講義』を出版し、授業に活用しているほどだ。
安達祐実が少女時代に出演したTVドラマ『家なき子』(94年)の有名なセリフは「同情するなら金をくれ!」だった。また、タナダユキ監督の『赤い文化住宅の初子』(07年)は、中学3年生の初子が中華料理店のおやじからバイト料を値切られ、「カネ、カネ、カネ・・・」と呟きながら一人とぼとぼと家に向かうシーンから始まった(『シネマルーム13』214頁参照)。このように、資本主義社会ではカネがすべて(?)だから、青木雄二の『ナニワ金融道』が根強い人気を誇るのは当然。しかして、ジョージ秋山の『銭ゲバ』は、銭にまつわる人間の欲と業(さが)を直視した問題作で、私の愛読書だった。
<この女優は誰?大森南朋演じる主人公は?>
そんなジョージ秋山は、70年代、80年代、そして90年代も似たようなテーマでマンガを書き続けていたらしく、本作の原作となったマンガ、『捨てがたき人々』は1996~99年に『ビッグゴールド』で連載されたマンガらしい。チラシには、ほとんど剥き出しにされた女の白い太股に、男の右手が伸びている姿が大きく写っている。ここから想像されるとおり、本作はR-18指定。そこでハタと気になる女優の名前を見ると、顔の左ほほに痣のある若い女・岡辺京子を演じるのは三輪ひとみ。さて、この女優は誰?井上淳一監督の『戦争と一人の女』(12年)(『シネマルーム30』199頁参照)で私は江口のりこという面白い女優をはじめて知ったが、顔の痣がコンプレックスとなって恋愛を諦め新興宗教に入っている女・京子とは一体どんな女?激しいセックスシーンも期待できそうだが、それ以上にジョージ秋山流の生々しい男と女の業がどのように描かれているのかが楽しみだ。
他方、本作の主人公・狸穴勇介(大森南朋)は、「生きることに飽きちゃった・・・」と初対面の女・京子に話す中年男。金も仕事も、そして生きる希望も持たない彼が今、故郷の五島列島に戻ってきたのは一体なぜ?映画の冒頭、勇介は歩きながら一人で①人はなにゆえに生まれ、②人はなにゆえに生き、③そして、人はなにゆえに死んでいくのか、とえらく哲学的な問いかけを叫んでいるが、彼はホントにそんなテーマで悩んでいるの?私には故郷に戻り、不動産屋の紹介である一軒家を家賃1万円で借りて住むようになった勇介が何を考えているのかはサッパリわからない。しかし、少なくとも彼の興味の対象はそんなドストエフスキー流の哲学的なテーマではなく、もっと即物的な、例えば金、メシ、女の類だと思うのだが・・・。
今や演技派俳優としてすっかり成長した大森南朋が、本作ではひげを生やした目つきの悪いどうしようもない男になりきっている。さあ、そんな中年男が赤裸々に見せる金銭欲と食欲、そして性欲とは・・・?
<いつも笑顔?何をされてもOK?この女は天使?>
私は株主優待目当てで、飲食関係や映画関係の株をたくさん保有しているが、2014年4月の消費増税の影響もあって、「吉野家」「すき家」「松屋」という牛丼の大手三社は苦戦している。しかして、弁当大手の株式会社プレナスが運営する「ほっともっと」や「やよい軒」は?他方、少子高齢化が進む日本列島では過疎化が進んでいるから、勇介が戻った故郷、五島列島で弁当屋なんて成り立つの?何の仕事もしていない勇介がどれくらいの貯えを持って島に戻ってきたのかは知らないが、いつも紙封筒から現金を抜き出している勇介の手持ち金は、僅かしかなさそうだ。
そんな勇介の食事は、いつもたまたま家の近くにあった弁当屋で購入する300円のノリ弁だ。近時、スカイマークのCA(客室乗務員)がひざ上15cmのミニの青色のワンピースを着用することについての賛否が大きな話題を呼んだが、五島列島にある弁当屋の若い女性従業員の制服もかなりハデ。きっと女に飢えているであろう勇介がそんな従業員を好色そうな目で見るのは仕方ないが、大森南朋の過剰サービス気味(?)演技もあって、その態度は犯罪的なほどだ。したがって、弁当屋に勤めている京子がたまたま自分の好きな川辺に勇介が一人で寝そべっている姿を見て声をかけたうえ、親しげに近づいていったのはあまりにも無防備というものだ。そこで、京子が勇介に語ったのは、①顔に大きな痣がある自分はいつも笑顔を心がけていること、②自分はそんな生き方を新興宗教に入って教えてもらったが、決して布教するつもりはないこと、したがって③人相の悪い、どこの馬の骨ともわからない勇介に対しても悪感情などもたず、笑顔で接していること、など。それを聞いた勇介が「フーン」と返したのは当然だが、そんな京子の言葉を勇介流に解釈すれば、「俺は女とやりたいのだから、この女はきっとやらせてくれるはずだ」ということになるらしい。すると、思い立ったらすぐに行動を、とばかりに勇介は真っ昼間にもかかわらず、京子にむしゃぶりついていったから、さあ大変だ。
たまたま乗り捨ててあった京子の自転車を見つけた、小料理屋を経営しているおばさんのあかね(美保純)が声をかけてきたため、勇介の行動は中止となったが、なぜ京子はこのレイプまがいの被害をあかねに訴えなかったの?いくら、「何でもスマイル、スマイル」という心境で生きていても、レイプ(未遂)犯をスンナリ許すのはいかがなもの?そんな目で、その後の2人の関係と距離感を興味深く見ていると・・・。
<妊娠を告げられると?アレレ、アレレ・・・>
先日亡くなった小説家・渡辺淳一の「性愛小説」なら、想像力をかき立てる美しい文章になるはずの性愛シーンも、露悪的ともいえる描写が持ち味のジョージ秋山になると、勇介に喋らせるセリフは、「結局、俺の固くて太いモノが欲しいだけだろう!」となってしまう。しかし、それはそれで、人間の業の本質に迫る描写・・・。
勇介と京子の奇妙な同棲生活が始まったのは、あの時のレイプまがいの行動を「お詫び」し、二度とあのような行動は取りませんと「誓約」しておきながら、豪華な夕食時のワインに酔って(酔わされて?)寝てしまった京子を強姦まがいに犯したことがきっかけだが、なぜ京子はそんな勇介に惹かれていったの?その要因の一つが、家に帰れば母親が四六時中ハゲのおっさんとセックス三昧、そこから逃げだしてあかねの家にいくと、そこでもあかねが男に抱かれており、結局「自分の行き場がなくなった」ためだが、そんな安易なことでいいの?
もっとも、そうなると悪い気はしないのは勇介の方。いつの間にか、京子が世話してくれた丸吉社長(田口トモロヲ)が経営する水産加工業の会社でガラにもなく作業員として真面目に働くことに。なるほど、ここまで見ていると京子は天使のような女だが、ある日京子から妊娠したことを告げられると、勇介は私の予想どおり、即座に「堕ろせ!」と強い一言を。そりゃそうだろう。自分のような男がこの世に生きていることに何の意味もないと考え、女は性欲処理の対象にすぎないと考えている勇介が、自分に子供・・・?笑わせるな!となるのは当然だ。ところが、その後の展開は、アレレ、アレレ・・・?
<こっちの性欲は?あっちの性欲は?>
五島列島は島原に近いから、隠れキリシタンの島でもあるらしい。そのため、本作冒頭のスクリーン上には、岬に立つ聖母像がシンボリックに提示される。しかし、聖母マリアさまは榊英雄監督が本作で描き出す、ジョージ秋山流の性欲のオンパレードをお赦しになるだろうか?
京子に言わせると、京子の母親があんなにやせているのは、「下の口で男を食うのに忙しく、上の口を動かすヒマがないため」らしいが、娘の立場で何ともすごい表現をするものだ。また、いかにも善人ヅラで、怪しげな男・勇介を「私には悪い人には見えませんので」と言って採用してくれた丸吉社長の性欲は一体ナニ?さらに、『愛の渦』(14年)(『シネマルーム32』未掲載)で、性欲のはけ口を秘密クラブ「ガンダーラ」に求めた4人の男のうちの一人を演じた滝藤賢一扮する吉田チーフは、勇介に対して親切に仕事のやり方を教えてくれていたから、きっといい人。ところが、その新妻だと紹介された和江(内田慈)は、ハゲのおっさんと供に突然死んでしまった京子の母親のお葬式の帰りに、何と喪服姿で会社に戻り、丸吉社長と激しい絡みを・・・。この時点で勇介は丸吉社長の車の運転手をしていたから、その方面にカンのいい勇介はその一部始終をしっかり自分の目で確認。これが後々、丸吉社長の自殺騒動の中で会社を辞めるに当たり、莫大な退職金をむしりとるネタになったから、勇介のワルぶりも相当のものだ。
他方、一人で小料理屋のママをやっているあかねが適当にお客さんを「つまみ食い」しているのは理解できるが、彼女も、自分のいちもつに自信を持つ勇介との爛れたセックスにどっぷりだ。いやはや、何と・・・。そう思って見ていると、今も相変わらず新興宗教の活動に精を出している京子は、何と教団の中で白昼堂々と若い信者と激しいセックスの営みを。登場人物がみんなそれぞれ、こっちの性欲にどっぷり、あっちの性欲にどっぷり、という本作の展開には、さすがにビックリだ。
<反抗期になると?ひょっとして?それでも・・・>
子供が育つのは早いもので、今や勇介と京子との間に生まれた子供は10歳に。ここまで来れば、この夫婦も安泰?いやいや、ジョージ秋山のマンガにそんな世界はないはずだ。そう思いながら観ていると、正義(まさよし)(この皮肉な名前にも注目!)は親に似ず勉強好きで、頭のいい子らしい。そういうことはたまにある話だから、正義の頭が良くてもどうということはないが、彼の父親への反抗ぶりは10歳児にしては少し異常。最近の「ソフトバンク」のテレビCMでは、ちょっと太り気味の白い犬のDNA鑑定の結果に注目が集まっている(?)が、ひょっとしてこれは・・・?
本作の登場人物のうち、京子の母親とそのセックスのお相手だったハゲのおっさんは早々に事故で死んでしまうし、吉田チーフの新妻と不倫を続けていた丸吉社長もコトが発覚した後、自殺してしまったから人の命ははかないもの。ところが、この世に未練など全くないからいつ死んでもいいと思っていた勇介は、京子との間に家庭を持ち、一人息子を真ん中に囲んで幸せな毎日を・・・。本作ラストに向けては、一見そのようにも見ることができる。しかし、勇介とあかねとの爛れた肉体関係はなお続いているようだし、京子と「同志」との不倫も継続中らしいから、いつどのような波乱が起きてもおかしくない。こりゃあたかも、親ロシア派の住民とウクライナ政府軍が対峙し続けている現在のウクライナ情勢のようなものだ。京子の愛読書はドストエフスキーの『罪と罰』。勇介と出会った頃の京子はそのヒロインのソーニャに憧れていたが、さて彼女の今の生きザマは?他方、見方によれば、いいパパに見えないこともない勇介の今の生きザマは?
とにかく、人間はどんな状況でも生きていくもの・・・。そんな本作のメッセージを平成26年の今、あなたはどう受けとめる?
2014(平成26)年5月10日記